7月8日(火)伝える

本日も激暑の中、出社。会社に着いただけで何事か成し遂げた気分に。昨日書店さんに案内したFAX注文書の返りがよく、大変うれしい。

午前中、会議。神保町ブックフェスティバルを盛り上げたいという意見がでるも具体策はないようで、いろいろと話す。要するに2日間のためにどこまで労力と予算を投入するのかという話だ。お金をかけないで面白いものを作るには自分たちが努力しなければならない。というわけで家内制手工業のような企画で、各自手を動かすことにする。

午後、G社のOさんがプルーフをたくさん抱えてやってくる。プルーフが作れて羨ましいと思っていたら、講談社からは以前送られてきていたプルーフの新装版が送られてきてびっくり。プルーフを新装するなんて、さすが出版界の銀河系軍団レアル・音羽だ。



しかし『本を売る技術』で矢部潤子さんも話していたが、PR誌での扱いやこうしたプルーフの様子を見て、出版社がどれだけその作品に力を入れようとしているかを書店員さんは見定めているのだった。そういえばNetGalleyが立ち上がった頃、「あそこにあがっている作品はその出版社がたくさん売ろうとしているんだ」と判断していた書店員さんがいた。

これは売れる本です、我が社が今期、力をいれて売ろうとしている本なんです、というのを伝えていくのが大切なのだ。

7月7日(月)ほかほか

猛烈な暑さの中、定期購読者分の「本の雑誌」8月号が納品となる。ほかほか(本当にあったかい)のできたてをさっそく封筒につめていく。

午後、とある会議を見守り、その後、さくら通りの「げんぱち」で打ち上げ。

7月6日(日)盛田軒

  • ムーア人による報告 (エクス・リブリス)
  • 『ムーア人による報告 (エクス・リブリス)』
    レイラ・ララミ
    白水社
    4,620円(税込)
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昼、息子に誘われ、さいたま市北区宮原の元浦和レッズ選手盛田剛平さんが営むラーメン屋「盛田軒」にいく。とり担担を食す。美味。

自宅に帰り、居間のクーラーの風に当たりながら、レイラ・ララミ『ムーア人による報告』(白水社)を読み出すと、これがめっちゃくちゃに面白いのだった。

書店で手にした時、冒険ものだけどノンフィクションじゃないのかとちょっと残念に感じたのだけれど、それは大間違いだった。これは小説だから描ける視点であり、物語なのだった。没頭して読む。

7月5日(土)佐野元春「45周年アニバーサリーツアー」初日

先行抽選に外れまくり、最後の一般発売で娘が即完の間隙をぬって確保してくれた佐野元春&ザ・コヨーテバンドのライブをさいたま市文化センターへ観にいく。

本日初日のツアーは、「45周年アニバーサリー」と銘打たれており、1980年に「アンジェリーナ」でデビューしてから45年経ち、「つまらない大人にはなりたくない」とも歌った佐野元春は、69歳になっているのだった。まったくそうは見えないけれど。

ステージに掲げられた45thという文字を見て、すごいなあと驚嘆していたのだが、よく考えてみたらわが「本の雑誌」は50周年で、佐野元春より5年も長く活動を続けているのだった。

一緒にするなという内なる声が聞こえてくるが、ここは問答無用で一緒にして考えてみたい。

最近私は、あちこちに出かけ本を売っているのだが、そのたびに「本の雑誌」の読者の人が足を運んでくれ、「本の雑誌」はバンドみたいなものなのかもと考えていたところなのだ。

佐野元春と「本の雑誌」はどうしてこんなに長く活動を続けて来られたのか。

もちろん大元には衰えぬ創作意欲がある。いい曲、新しい曲を作りたいという想いがあるから佐野元春はコンスタントにアルバムを発表し続けている。「本の雑誌」も面白い本を紹介したい、面白い雑誌を届けたいという一心で毎号作っている。びっくりされるかもしれないが、私は真剣にそう思っているのだ。「今月も面白かったです」という言葉以上に嬉しい言葉はない。

そうした創作意欲は無くてはならないものだけれど、それと同時に受け止めてくれるリスナーや読者、すなわちお金を出して買ってくれる人がいなければ活動は続けられない。

佐野元春も「本の雑誌」も一応経済活動なので、次のアルバムや号を出せるだけの売上がなければ活動を続けることはできないのだ。

佐野元春はステージ上で45周年を振り返り、「皆様に感謝しています」と頭を下げていたけれど、「本の雑誌」もまったく同じ想いなのだった。

ライブは最高だった。次は佐世保。

7月4日(金)児玉隆也・桑原甲子雄『一銭五厘たちの横丁』

  • 一銭五厘たちの横丁 (ちくま文庫こ-59-1)
  • 『一銭五厘たちの横丁 (ちくま文庫こ-59-1)』
    児玉 隆也
    筑摩書房
    1,100円(税込)
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    HMV&BOOKS

朝、京浜東北線に揺られ、鶯谷を通過したところで読み終えた児玉隆也・桑原甲子雄『一銭五厘たちの横丁』(ちくま文庫)は、すごいルポルタージュだった。

帯に小さな文字で「傑作ルポ」と記されているけれど、そんなささやかなレベルの「傑作」ではない。帯にでかでかと「日本を代表するルポルタージュの傑作」と書くべき作品だ。

昭和18年、太平洋戦争の最中、出征している兵隊、すなわち父や子や兄弟に向けて、日本にいる家族の写真を送るべく台東区の下町に暮らす99の家族はカメラの前に立った。

30年後、その写真のネガを手にした著者は、偶然写り込んだ暖簾の屋号や用水桶の屋号といった人物の背景を頼りに、町を歩き、一軒一軒扉をノックし、写真にうつる氏名不詳の人たちのその後を追う。

元気な人もいる。引っ越してしまった人もいる。戦争から帰ってきた人もいる。しかし、この本一冊でいったい何人の人が死んでるんだ⁈と驚くほど、たくさんの人が亡くなっている。

これは小説ではないのだ。実際に人が死んでいるのだ。

それでも多くの人が淡々と戦争のことを話している。空襲でまつ毛もヒゲも背中も焦がしたことや戦地で飢えをしのぐために軍靴の底皮をスープにしたりネズミを食べたこともなぜか淡々と話す。

最近、私は母親の介護しながら半生を聞き出している。母親は昭和15年の生まれだから一番大きな出来事はやはり戦争のはずで、戦時中の話も当然出てくる。しかし、なぜかとても淡々としているのだ。

母親は東京で生まれ東京で育ったから空襲に遭えば、疎開もしている。長兄は戦争にも行っており、相当の辛酸をなめ苦労をしていると思うのだけれど、お腹が減ったこと以外はほとんど感情もこめず淡々と話すのだった。

著者自身も自分が出会った人たちが淡々と話すことに「〈なんだろうなんだろう〉と首をかしげ続け」「この露地の人びとは、とかくレポーターを喜ばせがちな〝 〟や「 」でくくれる、気のきた言葉を持っていない」と思う。

私もずっとなぜなんだろうと思いながら母親の話を聞いていたのだが、この本を読んでその理由がわかった。わかった瞬間、涙がどっとあふれてきた。

1975年に晶文社から刊行され(津野海太郎さんの編集だ)日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、2000年には岩波現代文庫となり、そして2025年の今年、ちくま文庫から再刊されたこんな大名著を今まで未読だったのが恥ずかしい。しかし恥を忍んで言ってしまおう。

『一銭五厘たちの横丁』は、ルポルタージュの王様だ。

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