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第78回:道尾秀介さん

人と人の感情のもつれがもたらす、複雑な出来事。事件の裏側にあるそれぞれの人生を描きこむことで、深い余韻を残す作品を次々と生み出している注目の若手作家、道尾秀介さん。熱心な読書家ではなかったというなかで、心に刻まれた小説とは? ご自身の中で「別格」という3人の作家や、「自分が読みたいものを書く」という執筆姿勢についてのお話の中に、新鋭のバックグラウンドが垣間見えます。

(2008年4月25日更新)

【小説というメディアに触れた時の驚き】

――幼い頃、読書は好きでした?

道尾 : それが、高校生くらいまでほとんど読んだことがなかったんです。漫画もあまり好きじゃなくて、『ドラえもん』や『ブラック・ジャック』くらいで…。“超”アウトドアな子供だったものですから。

――高校生の時に、何を読み始めたのでしょうか。そのきっかけは。

雪国
『雪国』
川端康成(著)
新潮文庫
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人間失格
『人間失格』
太宰治(著)
新潮文庫
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獄門島
『獄門島』
横溝正史(著)
角川文庫
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道尾 : 太宰治と川端康成が好きになって、ずっと読んでいたんです。当時付き合っていた女の子が純文学マニアで、ためしに自分も読んでみたら、ものすごく面白かった。川端康成は名前を知っている数少ない作家の一人だったので、本屋に行った時に、なんとなく『雪国』を買ったのかな。そうやって小説というメディアに触れてみて、何に驚いたかというと、文章でしかできない世界があるんだ、ということでした。もしもそこでストーリー展開重視のエンターテインメント小説を読んでいたら、「映像にしたほうがてっとり早いんじゃないの?」なんて思って、本を読まないままでいたかもしれません。

――ストーリーというより、文章に惹かれたということですね。

道尾 : 太宰の『人間失格』の出だしは、いまだに覚えているんです。「私は、その男の写真を三葉、見たことがある。」という。その後に、その写真の人物が首を傾げているとか、両方のこぶしを握っているといった描写が続く。あれなんかも、一見とても映像的なようでいて、じつは文章でしか絶対できない表現ですよね。もし実際にその写真を見せられたとしたら、あの不気味さは感じられない。川端康成もそうです。トンネルを抜けたら景色が真っ白くなっていたとしても、人間って実はそんなに驚かないでしょ(笑)。でも、ああして美しい文章で表現されると、一生忘れられない絵として頭の中に残る。

――それで、二人の作品を読むようになったんですね。

道尾 : でも、どちらも存命している作家ではないので、すぐに読み終えてしまいましたけどね。その後、あれこれと純文学の本を読んでいたのですが、ある日たまたまテレビで石坂浩二が金田一耕助を演じた『獄門島』をやっていた。横溝正史という作家を知って、本屋に行ってみると、目立つ場所に本が並んでいた。それからは横溝の小説をずっと読んでいました。金田一耕助も、活字でしか表現できない典型的な人物ですよね。だってあんなのが実際にいたら、不潔じゃないですか(笑)。活字だからこそ、洒落たキャラクターになっている。

――その頃、読書以外に夢中になっていたことは。

道尾 : ギターを弾いて、歌を歌っていました。ヘビメタのバンドを組んで、ライブ活動をやっていたんです。曲も詞も僕がつくっていたのですが、当時は照れがあったので、詞は英語で。

――その経験が、新刊『ラットマン』に繋がっているのですね。ちなみにヘビメタということは、外見は…。

道尾 : ああ、もう肩までの金髪です。ライブは上半身裸で暴れ回ってました。

――そうなんですか! 将来は音楽で食べていこうと思っていたんですか。

道尾 : 夢はありましたね。当時一緒にやっていたメンバーは、いまだにモヒカンとかでライブ活動をしています。僕は度胸がなくて、バンドを抜けて大学受験してしまったんです。

