年別
月別
勝手に目利き
単行本班
文庫本班
水野 裕明

水野 裕明の<<書評>>



小春日和

小春日和
【集英社文庫】
野中柊 (著)
定価540円(税込)
ISBN-4087460266

評価:★★★★

 70年代、小学生の双子の女の子がタップダンスを習いだして、その発表会での可愛さがCMプロデューサーの目に留まって、テレビコマーシャルに出るようになる。そしてテレビタレントへの誘いもくる…。そんな騒動の中で、家族と双子の成長が逗子という海辺の街を舞台に描かれている、なんともノスタルジー溢れる物語。そうそう私たちにもこんな時代があったよなぁと思わせる、ホームドラマのような作品である。でも、単に懐かしいだけではなく、あの時代が持っていてしかも、今や希薄となってしまった家族の暖かさとか、親密な人間関係とかが現代の目で見直されている。今月の課題図書「いらっしゃいませ」と同じような時代設定で、ただただ懐かしさにかられて、あっという間に読了してしまった。

いらっしゃいませ

いらっしゃいませ
【角川文庫】
夏石鈴子 (著)
定価540円(税込)
ISBN-4043604041

評価:★★★★

 これまた面白くて、うんそうそうとうなずいてしまう、なんとも読ませる1冊。
 時代はバブルの前、出版社に受付として入社した作者の体験を元にした、フィクションではあるが半自伝的な作品。学生であった主人公が試験を受けて出版社に入社し、受付としていろいろな人たちと関わっていく……。その時々の関わり方や関わった人物評が綴られているという、物語性とか確固とした世界がつくられた小説とはちょっと違うけれど、主人公の考え方や感性、人との距離の取り方などがとても好感が持てた。さらに、誰にでもあった新人の時代、新人の心の持ちようなどが、瑞々しく描かれていて、それだけで楽しく読めてしまった。口に出すほどでもないけれど小さな不満や不愉快が多い現代、ちょっと気分をすっきりさせてくれる気持ちの良い作品といえるかもしれない。

トリツカレ男

トリツカレ男
【新潮文庫】
いしいしんじ (著)
定価380円(税込)
ISBN-4101069239

評価:★★★★★

 ヨーロッパを思わせるどこともしれない国のある街を舞台に、すぐに何かに夢中になってしまう(とりつかれる)ジュゼッペの、いろいろなものにトリツカれる様子と、風船売りのペチカに取りつかれた、つまりは恋をしたその顛末が描かれている。読み初めてすぐのなんだろうこの妙な人物設定は?という感じも、ファンタジーも純愛物も苦手という思いも、読み進めるにつれまったく忘れてしまって、思わず夢中になって読み終えてしまった。短編と言えるほどほんとうにページ数は少ないのに、きちんと世界が構築されていて、人物はそれぞれ生き生きと描かれていて、中身がなんとも濃い、心ゆくまで物語の楽しさを満喫させてくれる大人のメルヘン。しかも冒頭ジュゼッペが取りつかれたものが、ペチカの問題の解決に役立つといった、読ませどころもある、なんとも楽しい1冊である。

青空の卵

青空の卵
【創元推理文庫】
坂木司 (著)
定価780円(税込)
ISBN-4488457010

評価:★★★★★

 引きこもりのプログラマーである探偵役と、本当に優しく困っている人にすぐに手を差し伸べてしまう現代ではまず見かけないワトソン役の青年の、日常の謎を起点とした様々な人間関係を描いたミステリー短編集。なので、殺人も犯罪も出てきません。日常の謎の解き方なんかは北村薫の女子大生と落語家円紫師匠のコンビと同じような感じだし、料理の上手いところなんかは北森鴻のバー香菜里屋のマスターのようです。いずれも心温まるストーリーではあるけれど、この作品は、最後に語り手である坂木の謎に関わる人たちへの優しい思い、あるいは憤りなどが切々と語られて胸に迫ってくるところが、他の作品群と一線を画していると思う。ミステリー仕立なのに、人生の機微や哀歓、生きることの辛さと人の優しさと暖かさが溢れるほどに表現されていて、謎解きはある意味、物語を構成するためのあしらいでしかないようにも思える。

