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第75回:花村萬月さん (ハナムラ・マンゲツ)

花村萬月さん 写真

暴力、性、宗教、歴史。さまざまなテーマとモチーフで衝撃作を発表し続ける花村萬月さん。福祉施設で中学生時代を送り、その後は各地を放浪し、さまざまな職業を経験してきた半生の中で、出会った本とは? 厳しかった父親、放浪の青春時代、小説を書くきっかけ、そして文章に対する繊細な思い。波乱万丈なバックグラウンドとともにその読書道を、京都・百万遍にある喫茶店でおうかがいしました。

(プロフィール)
1955年東京生まれ。サレジオ中学卒。89年『ゴッド・ブレイス物語』で第二回小説すばる新人賞を受賞し、デビュー。98年『皆月』で第19回吉川英治文学新人賞を受賞。同年、大長編『王国記』の序にあたる『ゲルマニウムの夜』で第119回芥川賞を受賞。著書に『ブルース』『風転』『鬱』『守宮薄緑』『虹列車・雛列車』『百万遍』『私の庭』『錏娥哢た』『父の文章教室』などがある。

【父親の厳しい教育】

――幼少の頃の読書の記憶はありますか。

花村 : 記憶はあいまいなんですけれど、まあ普通に童話は読んでいたと思います。親父が、俺が生まれてすぐに蒸発していなくなって、母親は教育熱心でもなかったので、小学校にあがるまでは普通だったんです。ところが小学校にあがったら、いきなり親父が現れて。親父は、仕事にはならなかったんですけれど小説を書いていて。俺にも旧仮名遣いの岩波文庫や新潮文庫を渡し、読めなくても字面を追え、と。そこから最悪な日々が始まりました。

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――どんな本を与えられていたんでしょうか。

花村 : 印象に残っているのはポーの『モルグ街の殺人』。意味が分からないままに字面を追っていくうちに、犯人を指す「猩猩」が、人間ではないらしいということは分かったんです。この字はなんて読むんだと聞いて、オランウータンだって言われて合点がいったときの爽快感が(笑)。そういうこともありましたが、もうひどい目にあいました。ただ、この間テレビを見ていたら、湯川秀樹も4、5歳のときに『論語』を目で追わされていたらしい。俺の親父は明治生まれで、お袋と30歳くらい離れていたんです。クラスの中で親が明治生まれなんて、俺だけだったと思うんですけれど。

――教育熱心な方だったんですね。

花村 : 普通の家の教育とは違っていて、学校に行かなくていいというんですよ。だから俺は小学校にもあまり行っていない、不登校のはしりです(笑)。親父からはいろんなことを教わりました。九九もかけ算を習う前に暗記させられましたし、遠近法など、論理的なことも教えられたので、飛行機の羽が向こう側にも見える立体的な絵を描くのは同級生の間では俺くらいなものでした。幼い頃の仕込みが今の俺のすべてだと思っています。それで自分が形作られています。

――本は、他にはどんなものを…。

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花村 : 『山椒大夫』なんて『安寿と厨子王』だと言われてもまったく分かりませんでしたね。シャーロック・ホームズの『バスカビル家の犬』は子供なりに楽しかった。不思議なもので、だんだん読めるようになってくるんです。でも小学校5年生の時に親父が死んで、とたんに開放感に満ちて、本も読まなくなりました。小学校6年になった頃は問題行動ばかり起こしていて、児童相談所に送られ、ふと気づいたら帰れないんですよ。相談所の中に閉じ込めるところがあって、そこに入れられていたんです。そのままキリスト教の福祉施設に送られて、中学の3年間は施設にいました。その中でも本はあまり読まなかったですね。読むような環境じゃない。

――施設では、農場などがあったんですよね。

花村 : 水曜と土曜は授業がなくて、作業をする日でした。農場で働いたり、木工をやらされたり。昔は職業訓練の意味もあったんでしょう。NHKの大河ドラマのセットをぶっ壊す仕事もありました。薪になるわけです。

――IQが非常に高かったそうですが。

花村 : そうなんです。知能テストを受けて、その結果で施設に送られたようなものです。つまり、その知能を悪いほうに使っていると思われて(笑)。確かに本当に嫌な子供でした。バレる嘘は絶対に告白して正直な子供を演出していましたし。作文は得意でしたね。出だしで「新しい先生がちょっと嫌だ」と書いて、最後に持ち上げるとコロッといく、と分かっていました。