【本を読まなくてよかった?】

――大学生時代は、本は読まれたのでしょうか。

エミール〈上〉
『エミール〈上〉』
ルソー (著)
岩波文庫
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孤独な散歩者の夢想
『孤独な散歩者の夢想』
ルソー (著)
新潮文庫
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道尾 : 阿刀田高さんが大好きでした。当時付き合っていた女の子が読んでいたので…なんか、こんなのばっかりですね(笑)。いや、別に彼女に限らず、誰かに面白いよと言われると読んでみたくなるもんでしょう。阿刀田さんの作品もやっぱり、小説でしかできない面白さ、不思議さを持っていた。小説以外では、哲学書も好きでした。ルソーの『エミール』『孤独な散歩者の夢想』は今でも完璧に憶えている文章があるくらい。社会とか、生き方について教えてくれる人が周囲にいなかったので、「これはこうである」と言われることが新鮮だったんだと思います。鵜呑みにする部分と、しない部分は、もちろんありましたが。

――カタくて読みづらかったりしませんでしたか。

道尾 : 読みづらかった。でも、小さい頃に本を読んでいないので、読みづらいといえばどんな本も読みづらい(笑)。いまだに僕は、文字を読むのがすごく遅いんです。ただその代わり、小さい頃から今まで、いろんな人と出会って、いろんな話をして、いろんな経験をしてきた。それでよかったと思うんです。もしその時期に家の中で本を読んでいたら、絶対作家になれなかったと思う。僕は今、小説を書いて暮らしていますが、小説のお陰で小説を書けたという経験はいまだにないんです。

――それは、インスパイアされたとか、オマージュにしたいと思った小説がないということでしょうか。

道尾 : 自分の経験があったからこそ書けている気がするんです。まあデビュー作は別ですけどね(笑)。僕が小説で書きたいのは、人間同士の感情の絡み合いなので、それは家で本を読んで育っていたら書けなかったと思う。膨大な量の本を読んできたからこそ書ける、という人もいるだろうけど、僕は明らかにそういうタイプじゃない。自分がまったく知らない感情は、やっぱり書けないんです。

――自分で書いてみたいという気持ちはいつ頃から?

道尾 : 阿刀田さんが『小説現代』でショートショートのコンテストをやっているのを知って、生まれて初めて書いた小説をためしに送ってみたら、掲載されてお金をもらいました。書くことって面白いし、お金にもなるな、と思いましたね。それが大学生の頃か、就職したての頃か、記憶は確かではないんですが…。

――どんな内容だったんですか。

怪物―アゴタ・クリストフ戯曲集
『怪物―アゴタ・クリストフ戯曲集』
アゴタ・クリストフ(著)
早川書房
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伝染病―アゴタ・クリストフ戯曲集
『伝染病―アゴタ・クリストフ戯曲集』
アゴタ・クリストフ(著)
早川書房
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道尾 : 7枚半の短いもので、ミステリで…内容は秘密です。ワープロに向かって、何も考えずに書き始めたら勝手にミステリっぽくなりました。ただ、小説を書くのは初めてでしたが、その前から戯曲は書いていたんです。別に上演目的ではなく、アゴタ・クリストフが好きで、戯曲集を読んだ時に、読み物として面白いなあと思って。

――『怪物』『伝染病』という戯曲集がありますね。

道尾 : 実際の舞台だと、展開が早くて僕は頭がついていかないので、観るのはそれほど好きでもなかったんですが、戯曲という読み物は本当に面白いと思った。それで、自分でも書いてみたんです。

――ちなみにそれは、どんな内容ですか。

道尾 : 大抵リドル・ストーリーでしたね。例えば『誰かが出ていく』っていう話では、ある部屋があって、男女と猫1匹がいる。戯曲なので、猫は人間が猫のお面を被っていて、本物の猫か、舞台用の演出なのかは分からない。そこで、男女がいさかいを起こして殺し合ってしまう。一人はピストルで撃ち殺され、一人はナイフで刺し殺され、倒れた時に猫が下敷きになって圧死してしまう。そこで停電が起きて、暗闇。やがてドアが開き…誰かが出ていく。大まかに言えば、そんな話です。