あほらし屋の鐘が鳴る

あほらし屋の鐘が鳴る
【文春文庫】
斎藤美奈子 (著)
定価660円(税込)
ISBN-4167656531

評価:★★★

 おじさんマインドの研究と女性誌探検の2つに分かれていて、特に「女性誌探検」はその名の通りいろいろな女性雑誌の紹介で、雑誌にまつわる裏話などもいろいろ読めるので、女性読者にはお奨めかもしれない。おじさんマインドの研究も、ほとんどジジイである私が読んでもそれほどイヤな感じを受けない。もっと暴論、極論が出てくるのかと思いきや、タイトルほどのことは無く、フンフンもっともですよね、そうそうその通り、という感じであまり驚きも、不愉快な感じもなく、すいすいと読めてしまえる。こういう論評というか時事物は暴論、異論の方が面白い(あまりに当たっていたりして読んでいて怒ってしまうこともあるが……)と思うのだが、この本は「何言うとんねん!ほんまあほらし!」と一刀両断していず、気持ち良く読める、意外な一冊であった。

わたしたちが孤児だったころ

わたしたちが孤児だったころ
【ハヤカワepi文庫】
カズオ・イシグロ (著)
定価987円(税込)
ISBN-4151200347

評価:★★★

 本の帯に「探偵は両親失踪の謎を解くために魔都・上海へ戻った」とあるが、一般的な探偵小説とか魔都の探検小説を期待して読むと、ちょっと肩すかしをくってしまうだろう。現在形で書かれているのは最後の章だけで、ほとんどの章が過去を振り返り、子ども時代を思い出して書かれていて、時には過去にいるクリストファーがその時点からさらに過去を振り返るという、複雑な時系列で構成されている。全体に静かで冷静な記述は何となくプルーストの「失われた時を求めて」を思わせ、探偵小説という読みやすい形態なのだが、読み進んでいくと作者の意図が掴みきれず、引きずり回されているうちに両親失踪の謎は簡単に解明され、記憶を無くした母と再会を果たし、クリストファーはロンドンに戻る。それでもなんとなくすっきりとしない読後感だけが残る、難解な物語であった。

地球の静止する日

地球の静止する日
【創元SF文庫】 
レイ・ブラッドベリ 、シオドア・スタージョン他 (著)
定価1050円(税込)
ISBN-4488715028

評価:★★

 宇宙人、原爆戦争、タイムマシン、月ロケットをテーマにして書かれた、映画の原作となった短編を集めたアンソロジーで、映画についても巻末で紹介されている。残念ながら、映画は「ミミック」しか見たことが無く、原作と映画はまったく違うものとなっているが、古いSF映画ファンの人には資料的価値があるかもしれない。個人的には本を読み始めた頃、夢中になって読みふけった、その頃はSF小説と呼ばれた、ただひたすらに懐かしい短編が並ぶ1冊である。サイエンスフィクションという言葉も今や余り聞かなくなり、実際サイエンスがフィクションを追い越してしまって、こういう小説が成り立たなくなってしまったのかもしれない。月も火星も、時間旅行もCGなどでよりリアルに表現されて、文字による想像の世界は、インターネットを開けばもはやリアルな世界となってしまっている。そんな今だからこそ、科学やロボットやタイムマシンを使って、人間の愚かしさや、独善性を描いたこの作品集に価値があるのかもしれない。

イノセント(上)

イノセント(上下)
【ランダムハウス講談社文庫】
ハーラン・コーベン (著)
定価819円(税込)
ISBN-427010029X
ISBN-4270100303

評価:★★★★

 「前科者のレッテルがふたたび彼を苦しめる」という帯の文章から、この作品もまた、先月の課題図書である「繋がれた明日」と同じで、前科のある人間の更生を妨げる社会のしがらみを描いたものかと思って読み始めたが、案に相違して、登場人物のほとんどが隠された過去を持つ、二転三転するストーリーを追って次々とページを繰ってしまうサスペンススリラーであった。誤って人を殺してしまったマットの過去、マットの妻の不倫、シスター殺しを追う女刑事、そして殺されたストリッパー……。一見何の繋がりもなさそうな4つの事件はページを追うごとにその繋がりが明らかになっていき、しかもそれぞれの隠された過去もわかってくる。大きく広げた話がどんどんと1点に収束していく手際の見事さは何とも言えず、サスペンススリラーの醍醐味を十分楽しめる。さらに、誤って人を殺してしまった加害者サイドだけでなく、被害者サイドからの怒りや悲しみも描かれていて、多面的な視点がちょっと新鮮だった。