年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班
WEB本の雑誌今月の新刊採点ランキング課題図書

きよしこ

きよしこ
【新潮文庫】
重松清
定価460円(税込)
2005/7
ISBN-4101349177


  浅井 博美
  評価:A
 かつて吃音に苦しんだ大人に、現在吃音で苦しんでいる子どもを励まして欲しいというなんて、本当に残酷だ。
大人になったって弱いところは相変わらず存在する。それをどうにかこうにかだましつつ暮らしていると、小手先の器用さを身につけたり、さらに開き直りということを覚え、弱いところも克服して何だかうまくいっているかのように思えてくる。しかし弱さは消えてなくなっているわけではない。大人っていうのは自分の弱さを乗り越えていち抜けた存在なのだから、子どもにアドバイスをしなければならないなんて誰が決めたのだろう。「吃音」に限らず、そんなつらさを抱えている人はたくさんいると思う。本書には弱さを知っている当事者にしかわからない、おずおずとした優しさが全編にあふれている。「きよし」少年の「吃音」を抱えて生きていくという苦悩を通じて自分自身の弱さと、色々なしがらみを取っ払って、純粋に向き合えた。「吃音」も含め弱さというのも結局自分の一部であって、こればっかりは一人でどうにかするしかない。そういうことと葛藤している大人がいても、そっとしておいて欲しいのである。

  北嶋 美由紀
  評価:C
 やはり感動すべきなのだろうか……? 私が感動できたのは「北風ぴゅう太」の章に出てくる、さりげなく少年に手を差し伸べる担任教師のみで、残念ながら、主人公の少年には大して感動を覚えなかった。
 吃音に悩む子を励ます意図である作家が書いた「お話」で、自分が吃音で苦しんだ少年時代を告白するという体裁になっている。
 主人公の少年は、努力の末、吃音を克服したわけでもなく、偏見に堂々と立ち向かったわけでもない。吃音ゆえに何事にも消極的になり、引越しのストレスにも黙々と耐える少年の姿と、友人の負の感情が理解できるやさしさを持っている少年が全身で苦しむ姿ばかりだ。言いたいことが十分に言えないなんて、苦しいのだろうな、もどかしいのだろうなとは思うのだが、そんな少年の悲しみにいまひとつ共鳴できないのはなぜなのか。カ行やタ行で始まる言葉に対する神経質さはまだしも、家族にまで吃音をさらすまいとする少年に依怙地で可愛げのなさを感じてしまうからか。あえて「きよし」と固有名詞で表さず、「少年」と表現するところに作者の意図があるのだろうが、ぼやけた感じが否めない。「きよしこ」は守護神のように少年と共に存在するのかと思えば、小1のクリスマス以後は十年以上姿を現さないのもよいような、意味不明のような……
 とりあえず自分が平凡さにどっぷりつかって、いいかげんな人生を送っているうちに鈍くなったのかと反省する。

  久保田 泉
  評価:B
 以前にも書いたが、重松作品は思わず泣かされるか、辛すぎて胸がひりひりしてくるような作品が多い。きよしこは、どちらともちょっと違う。それは本著が作者の子供時代を投影しているからかもしれない。主人公のきよし少年は、吃音と転校続きで、言いたい事が上手く言えず、友達もなかなか出来ず、いつも心に悔しさと切なさを抱えている。そんな一人の少年の、小学生から大学に入学するまでの成長というより、これは闘いのお話だ。別に、吃音を克服する為や、からかう級友や、理解のない大人と闘うわけではない。いや、実際は確かにそういうエピソードはあり、そこはさすがストーリーテラー重松、憎いほど読ませてくれる。だけどそもそも一人の人間の7歳から18歳の日々というのは、誰にも理解されない、自分でもよく分からない孤独な闘いの日々だったのだなあと思うと、きよし少年の闘いの中の喜びの一瞬がぐぐっと胸にせまってくる。きよしこ、の意味は是非一読して理解して欲しい。じん、ときます。