――頭がよくて、悪くて…。

花村 : 褒められたものではないです、今は更生していますけれど。ただ、母親がどんな状況でも明るい人で、その性格を受け継いでいるのか、肯定的、楽天的なんです。思い悩まない。父親の血だけなら、よどんで大変だったと思います(笑)。

【施設での読書】

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花村萬月(著)
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中央アジア探検記
『中央アジア探検記』
ヘディン(著)
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黒猫/モルグ街の殺人 他6編
『失われた世界』
コナン・ドイル(著)
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――自伝的小説『百万遍』の中で、母親が倹約して購入したヘディンの『中央アジア探検記』を差し入れてくれて泣きそうになった、という部分があります。

花村 : 実際は親父が買ってくれたものだったんです。施設の中で読むものと言ったら聖書くらいしかなかったので、頼んで差し入れてもらったんです。あれは幾度も読んでいますね。

――子供の頃の読書は、海外のものが多かったようですね。

花村 : まんべんなく読んでいましたが、日本のものは読みづらかったんですね。?外なんて本当に分からなかった。歴史関係の本は面白かったですね。どこの文庫が忘れてしまいましたが『世界文化史大系』があって、恐竜時代から現在に至るまで、これもずい分読んだ記憶があります。施設に入ってからは、あまり読まなかった。コナン・ドイルの『ロスト・ワールド』をお袋に差し入れてもらって読んでいたら、上級生に「お前に分かるわけがない」と言われて投げちゃったこともありました。途中で投げちゃったから、内容が分からないんですけれど。まあ、聖書は読まされて、自分の中で形作られるものがありました。

――新約、旧約ともにですか。

花村 : カトリックなので新訳が多かったですね。イメージが広がるので、幻想小説的な読み方をしていました。黙示録は出だしを暗唱できるくらいに読みました。もう全部、ぬけちゃいましたけれど。

――その頃、洗礼も受けたんですよね。

花村 : 受けたほうが施設の中で有利だという不純な動機で(笑)。教会にはもう3、40年行っていません。むしろキリスト教的な偽善を排することをすごく考えています。

――それは作品世界に現れていますね。

花村 : 素直なカトリックの作家にはならなかったですね(笑)。

【施設からの旅立ち】

――高校に進学されてからは。

花村 : 高校は正味3日くらいしか行っていません。それで2学期にたまたま学校に行った時にケンカをして、退学になってしまって。学校というものとは縁がなかったんですね。退学になった時、修学旅行の費用だか何か、積み立てていたお金を返してくれるというので学校に取りに行ったら、小金井の駅のところ号外が配られていて、三島が腹を切った、と知って。意味が分からなかったですね。割腹なんて。その頃は三島由紀夫の小説は読んでいなかったんですが、古本屋で写真集を見て、気持ち悪い奴だなーって思っていたんです(笑)。その人が腹を切っちゃった、と、結構ショックを受けました。

――その頃は何に夢中だったのでしょうか。

花村 : オートバイに夢中でした。当時は学校にバイクで行ってもかまわなくて、定時制のお金のある奴らがバイクに乗ってくるのがうらやましくて、学校の駐輪場にとめてあるバイクのガソリンタンクに砂糖を入れたりしていました(笑)。

――そして退学して、放浪生活が始まった。

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骨餓身峠死人葛』
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アメリカひじき・火垂るの墓
『アメリカひじき・火垂るの墓』
野坂昭如(著)
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花村 : プラプラしていましたね。印象に残っている作品もあります。確か、喫茶店の住み込み部屋にたまたま野坂昭如の『骨餓身峠死人葛』があって、退屈していた時に読んでハマりました。それで『火垂るの墓』を読んで、泣きはしないけれど、読書で涙が出そうになるという経験をしました。野坂昭如はテレビで見るとヘンな人でしたが(笑)、作品はすごかった。学習院の学生のところに転がり込んでいた時には、よく分からないままに本棚から選んで読んでいました。サルトルなんて、何が書いてあるのかまったく分かりませんでしたね(笑)。鈴木大拙なんかは、名前しか覚えていない。