――面白い! 猫のお面、というところがキモですね。

道尾 : 戯曲だということで、小説にはできないことをしてみたかったんです。

――ところで、大学では何を専攻されていたのですか。

道尾 : 林学です。木や草や、虫や動物が好きで、森林の勉強をしていました。

――自然が好きだったんですね。実際に、いろんな場所にでかけたり?

道尾 : オートバイに乗っていたので、あちこちの山や川に行って植物採集をしていました。一人で青木ヶ原の樹海に入っていったり。樹海へは、ギンリョウソウを見にいったんです。別名ユウレイダケと呼ばれている、幽霊が頭を垂れているような真っ白いキノコがあるんです。まあ結局見つからなくて、自生の三つ葉を採って帰ってきたんですけどね。味噌汁に入れて食べました。

――ああ、小説ではなく、図鑑やノンフィクションを読む機会は多かったのでは。

ソロモンの犬
『ソロモンの犬』
道尾秀介(著)
文藝春秋
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シャドウ
『シャドウ』
道尾秀介(著)
東京創元社
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ラットマン
『ラットマン』
道尾秀介 (著)
光文社
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片眼の猿
『片眼の猿』
道尾秀介(著)
新潮社
1,680円(税込)
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道尾 : 新書は結構読みました。当時よく読んでいた動物学の本は、『ソロモンの犬』を書くときに役立ちましたね。精神医学の本は『シャドウ』『ラットマン』に役立ちましたし。

――道尾さんの作品には、『片眼の猿』、『ソロモンの犬』、『ラットマン』と、動物の出てくるタイトルが多い気がします。

道尾 : 一応、「干支シリーズ」と呼んでます。他にも『カラスの親指』や『龍神の雨』といったタイトルのものを雑誌で連載中です。あ、でも、ここで大っぴらに干支だと言ってしまうと、それに縛られてしまうかも…。

――十二支すべてを当てはめるのって、なかなか大変かもしれません。

道尾 : 猪はどうしたらいいのか(笑)。桜庭一樹さんが『私の男』で直木賞を受賞されたときの3次会で、酔っ払って桜庭さんと話している時に、「じゃあ僕は今度『猪首の男』を書きます」って言ったんですが(笑)。

――『私の男』に対抗して『猪首の男』。ぜひ読みたいです(笑)。その頃読んだノンフィクションで、印象に残っているものはありますか。

道尾 : それほど強く記憶に残るほどのものはなかったですね。大人になってから読んだもののほうが、楽しめていると思います。これは例えば、中学生の時に修学旅行で神社仏閣に行っても良さが分からなくて、大人になった今のほうが分かる、というのと同じじゃないかな。小説も、昔に読んでいたら、今ほど感銘は受けなかったと思います。小さい頃に読まなくてよかった。今、すごく楽しめてるから。

