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遺失物管理所
遺失物管理所
【新潮社】
ジークフリート・レンツ
定価 1,890円(税込)
2005/1
ISBN-4105900447
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  朝山 実
  評価:A
   落し物を取りにきた人に、本人確認をするのが青年の仕事。慣れれば単調な職場なのだが、それも捉えかたひとつ。特注ナイフの持ち主である証明に旅芸人は、青年を的にナイフ投げを実演してみせ、舞台女優は大切な台本を取り戻すために一幕を演じる。いっぽうで、列車からわざと古鞄を捨てていく男もいる。人の過去を探り、知る職業でもあるのだということがわかっていく。枝葉のシーンだが、上司の痴呆の老父が、シベリア鉄道に乗っていたんだと自慢する。上司はあとで、あれは過去をつくりかえているんだと語るところなどはじんわりとくるし、物から記憶が紡がれるドラマチックさがいい。青年は古い栞の収集が趣味で、出世欲は皆無。すぐに窓際の職場になじんでいく姿はメルヘンふうでもある。しかし、というか、しかもというか。大規模なリストラがここにも押し寄せる。根深い民族問題も出てくる。たんなる心温まる話で終わらず、ネオナチ(暴走族とあるが)の若者像を織り込んだ、きついエピソードがジョイントされている。

 
  安藤 梢
  評価:A
   駅の遺失物管理所には毎日、何かをなくした人々が訪れる。人は実に様々な物をなくす。他人から見れば代えのきく物に思えても、なくした本人にとってはかけがえのないものだったりする。ヘンリーのユーモアたっぷりの仕事振りが読んでいて笑える。彼のキャラクターがなんともいい味をだしているのである。遺失物が本人のものか確認するために、ナイフを投げさせたり、台本を読ませたりと遺失物管理所はいつも賑やかである。ヘンリーの子供のような言動が読む者をハラハラとさせ、時には笑わせるのである。出世にとらわれることなく(始めはそれが仕事の責任を負いたくない言い訳に聞こえるのだが)、ただ気持ちよく仕事がしたいと力説するシーンには胸打たれる。彼が仕事をいかに愛し、大切にこなしているのかが窺える。ユーモアセンスに富んだ明るい物語ではあるが、実はリストラや若者の非行や差別問題など様々な社会問題が内包されているというところに作品の深さを感じる。

 
  磯部 智子
  評価:A+
   北ドイツの感傷に貫かれた『アルネの遺品』とはガラリと雰囲気をかえた作品。古風で滑稽、陽気で上質な寓話的世界。連邦鉄道の遺失物管理所に着任した24歳のヘンリーが主人公。彼は、人は何て色々な物を忘れたり失くしたりするのかと驚く屈託の無い男。婚約指輪、僧服、鳥かごにはいったウソ、現金が縫いこまれた人形、…。落とし主に見出されるものや、うち捨てられオークションにかけられるもの。ドイツ語で「ものを失くした人」は「敗北者」の意味もあるらしい。遺失物管理所自体が掃き溜めの閑職、そこには大切なものと切り捨てられたものが混在する。探す人は紛失届に価格を書く。形見の品の値段は?探し当てた人も自分が正当な持ち主だと証明しなければならない。ヘンリーはナイフなら大道芸人に投げさせたり、芝居の台本なら台詞を暗唱させたりする。こんな事は現実にはありえないだろうが、その落し物が代替のきかない物か選別している様にも思える。失くしたものと取り戻したいものを見つける遺失物管理所。そこには後悔や不安、自責の念といった地雷が沢山ありそうだ。レンツ77歳の作品は、楽しくて遊びもあり味わい深い。

