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├2001年7月
├2001年6月
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むこうだんばら亭
【新潮社】
乙川優三郎
定価 1,575円(税込)
2005/3
ISBN-4104393029
>> Amazon.co.jp
>> 本やタウン
朝山 実
評価:B
第一話は、ふらっと入ってきた老女が、店の様子をわかった上でかどうなのか、身の上話を主相手に語りだす。寡黙な主の探る感じがいい。「どう、あたし、汚れている」ありがちなつぶやきのかわりに、華やかに笑う老女。昔は女郎だったとか。ラストショットがあとをひく。店では肴や酒だけでなく買春のあっせんもしている。親が子を売るのがよくあった時代のお話だ。パートタイマーみたいな気楽さに買春が仕立てられている。誰もが無我夢中に凌いだ時代がついこの前まであった。夢中なうちはいい。余裕ができると人というものは、空いた心を埋めたくて何かを欲しがって仕方ない。男女の恋愛が題材になってはいるが、哀しい打ち明け話に昭和がたぶってみえる。最終話では、先日亡くなられたジャーナリストの話が思い浮かんだ。偶然めぐりあった子の目を治療するためのイラク行きが最期となった。小説に戻れば、売られる子を助けたいと懇願するツレに、一人を助けたら一人じゃすまなくなると冷たくいうものの主は結局は受け入れる。心の移ろいが泣かせる。
安藤 梢
評価:A
行き場のなくなった人々が最後に辿り着くようなうら寂しい土地で、居酒屋を営む孝助。その裏では、密かに女稼ぎの口入をする。女稼ぎの口入れ、とは早い話が売春婦の斡旋である。金に困りどん底まで落ちた女たちは、孝¥助のもとを訪れ、仕事を頼む。若いというよりまだ幼い女の子が、一家を支えるために体を売るのは残酷だが、そこには女の強さとしたたかさが窺える。かわいそうな話というのとは少し違う。かわいそうな境遇の奥にある人間のたくましさが、この作品ではより多く描かれているのである。一歩間違えば悲観的な話になってしまうところを、すんでのところで防いでいる。海で生計を立てているからか、男も女も気持ちがいいほど肝が据わっている。厳しさを受け入れる強さが自然と備わるのだろうか。そしてそんな人々を見守るようにひっそりと孝助とおたかがいる。二人の関係は謎に包まれているが、最後に語られることになる。
磯部 智子
評価:AA
凄い…玄人のお仕事です。どっぷり物語世界に入り込み、読んでいるあいだずっと耳元で荒々しいだんばら波の音と吹きすさぶ海風を聞いていた気がする。舞台は江戸時代の銚子、居酒屋「いなさ屋」をたかと営む幸助は「女稼ぎの口入れ」という裏の顔をもつ。この8編の連作短編集は、何れも貧しさから自分の意思で何ひとつ選ぶことが出来ず追い詰められ、それでも懸命に生きぬこうとする人々が描かれている。過去を重い荷物のように背負う老女、これから背負い込む決意をする年若い娘、匂いたつような美しさのたかも例外ではなく、ひりひりするような痛みをそれは美しい文章で紡いでいく。どうしてこの過酷な物語に惹かれていくのか。挫折感にみちた人間像でありながら、自己憐憫に陥ることなく孤独を道連れにスッと背筋を伸ばしたその立ち姿は美しく忘れがたい印象を残していく。運命に抗う事など出来ない、そんな諦めを身にまとっているかのような幸助も、やがて「さきのことは分からないが、やってみるさ」という決断を下す。その姿に何があっても損なわれることのない人間の心ばえ、力強さに希望をつなぐ作家の姿勢を見た気がする。
小嶋 新一
評価:A
「むこうだんばら亭」って何?なんか辛気臭そうな本……と思い手に取ったものの、いやあこれが凄い本だった。江戸時代、銚子にある一軒の呑み屋が舞台なんだが、行き場のない男と女の性(さが)が見事に描かれていて、ぐいぐい引きずられるように読み終えてしまった。