【営業中に読書】

――卒業後、就職されて営業マンとして働いていたそうですが。

道尾 : 本は営業中に読んでいました。車の中で(笑)。営業中は、本を読むくらいしかできませんから。いろんなものを読みましたが、記憶に残っているのは、やはり人間同士の感情が絡み合ってひとつの物語になっているもの。たとえばソーントン・ワイルダーの『サン・ルイス・レイ橋』、デュ・モーリアの『レベッカ』『レイチェル』、谷崎潤一郎の『細雪』、山田太一の『岸辺のアルバム』、ウィリアム・ピーター・ブラッティの『エクソシスト』…これは映画のほうが有名ですが、原作はじつは人間ドラマなんです。神父さんの、神を信じるべきか否かという葛藤や、舞台となる屋敷の使用人が娘と複雑な関係にあることなどが描かれる。あとは『寺内貫太郎一家』が面白かったですね。活字にしかできないものが好きと言っておきながら、これもドラマが有名ですが、ドラマは久世光彦さんの演出の力でまた別の作品となっていて、僕はどちらも好きです。久世さんは、一番好きな作家ですね。最初に読んだのは『怖い絵』という短編集。僕は絵が好きで、絵画の雑誌なども買っていたんですが、これは有名な絵画と小説が見事に融合した本。本当に文章が美しくて、人間の書き方も容赦がなくて素晴らしい。負の感情を書く時に、徹底的に負のままに書くんです。人に読まれることを意識していないんじゃないかと思うほど。小学生の女の子が平気でレイプされたり、もうむちゃくちゃで、今の時代だったら刊行できないんじゃないかと思うくらい。でも、なんて綺麗な文章なんだろうと、いまだに思います。久世さん、玄侑宗久さん、尾辻克彦さん、日本ではその三人は、僕にとって別格かもしれません。

サン・ルイス・レイ橋
『サン・ルイス・レイ橋』
ソーントン・ニーヴン・ワイルダー(著)
岩波文庫
315円(税込)
※絶版
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レベッカ(上)
『レベッカ(上)』
デュ・モーリア(著)
新潮文庫
700円(税込)
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レイチェル
『レイチェル』
ダフネ・デュ モーリア (著)
創元推理文庫
1,260円(税込)
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細雪 (上)
『細雪 (上) 』
谷崎潤一郎 (著)
新潮社
460円(税込)
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岸辺のアルバム
『岸辺のアルバム』
山田太一(著)
光文社文庫
800円(税込)
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エクソシスト
『エクソシスト 』
ブラッティ(著)
創元推理文庫
1,029円(税込)
※品切れ・重版未定
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寺内貫太郎一家
『寺内貫太郎一家』
向田邦子 (著)
新潮文庫
460円(税込)
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怖い絵
『怖い絵』
久世光彦(著)
文春文庫
693円(税込)
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――何度も読み返したりしているのですか。

道尾 : 読み返さなくても覚えています。思い出せない小説は、自分にとっては大した意味がない。尾辻克彦(赤瀬川源平)さんに関しては、芥川賞の『父が消えた』『肌ざわり』が好きで、玄侑さんは『水の舳先』『龍の棲む家』が好きです。01年に『中陰の花』で芥川賞を受賞された時にお名前を知って…でも何故か『水の舳先』のほうを最初に買って読んだんですよね。

父が消えた
『父が消えた』
尾辻克彦 (著)
河出書房新社
924円(税込)
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肌ざわり
『肌ざわり』
(著)
尾辻克彦
924円(税込)
※品切・重版未定
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水の舳先
『水の舳先』
玄侑宗久 (著)
新潮文庫
340円(税込)
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龍の棲む家
『龍の棲む家』
玄侑宗久(著)
文藝春秋
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――どこに魅力を感じるのでしょう。

道尾 : うーん、なんというか…(悩)。もう、ひと文字ひと文字残さず、句読点のひとつまで、僕は最高傑作だと思っています。

――ところで、営業マン時代、本はどうやって選んでいたのですか。

怪奇小説という題名の怪奇小説
『怪奇小説という題名の怪奇小説』
都筑道夫(著)
集英社文庫
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道尾 : 古本屋です。当時はお金がなくて、古本屋でランダムに選んでいました。変わったものが多くおいてありましたし。よく行っていた古本屋が、出版社に関係なく、著者別に50音順に並べてあって。それで、筒井康隆さんの小説を買いに行った時、その横にあった都筑道夫さんの本が目に入ったんです。名前も知らない作家さんだったのですが、『怪奇小説という題名の怪奇小説』という変なタイトルに惹かれて買い…そこから都筑さんに夢中になりました。

