年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班

河岸忘日抄
河岸忘日抄
【新潮社】
堀江敏幸
定価 1,575円(税込)
2005/2
ISBN-4104471038
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン

 
  朝山 実
  評価:A
   睡魔に襲われる、好い映画というのがあるけれど。セーヌらしき河に停泊したままの船を借り受けた男が、船内の蔵書やレコードに聴き入ったりしてうたかたな日々を過ごしている。優雅にうんちくを披露する。眠気を誘うのは一つ一つのうんちくの長いこと。洒落た感じといい、インテリア雑誌でみかける隙のない部屋の住人みたい。退屈です。でも、なぜか手放せない。終盤。大家に会いに病室を訪ねるあたりから目がさめてくる。日本では人の何倍も仕事をしていただろうに、いまはニートみたいに働かない。一度として対岸に行こうとはせず、隠遁生活を続ける自分を自己分析する。そんな男が、ある日、心の中で化学反応をおこしていく。最後の景色がとくにいい。荷物を積んだ平底船、それを牽引する小型船が通り過ぎた後に感じる揺れ。静かさが退屈。劇的なものが、そこにはくるまれているのがわかるまでは。居場所探しであるとともに、豊かな出会いの小説であります。眠いうんちくも後々に効いてくるし。

 
  安藤 梢
  評価:B
   川に泊めた動かない船で暮らす毎日。外との接触はごく限られたもので、本と音楽に浸かる日々。何て羨ましい。人生の中で保留ボタンを押したような、前にも後ろにも進まない期間。ただ思考ばかりが、とりとめもなく浮かんでは消えていく。そのあまりに贅沢な時間の使い方に、何度も溜息を付いてしまった。こんな風に現実逃避がしたい、と誰しも思うに違いない。郵便配達夫とゆったりコーヒーを飲みながら他愛もない世間話をするなど、まるで映画のワンシーンのような出来すぎた環境である。それだけに、どこか現実離れしているような印象が拭えない。実際に起こった出来事よりも、それによって喚起された思考に、より重点を置いて描かれている。
 途中何度か、友人とのFAXでのやりとりが入るのだが、それがとてもいい。問いかけてから答えが返って来るまでに時間がかかるという距離感が心地良く感じるのだ。閉ざされた世界にいる主人公の他者との繋がり方が、的確に表されている。

 
  磯部 智子
  評価:A+
   美しい文章で綴られる異邦人の物語。フランスは好きだけどフランス人は嫌い、かなわぬ屈折した片思い。そう人間が自分を孤独だと感じる最適な場所フランスが舞台。もちろん完璧な孤独を望むなら孤島の方がいいのだが「彼」は細い絆を断ち切れずにいる。話は淡々と進み創作なのか読書エッセイなのか区別がつかないまま彼の心と一緒にゆらゆらと漂い続ける。フランス(自分を異邦人と感じる場所)、住まいは河に浮かぶ船(船出を待つ?地にも足が着かない中間地点)、話をするのは郵便配達夫(世界への窓口)、大家(老師、父の視点)、枕木さん(先を行くもの?)と配置される。話は逸れるがバブル絶頂期、ある有名シェフが「大人の財布と子供の心」で味わってほしいと言うのを聞いて上手い答えだと感心する一方で限りなく疑わしく感じた事がある。果たしてそんなものは同居するものなのか?それは安定した職業と作家という二束のわらじをはいた多忙な作家の「偏りを補正しない」ままためらい続ける贅沢にも通じ、それでも「自然発火のときを気ながに待つ」彼の姿がそのまま素晴らしい文学作品としてその答えになる。なんと羨ましいことだろう。

 
  小嶋 新一
  評価:B
   日本を離れ、フランスのとある河岸に停泊した小船に一人で住まう「彼」。穏やかに過ぎていく毎日。船を訪れる郵便配達夫や、一人の少女との交流。船の大家である老人との語らいと、日本にいる枕木さんとのファックス文通を通して、彼の思索は続く。個性とは、幸福とは、希望とは……。時には、愚挙を続ける大国の小心ぶりを嘆きつつ。
「時計のねじを巻き戻す」ため、仕事を整理し異郷に渡ったという主人公を、僕は本当にうらやましく感じた。忙しくせわしない毎日、ぎすぎすした心の休まることない日々。できるならこの境遇を脱し、ひたすらボケ〜っとできる世界に行ってしまいたい、そんな夢想に身をゆだねることもしばしばなだけに(もしかして僕ってウツ予備軍ですか?)、「彼」のまわりを流れていく時間が、静かに輝いて見えた。
 作中に出てくる豆球の実験の話が面白い。電池を直列つなぎにしたら明るくなる電球に、子供たちはみんなびっくりしたが、電池を節約しながら現状維持する並列つなぎにただ一人魅せられたと語る主人公。うん、同感。今の世の中、並列つなぎの良さこそがきっと大事なんだよ。

 
  三枝 貴代
  評価:A
   日本人の彼は、ただ何もせずにすごすためにフランスにやってきた。かつて公園でいきだおれていたところを助けた裕福な老人が、人通りの少ない河岸に係留したままの船を貸してくれたので、そこに住むことにする。男はただ本を読み、郵便配達人と訪れてくる少女、大家の老人などと、たまに会話をかわし、わずかな人とファックスを取り交わすだけの日々をおくる。
 あらすじを書いてみたが、あらすじは特に重要ではない。あらすじを読むタイプの小説ではないので。この小説の良さを人に語るのはとても難しいが、努力して3つほど良さの理由を考えてみた。
 まず、奇をてらったところのない自然な日本語が心地良い。
 それから、語り手の男が教養が高く、語られる小説や、とりかわされるファックスの内容が、俗っぽくなくて、視点が非凡だ。
 そして、国を離れて隠遁するかのような生活を送るにあたって、おそらくはその男にはそれなりの理由があったろうに、そのにがさを漂わせておきながらなお、その屈託については一切述べず、ただ河岸での暮らしについて淡々と語る話し手の姿勢の端正さが良い。

 
  福山 亜希
  評価:B
   異国の河岸につながれた船の中で一人、気ままな生活をする男が主人公の物語。この男は隠居しているのかと思うくらい悠悠自適に毎日を暮らしていて、何に追われることも無く、好きなことをして時間をつぶしていく。他人との接触を好まず、自分のペースが乱されることを嫌い、毎日船に揺られてゆらゆらと暮らしていきたいと願う、少し風変わりな男だ。そんな「彼」は、一冊の物語の主人公をはるには少々インパクトが足らず、舞台ばえさえしない印象を読者として初めは抱いたのだが、そんな主人公の曖昧模糊としたイメージこそが、この本の雰囲気を最高に演出し、沸き立たせているのかもしれないと思った。船の上で暮らすという、それこそ浮き草生活のような毎日を送る主人公を通して、作者の物を眺める視点が、読者にも徐々に徐々に伝わってくるからだ。強烈なイメージを与えない登場人物だからこそ、作者の思考がダイレクトで読者に伝わるのだろうか。読後も何となく引っかかるように、心の中にいつまでも留まっている。読み終えてから日が経つにつれて気になり始める本である。