  林 あゆ美
  評価:AA
 重松清の書く作品はあったかいなといつも思う。そこには、作品のために作品があるのではなく、どこかに存在する確かな“人”のために書かれた物語だと感じるからだ。
 この物語は、転勤の多い父をもつ少年、清(きよし)の話だ。吃音があるため、自分の名前がうまくいえず、自己紹介が大の苦手の清は、それなのに転校生として、しょっちゅう自己紹介しなくてはいけない立場におかれる。そういう厳しい子ども時代を、物語はなぞる。本当に買ってほしいものを吃音がでてしまうため言えないもどかしさ、その吃音をなおすために参加したセミナーで出会った少年のことを、6年生ではお別れ会の劇を書くときにも口に出やすい音を選んだことを。うまく出せない言葉のために言い換えたり、それでも大きくなるにつれ、周りも成長するので、あからさまないやがらせが少なくなっていくところは、読んでいる私までほっとしながら、清の成長を読んだ。あぁ、せつないけど、あったかい。読み返すとじゅわっと涙がにじみそうになる。この物語を確かに受け止めている子どもや大人があちこちにいる。そう思うと、ますますじゅわっときてしまう。

  手島 洋
  評価:A
 「流星ワゴン」のときにも、すっかりやられましたが、今回もです。重松清はうますぎて腹が立つ。こんなもの書かれたら、けなしようがない(別にけなしたい気はさらさらないのですが)。
 吃音の息子を「吃音なんかに負けるな」と励ましてほしい、という、その子の母親からの手紙に違和感を覚えた作者が、自分の気持ちを作品にして表したのがこの「きよしこ」。そして、その作品は少年に対するメッセージにもなっている。
 短編集だが、どの話も主人公は吃音の少年。父親の仕事の都合で、転校の多い少年は新しい町で新しい人々と出会う。同級生に溶け込めず、酔っ払いの男と毎日遊ぶ少年もいれば、小学校の卒業記念のお別れ会で劇の台本を書く少年もいる。みんな、それぞれが別の少年だが、ひとりの少年の物語でもある。どの少年も吃音に悩まされながらも、かっこう悪く、生真面目に生きているのがすばらしい。「かっこいいことはなんてかっこ悪いんだろう」というのは早川義夫のアルバムのタイトルだったが、かっこ悪い生き方をしている少年はかっこいいのだ。

  山田 絵理
  評価:B
 少年の名はきよし。吃音のせいで自分の名前さえもうまく言えない。言いたいことが言えないつらさ。クラスメートにからかわれるつらさ。おまけに父親の仕事の都合で、何度となく転校を繰り返している。
 そんなやっかいで大変なことの多い少年のお話は、作者の少年時代を反映しているのだろう。吃音を矯正するセミナーに通う場面もあるが、どうやって克服したかとか精神論の話などは出てこない。ただ数篇のエピソードが静かに、作者が伝えたいメッセージが織り込まれながら語られる。やがて少年は吃音の自分を受け入れて大人になってゆく。
 明らかにそれと分かるように励ますというのではなく、気づいたらそばでそっと見守っていてくれる、そんな本だ。そして作者は、ある吃音の少年のためにこれを書いている。
 だけどきれいすぎるお話なので、ひねくれものの私はちょっぴりすねてしまった。「でもきよし少年は作文がとっても上手じゃない。毎年金賞取っていたじゃない。私なんて何もなかったよー。」


  吉田 崇
  評価:C
 何気に本屋に立ち寄って、平台にある著者の作品を眺め、「あー、この人流行ってるんだなぁ」と思ったのが昨日の事で、本書を読み終わったのがもう一月ほども前の事なので、時がたつのは早いものですね、と当たり障りのない前ふりをして、どんな内容だったのかを思い返す。
こないだ読んだ『流星ワゴン』より、こちらの方が物語がシンプルなので好き。大体僕は、子供が一生懸命な話には弱いのだ。正確な名称は知らないが、とにかく発話する事に障害のある少年が主人公のこの物語、きれいで優しげで、子供に読ませても良い本の筆頭、悪く言えば、優等生でお行儀良くてつまらない。凄く、不謹慎な物言いだし、正確に説明するのにはとても枚数が足りないので思い切りはしょるけど、健常者と障害者の境界には笑いが必要だし、それを偽善的なオブラートでくるんでしまうのは実は最も下劣な精神構造なのではないかと思うし、だって、障害をみて見ぬふりするつきあいより、その人の成り立ちの大切な特性の一つだと認識したつきあいの方が、よほど好ましい気がするのだけれど。
ちなみに著者の他の作品、読んでみたい気になりました。

WEB本の雑誌今月の新刊採点ランキング課題図書

| 当サイトについて | プライバシーポリシー | 著作権 | お問い合せ |

Copyright(C) 本の雑誌/博報堂 All Rights Reserved