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WEB本の雑誌今月の新刊採点ランキング課題図書

六〇〇〇度の愛
六〇〇〇度の愛
【新潮社】
鹿島田真希
定価 1,470円(税込)
2005/6
ISBN-4104695025
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  朝山 実
  評価:B
   六〇〇〇度とは、あの日の長崎の温度。この小説が抱える渇きは、あの日には不在だった、現代を生きる女のものだ。固有名詞を持たず、「女は」で語られる。団地住まいの主婦が非常ベルの音をきっかけに、家庭や子供を置いて逃避行する数日間の物語だ。間に挿入されるのは「自分にそっくりな女の私小説を一冊書いて終わりの物書きになるだろう」という「私」の一人称語り。聖書に出てくる、サマリアの女。アトピー性皮膚炎を抱える、混血の青年。アルコール依存症で亡くなった、兄。暗示的なキーワード、女の倦怠と懺悔が連綿と綴られて圧倒される。ただ、題材にされた内面の物語は、長編でなく、最小の言葉を選んだ詩や短歌で読めたら、と思わないでもない。インパクトがあり魅力的だったのは、冒頭の日常の場面だ。我が子を抱え、カレー鍋をおたまでかき混ぜさせ、テレビ番組のむこうでは、着ぐるみと踊る体操のお兄さんが「しつけ糸のような細い」腋毛を見せている。精神性や情緒的な描写より、淡々とした目線の先がおもしろい。

 
  安藤 梢
  評価:C
   現実の世界から逃げ出してきた女が、長崎で一人の男と出会う。六〇〇〇度というのは、長崎の原爆を指しているのだが、そもそも何故長崎が出てくるのか、よく分からない。この二人の舞台が長崎である必然性はないように思う。女の個人的な感情や体験と長崎の歴史を結び付けてしまうのはあまりにも乱暴である。死んだ兄への思いに捕らわれているせいで、現実の世界を生きていない主人公の危うさは、悲観的であればあるほど、どこか滑稽に見えてしまう。女が自分を悲観し、孤独に酔ってしまっているようなところに違和感を感じる。悪戯に死への憧れを募らせていく様子が、本当に死のうとしている者とは別の者として映る。女が、男を愛したい気持ちと傷付けたい衝動の狭間に揺れるところがリアルに描かれている。

 
  磯部 智子
  評価:A
   帯には島田雅彦氏の「川のように書いてゆく」デュラスのような手法の作品だという言葉がある。倦怠で空虚で難解なデュラスに真綿で締め上げられるような思いを味わったことがあるなら懐かしく甘美な地獄がここにも広がっている。被爆地・長崎での行きずりの情事、これでお解かりのように随分思い切ったタイトルである。たくらみはこれだけに止まらない。語り手は二人「私」と、私を「女」と呼ぶ誰か。それは「私」の別の視点なのか。「私」は自死した兄や兄だけを愛した母への痛切な思いを繰り返し回想する。一方「女」は健康で善良な夫と子供の3人、団地で平凡に暮らしていたが誤作動した非常ベルの残響と共に突然長崎に旅立っていく。「私」が語る過去の思いと「女」の現在の行動、日常生活の中で封印され冷却された何かは再び熱量を取り戻すのか。もう一度あの渇望する日々に耐えられるのか、それとも耐え難くも破綻のない人生を続けることになるのか。家に戻った女は再び日常にからめ取られながら生きて行く。そして私は「語ろうとする欲求」を見出す。冷ややかで容赦のないこの作品に混乱したまま私の心も寄り添い漂い続けた。