――“道尾”というペンネームは、都筑道夫さんから取られたそうですね。

道尾 : そうなんです。都筑さんの小説を読んだ時、“渾沌”を思い出して。 “渾沌”は中国の化け物です。天地開闢の頃からいると言われていて、目、鼻、口、耳の七孔がなく、その場をぐるぐる回っているだけなんですよね。その怪物に神様が目鼻をつけてあげたら、渾沌が渾沌ではなくなってしまい、死んでしまったというんです。その神話がずっと印象に残っていて、都筑さんの小説を読んだ時に「渾沌がいた!」って思ったんです。結末を明確に書かない、でも結末をつけてしまうとまったく違うものになってしまう、ということが一読して分かった。僕もいつか“渾沌”的なものを書くのが夢なんです。今の読者って、そういうものを一切受け付けず、結末をちゃんとつけてスッキリさせることを望みますが、そんな人たちにもいつか“渾沌”的なものをぶつけてみたいですね。

【作家デビューしてから】

背の眼
『背の眼』
道尾秀介(著)
幻冬舎文庫
(上)600円(税込)
(下)680円(税込)
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姑獲鳥の夏
『姑獲鳥の夏』
京極夏彦(著)
講談社文庫
840円(税込)
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――社会人になってからも、ご自身で小説を書いていたのですか。

道尾 : コツコツ書いていました。ホームページを持っていて、自作の短編やショートショートを発表していたんです。新人賞の応募は、怪談ものを角川のホラー小説大賞に出していたくらいかな。

――そして04年、『背の眼』でホラーサスペンス大賞特別賞を受賞。それが05年に刊行され、デビューされたわけですね。ミステリやエンターテインメントでその頃読んでいたのは…。

道尾 : 京極夏彦さんの『姑獲鳥の夏』には、やっぱり衝撃を受けました。それまでは、話題になった本って、読んでも自分で面白いと思ったものはあまりなかったんですが、これは本当に面白かった。あとは、綾辻行人さんの館シリーズを読み始めていて、2作目まで読んだ頃にデビューしたんです。

――デビュー後、読書生活は変わりましたか。

道尾 : それまでもあまりミステリは読まなかったんですが、いっそう読まなくなりましたね。どうしても影響を受けてしまいそうなので。それに、自分で書くことができるから、読む必要がないじゃないですか。もともと「こんな本があったらいいな」という動機で小説を書き始めたのだし。世間的に見て面白いかどうかは分からないけれど、僕は僕自身の書いているものが一番好きなので、ミステリなら読むより書くほうがずっと楽しい。

――ミステリのパターン、ガジェットやトリックの知識はあえて持たないようにしているのですか。

道尾 : いえ、ただ知らないだけです。デビュー当時なんてひどいもんでした。本格ミステリ作家クラブや、推理作家協会に入れてもらったりして、ついてくれる担当編集者もなぜかミステリ系の人ばっかりで…とにかくみんなの話が分からないんです。最初の頃は、例えば編集さんとの打ち合わせで「誰々の何々って作品はすごいですよね」と言われたとき、その場では適当に相槌を打ち、家に帰ってから慌ててアマゾンでその本を注文したりしてました(笑)。そんなこんなで、今では基礎知識くらいのところまではなんとか分かります。