 
  小嶋 新一
  評価:C
   駅の遺失物管理所。存在は知っているけど、そうそう訪ねるわけでもない目立たない場所。けれども、一つ一つの忘れ物の裏側には、実はいろんなドラマが隠されている。うまい目のつけどころだなあ、と舞台設定には興味をそそられた。
 遺失物管理所に転勤になってきた若者ヘンリー。先輩はその職場を「人生の待避線」とたとえる。分かりやすく言うと「窓際」。それに対し「出世は喜んでほかの連中に任せますよ。ぼくは気持ちよく仕事ができればそれで充分なんです」とこたえるヘンリーの潔さは、すがすがしくもある。
 ただ、この作品、ちょっと古臭すぎません?あまりの素直さと牧歌的な雰囲気に、1950、60年代あたりの話かと思いきや、最後のほうでビートルズの「愛こそはすべて」が「古いビートナンバー」と表現されているにびっくり。あれ?けっこう最近の話なんだ。ぼけっと読んでいると錯覚してしまうぞ。この小説の中だけ、50年分ぐらい時間が止まっている感じ。よく言えば「円熟の極み」だが、いくらなんでも古色蒼然だよな、これじゃ。

 
  三枝 貴代
  評価:B
   久しぶりにすがすがしいまでのダメ人間にであった気がしました。遺失物管理所に配属されたヘンリーは、どうやっても真面目に仕事ができないタイプの男です。神父の服装があれば着てみなくては気がすまないし、ナイフ投げ用のナイフがあれば自分を的にして投げてもらわないと気がすみません。出世に興味がなくお金も必要ないといいながら、自分の収入では生活ができなくて、姉に返すあてもない借金をくり返しています。で、人妻に一目惚れして、相手が迷惑がっているのに、デートしようよ、デートしようよとつきまとっています。ほんと、しょうもない奴。でも、悪気がなくて可愛いのです。暴力が嫌いだといいながら、最もハードなスポーツであるアイスホッケーの選手だったりして、格好良いですね。
 最近の日本文学の登場人物は、劣等感とそれの裏返しの奇妙に高いプライドとが肥大していて、ヘンリーみたいな自然体の気持ちよさを失っていまいました。なんだかとってもなつかしく感じるのは、日本人と感覚が似ているドイツ文学ならではの味わいかも。

 
  寺岡 理帆
  評価:B
   遺失物管理所という舞台から、さまざまな人間模様が描かれるのかと思ったら、それはおまけのようなものだったのがちょっと意外。物語はどちらかというと淡々と進んでいく。まるでさらさらと流れる小川の底の小石たちのキラキラ光る様子を描いたような作品、とでも言う感じかしらん。
 ちょっとヘンリーの性格のつかみどころのなさに戸惑った。明るくて人なつこくて、パウラに何度でもちょっかいを出して、ただその場をすーっと泳いでいるようかと思うと、横暴な暴走族と話し合おうと彼らを捜し回ったり。彼にとって一番大事なものって何なんだろう?
 フェードルの後半の唐突な行動にもややびっくり。
 読んだ後は心地いい気分になれたんだけれど、後から考えてみると少し、わたしとは隔たりを感じるというか…(苦笑)。
 とっても雰囲気のいい作品なのだけれど。

 
  福山 亜希
  評価:A
   駅はいろんな人間が集まる場所だ。これから旅立とうという人もいれば、遠くから帰ってくる人もいる。通り過ぎるだけの人だっているし、そうやって不特定多数の人間が集まる場所だから、多くのドラマが起こるのだ。だから駅は、小説の舞台が良く似合う。
物語は、ドイツ北部の駅の遺失物管理所で、主人公のヘンリー・ネフが働き始めるところから始まる。遺失物管理所は、鉄道に従事する者の間では花形の職業とは言えない。事実、彼の同僚達は仕事が出来るというよりは、上手な暇の持て余し方を知っていると言った方が的確だろう。だが若いヘンリーはそんな職場に幻滅することなく、上司を尊敬し、仕事を愛し、同僚の女性を好きになって、日々充実して暮らすのだ。ヘンリーの毎日は楽しい。彼はいたずら好きで、やんちゃで、好きな女性に嫌われてもめげず、とにかく明るいのだ。安い給料でも、好きな仕事をしている幸せが伝わってくる。職場と仕事が大好きなこの青年は、とても健康的だ。彼が何を生きがいにしているのか、彼の明るさはどこから来るのか、もしあなたが幸せとは何なのかを知りたいのなら、まずヘンリーのことを知らなくちゃいけないだろう。