第63回

 田中美奈子は、'87レナウンイエイエガールの準グランプリ。'87年1月号の「世間流行mono通信」でその情報は取り上げている。この当時、ミスコンが毎日のように開かれていたことは前にも書いたが、コンテストの告知や結果を情報コーナーで取り上げて、それを仕切る広告代理店や事務所に恩(というほどでもないが)を売っておき(コンテストの情報は媒体を選んでいないのか、DM並に送られてくるので困ることはなかった)、受賞者を「アイシミュ」や「FIインタビュー」に出てくれるように交渉するという手をだいぶ前から取っていた(必ずしもうまくいくとは限らないが)。この田中美奈子もその流れでキャスティングできた一人だ。

 ちょうどこの頃、同様の手管で狙っていたアイドルがいた。'86年7月号で告知、'86年11月号で結果を掲載した「第一回ポカリスエットイメージガールコンテスト」のグランプリ・森高千里だ。後にまさかあれほどまでに大ブレークするとは思わなかったが、コンテストの時点からそれなりの将来性を感じてはいた。グランプリ受賞後、糸井重里と共演のCFが話題になり、これ以上知名度が上がってしまうともう出てはくれなくなるだろうと思い、代理店の担当者にせっついていたのだ。

「とりあえず、一度会わせますよ」
 こんな返事がもらえたのが、2度目のグアムロケに行く直前。
(誌面に出てくれなきゃ、オレが会ってもしょうがないだけど...。ま、そこで担当マネジャーに紹介してもらえれば、一歩前進だ) 

 そんな気持ちでロケから帰った翌日の午後7時に渋谷のライブインに足を運んだ。
「こちらが森高です」
 ジーンズ姿の森高を代理店の担当者から紹介されたのだが、半分プライベートでライブを見に来たのか、事務所の関係者の姿はない。
「初めまして、そのうち取材させてもらうかもしれないのでよろしく」
 挨拶はしたものの、会話が続かない。そして、一分もしないうちに森高はライブ会場に戻って行ってしまった。
 本人に会わせたことで、義理を果たしたつもりなのか、その後、代理店の担当者とは連絡がつかなくなり、森高千里の「投稿写真」への登場は結局実現しなかった。