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女たちよ!
【新潮文庫】
伊丹十三
定価 500円(税込)
2005/3
ISBN-410116732X
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン
浅井 博美
評価:A
子どもだった私に「ツムラの湯」を印象づけて去っていってしまった人…。はっきり言ってそれくらいの認識しか「伊丹十三」には抱いていなかった。先だって何かのインタビューで、宮本信子さんの伊丹十三氏へ未だ残る強い思いをひしひしと感じて胸が熱くなった。そりゃあそうだろう。こんなにいい男忘れられないよ。本書で初めて伊丹十三氏に触れたのだが、遅ればせながら私までもぞっこんだ。独自の哲学、美的感覚、ウィットに富んだ語り口…。たまりません。「女学生のセーラー服の胸元からピンクのスリップがのぞいている」状況に「これは不潔だ!」と激しく憤ったかと思うと、「勉強の出来ない」「純粋な」「球児」が行う高校野球に「満身総毛立だって」その上「私の知っている勉強の出来ない奴は概してずるい奴だった。何が純真な高校野球だ。」と斬り捨てる。もちろん本書が公明正大なんてものの対極にあることは認める。しかしそれがなんだって言うのだろう。こんなにおもしろくてキュートなエッセイにはなかなかお目にかかれない。全編の半分以上を占める食べ物のくだりがまた圧巻。理にかなってはいるが、ものすごく粘着質。しかしこれこそが真の食いしん坊の姿なのだ。
北嶋 美由紀
評価:C+
初版は昭和43年。当時の思い出がわずかばかりある私にはとても懐かしかったが、若い世代には「何をいまさら」と思うことも多いはず。たとえはスパゲティー。当時はうどんのようなものはごくフツーだった。ピーコックのフランスパンについて(「パンによる一撃」)も外人さんが抱えるピーコックの茶色の大きな紙袋から長いバケットがはみだしているのが、とてもオシャレであこがれだったことを思い出す。
伊丹十三監督の映画は好きだったし、自分の妻(宮本信子)を主演させるのも彼女が夫の考えや構想を本当によく理解していたからで、仕事上でも戦友になれる夫婦なんてうらやましい。作品の最後の妻の条件にピッタリの女性にも恵まれ、多才だった作者が自殺の道を選んだのは、この作品にも表れる“こだわり”のせいかもしれないと、ほんの少し理解できたような気がする。読んでいる間中、あの声で語りかけられているようだった。
久保田 泉
評価:B+
伊丹十三は、本物のうんちく王だった。冒頭の、スパゲッティのおいしい召し上がり方から始まって、スポーツ・カーの正しい運転法に及び、勇気とは何かを伊丹流の切り口で、あざやかに語る。何も知らずに読めば、皮肉屋で頭の切れるオジサンの軽くて深いエッセイ、といった感じなのだが、これが書かれたのが昭和43年というのだから驚きである。昭和43年といったら、私は3歳ですよ。確か、食卓にはプラ製の三色ふりかけ(!)が常備されていて、夕餉の食卓にはしじみの味噌汁をすすっておりました。その時代に、今でこそ誰でも知ってる食に対するうんちくや、車、服、恋愛、人生の多岐に渡るジャンルを自信たっぷりの“我”に加え、交友関係など背景もとびきりオシャレで、軽妙洒脱に綴られると参りました〜と言うしかないか。だけど、嫌味なくらいの自信の陰からチラチラと覗く、孤独や幼さが彼の人生を追い詰めていったのかもしれないなあ、ともふと思う。一度は読んで欲しい、正しいキザを極めたエッセイだ。
林 あゆ美
評価:A
