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ナターシャ
ナターシャ
【新潮社】
デイヴィッド・ベズモーズギス
定価 1,785円(税込)
2005/3
ISBN-4105900463

 
  朝山 実
  評価:AA
   親を恥ずかしいと思ったことがある。ひとまわり年いった母が参観日の教室の後ろで浮いていたり、父親が教師に突然ヘンな質問をしたりするのを。わが子に怒られ、しょぼんとした母やブスッとした父。あとになって罪悪感がわいてきた、そんなあれこれが甦ってきた。旧ソ連からカナダへ移住したユダヤ人家族の暮らしが、末息子の目線で切り取られている。父はチョコレート工場に勤めながらもマッサージ院を開業。「共産主義政権からの亡命者」という同情をひくキーワード(母はそう書くべきだと主張)、「ソ連の元オリンピックコーチ」(父はそこを譲らなかった)を織り込んだチラシを一家で手分けして撒く。「ぜひ一家で」と招待を受け、正装して近隣の家を訪問するのだが、裕福なその住人は彼らの苦労話をいっとき楽しもうとしただけ。期待が大きかったぶん、帰り道の彼らの姿はなんとも切ない。でも、これだって時間が経てば、ただ辛いだけじゃない。長い人生、やりきれなさを家族で共有できることこそ大切なのだと思えてくる。発見のある物語だ。

 
  磯部 智子
  評価:A+
   居場所のない人間の心に語りかけてくる移民文学の新しい書き手ベズモーズギスの連作短編集。移民といっても新たな可能性を求めた富裕層の選択のひとつである場合と、追われたり逃れたりして祖国を出たのとはまた違う。帰るところがないからここに根を張るしかないのだ。ユダヤ系ロシア人である6歳の「私」が旧ソ連から父母と一緒にカナダに移住したこの物語は後者のほう。その為か感傷よりも逞しさを感じる。一度失われたアイデンティティを新たな地で再び取り戻そうと葛藤する両親と「私」の成長が、時間を追って日々の生活の中に描かれている。ささやかな希望に一喜一憂し、確かなものなどなにひとつない不安や苦労を描きながら、一方ではもっと突き抜けた感覚で、移民であることとロシア人であることをしたたかに同居させ枠組みを飛び超えていく。6歳の時、隣人が可愛がっていた犬を死に至らしめた事故の責任や、16歳の時の従妹との初恋の苦い顛末にも、心の揺れとともに真実から目を逸らすことのない作家の力強い視点があり、それゆえに浮き彫りになる人生そのものの苦さと滑稽さがこの作品集の大きな魅力となっている。

 
  小嶋 新一
  評価:B
   カナダに移住したあるユダヤ系ロシア人家族の生活と人生を、息子を軸にその成長を追いかけながら描く連作短編集。
 移住直後のどん底の恵まれない生活の中で、家族が必死に生きようとする姿。そして、年月がたって少しは生活が落ち着く頃、思春期を迎えた息子が体験する学校での軋轢、そして恋。ユダヤ人ならではの独特の社会。一つ一つが独立した短編だが、それらが連なって家族の生活や主人公の成長が、くっきりと描き出される。
 わずか小学一年生の幼さながら、ふとした気の迷いで知人の愛犬を死の淵に追いやることになった責任を突きつけられた瞬間。ロシア時代のアイドルであった重量挙げチャンピオンと再会するも、彼が王座から滑り落ちるのに遭遇する瞬間。叔父の再婚でいとことなった2歳年下のナターシャとの、短くも鮮烈な恋。
 グサリと心を突き刺されるような感覚と、しみじみとした人生の哀感が入り混じった、実に微妙な後味を残す。

 
  三枝 貴代
  評価:B
   ユダヤ系ロシア人。書くだけでなんだか悲惨なイメージではあるが、噂されているほど迫害されていたわけでもないようだ。だが彼らはロシアを捨て、さらにイスラエルを捨てて、カナダに移民した。英語はろくに話せず、親族と離れ、ロシアではそれなりの専門職についていたのにメイドや工場労働者の身分になってまで。
 自分たちには犬しかいないと信じる夫婦。金のために娼婦同然の生活をおくる娘達。賄賂を送る生活に馴染んでいたせいでシステムの異なる国に移っても賄賂を送るしか生活の改善方法を思いつかない人々。ロシアに帰るべきか、とどまるべきか。いつ、自分たちの暮らしは破綻するのか。淡々と、染み込むように、哀しみが綴られ、やがてその哀しみは連作を一つのトーンに染めて、不安や不幸は特別なことではなく、そこで生きる以上当然の前提であるかのように感じられるまでに順化されてゆく。
 弱くて不運だからこそ、挫折も屈折も、謙虚で真摯な美しさに満ちている小説だ。

 
  寺岡 理帆
  評価:A
   冒頭の「タプカ」でいきなり心を掴まれた。連作短編の形になっており、主人公であるバーマン家の息子・マークの視点でストーリーは進んでいく。バーマン家は旧ソ連・ラトヴィアからカナダに移民してきたユダヤ人。彼らのカナダでの日々が淡々と綴られていくのだけれど、やっぱり圧巻は表題作の「ナターシャ」だ。
 読みながら、けれど結局わたしにはバーマン一家の本当の意味での悲しみや、喜びは理解できないのかもしれない、と思った。ユダヤ人でなく、移民でなく、本当の意味での差別も受けたことのないわたしには。
 けれど「わからないことがわかる」というのが大切なんじゃないかな、と思う。
「わからない」と認めるのは、相手を認めないこととは違う。「わからない」と了解しているからこそ共感できるものもあるし、歩み寄れる部分もある。まったくわたしとは違う生活を送る彼らの生き方は、確実にわたしの中のどこかを刺した。

 
  福山 亜希
  評価:B+
   主人公のバーマンは、自室にこもってドラッグにふけったり、ドラッグの売買に手を染める不良との付き合いがあったりと、随分退廃的な16歳の少年だ。そんなバーマンの大叔父が、ジーナというロシアの女性と結婚することから物語は始まる。ジーナにはナターシャという一人娘がいるのだが、大叔父とジーナの結婚生活に、ナターシャは微妙な存在だった。母親にも新しい父親にもなつかない、口数の極端にすくないこの少女は、バーマンの親たちによってすぐに、仕事につかずにふらふらしているバーマンの子守り相手となる。この退廃的な少年に、二つ年下の少女ナターシャを一緒にさせて大丈夫なのかと心配してしまうが、なんとナターシャはバーマンを完全に振り回してしまうのだ。 ナターシャは14歳にして、娼婦の母と似たような経験は全て済ませてしまっていた。16歳のバーマンにとってナターシャの魅力は耐えがたいものであり、ナターシャはバーマンを完全にてなずけてしまう。ただし、バーマンの自立のきっかけも、このナターシャが与えてくれるのだ。物語最後の一文は、随分考えさせられる一文だった。