――ひとところに落ち着けない性格だったのですか。

花村 : 父親がむちゃくちゃでしたからね。その血を引いているんです。父親はいいところの家の出だったんですが、第二次世界大戦の前に遺産をもらって満州に渡って、遊びほうけて金を使い果たし、縁を切られてしまったんです。きかん坊のまぬけな人ですね。武士は食わねど高楊枝の状態で、貧乏なのに本でも何でも買っちゃう。親父にも、放浪癖があったんです。まあ、俺はスケールダウンしています(笑)。親父は本当に無茶苦茶で性格破綻者でした。年をとるに従い、父親の血が自分にも流れていると感じますが、父親ほど無茶はできませんね。…ところが、親父の原稿を読んだら、ダサイんですよ。

――小説が残っているんですか。どんな内容なのでしょう。

花村 : 中国の歴史ものが多いんですけれど、ヘタですよー(笑)。一生懸命書いたんだな、と可愛く思います。でも、努力賞はないのよ、と(笑)。俺にとって父親の存在は大きいですけれど、小説を書くことは、乗り越えちゃった。

【美術関連の本を読む】

――10代半ばで、京都へ行ったんですよね。

花村 : 17歳あたりから京都に行って、20歳すぎまでいて、ヒモのような生活を送っていました。もう取り壊されてないんですが、京大の西寮にもいました。当時から床が抜けてボロボロで、蛆虫が人を噛む、ということをはじめて知りました。雑魚寝の部屋に生ゴミが捨てられていて、嫌な夢を見て起きたら、蛆虫が顔に…。

――うえー。

花村 : 最悪でした。その頃は、格好つけるために、美術評論みたいなものを読んでいました。キリスト教と、美術評論からは、かなり影響を受けていますね。

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――『百万遍』でも、主人公が絵を描いていた時期がありますね。福岡出身の青年から、彼の父親の岩尾十三が書いたという『美学入門』を渡される。巻末の参考文献リストにも載っていたので、ああ、実在の方なのか、と思いました。

花村 : そうなんですよ。父親は亡くなりましたが、息子とは今もつきあいがあるんです。あれは分かりやすい、よい本でした。

――美術評論の、どういうところを読まれるんでしょう。

花村 : ひとつの絵を言語で説明すると500ページくらいの本になると聞いたことがありますが、そういうものを取捨選択して、言語という抽象でまた表現する。現代美術となると、抽象を抽象で語ることになる。そういう部分ですね。他には『美術手帖』も読んでいましたね。まあ、背伸びした、格好つけの部分も大きかった。

――ご自身で文章を書くことはしなかったのですか。

花村 : 日記みたいなものを書いても三日坊主で、しかも嘘ばかりでしたよ。振られたのに振った、とか(笑)。

――仕事は、どのようなことをされていたのですか。

花村 : あまり働きませんでした。中卒ということで肉体労働しか選択できず、嫌ではないけれど流れ作業ばかりで退屈でした。机の前に座って仕事をするのは、小説の仕事がはじめてです。それまでは、ヒモも含めて肉体労働ばかり(爆笑)。でもみんな面倒見てくれるんで。

――しつこく『百万遍』の話になりますが、めちゃくちゃモテてますよね。

花村 : あれは作っている部分もあります。ただ、心配になっちゃうんでしょうね。野宿も平気な子だったんです。俺は平気でも、相手は「えっ!」となって、面倒を見てしまう。

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――京都時代、小説は読まなかったのですか。

花村 : 読んでいないですね。唯一覚えているのは、井上靖の『北の海』。18歳くらいで読んですごくハマり、いまだに手元にあります。繰り返し読んでいます。

――そこまでハマった理由は。

花村 : 筋もオチもなく、まさに文の芸だけで最後まで読ませてくれる。柔道をやっている子供の、日常の淡々とした話ですが、山もオチもないからいいんです。それと、比喩がない。つまらない比喩がなければ、時間が経っても陳腐にならない。先日、三島由紀夫のガイドブックを頼まれて読み直したんですが、三島でさえ、比喩が臭く感じるんです。その時代にはぴったりしている比喩でも、長持ちはしないんですね。もともと比喩は嫌いです。気の利いた言い回しなんて、馬鹿みたい。

