第67回

 長野知夏は、'87年1月に行われた「第二回ライオン健康プリンセス・コンテスト」(4月号の「College Gals大活劇」でレポート)で優勝、つまり江戸真樹の後輩にあたり、所属の事務所も一緒だった(江戸真樹は既に引退してしまっていたが)。担当のマネジャーも同じ人だったので、話がトントン進むかと思いきや、コンテスト直後にアポを取ったら「まだ今後の方針が決まっていないので」と断られ、この時もやっと出てくれることになったものの、やれ「カメラマンは専任がいます」だの、やれ「衣装はこちらで用意させていただきます」だの、江戸真樹の時よりずいぶんとガードが堅くなっていた(別に非協力的だったワケではない)。長野知夏本人は、ハーフっぽい顔立ちの美少女で外見からすると物静かな感じでアイドルというよりモデル向きな感じのコだった。仕事の度に実家のある京都から上京していると聞いて、いきなりの東京一人暮らしでホームシック気味なのが災いしてしまった江戸真樹の轍を踏むことのないように事務所も色々と考えてるんだなと取材に漕ぎつけるまでのガードの堅かった理由が判った気がした。
 
 城山美佳子('69年9月29日生まれ、東京都出身)は、7月号で取材した「おれは男だ! 完結編 出演者オーディション」で生徒役に合格したコ達の一人。オーディション後に誰か取材をと、主催のサンミュージックにお願いしたら、「他の事務所のコもいるので、このコだったら」とプロフィールを渡されたのが、城山だった。経歴を見てみると子役もやっていて芸能活動は長く、この時は水谷麻里のバックダンサーの一人だった。オーディション取材時は判らなかったが、出場者の中には事務所のタレントスクールの生徒が何人かいたようだ。城山は、後に林千春('70年5月20日生まれ、福島県出身)と組んで、パンプキンというディオで歌手デビュー(メンバーは途中から林に代わり、小川真澄('72年5月6日生まれ、東京都出身))する一方で、女優業も続けて現在も同じ事務所に所属している。

 '87年9月号/表紙・長野知夏/グラビア・池田純子・山岸ひとみ・林千春・城山美佳子/アイシミュ・咲浜まさえ/IDOL SCRAMBLE・島田奈美・南城真樹・山口万里子

 9月号は、7月号のオーディション取材、8月号の城山美佳子インタビューに続き、女生徒役4人のサイパンロケのグラビア、そしてロケ取材と映画「おれは男だ! 完結編」のプロモーション誌のようになっている(笑)。
 サイパンロケは、映画のプロローグでサイパンでの撮影があるということで、カメラマンのWさんが撮影の合間に撮ってきてくれることになり実現した(こうでもしないと予算的に4人をサイパンロケに連れていくなんてできない)。海外ロケのお楽しみ(?)の衣装会わせも、ちゃんとサンミュージックの会議室をお借りして行い、4人のコ達の水着姿をゲップが出るほど堪能できた(もちろん本来の目的である衣装選びはちゃんとやった上で)。
 その翌日の朝9時に、森田健作さんの母校、正則高校で映画のクライマックスシーンとなる剣道試合のロケを取材するため、カメラマンのKさんと取材に向かった。
 ロケ現場である体育館に入って、森田さんのマネージャーのIさんに挨拶するとわざわざ森田さんを呼んで、紹介してくれた。
「こちら、取材とかでお世話になってる大橋さん」
 Iさんの言葉が終わらないうちに、
「どうも、森田です」
 いきなり右手を差し出され、握手。"青春の巨匠"の名にふさわしいさわやかさだ。
 前の日に顔を合わせていた4人も当然ながら覚えていてくれたので、カメラを向けると笑顔で目線をくれる。取材はとてもやりやすかった。
 取材の合間に体育館の外に出て、タバコを一服していた時、ふと気付くと隣に森田さんが来ていて、外を眺めている。
「撮影も大変でしょうけど、オーディションも大変でしたね」
 とりあえず、当たり障りのないネタで話しかけるオレ。
「いや~ぁ、あれだけたくさんだとねえ~。いろいろしがらみとかもあるし...」
 ちょっと苦い顔をしながら森田さんが答えた。
「そうですか...」
 雰囲気からあまり突っ込んで聞くのは失礼かな? と思ったオレは、それで会話を打ち切った。
 映画の撮影は、ワンシーンをリハーサル、テスト、本番と最低3回繰り返す。シーンによっては角度を変えて撮るため、同じ演技を6回以上繰り返すこともある。もちろんNGが出ればやり直し。リハーサルの時点から、本番同様の緊張感に包まれ、監督のOKが出るまでそれが続く。照明や音響などのスタッフも含め、演じている方が大変なのはもちろんだが、見ているだけでも結構疲れる。
 午後3時過ぎ、取材開始から6時間、さすがに疲れを感じてきた時、現場がざわざわし出した。
(何かトラブルかな?)
 森田さんを中心にスタッフが3、4人集まって話し合っている。それをなんとはなしに眺めているとくるりと振り返った森田さんと目があった。すると、森田さんはオレのところに駆け寄ってきた。
「大橋さん、すいませんけど審判役で出てもらえませんか?」
 トラブルはどうやら審判役の人間が足りないことのようだ。とはいえ、いきなり映画に出ろといわれても、こちらは演技のえの字も知らない素人だ。なにか間違いを起こしてもマズい。しかし、監督でもある森田さんから直々に頼まれて、簡単にソデにするわけにもいかない。まして"青春の巨匠"のさわやかオーラバリバリで頼まれたら、イヤとはいえそうにない。
「すいません。剣道のルールも知らないので、審判役はちょっと...。何か迷惑を掛けてしまっても困りますし、仕事で来ているので目立つ役はできかねます。エキストラみたいな観客役とかなら喜んで」
 森田さんは少し考えた後、
「じゃ、観客役でお願いします」
 こうして、オレの人生でおそらく最初にして最後の映画出演が決まってしまった。後で出来上がった作品を観たら、試合場の全景のカットで一瞬だけ写っていた。
 その後も撮影は続いていたが、体育館を借りられるのがその日一日だけで、必要なシーンを取りきるまで続けると聞き、とても最後まで付き合えないなと午後8時に現場を後にした。
 12時間以上の取材ということもあるが、それ以上に現場に張りつめた緊張感のせいで、精神的に疲れていた。帰りのタクシーの中でグッタリした体をシートに沈めると頭の中を
(いや~映画って本当に大変ですね)
 水野晴郎お決まりのフレーズをもじったセリフが何度もリフレインした。