第44回

 海外ロケは128日出国・11日朝帰国のスケジュールとなった。となると担当ページは11月中に撮影・取材を終えていなければならない。その上、3月号のキャスティングも見通しぐらいはついていないとヤバい。それでなくても地獄の年末進行真っただ中、1月号の入稿を進めながら、2月号のアポを並行して取り(3月号もついでに)、なんとか11月中に取材・撮影の段取りを整えた。

 大丈夫かどうか一番の心配だった森伸之の「リセ・ウォッチング実践講座」は、新年記念特別カラーと4Cページに格上げされたため、締め切りが繰り上がり、森さんの協力もあって、撮影ラッシュの始まる前に原稿を受け取れたのは福音だった。

 そして始まる撮影五連荘。

 皮切りは、11/26、「FIインタビュー」。登場してくれたのは、森恵('69310日生まれ、熊本出身)、'84年の文化放送主催・第9回「全日本ヤング選抜スターは君だ!」で入賞、大映ドラマ『乳兄弟』の準レギュラーで人気を博し、'86年の7月に満を持してのレコードデビューというそうそうたる履歴の持主だ。オレにとっては、彼女もポピンズと同様に、「投稿写真」がアイドル誌として業界的にどのように評価されているかを測る試金石のひとつだった。そして、それをクリアできたことでこの先のキャスティングに関しては、暗中模索だった着任当時と比べるとずいぶんと光に満ち溢れているように思えた。

 森恵は、歳こそ17歳だが、既に2年以上の芸能界のキャリアがあり、新人アイドルにありがちなぎこちなさは皆無、しっかりと出来上がっている感じがした。

 

 翌日は、「アイシミュ」の撮影では、モデルに泣かれる事態が勃発した。

「マイッタ! 泣いちまったんだゼ、田辺美佐子がサ。(中略)で、カメラマンさん「もっと元気に」「笑って」とか言ってもダメで、それでシクシク泣きだしてさ、か細い声で「こんなのほんとの私じゃない...」って」

 中森さんも驚いたようで、こう書いている。田辺美佐子('67326日生まれ、千葉出身)は、アイドルというよりは、女優・モデル系の新人でハーフっぽい少し冷たい感じがする美少女だった。撮影自体は順調だと思っていたのだが、カジュアルな服装からジョギング風の衣装に変えたところで事件は起きた。とはいえ、これまでにもモデルに泣かれた経験がなかったワケではないので、なんとかとりなし、最低限の使えそうなカットが撮れたところで撮影を終了させ、中森さんとの対談に切り替えた。そのおかげかどうか、対談自体は盛り上がって、無事事なきを得た。

これには、後日談があって、半年後くらいに「Don't」の表紙担当者が、ニヤニヤしながら話し掛けてきた。

「大橋も泣かれたんだったって、田辺美佐子に。俺もやられたよ。学生服着せたら(その頃の「Don't」の表紙は学生服を着たアイドルのバストアップ)、『こんなの私じゃない』って泣き出しちゃってさあ」

 どうやら彼女は、自分の気に入らない衣装を着させられると泣く常習犯だったようだ。言わせてもらえれば、芸能界に限らず一般社会においてだって"素"のままでいられるのが稀で、大抵の人間は自分じゃない自分を演じているのだと思うのだが...。