――書き手の自己顕示を感じるからですか。

花村 : 才能を隠せばいいのに。だから開高健もダメなんです。鬱陶しい。自分がプロになるまではすごい、と思っていたけれど、自分も書くようになってからは、受け付けられなくなりました。

【暗黒の記憶】

――20代はどのように過ごされたのでしょうか。

花村 : 施設の中でブラスバンドをやらされたし、10代でギターをいじくったりしていたので、譜が読めるし、すぐに弾ける。それで重宝がられて、最末端のミュージシャンとして、キャバレーや場末のバーをまわっていました。東京と京都、あとは福岡に行った記憶があります。でも、真面目ではなかったですね。自分の音楽の才能がないことは分かっていたんです。弾くことはできても才能はない。便利な機械でした。

――絵は描いていなかったんですね。

花村 : ちょぼちょぼは描いていました。今でも好きですよ。

――さて、20代の読書生活は…。

花村 : 20歳から25、6歳くらいまでは、記憶自体があいまいなんです。薬物中毒になった後、アル中になっちゃいまして。踏んだり蹴ったりです(笑)。あんなに飲んだことはなかったですね。しまいには動けなくなって、床ずれまで起こしていたんです。大家さんが見つけてくれて、入院したんです。

――そこでも、助けてくれる人がいたんですねえ。

花村 : 家賃を取りにきただけじゃないですか(笑)。

――それで人生を崩壊させてしまう人もいるのに、よくぞご無事に…。

花村 : ありがたいことに、スイッチを切り替えることができる性格なんです。煙草もパッとやめられましたし。ただ、酒に関しては苦労しました。退院した後も、ワンカップの自販機が、浮き上がって見えましたからね。もともと酒に強いわけじゃない。人並みだからこそ、依存が進んだんでしょう。

――今はまったく飲まないのですか。

花村 : ゼロではないですね。料理屋でスッポンの血を飲んだら、ワインで割ってあって、酒の味を思い出してしまいまいったなー、ということもあります。

【復活してから】

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――その後は、どうされたんですか。

花村 : 27歳くらいには完全にきれいな体になりました。京都から戻って歌舞伎町でうだうだしていました。田中小実晶さんがよく風呂おけもって歩いていましたよ。タコ八郎にも飲み屋で会いました。その頃ば博打ばかり。本はまったく読みませんでした。ただ、鹿児島で知り合った人妻がなぜか俺のアパートに転がりこんできて、その人がお金を持っていたので日本中を旅していたんです。その時、電車の中で彼女にすすめられて半村良の『亜空間要塞』を読んだら、ハマりました。半村良は全部読みました。30歳になってからは、同棲していた相手の影響で、また本を読むようになりました。その中で印象に残っているのは、大藪春彦ですね。

――幼い頃とは逆に、国内作品が多くなったんですね。

花村 : 外国のものがまったく駄目なんです。翻訳文は、主語がうるさくて。芥川賞を取った時に担当者にドストエフスキーを読んでいないことがばれて、無理やり『罪と罰』の書評ページをやらされたんですが、13ページ読んで挫折しました。

――主語がうるさい、とは。

花村 : 昔から思っているんですけれど、日本語の格好いいところって主語がないことなんですよ。主語を省略できる、素晴らしい機能があるのに、馬鹿な人が「主語がないから云々」とラテン語系の文法で解釈している。欧米の人が日本語の文法で英語を解釈しますか、と言いたい。植民地根性丸出しで悲しいことです。日本語は主語がなくても成り立つところがクールで格好いい。翻訳ものは、訳者が律儀に主語まで訳しているのがうるさいんです。文章として幼い。ちゃんと日本語にしてくれたら、俺も読めるんですけれど。