――最近読んでいるものといいますと…。

戻り川心中
『戻り川心中』
連城三紀彦 (著)
光文社文庫
560円(税込)
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隠れ菊(上)
『隠れ菊(上)』
連城三紀彦 (著)
新潮文庫
580円(税込)
※品切・重版未定
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道尾 : 実は、いまさらながら連城三紀彦さんを読んでいます。作家になってから、「連城三紀彦さんの作品が好きなんじゃないですか」と言われることが時折あって。白状すると、むかし『変調二人羽織』を読んで前半でギブアップしたことがあったんです。だから自分には合わない作家だと思い込んでいた。でも、あまりにもよく言われるので、ためしにその本の後半を読んでみたら、驚きました。あの短編集って、前半がロジカルで、後半に連城さんの持ち味の、叙情的なものが収録されているんですね。それで、今、連城さんに夢中なんです。時間を忘れて読むという経験をしたことがあまりなかったんですが、この頃まさにそういう経験をしています。『戻り川心中』とか『隠れ菊』はとくにいいですね。『戻り川心中』の光文社文庫版は、千街晶之さんが解説を書かれている。僕はそれを読んだ時、生まれて初めて、解説で泣いたんです。それぞれの事件の犯人たちが、例えば別の人間を犯人に仕立て上げたり、状況を操作したりしていることを、「幻の花を咲かせる」という言葉にしているんですけれど…。「人生のすべてを賭けて咲かせた幻の花。たとえ罪深く彩られていようとも、その値打ちが重くない筈があろうか。」…。その一文を読んだ時は、感動して涙が止まりませんでした。

――解説の中の文章を覚えているんですか!

道尾 : そこに書かれてることこそが、僕がやりたいことだったんです。もちろん、これは連城さんの作品あっての言葉なんですけれど、ああ、こんなに端的に表すことができたんだ、と思いました。この文章は、書き写して今でもデスクの脇に貼ってあります。いつもそれを見ながら仕事をしているんです。

――そうだったんですか。今、生活のサイクルの中で、読書の時間というのはあるのでしょうか。

道尾 : 『向日葵の咲かない夏』が05年の11月に出たんですが、その前の10月に会社を辞めたんです。それまでは通勤時間や、仕事をさぼりながら本を読んでいたので、いまだに「本を読むための時間」というものに慣れないんですよ。読書家の人の話を聞いていてすごいと思うのは、長時間読み続けられること。僕は2時間以上本を読めないんです。1時間半が限界で、すぐに他のことをしたくなっちゃう。仕事で早く読まなくてはいけない本がある場合は、1時間半ずつの前半戦、後半戦に分けますね。僕は高校生くらいになって初めて二足歩行を始めたようなもんですから(笑)、小さい頃から両足で歩き回っていた人にはやっぱり敵わないなあと思います。

――先が気になって一気に読んでしまうということはないのですか。

夏草の記憶
『夏草の記憶』
トマス・H. クック(著)
文春文庫
700円(税込)
※品切れ・重版未定
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道尾 : 連城さん、玄侑さん、久世さんとかは何時間でも読めるんです…。それと、トマス・H・クックも。そうそう、クックが大好きなんです。何で忘れてたんだろ。クックは、僕がやりたいと思っている「相手の頭の中に感情を直接ぶつける」ということを本当に上手くやっている。紙に書いて説明するのでなく、仕掛けや、語る順序に工夫をすることによって、読者に人間の感情をぶつけてくる。やはり記憶シリーズが1番好きで、どれも甲乙をつけがたいんですが、1冊あげるとすれば『夏草の記憶』かな。あ、今また思い出したんですが、ジャン=フィリップ・トゥーサンもすごく好きですね。好きな作家の名前って、案外すぐに出てこないもんですね。

――『浴室』『ムッシュー』『カメラ』などの。

道尾 : 他にもマーク・トゥエインやいしいしんじさんが好きなんですが、思えばこの二人って読んでいる時の色が一緒のような気がする。コミカルで無邪気な世界を作り上げ、その世界の中でこちらが心の構えを解いた時に、グサッと鋭いものをさし込んでくる。いしいさんの作品では『絵描きの植田さん』『ぶらんこ乗り』がとくに好きです。

絵描きの植田さん
『絵描きの植田さん』
いしいしんじ (著)
新潮文庫
500円(税込)
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ぶらんこ乗り
『ぶらんこ乗り』
いしいしんじ(著)
新潮文庫
500円(税込)
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【執筆の際に思うこと】