 
  小嶋 新一
  評価:D
   冒頭の描写「女は混沌を見つめている。なにか深刻で抽象的なことを……」とあるのが、僕にとってのこの作品を象徴していた。
 鳴り響く非常ベルの音に突き動かされるように、女は夫と子供をほっぽらかして、突然長崎を目指す。自殺した兄の存在が心に落とす影。行きずりの青年との出会い。原爆のあとをたどり、青年と情交を重ね、兄と母の存在を見つめ、孤独と死について心をめぐらせ、再び家族の元へ帰っていく。
 それで、何なんだ?あまりに混沌とした文学的世界。抽象的過ぎる世界。フリー・ジャズを聴いた気分。わけがわからんぞ。一部のフリー・ジャズは、わからんなりに聴いたあとに強烈なカタルシスを残してくれるが、この作品は残念ながらそうでもなかった。
 すいません、さっぱりわかりませんでした。この次には、この僕にももちっと分かる様に書いていただけますよう、おねがい申しあげます。

 
  三枝 貴代
  評価:B
   非常ベルの誤作動音を聞いた瞬間、女は旅立たなくてはならないと気づいた。幼い子供を人に預け、かつて原子力爆弾が焼いた土地・長崎で混血の青年とであう。名前を語ろうとしない青年を、女は「長崎」と名づけた。第18回三島賞受賞作。
 まさに純文学を読んだという満足感のある作品です。すべての物、すべての台詞に、いくつもの意味が与えられ、連想が連想を呼び出します。アトピーに苦しむ男は焼かれた土地・長崎の象徴であり、彼の所属不明の血統は日本にありながら異国的な長崎の特徴をみごとに表しています。彼を犯す女は、土地とそれの持つ時間を犯し、青年と似ていないかつての男たちを犯し直すのです。意識は時空を越えていきつもどりつしますが、それが散漫な印象を与えず、確かに人間というものはこういった思考をすると確認させるあたりも見事です。
 実験的で先鋭的であり、読み返すたびに別の姿を見せる、三島賞にふさわしい、奥行きのある作品でした。やや残念なところは、テーマがフェミニズム的な怒りという凡庸さですが、今後が期待される若手作家です。

 
  寺岡 理帆
  評価:A
   「私」の独白パートと「女」と青年の長崎での交わりが交互に綴られるこの作品には、『六〇〇〇度の愛』というタイトルにも関わらず熱はまるで感じられない。むしろ冷たい。兄と母との関係を未だうまく消化し切れていない「私」と、長崎で青年との不毛な関係を築く(消費する?)「女」。どちらも狂気の側へ踏み出すことができない、死への誘惑も断ち切ることができない、乾いた絶望を抱えている。そしてその絶望を手放す気もない。
 喪失するために物語を書き上げようとする私と、長崎の経験から何も生み出すことなく家庭へ帰っていく女。そこには何もない。最初から何もなかった。
「何もない」ことを言葉を費やして作り上げていく筆者の力に敬意を感じずにはいられない。

 
  福山 亜希
  評価:C
   団地の非常ベルをきっかけに、衝動的に長崎へと一人旅立ってしまった女。子供を残し、夫を残し、たどりついた長崎の地で彼女は、混血の青年と出会う。アトピー性皮膚炎の傷ついた皮膚を持つその青年と女は、どこか似ているところがあったのだろう。お互いに、つかず離れずの距離を保ったまま、長崎でのいつ終るとも知れない旅をつれあって過ごす。女の独白で綴られるこの作品は、常に冷静で、常に不幸で、悲しい。その何とも言えない乾いた独白は、感情の高ぶりに燃え上がることもなく、今以上に苦しむこともない。一体彼女の不幸はどこからくるのか。発狂した兄の影響か、発狂できない自分への苛立ちか。健全な精神は、兄の発狂と女の乾いた独白に、理由を求めたくなる。はっきりとした理由を述べられないのが発狂なのか。それが小説という、掴むことの出来ない曖昧模糊の存在なのか。不幸も幸福も、女の乾いた独白も、私は全てに理由を求めたい。少なくとも、理由を求めようとするところに、価値を見出したい。だから、不幸や渇きを前提に描かれたこの本には、物足りなさを感じてしまうのである。

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