――今は新訳ブームで、いい翻訳がたくさん出てきていますね。

花村 : そうなんです。だから今、挫折したドストエフスキーを読んでいるんです。光文社の古典新訳文庫、あれはいいですねえ。

【デビューのきっかけ】

――小説家になろうと思った経緯は。

花村 : ずっとヒモ生活をしていたんです。当時一緒に暮らしていた女性に銀座のクラブで働かせて、それで手にした金を持ってふらりと旅行していたんですね。真冬の北海道を知り合いの大学生に学割で買わせた周遊券で周遊していたら、汽車の待ち時間が2、3時間もある。その間に日記みたいなものをつけるようになったんです。それを読んで面白がった友人が「旅行記の賞があるので出せ」と言うんですが、俺は「冗談じゃない」。そうしたら、そいつが面倒見のいい奴で、T君というんですが、清書して応募してくれたんです。俺も送ったことは知っていたんですが、5月くらいに「佳作になったので賞金の10万円の振込先を教えてほしい」と連絡があったんです。発表するつもりはなかったので、めちゃくちゃなことを書いていたのに。「岬で雪が降ってきて、オナニーをした」とか(笑)。そんなものが金になるとは思わなかったので驚いて、それが小説を書くきっかけになりました。30もすぎて、そろそろ仕事をしなくちゃいけないなと思って、旅のライターでもよかったんですが、公募がいっぱいあるので小説にしようと思って。結局親父と一緒のことを選んだのが癪ですけれど、それで3年と期間を設けて、小説家を目指すことにしました。職業を選択するという感じでしたね。

――最初は、どのような作品を書かれたのですか。

花村 : 推理小説です。小説はオチをつけなくてはいけないと思いこんでいて、それなら推理小説だと思って。シコシコ書いて、才能がないのがよく分かりました。

――お手本にした推理小説などはあったのですか。

花村 : 子供の時に読んだドイルを(笑)。乱歩賞の選考に残った時、長谷部史親さんが下読みをしていて、後で「あれはあなたでしょう」と言われました。あと『小説推理』でも最終選考に残ったんですが、自分でつけたペンネームを忘れていて、連絡があった時にペンネームを連呼され「俺はそんな名前じゃねえ」と言って切っちゃって(笑)。後で気づきました。最終に残るようになったからもう推理小説はやめようと思って、それで普通の小説を書きはじめたんです。でも問題児でしたね。差別用語のことを分かっていなかったんです。『小説現代』の新人賞に残った時も、なんで部落がいけないのか分からなくて、ケンカになっちゃった。俺は村のつもりだったんです。そういうことが分からず、やりあっちゃいましたね。

――それまでほとんど書いていないのに、最終までいくのはすごい。文章を書くことに試行錯誤はしなかったんですか。

花村 : 中学の時に母に買ってもらった国語辞典の巻末に、文法の要約があったんです。それで勉強しなおしました。あとはコピーをしました。古本屋の100円の棚で無作為に文庫を選んで、出だしだけ書き写す。今の小説家は漢字の使用率が低いとか、売れている人ほど漢字が少ない、ということが分かってきました。句点の打ち方など、いろんな人から学びましたね。巧みな人ほど売れていない、泥臭い人ほど売れている、ということはよく分かりました。この人の文章は格好いい、と思うと、売れていないんですよ。

――格好いい、と思った作家さんは。

花村 : 倉橋由美子とか。売れていますけれど、山田詠美の句点の打ち方もすごかった。宇野千代にもハマりましたね。男では、宇野浩二にハマっていました。でも影響を受けたというと嘘です。それよりも流行作家的な文体に影響を受けました。北方謙三さんとか読むと、文章が入ってくるんです。売れるものって、そういうシンプルさにあるんでしょうね。じゃあ売れるものを書けって言われてもできないんですけれど。

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――そして、『ゴッド・ブレイス物語』で『小説すばる』の新人賞を受賞。

花村 : 身辺雑記が求められていないのは分かっていたんです。誰も俺の人生を知りたいなんて思わない。自分のことは書くまい、と思い、自分からかけはなれた、19歳の女性の一人称にしました。まさに虚構をひねり出す感じでしたね。名前を変えて『小説現代』にも応募して、それも女性の一人称でした。それも最終に残って連絡がきて「またこいつかよ」という感じだったんですが(笑)、「『小説すばる』に残っていますからいいです」と言ってひきあげちゃった。