向日葵の咲かない夏
『向日葵の咲かない夏』
道尾秀介(著)
新潮社
1,680円(税込)
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――読む小説でも、書く作品でも、人間の感情の絡みを描きたい、という気持ちが強いわけですね。確かに、『向日葵の咲かない夏』などはミステリとは違うところで衝撃的で、読後もずっと、奇妙な感覚が頭の中に残っていました。

道尾 : ミステリを書いているという意識はないんですが、できあがったらいつもミステリっぽくなってる。もしミステリ特有の約束事を意識していたら、これまでの作品は書けなかったと思うんです。

――ただ、道尾さんの作品には、謎解きというミステリ的な面白さもある。

道尾 : 「手段」として使っているのが、きっとミステリ的な手法なんでしょうね。読み手の頭の中に直接感情を書き込む方法をとろうとすると、例えば「叙述トリック」と呼ばれる書き方になったりする。でもそれは決して「目的」ではありません。

――読者を楽しませることを意識することは。

道尾 : 僕は、読者は僕自身しか想定していないんです。自分が自分の本を読んだ時に面白いかどうかしか考えていない。というのも、『向日葵の咲かない夏』を出した頃、まだデビューしたてだったので、ネット検索して読者の感想をいろいろ見ていたんです。そうしたら、すごく気に入ってくれている人と、無茶苦茶にけなしている人が同じくらいいて。それを全部拾い上げて最大公約的な中途半端なものを書くよりは、自分が100%楽しめばいいと考えるようになりました。今はネット書評は一切読みません。

ラットマン
『ラットマン』
道尾秀介 (著)
光文社
1,680円(税込)
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――今年の新刊『ラットマン』は、結成14年目のアマチュアバンドが、スタジオで練習中にある事件に遭遇する。バンドという設定はご自身の経験があってのことと思われますが、そもそもの出発点は。

道尾 : 光文社の人たちと、次に何を書くかを話している時に「青春の終わり」というキーワードが出てきたんです。その前に『シャドウ』で青春の芽生え、『ソロモンの犬』で青春の謳歌を書いていたので、次は「終わり」かな、と。「青春の終わり」という言葉ですぐ連想したのが、僕自身がかつて諦めた「バンド」だったんですね。それで、ああいう話ができました。

――主人公のギタリスト、姫川は父と姉を幼い頃に亡くしていて、今回の事件で、その記憶が甦ってくる。他の登場人物もそれぞれ、いろんなものを抱えている…。

道尾 : バンドって、自分の経験を思い返したとき、人世縮図というイメージがあるんです。メンバーとずっと一緒にいて、ずっと長くやっていたので。日々の練習とか、夕方六時から朝六時までの十二時間ライブとか、いろいろあった。

――ところで、デビュー作『背の眼』などに、著者と同じ名前の人物が登場しますね。それってミステリっぽいですよね。

道尾 : いや実は、先例があるってことを知らなかったんです。有栖川有栖さんやエラリイ・クイーンという人も当時は知らなくて。初めて書いた長編だったし、まだ自分の名前という気がしていなかったので、たまたま使っただけなんです。お恥ずかしい話ですが。

――『向日葵の咲かない夏』でも主人公はミチオ君ですよね。詳しく説明するとこれから読む方の楽しみを奪ってしまうので言えませんが。

道尾 : ああ、それはあまり深い意味はありません。変貌する彼の姿を表すために、おまけとしてつけた仕掛けです。

――さて、「青春の終わり」まで書いた今、今後のご予定は、干支シリーズですか。

道尾 : 『メフィスト』で連載していた『カラスの親指』が、8月上旬くらいに講談社から刊行される予定です。闇金に苦しめられた詐欺師たちが集まって、家族のように暮らし、あるとき一致団結して敵に逆ネジを食らわせる、というお話。その後、新潮社から『龍神の雨』が出て…。でもまあ、十二支を全部カバーするのは先の長い話です(笑)。

(了)

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