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象の消滅
象の消滅
【新潮社】
村上春樹
定価 1,365円(税込)
2005/3
ISBN-4103534168

 
  朝山 実
  評価:B
   村上春樹を読むと、新幹線の車窓から見た広告看板を思い出す。マッチ箱のような遠くに見える看板と、手前で農作業する人の遠近感。高速移動する自分と、田圃でタバコを吸うオジサンとの時間のズレ。乗っている最中しか覚えてないそんな感覚をふと思い出すのだ。本書は「中国行きのスロウボート」「納屋を焼く」など、シングルCDベスト盤のような構成。なかでも「レーダーホーゼン」は短縮して雑誌に発表されたものを再度日本語訳した逆輸入ヴァージョン。贅沢です。でも、マクドナルドのバリューセットのような感じなくもなくはないかな。縮小コピーをかけたみたいに、身体のすべてのパーツが均一70%くらいのサイズの「TVピープル」がやってきたというお話。これなんて頭で想像するのと現実のサイズの違い、テレビで居間にいながらにして世界中を旅することもできて、テレビ画面サイズを「実物大」だと錯覚しかねない現代のおかしさにだぶるかも。

 
  安藤 梢
  評価:A
   やっぱりいい。何て贅沢な短編集だろう。何度読んでも、相変らずぐいぐい引っ張られてしまう。作品自体の持つ力がものすごいのだ。ほとんどの作品(「眠り」以外)に、「僕」という固有名詞を持たない主人公が登場することで、まるで繋がった一つの物語であるような錯覚をもたらす。どの「僕」も少し変わった女の子に振り回され、少し変わった周りの出来事に困惑しながら、「やれやれ」と溜息をつく。それぞれの短編が強烈な個性を放ちながらも、底に流れる安定した世界観が全体を支えている。一定のトーンの語り口は、催眠術のようにすんなりと小説世界へと誘う。どんな突飛なできごとも(象が消えるとか、小人が踊るとか)、ペースを乱すことなくきちんとした言葉に変換されていくため、読んでる側から受け入れてしまうという訳だ。
 アメリカで翻訳されたものの逆輸入という形をとっているからだろうか、同じ話でもなぜか翻訳小説を読んでいるような気持ちになった。

 
  磯部 智子
  評価:B+
   片手に余るほどしか読んでいない村上春樹初心者なので初期短編集は入門編として楽しめた。しかも英語版と同じ作品構成で逆輸入だという。冒頭に「ニューヨーカー」デビュー当時を振り返った作家のエッセイがあり浮き立つようなその高揚感を伝えている。さて中身だが、何故か人や動物やものがことごとく消えたり失われたりするのだ。猫のワタナベ・ノボルが失踪して「僕」は理不尽にも妻から責められる。象と飼育係は忽然と消滅してしまうし、100パーセントの女の子と男の子に至ってはお互いの記憶を失う。納屋は焼かれ(?)、眠れない「私」は睡眠を失う。『パン屋再襲撃』では何が失われたかすら分からず呪いをとくための再襲撃に及ぶ。非常に共感できた『沈黙』は言葉の消滅。顔のない不特定多数の人間の怖さ、彼らの無責任な総意によって歪められた事実が真実になる。自分の言葉を持たず考えもしない彼らの前では、どんな言葉も非力で意味がなくそこには沈黙があるだけ。平穏な日常の中にじっと息をひそめ、ある日突然姿を現し何かを消滅させてしまう。用意周到なユーモアがさえ、今いる足場をグラグラと揺さぶり続ける短編集。

