第30回

 巻頭グラビアの撮影は、今はなき羽田東急ホテルのプールで行った。一見、豪華そうだが、羽田東急ホテルのプールの撮影料は、撮影スタッフの人数分の料金(一般客と同じで、当時一人三千五百円、つまり一万四千円から二万一千円程度)を払えば一日中いてもOKのリーズナブルな設定(都内の箱スタが、安くても一時間一万円だったから、破格ともいえる)、加えて、都心から少し離れているため、利用するのは基本的にホテルの客のみでせいぜい20人程度、一時間に10分間休憩があり、全員がプールから追い出されるので、背景を無人のプールにして撮ることも可能と水着の撮影にはうってつけだった。

 江戸真樹は、これが初水着だったせいか恥ずかしそうにしていたものの、多少は業界の水に慣れたのか、それともフッ切れたのかは不明だが、初めて会った時よりは、元気だった。しかし、「お家に帰りたい」とつぶやく寂しげな表情が脳裏に焼き付いてしまったオレには、そんな姿がかえって健気に見えてますます心配になってしまった。もちろん、現場ではいつも通り盛り上げ役に徹して、そんな私情はおくびにも出さなかったが...。(余談だが、浜本さんのファミコンは江戸真樹に持たせた)

 '80年代のアイドルの水着グラビアは、なかなか敷居の高いところがあった。初水着の場合、それ自体が売りになるので、メジャーとは決していえない「投稿写真」ではセカンド、サードでもそうそう撮らしてもらえない。江戸真樹の場合も数誌がほぼ同時に掲載していたから実現したようなもので、単独だったらまず無理だっただろう。

 また、水着で撮ることが決まっても、次には事務所との衣装の打ち合わせが待っている。水着にも段階があって、ワンピース→セパレーツ→ビキニの順に難易度が高くなる。まるで、ボッタクリ風俗の"たけのこはぎ"のようだが、業界的にはそれが当たり前で、「初水着は逃しましたが、初ビキニはぜひウチで」と食い下がるのが、芸能グラビア担当の編集のあるべき態度だったのだ(実際、初水着や初ビキニが撮れれば、表紙にデカデカと謳われることになる)。

 水着がダメなら、レオタードでという搦め手もあった。エアロビクスの流行で、レオタードを着ることがファッショナブルかつ健康的なイメージを持ち、水着よりも肌を露出することへの抵抗感が少なかったからだ(傍目には、ワンピースの水着もレオタードも同じに見えると思うが)。

 そのレオタードでもダメな場合は...、「投稿写真」ならではの"奥の手"として、オレが考え出したのは、"体操着+ブルマ"だ。上半身は仕方ない(それは、別にタンクトップの衣装を着せればいい)が、下半身のラインは水着やレオタードと変わらない。'90年代に入って、シンガポール(だったと思う)で日本人学校へブルマ着用についての抗議があって以降、数年で国内でも完全に絶滅してしまい、男子も女子も同じ短パンを穿くようになってしまったが、当時の女子の体操着といえばブルマが常識。タレントも年齢的に高校生なので、抵抗感はレオタード以上に低かったし、「投稿写真」の表紙は制服の衣装だったので、表紙とグラビアがセットなら、「学校というテーマで...」とマネージャーを納得させるのも容易かった。オレが芸能担当になってから、グラビアにだけでなく、「FIインタビュー」や「アイシミュ」でアイドルがブルマ姿で誌面を飾ることが多くなったのはそんな事情からだ、決してオレがブルマ・フェチだったからではない(笑)。