「現代社会は閉塞感に包まれ……」的な言われ方がどこでもかしこでもされていて、うんそうだ、我らに救いを!などと真剣にうなづいている僕だが、江戸時代の悲惨な庶民の姿を見ると、現代のぬるま湯加減をつくづく思い知らされる。当時は口減らしで娘を売春宿に売り飛ばすなどということが日常茶飯事で行なわれてたんだ、とか。ひぇ〜、おぞまし。
そんな世で、自堕落に落ちていく者、淡々と日々を生きていく者、それでもかすかな希望にすがりつこうという者たちが交錯する。そこに人間の本質がにじみ出す。
最後に一点。銚子の海の描写がすばらしい。時には穏やかで、時には鋭く牙をむき、人を畏れさせ、しかし人がそこを生業の場とする「海」。それが見事に描き出される。それだけでも読む価値あり。
三枝 貴代
評価:B
時はおそらく江戸時代。銚子の東端。イワシ漁でにぎわう港の近くに、孝助は四十才で移ってきた。漁師や醤油職人たちに酒を飲ませる店を開き、裏では女衒の商売を行った。酌婦には、女郎であったたかという、娘ほどの年の女を身請けしてつかった。孝助とたかとが店でであった人々を描いた8編の連作短編集。
美しい日本語にほっとします。しかも、描かれた人々が生きた時代にちゃんと足をつけた言葉です。片目が不自由な老婆も、「目の一方が白く霞んで螺鈿のようであった」と書かれると、哀れで醜い容姿が、一方でかけがえのない幻想的な美しさをまとっているようにも思えます。貧しく不幸な女達は、ただ哀れなだけではなく、激しく強い部分をナイフのようにこちらにつきつけてきます。弱いゆえの強さでしょうか。男達の粗野な振るまいも、不器用ゆえだということがよくわかります。毎晩眠る前に1編づつ、丁寧に読みたい本です。
しかし、たまに一人の客をとるだけで格段に暮らしが楽になるになるほどには、当時の街娼の花代は、高くなかったんじゃないかなあ。
寺岡 理帆
評価:A
さまざまな事情から「いなさ屋」と縁を持つ人々。彼らの運命はさまざまで、主人公の孝助は少し離れたところから、彼らを見守り、見放していく。諦念をもって人生を送っているような孝助だが、関わる人々によって彼も少しずつ変わっていく。少しずつ少しずつ。銚子の荒々しく、恐ろしく、そして恵みをもたらしてくれる海が、彼らをじっと取り巻いている。
クライマックスに向かって上り詰めていくような物語ではない。
けれども水が浸食するように、じわじわと心にきいてくる。
抑制のきいた文章が、抑制のきいた哀しみを描き出す。けれど哀しいだけではなく、最後には荒々しい海がそっと彼らの背中を押してくれる。
直木賞、山本周五郎賞受賞作家というのはだてじゃない、と唸った。
福山 亜希
評価:B
舞台は江戸時代の銚子。漁港として名高いこの町も、行き場をなくして他の土地から流れ着いてきた者にとっては、海を背にした最後の土地に見えてくる。主人公孝助も、そうやって流れ着いた者だ。彼はここで小料理屋を営みながら、裏の顔として口入屋をしている。色々な女が、切羽詰った理由から彼の店にやってくる。口入をしてやった後、女達にどんな絶望が待っているか、孝助は分かっていて、それでも口入屋を続けるのだ。孝助は、悪意で口入屋をしているのではない。人生のどん底を味わってきた孝助は、他人にも、過去の自分と同じ様な、辛酸をなめる人生を送って欲しくないと思っているし、できれば助けてやりたいとも思っている。それでも口入屋としてでなければ彼女達を救えない残酷な貧困が、現実としてあるのだ。貧しさの前で無力な人間達の悲哀が、読む者の心にどっしりとのしかかってくる。
孝助によって助けられた者、より不幸になった者、様々な人間模様を前に、私は混乱してしまった。人の幸・不幸は何によって分けられるのだろうかと。何かの落ち度で不幸になったわけではない彼らの人生を見ていると、運命に翻弄される人間の悲しさがこみ上げてくる。絶望を希望に変えるような強い気持ちで読まなければいけない一冊だ。