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ベルカ、吠えないのか?
ベルカ、吠えないのか?
【文藝春秋】
古川日出男
定価 1,800円(税込)
2005/4
ISBN-4163239103
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  朝山 実
  評価:AA
   犬の目。たとえばホームレスが連れた犬の眼差しに心がうごいたりするのは、なぜだろう。本書に登場する、狼に近いイヌたちに(個ではなく「種」とでもいうような本能の生の営みに)積年の、犬への負い目の正体を見たような気がする。戦時中、無人島に置き去りにされた軍用犬四頭と、世界各地へと流れていった彼らの子孫が目にする20世紀後半の物語。人間に愛玩され所有され、主体性を失ったようでいて、どんな場所に連れて行かれ、どんな処遇を受けよとも、彼らは絶対に「尊厳」を失わない。本書で人間は「老婆」「老人」などと書かれ、名前をもつのはイヌだけ。冷酷な戦争が平坦に描かれている。それが辛さをかきたてる。だから、人質にとられた少女が、檻の中の戦闘犬の一頭と言語を超えた関係を結んでいく過程が一筋の光となっている。『もののけ姫』で山犬と生きたヒロインがいたが、少女は本物のイヌになって闘うのだからすごい。『ミリオンダラーベイビー』という映画を見たあとだけにボブ・サップのパンチをくらったような衝撃だ。

 
  磯部 智子
  評価:A
   犬、犬、犬が登場する。読んでいる途中で犬の家系図、相関図を最初に作らなかったことを後悔する。笑う話ではないのだが、行間に地雷のように黒い笑いが潜んでおり時折私の中で小爆発を繰り返す。この作品は20世紀を人間ではなく犬の歴史として再構築したもので人間の愚行を犬の運命として映し出していく。犬が生まれ犬が死ぬ、凄い濃度に圧縮された生命が凄い勢いで地球上を駆け巡っていく。読みながらそのスピード感に翻弄されていく。始まりはキスカ島に取り残された4匹の軍用犬、彼らが純血種を守りながら、混血を繰り返しながら複雑に絡み合い歴史を紡いでいく。作家は20世紀は戦争の世紀、軍用犬の世紀だという。初めて宇宙を旅する「偉業」をなしとげソ連に「冷戦を制す」と言わしめたのも2匹のライカ犬。地球は犬の惑星なのか。ライカ犬の名前を受け継いだ雄犬がベルカ、雌犬ストレルカの名前は人間の少女ヤクザの娘に受け継がれる。物語を読み終えて高揚感と共にどっと疲れが押し寄せた。最後まで尻尾をつかめなかった正体不明の怪作。

 
  小嶋 新一
  評価:D
   イヌがイヌを産み、イヌとイヌが交わり、またイヌが産まれる。あっちのイヌがこっちへ旅し、こっちのイヌがそっちへ渡り、海を挟んでいた同じイヌの子孫どうしが、ひょんなことから相まみえる。
 1943年、アリューシャン列島から日本軍が退却する際に残していった軍用犬たちが米軍に拾われ、その子孫が世界中に広がっていく。
 最初は、シートン動物記を読んでる気分で、わあっこれって感動的な話なんだと思いきや、次第にあれれ?スーパーワンちゃんたちが物語の中を跋扈し始め、荒唐無稽に転がっていく。朝鮮戦争、ベトナム戦争、アフガン侵攻、ソビエト崩壊といった近現代史の要所要所で、アリューシャンの軍用犬の子孫たちが必ず顔を出している。羽目が外れています。
 作者も心得たもので、冒頭にフィクションですと強烈な断りあり。だから、文句は言えないよな。駆け足で太平洋戦争以降の歴史をたどれる、という意味では面白かったが。

 
  三枝 貴代
  評価:A
   古川さんの小説の魅力は、歴史がいままさに流れていると感じさせる独特のドライブ感にあると思われます。けっして巧くはない詠嘆調の短い文章が続く大袈裟な調子に、わたしはいつもうんざりしてしまうのですが、それでも、ついついくせになってどんどこどんどこ読んでしまうのでした。「その時〜歴史が動いた」などが好きな方は、はまっちゃいますよ。
 それに、なんといっても今回の主役は犬! けなげで獰猛で美しい、シェパードと北海道犬です。いいですねえ。犬と猫だけは、人間なしでは存在できない生物です(他の家畜は、人の愛は要らない)。彼らの歴史を追えば、自動的に人間の歴史を描くことになるという点に気づいたことが、この本の成功の第一要因ではないでしょうか。
 犬好きな人にも、犬嫌いな人にも、ああ犬ってそういう生き物だよねえと思わせる物語です。うぉん。

 
  寺岡 理帆
  評価:AA
   今まで読んだどんな小説よりも異質。まさに「犬の世紀」。運命に翻弄され、そしてそのことを知る由もない犬たち。そして犬に関わる老人と少女。日本兵に島に置き去りにされた犬たちはどんどん殖えてゆき、そしてある晩ふと空を見上げる。そのシーンのなんと表現すればいいかわからない神聖さ。
 正直言って、わたしにどれだけこの本が理解できたかと問われれば覚束ない。力強い文章と、そして犬の生命力に圧倒され、まるで激流にのまれるようにしてラストまで辿り着いたというのが一番事実に近い。
 けれどこれは評価しないわけにはいかない…ような気がする。難解と言えば難解で、あまり万人には勧められないけれど、この力強さ、この迫力は他にはまず見あたらない。まさに読者をその力でなぎ倒すような作品だ。その力に触れるだけでも、この本を読む価値があるし、読書が好きならその経験をしないで過ごすのはあまりにももったいない。