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12月3日(金)

 西日暮里駅の改札で、私は父親を待っていた。

 昼間は何か季節を間違っているのではないかと思わされる陽気だったが、さすがに日が暮れると風は冷たくなっていた。コートを着た多くのサラリーマンが一足早い忘年会のためか、その改札で待ち合わせをしているようだった。私はすこし離れたところに立って、父親が来るまで本を読んでいた。

 私は待ち合わせに遅れたことがほとんどない。6時30分の待ち合わせなら、6時20分には待ち合わせ場所にいる。あるいはもっと早く着いてしまうことも多い。人を待たせたくない。いや私は人を待つのが好きなのかもしれない。

 しかし私の父親は、旅行に行くにも1週間前にはカバンに荷物を詰め終えてしまうような男だ。そしてその旅行カバンを三日前から玄関に置いていたりする。こういう人と待ち合わせしたとき、どれくらい早くいけばいいのかまったく見当がつかない。とりあえず30分前に改札を覗いたがまだいなかった。

 39歳の息子である私と67歳の父親が、一軒の居酒屋で酒を飲む。といっても込み入った話があるわけでなかった。またいつもそうしているわけでもなかった。ただ私が幼なじみと酒を飲もうとしたとき、その目当ての居酒屋が父親の行きつけの店だった。それで声をかけてみたところ、一緒に行くことになった。声をかけた時点で、私と幼なじみの頭には、ただ酒という想いが浮かんだ。小学生が近所のおじさんにアイスを奢ってもらうような気分と言ってもいい。

 駅の改札に立って、私は幼き頃のことを思い出していた。
 私の家は、私が小学校5年生のときに父親が会社を起こし、しばらく貧乏生活に陥るのだが、それ以前の父親がサラリーマンだったときは、毎月給料日になると地元の駅で父親を迎え、焼き肉やうなぎを食べに行っていた。それが唯一の贅沢であり、当時の娯楽といえばそんなことしかなかったのかもしれない。

 私はその給料日が近づくとそわそわし、5歳離れた兄貴と今月は何を食べるかと熱心に話し合っていた。そうして給料日当日を迎えると、私は電話の前に座って、父親から電話がかかってくるのを待った。

「お父さんだけど、今、北千住の駅。17時48分の電車に乗るから、武里駅に着くのは18時25分だな」

 私は電話を切ると、そのまま母親に伝えた。今にも玄関を飛び出しそうな私を、母親は「まだ時間があるでしょう」と抱きしめるようにして止めるのであった。そして時間が近づくと母親は私と兄貴に上着を着せ、駅へ向かって歩き出した。遠くに見える駅の灯りは、とてもまぶしかった。

 あれから30年以上の月日が流れ、私はまた父親を駅で待っていた。
 果たして今晩、酒を飲みながら父親と話すことがあるだろうか。日頃疎遠というわけでもないし、もう私も家計を独立して十年以上が経っている。父親から教わるべきことはすべて教わったような気もする。だから話すことなんて何もないかもしれない。いったい子どもの頃の私は、父親と何を話していたのだろうか。


★    ★    ★

 2週間ほど前の週末、私は朝6時に起きて、娘のサッカーの大会に行っていた。
 そこで春からコーチをしているので、娘だけでなく、子どもたち十数人の世話をしているのだ。その日は地域の大会で、子どもたちはずっと前から優勝したいと騒いでいたのである。

 残念ながら1試合目に当たった相手が強敵で、あっけなく敗戦してしまい、下位のブロックに入ってしまった。何人かの子はその試合の後泣いていたが、私は「サッカーは楽しむもんだから泣いたらダメだ。泣くくらいなら練習頑張ろう」と声をかけていた。

 夕方まで5試合をこなすと身体を動かしていない私もヘトヘトになってしまう。荷物の整理をし、娘とともに車に乗り込んだとき、大きなため息が口から出た。

 家に帰ると娘とともにシャワーを浴びたが、私は休む間もなく、娘と外に出た。
 その日は近所で同年代の子どもがいる家族が集まって、バーベキューパーティをする予定だった。妻と息子はすでに会場である大きな庭のある家に行っており、私はビールケースを抱え、いい匂いをさせ、もくもくと煙をたてているほうへ歩いて行った。

 ビールを2杯飲んだところで、どうも私は椅子に座って寝ていたようだ。妻から「帰って寝れば」と肩をゆすられ、そのことに気付いた。子どもたちは肉を焼いているバーベキューコンロに群がり、大騒ぎしている。面倒をみなければいけないのだが、私の身体は疲れきっており、それどころではないようだった。

「すいません、朝、早かったもんで」
 と近所の人たちに謝り、私は、ふらふらとひとり自宅に戻った。
 コタツの電源を入れると、そのまま寝入ってしまった。

 どれくらい時間が過ぎたのだろうか。
 玄関が開く音がし、5歳の息子の声が聞こえてきた。
「パパ、大丈夫かな? ぼく、見てくるよ」
「大丈夫よ、寝てるでしょう」妻が諭すように言うが、息子は居間のある2階に駆け上がってきた。

「ダメだよ、こんなところで寝ちゃ」
 私はコタツの熱さから抜け出し、フローリングの床に横になっていた。
「まったくもう」
 息子は、そういって寝室に入って行くと押し入れを開け、布団を出しているようだった。何枚かの布団がずり落ちる音がし、これはお姉ちゃんの布団で、これはママのかなんて言いながら、私の掛け布団を引きずってきた。

「ほら」
 私の身体に布団をかけると息子は抱きつくようにして、私の頰に頰を寄せてきた。
「パパ、風邪引いちゃダメだよ。だってぼくパパのこと大好きなんだから」

 そして息子が私の手を握ってきた。
 それは生まれた頃よりずっと大きくなっているけれど、まだ私の手にすっぽり埋ってしまうような手だ。でもその手は、とても暖かかった。

★    ★    ★


 父親を待ちながら、私はまた考えていた。
 私にいつか息子とこうやって酒を飲む時が来るだろうか。
 そのとき私には息子と話すことがあるだろうか。

 照れでもなんでもなく、私にはあまり話すことがないような気がした。

「おやじ、まだサッカー行ってるの?」
「もちろんだよ。相変わらず弱いけどな」

 そんな会話しか私には思い浮かばない。

 しかしそこで、どうしてもひとつだけ息子に話したいことがあることに気付いた。
 それは、この前、私の手を握ってくれたように、私が死ぬときには私の手を握って欲しいということだ。娘とふたりで私の手を握って欲しい。ただ、それだけどうしても伝えたい。

 そうしてそれは、その夜、私が父親と話すべきことでもあった。

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