第53回

 12月11日午前7時半、飛行機は定刻通り成田空港に着いた。税関員は大量のフィルムを見つけていぶかし気だったが、現像しないと何が写っているか確認できないことを伝えると仕方ないといった様子で通してくれた。8時半のリムジンバスに乗り、会社には11時の始業前に滑り込む。フィルムを現像所行きの棚に納めて、初の海外ロケは終わった。正確には、ちゃんと現像が上がってきてこそだが、そこから先のグラビアを組む作業は編集長の仕事、オレ的には終わったも同然だった。海外ロケというとチャチャッと撮影して、プールサイドでトロピカルドリンクを飲みながらゆったりなんて光景を思い浮かべる人も多いかもしれないが、実情はこんなものだ。やることは国内の撮影と変わらない、むしろ海外ロケの方が実労時間は多いくらいなのだ。

「どうだった? ロケの方は?」
「天気も良かったんで、たくさん撮りましたから、問題ないと思いますよ」
 午後になって出社してきた編集長にロケの報告をする。
「そうか。疲れてるところ悪いんだけど、明日、酒井法子のグラビアをシュガーと相乗りで撮ることになってるから、立ち会い頼むわ」
 海外ロケは終わったが、地獄の年末進行はこれからが正念場だった。

 2月号の入稿は出発前にほとんど終えていた。残っているのは、海外ロケで撮ってきた黒木永子のグラビアのみ。11日の朝、現像に出したので上がってくるのは夕方、それを編集長が組んでその日のうちにデザイナーへ、翌日12日に酒井法子の撮影から帰ってくる頃にレイアウトが上がり、写真は速攻で印刷所へ、同じく速攻でネームやプロフィールを書いて版下屋へ、13日に上がってきた版下をファックスで校正、間違いを直してもらって完成した版下を確認して印刷所へ、事前に手配し頼んでおいたのは無論だが、予定通りのリレーで週明けの15日に無事校了した。
 残るは、3月号。
「FIインタビュー」のキャスティングがまだ決まっていなかった。気持ちは焦るがとにかく電話を掛けまくるしかない。やっとのことで、「毎度おさわがせします」のオーディションでグランプリを取った岩本雅子('72年3月10日生まれ、名古屋出身)に決まったのだが、年内の取材はスケジュール的に難しく、年明けの1月6日となった。
(これで何とか年を越えられそうだ)
 先は見えた。どこまで進められるかわからないが、最終日の26日に向けて(正確には27日なのだが、この日は会社の大掃除なので編集作業はできない)突進するのみ。

 猛チャージをかけ始めた矢先の16日に会社の忘年会が、赤プリ別館で行われた。普段の服装は自由なのになぜか正装での参加となっていて、(?)と思っていたら、編集長が、ワケを教えてくれた。
「3年前に赤プリで初めてやった時に、みんな私服で行ったら、他の客から苦情が出たらしくってその後、何年か貸してくれなくなっちゃったんだ。それで正装することになったんだ」
  実際に行ってみると赤プリの別館は、鹿鳴館を思われるような歴史のある建物で、他の会合で集まっている客は、タキシード姿だったり、「ベルばら」に出てくるような裾が帽子のように広がったパーティドレス姿(実際に着ている人を初めて見た)だったりして、確かに正装でないとまずいなと納得できる雰囲気だった。ただ、忘年会はいいとしても、昼間の会社は見渡すとネクタイ姿ばかりで、なんだか他の会社になってしまったかのような妙な感じがして落ち着かなかった。