 
  小嶋 新一
  評価:A
   米の文芸誌「ニューヨーカー」に翻訳掲載された作品を中心に、93年に米国で編まれた短編集の日本版。ページを繰っている間、そこはかとない懐かしさをずっと感じていた。というのは、この作品集には80年代の空気がパッケージされている!
 80年代の都会という迷宮の中にたたずむ「僕」(多くの作品中で、主人公は「僕」である)。妻や、恋人や、友人たちがいながらも、ぽかんと取り残されたような孤立感、不安感にとらえられている。うんそう、「孤独感」じゃなく「孤立感」と言った方がしっくりくる。彼らに共通するのは、さめた感じ。何にも熱狂することなく、時間が過ぎ行くのに身を任せ、その流れをぼんやり見つめている。閉じない結末。不安感は収束せずに先へ続いていく……それが80年代の空気感だったということなのだろう。
 今や時代は2000年代の早くも半ば。先行きの不透明感が残る反面、スローライフが提唱され、ドメスティックな世相は強くなっている。例えば氏の近作「アフターダーク」を引き合いに出そう。そこに漂うのは、うっすらとした明かりであり希望感である。「象の消滅」の頃と微妙に変わる色彩に、今という時代が透けて見えた。

 
  三枝 貴代
  評価:A
   村上春樹を初めて読みたいのだけれど、何を読んだら良い? と、誰かがわたしに訊ねてくれたならば、わたしはきっとこう答えるはずだ。『風の歌を聴け』がいいよ、と。
 こう言ったならばたいていの作家さんが嫌がるし、きっと村上さんも嫌がるだろうけれど、わたしは村上春樹の作品は、近作よりも初期の作品の方が好きなのだ。初期の村上春樹は、流れるようにではなく訥々と語り、含羞からかほとんどセックスについては話さず、若々しく、村上先生というよりまさに村上くんといった風情だった。それは、村上春樹より年下のわたしにとって、いつでも、より自分に近しい作品であるように思える。
 優しく、生活の生臭さからは遠く、幻想的で、奇跡のように素晴らしい翻訳者を得たどこか外国の作家であるような錯覚さえする初期の村上春樹。日本初の逆輸入小説集に、これほどふさわしい作家もいないだろう。
 これからは、初めて村上春樹を読む人にすすめるべき本として、この本を選んでも良いかもしれないと思うのだ。

 
  寺岡 理帆
  評価:B+
   個人的に、そんなに村上春樹は好きってわけじゃない。そんなに読んでいるわけでもないけれど、好きだと言えるのは『世界の終わりとハードボイルド・ワンダーランド』くらいだ。けれど今回初めて短編集を読んでみて、初めて「村上春樹的世界」にちょこっと触れた気がする。この中には、ハルキのエッセンスがぎっしりと詰まっている。ああ、ハルキってこんな作品を書く作家なのかと、今さらながら。
 なんだか庭を眺めていると、緑の獣が出てきそうな気がする。このまま何時間でも眠らずに平気で生きていけそうな気がする。郵便受けに見知らぬ人から送りつけられたテープが入っている気がする。天気のいい日曜日には思わず昼間からビールのプルトップを抜いてしまいそうだ。
 改めて、きちんと初期作品から、村上作品を追いかけてみたい気になった。やっぱりハルキは本家なのだ。

 
  福山 亜希
  評価:A
   雑誌「ニューヨーカー」に選ばれ、その後世界中で好評を博した短編ばかりを収めた短編集。手に馴染み易い大きさに、黄色が素敵な装丁も手伝って、手元に置いておくだけで良い気分になれる一冊だった。ひねりがあって、クールで、格好いい。短編のひとつひとつに、村上春樹という作家の素晴らしさがぎっしり詰まっている。
全ての短編に共通して感じたことは、物語の始まり方がとても上手なのだということ。一つの短編が終わり、次の短編に読み進んでいく時には、読み終えた短編が面白ければ面白いほど、次の新しい短編へとなかなか気持ちが向かっていかないものだけれども、この本にはそういう悩みは全然なかった。新しい短編の最初の一行、二行を読めば、また次の村上ワールドに引き込まれていくのだ。結末に衝撃の走る表題作が、特に心に残った。