著者、伊丹十三が本作を書いたのは1968年、いまから37年前だ。伊丹十三は冒頭で蘊蓄──お刺身を食べるとき、山葵をお醤油の中へといてしまうのはよくない。山葵はお刺身に直接つけるほうが、美味でもあり、経済でもある──などをならべたあとに「これらはすべて人から教わったことばかりだ。私自身は──ほとんどまったく無内容な、空っぽの容れ物にすぎない」とことわりをいれて本書をはじめる。正しく美しく生きるための礼儀作法がちりばめられたそれに納得し真似したくなる。ベスト・ドレッシングは野菜の水をよく切り、ドレッシングは食べる直前につくること、できあがったサラダをタッパーウェアなんかにいれて冷蔵庫にしまうのは、食べる人にとっても野菜にとっても侮辱でしかないと言い切る。また音楽を聴く上で大事なのは、その再生装置に凝ることではないと言い切る。そして「音楽というのは耳や鼓膜のために書かれたのではない。心に向かって書かれたのだ」と伝えてくれる。きっぱりとした美しさあふれる一冊だ。
手島 洋
評価:B
表紙の絵を見て、なぜか赤瀬川原平のことが頭に浮かんだ。イラストもエッセーも書き、俳優、映画監督としても活躍した伊丹十三は本当にマルチな才能をもつ人物だった、と改めて思う。このエッセーには、若いときから海外で活躍した彼ならではの知識と、日本に対する違和感がはっきり出ている。イギリスやフランスに何度も行っていたという彼にとって、当時の日本の中途半端な西洋かぶれが、いかに癇に障るものだったかがよく分かる。まあ、今彼が生きていたとしても、結局その怒りは収まらなかっただろう。相変わらず、グチャグチャのパスタや安っぽいパンを食べ、ブランド物をやたらにありがたがっている人が多いのだから。
当時では圧倒的にオシャレな人だったのは間違いないが、個人的に面白かったのは目玉焼きの食べ方やラムネの話だった。確かに目玉焼きをどう食べるかは、いつも迷う。同じ半熟派の人間としては大問題だ。結局、黄身を残して最後に食べるときの言い訳がかわいいし、その様子を描いたイラストに何ともいえない味がある。やっぱり、ただの庶民なのだ私は。
山田 絵理
評価:B
日常について思うことを、多くの読者に向かって言いたい放題できたらせいせいするだろうなー。この本を読んで、そう思った。
伊丹十三という人は映画監督なのだと思っていたら、俳優・デザイナー・エッセイストとマルチな才能を持つ人だったらしい。外国暮らし(をしていたのだろうか?)で培った独自の視点を持ち、日本人はああだこうだと言っている。とくに料理やら車やら洋服やら女性について。「ああ、そうですか、わかりましたよ」と嫌味に感じること多々有り、わかるなあと感じ入ることも有り。一人でつっこみを入れたり、笑ったりしながら読めてしまう。
これが私の生まれる7年前に書かれたエッセーだと知り、本当に驚いた。時代の隔たりを感じさせない。コンソメをコンソメヱ、アボガドをアヴォカードと書き記しているのも、ハイカラで私は好きだ。でも、主婦はこうすべきだ!という主張、あれはいただけない。そんなこというならあんたがやりなさいよと、言いかえしてしまうからねえ。
吉田 崇
評価:C
新潮文庫のサローヤンの作品に凝っていた(というほどの数ではないが)事があって、その翻訳者が伊丹十三、映画監督としてしかその名前を認識していなかったもので、「ふぅーん」という感想しか持っていなかった。で、今回、そのエッセイを読んで「へぇ、面白いじゃん」と、読みたい本リストに追加する。
この作品、最初に刊行されたのか1968年という事て、「げっ、俺はまだおむつをしている頃だ」と、変な所に感心する。さすがに古びた部分も散見するが、全体としてはこの本、未だに格好いい。池澤夏樹の解説には再読して持った感慨として「懐かしく、ほほえましく、少しだけ悲しい。」とあるが、初めて読む僕にとってはまだまだ現役、東海林さだおや原田宗典のものと同じぐらい笑えるエッセイだ。キザったらしいただの蘊蓄本ではない。
何かに拘るというのが本質的には下品な事だという思いが僕にはあって、だからこんな風にさらりとこだわりを表現するというのは才能なんだなと、素直に感心する。どうして、死んじゃったんだろ、この人。もったいない。