――小説すばる新人賞は、まだ第2回目だったんですよね。

花村 : 1回目も応募して最終に残っていたんです。その時にアドバイスしてくれる担当者がついたんですよ。一度目の小説は『ブルース』の原型になったものだったんですが、二度目も音楽でいけ、とすすめられて。まあ、『小説すばる』でよかったですね。雑誌ができてまもなくて、書く場所があった。必ず載せてくれましたから。原稿料をもらいながら、原稿用紙の書き方を学んでいました。「。」は行頭にきちゃいけないんだ、とか(笑)。最初は怒られていたんです。短編を思いついてカレンダーの裏に書いて持っていって、「これじゃあ字数が分かんないじゃん」って(笑)。

――手書きだったんですね。

花村 : パソコンは、マイコンの時代から馴染んでいたんですが、文章を書くには向いていないと思っていたんです。でも角川で『ブルース』の原型になったものを本にしようっていうんで書きはじめた時に、腱鞘炎になっちゃって。筆圧が高かったんです。箸も持てなくなってしまって、しょうがないからパソコンに変えたんです。でも、文章は変わっていないと思いますよ。手で書くように気配りはしています。コピー、カット、ペーストは基本的にはしません。小説の終わりから書くという人もいますが、そういうこともしません。原稿用紙と同じ400字詰めにして、縦書きで1枚目から淡々と書いています。一字一句、考えて書く。手書きと変えていないし、変わらないほうがいいと思いますね。とりわけ最初のうちは、考えて書かないと。流れで一気に書く人もいますが、それはよほど才能のある人の書き方。駄目な人がバーッと書いても、よくならない。

――デビューした後、読書生活が変わった、ということはありますか。

花村 : 読まないですねー(笑)。読む暇がないというのもありますけれど。講談社の『IN POCKET』という小冊子に「書斎曼荼羅 本と闘う人々」という、イラストレーターの方が仕事場を描くページがあるんですが、俺の回だけ「本と闘わない人々」になりました(笑)。格好悪いのは、机の引き出しに『広辞苑』が入っているのに、その前に物がいっぱいあって、開かない。「花村さん、『広辞苑』使っていますか」「いいえ」って。ただ、母親が中学の時に買ってくれた国語辞典をずっと使っていて。その程度の語彙で書けちゃうんですね。

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――そういえば、北海道に住んだりと、住まいを変えていますよね。

花村 : 書くことに合わせて動くんです。カミさんは呆れています、借家ではなくて買っちゃうから、借金ばかり増えちゃって。札幌は、『私の庭』という北海道の開拓期の小説を書く時に買いました。今は売りましたけれど。売るたびに損しています。

――今は、京都が拠点なんですね。

花村 : 時代小説が増えてきて、宮本武蔵だ信長だを書く時に、京都に住んでいると取材が楽なんです。それに、10代を過ごした場所に、一度ちゃんと住んでみたいなと思って。でもカミさんは関西が苦手なので、今単身赴任状態です。

――おや、愛犬の黒パグのブビヲちゃんは。

花村 : 俺と一緒です。犬と引きこもり生活を送っています。

――こもって執筆に追われる日々ですか。

花村 : そうしないとこなせない。1日にだいたい10枚くらいしか書けないので。体力的には30枚40枚書けますが、句読点の打ち方が雑になりますから、10枚をノルマにしているんです。調子がいい時は15枚くらい書きますけれど、まあ、月産300枚です。

――同世代の作家さんの小説などは、読まないのですか。

花村 : 宇月原晴明は大好きですね。他はなかなか…。時代小説を書くので、資料にはずい分目を通します。それが楽しくてだらだら書いています。

――資料は簡単に手に入りますか。

花村 : マニアックなものでなく、どこでも手に入るようなものなんです、俺の場合は。学研のシリーズとか、そんなのでやっているので、偉そうなことは言えないですね。

【小説への思い】

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――新刊の『錏娥哢た』は、裏伊賀の忍びの一族の、絶世の美貌と能力を持った少女のお話ですね。天草四郎から徳川家康まで登場して、とても楽しく読みました。

花村 : あれに関しては、編集者にずい分資料を集めてもらいました。もともとは、天皇制と近親相姦の話なんです。露骨に書いたら怒られそうですけれど。中国から律令が輸入された時、十戒みたいなものがあったのが、日本では八戒になった。近親相姦が排除されたんですよね。江戸時代初期までは近親相姦し放題だった。タブーじゃなかったんです。

