第10回

 そんな初めての入稿地獄の真っただ中の4月8日、"前の日の帰りがどんなに遅くとも出社時刻の午前11時は厳守"という悪魔が決めたかのような規則のため、時間通りに出社し、寝不足の脳みそをうんうんと絞りながらネームを書いていると、お昼のワイドショーがとてつもないニュースを伝えてきた。

『タレントの岡田有希子さん、飛び降り自殺』
 という文字が、一日中点けっぱなしのフロアのテレビの画面いっぱいに躍っている。
「おいおい、靴と一緒に「投稿写真」が置いてあったりしないだろうな。パンチラ写真が載ったのを苦にしてとか」
 冗談にしてもキツすぎるセリフを吐きながら、穴見さんが編集部に顔を出した。そして、昔の街頭テレビよろしく、フロアにいた人間のほとんどがテレビの前に集まった。

 アイドルには全く興味のなかったその頃のオレでも"岡田有希子"の名は知っていた。愛知県生まれ、数々のアイドルを輩出したスタ誕の出身で'84年4月『ファースト・デイト』でデビュー、その年の新人賞を総なめにし、'86年1月に発売されたシングル『くちびるNetwork』が初のベストワンに輝いたばかり、まさにこれからという時に...。オレに限らず、日本中が、「どうして?」と思ったはずだ。
 
  岡田有希子の死は、単なるいちアイドルの自殺に止まらず、後を追うかのような中高生の自殺が相次ぎ、衆議院の文教委員会で取り上げられる社会問題にまで発展した。しかし、アイドルを扱っているとはいえ、「投稿写真」は週刊誌でも芸能ゴシップ誌でもない。たまたまというか、幸運にもというべきか、死者を冒涜するかのような写真は6月号に掲載されていなかったので、緊急の差し替えのような事態を招くことなく、「編集部メッセージ」で簡単に触れただけだった(というか、それも1Cページだったのでぎりぎり間に合ったようなもので、その時点で分かっていたのは、事件の経緯くらいだったのだから、触れようがなかったともいえるのだが)。
 
  この事件の10日ほど前に、アイドルとしては岡田有希子ほどのネームバリューはないものの、遠藤康子というアイドルが同じようにビルの屋上から飛び降り自殺をしている。理由も同じく恋愛を事務所に反対されたためらしい。FFE(ちなみに新潮社の「Focus」、講談社の「Friday」、文藝春秋の「EMMA」)と呼ばれたフォトスキャンダル誌がまだまだ健在だったという背景もあったのだと思うが、'80年代においてのアイドルの"恋愛"は絶対のご法度だった。アイドルの交際宣言やデキちゃった婚報告なんてニュースは、今ではスキャンダルとして扱われることもないけれど、そのように事務所の"恋愛"に関する管理が甘くなったきっかけは、この二人のアイドルの投身自殺にあるような気がする。
 
  そんなことを考えている余裕など、その時のオレにはもちろんなく、ワイドショーの報道が終わると机に戻り、ネーム書きを再開しただけだった。