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グランド・フィナーレ
グランド・フィナーレ
【講談社】
阿部和重
定価 1,470円(税込)
2005/2
ISBN-4062127938

 
  朝山 実
  評価:A
   ロリコンのことがわかっていない。芥川賞の選考で上がった声を意識して、作者はある雑誌で語っていた。主人公はロリコンと決まったわけではない。変態と正常のグレーゾーンにいる人物を描きたかったと。言いたかったんだろうな、安手の流行小説じゃないよって。先入観を持たずに読んでみると、限りなくそれっぽい主人公が妻から離縁されて帰郷、実家の文具屋の店番をする。客は小学校の子供ばかり。神様はどこまで悪戯をするんだと彼は恨む。このまま行けばゆくゆくは犯罪者。だからどうにかしたい。ある意味、理性的な人間ではある。でも、抑えられないものがある。完全にいっちまった人間じゃないのがこの小説の妙味だ。自らの素行を弁解するモノローグは、ゆらめく孤独な影がみえてきそうで、せつない。あることがきっかけで男は変わりかける(ように見える)。異常者の所業や過去なんて、もう小説で読みたくない。わからないものはわからないんだから。微かだけど男にとってのすくいの道がまだありそうな、未確定な終わりがいい。

 
  安藤 梢
  評価:C
   読んでいて無性にイライラとしてくる。主人公が幼児趣味の変態野郎だからだろうか。自己中心的な主人公に、どうにも感情移入できないままに違和感だけが残ってしまった。自分の子供に異常な執着を見せる心理描写が巧すぎるのだ。あまりにリアルで気持ち悪い。男の心情の淡々として冷静な描写が巧いからこそ余計に嫌悪感を覚えてしまう。あまり見たくなかったものを、目の前に突きつけられたようなかんじである。表面上では反省しながら、深いところで罪を自覚できていないところに男の破綻した精神が窺える。
 男が罪を告白する場面、自分のしたことにもどことなく他人事のようで、読んでいてぞっとした。他の登場人物が男を徹底的に責め立ててくれているのが救いである。相手の痛みを想像できない人間がどれだけ不気味で恐ろしいかを、鋭く描いた作品だと思う。

 
  磯部 智子
  評価:D
   この作品の薄気味悪さの種類は、語り手である罪悪感の薄い男の鈍感さにある。ナボコフの『ロリータ』の一人の少女に対する狂おしい思いとは異なり、無自覚で見境のないところに別の恐ろしさと腹立たしさがある。小児性愛者の実情は少年少女に執着しているというより、この男のように子供=身近な弱いものに向うのが大半なのだろうと思いながら読み進む。子供は非常に犬と似ていて親や力を持つ大人(飼い主)の要求を敏感に察知し、大抵の事なら無理をしてもその意に沿うよう行動する、それがあたかも自分の意思であるかのように。それを曲解し性的な要求をすることが、どれほど非道な振る舞いなのか全く解っていない。大人と子供の間には性的合意などは絶対に存在しないし、これほど受け止める「現実」に果てしない距離がある正反対の立場もない。その前提で作品として評価は、そんな酷い人間を描いてこの結末、どんよりした不快感が大きく残ります。

 
  小嶋 新一
  評価:A
   ロリコン男のなれのはて。少女の裸の写真を撮って撮って、撮りためて女房に見つかったあげくの、みじめな離婚。ロリコン稼業からはきれいさっぱり足を洗ったものの、一人娘のちーちゃんに会えないつらさだけは、我慢ができない。
 いくらロリコン男といっても、やはり人の親。8歳の誕生日を迎えた娘が家から出てくる姿をちらりとでも見ようと、酒屋の軒先で雨をしのいで待ちつづける姿は、哀れで切ない。これを、自業自得と冷たく突き放すか、でもやっぱりかわいそうと思うか、きっと読者によって感想は二手にわかれるんだろうな。7歳の一人娘がいる僕は、迷わず後者。
 田舎に引きこもり失意に沈む毎日。少女に近づいてはいけないと自らに言い聞かせる禁欲の日々。でも、物語の後半、しょぼくれ男は、劇的に生まれ変わる。行き場をなくした少女たちを救うため、それまでの自戒を振り切って立ち上がる姿は、興奮なしでは読めない。さあ、これからは前向きな償いをしてね。なお、間違っても昔の悪い癖は出さないように!

 
  三枝 貴代
  評価:B
   教育映画会社に勤めていた沢見は、立場を利用して児童ポルノのモデル斡旋を行っていた。個人的にもロリコンである彼は、それが妻にばれて離婚され、一人娘とも会えなくなる。仕事も失い、故郷に帰った彼に、二人の少女が演劇指導を求めてきた。第132回芥川賞受賞作『グランド・フィナーレ』の他、短編3編を含む作品集。
 悪文だと聞いていたので覚悟して読み始めましたが、悪文というよりも、単に読みにくい、ひっかかりのある文章というやつでした。読みにくいことは欠点ではなく、読者は見慣れない文体に一文一文を慎重に読みすすめざるをえなく、けっして読み飛ばせないという、作家にとって都合の良い結果をもたらしているように思えます。
 しかし、関係をもった少女が小学6年生(昔なら、早い人は最初の出産をしたくらいの年齢)であったという点と、大人の女性とも関係を持てる点から考えれば、主人公のロリコンはそう重篤なものでもないようで。それよりも幼い少女を登場させた場合、作者は書かれているような複雑な感情を抱かせるのに無理があると考えたのでしょうが。村上龍が「これは本物のロリコンではない」と強くこだわったことに、妙に納得したりしました。

 
  寺岡 理帆
  評価:B
   ロリコンで無責任な主人公が身から出た錆で会えなくなった一人娘をなんとか取り戻そうとあがく様子が、その責任転嫁の考え方と相まって非常に不快だった。といっても作品が不快なわけではなくて。そしてそんな不快な主人公がラスト近くでは……。
 ただ、これってけっこう面倒なテーマを抱えた作品であるわりには、そのテーマ自体はさらっと流されているような印象を受けた。結局主人公が自分の性癖事態について悩むこともないし、キャラとしてそうだ、という以上の意味を持たないのはわざとなのか、どうなのかしら。個人的にはもう少し突っ込んだ内容を読みたかったかなあ。タイトルも「グランド・フィナーレ」と言うわりに全然グランド・フィナーレっぽくないのはわたしの読み方が浅いのかな……。表題作以外の収録作品はちょっと合わなかった。

 
  福山 亜希
  評価:B
   帯の文句は「文学が、ようやく阿部和重に追いついた」。これは芥川賞受賞作であり、帯のこの文句からも新進気鋭の作家であることが、読む前から伝わってきた。
主人公は離婚したばかりの無職の男。母親から最愛の一人娘を奪われ、田舎に帰って、娘にプレゼントしたぬいぐるみを抱いて放心する日々だ。しかもこの男は裁判で、実の娘に会うことを禁止されてさえいる。主人公の視点で描かれる物語は、最初この男を真っ当な人間にみせて、娘を奪われた男に同情さえ乞うのだが、読者は徐々に、この男のおかしな性質を知ることとなる。娘を母親の奪われて当然、会うことを禁止されて当然のことを、この男はしていたのだ。読者でさえ見捨てるような、どうしようもないこの男を、作者はどうやって救うのか。いや、救えるのか。最後の最後まで、正気と狂気の狭間を行きつ戻りつする展開に、私は否応なく引き込まれてしまった。