――この作品は、半村良さんと、あと山田風太郎さんへのオマージュでもあるとか。

花村 : 半村先生は全部読んでいますが、山田風太郎先生は1冊だけしか読んでいないんですよ。

――えっ。

花村 : 『くノ一忍法帖』の解説を頼まれて読んだら、あんまりにも面白くて封印しました。五七五で書かれているんですよ、文章が。そんなの読んでいると、風太郎のリズムがこっちに移っちゃう。読んだら危険だ、と思って読むのをやめました。

――なるほど。それと、この作品では、しばしば執筆している筆者自身が顔を出して、解説したり、脱線したり。その弾けっぷりに笑いました。

花村 : どこまで出していいか、実験していたんです。司馬遼太郎さんの作品も、作者が顔を出すじゃないですか。時代小説はこういうことができるんだなあ、と思って。でも俺は、司馬さんの小説が読めないんです。すごいとは思うし、本当にいい人なんだろうなと思うし、売れるものを書くなあと思うんですが、史観がなんだか苦手で。非常にスクエアで、非の打ち所がない。それが鬱陶しいんです。サラリーマンや経営者向けなんですよね。悪く言うつもりはないんですが。

――時代小説だから、作者も顔をのぞかせることも可能だと。

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花村 : 講談だって、作者が出てくるんですから。新人賞の選考をやっていると、小説の視点にうるさい人がいるんです。視点原理主義って言っているんですけれど。視点があやふやだから減点だと言う。確かに分かりづらい文章はよくないけれど、厳密にやると、文章が硬直してひどい内容になる。俺も昔は視点のことを考えたことがなくて、当時の『小説すばる』の担当者に「視点をしっかりやってみましょう」と言われて『風転』を書いたら、あんなに長くなっちゃった。文章が長くて失敗だ、もう視点統一はやめよう、と思いました。なんだかんだ言って、作者の視点しかねえじゃないか、というのが結論です。

――主語や視点、句読点と、非常に敏感でいらっしゃる。『錏娥哢た』の中でも、クエスチョンマークをやたら使うことや、句読点についての疑問を語っていますね。

花村 : 句読点は、明治の中ごろまでなかったんですからね。クエスチョンマークは昔から「〜ですか」というような明らかな疑問文に、なぜさらに「?」とつけるのか、と思っていました。日本語は語尾で分かるというのに、翻訳文の悪影響ですよ。時代考証にうるさいような人が平気で「?」なんて使っているのを見ると…(ガックリ)。もちろん、分かりづらい疑問文の時は使っていいんですが、なんでもかんでも使う人のことはハテナ原理主義と呼んでいます。

――視点原理主義やらハテナ原理主義やら。

花村 : 楽なんでしょうね、決め付けて枠にはめちゃったほうが。頭を使え、と思う。

――さてもう一冊、新書の『沖縄を撃つ!』という新刊もありますね。なにやら物騒なタイトルですが、沖縄の現状を考えつつ、楽しい旅行記としても読めます。

花村 : 角川で500枚くらい書いて封印している『針(ニードルス)』の取材で、10年以上前に沖縄に行き、それ以来通うようになりました。この本は、沖縄で局地的に売れているそうです(笑)。

――私が足を踏み入れたことの場所について書かれていて…。

花村 : 帝王切開の跡を見ながら、俺はなにをやっているんだろう、って思いますよ(笑)。

――(笑)。どういう場所なのかは、本でご確認いただくとして。今年の刊行は。

花村 : 『王国記』の新しいのが出ます。それと『ワルツ』という大作が出ます。15年くらいほっぽいた、『ブルース』の続編みたいなもの。まあ、話は違いますが。連載時、途中で嫌になっちゃって終わりのほうをダイジェストで終わらせてしまったものを、ちゃんと書き直して出します。2〜3000枚になるんじゃないでしょうか。それと、コバルトを書いたんですよ、少女小説を。タイトルは『なかはごめんね』(笑)。

――し、少女小説でそのタイトルですかっ。

花村 : 女子高生が主人公で妊娠しちゃって…って、タイトルそのまんまじゃないかっていう(笑)。でもね、切ないって評判なんですよ。コバルトは面白いですね、うん。

――幅広くお書きになりますねえ。

花村 : そうですね。でもどれも、俺の中ではイコールなんです。

(2008年1月25日更新)

取材・文:瀧井朝世

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