7月4日(金)児玉隆也・桑原甲子雄『一銭五厘たちの横丁』

  • 一銭五厘たちの横丁 (ちくま文庫こ-59-1)
  • 『一銭五厘たちの横丁 (ちくま文庫こ-59-1)』
    児玉 隆也
    筑摩書房
    1,100円(税込)
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朝、京浜東北線に揺られ、鶯谷を通過したところで読み終えた児玉隆也・桑原甲子雄『一銭五厘たちの横丁』(ちくま文庫)は、すごいルポルタージュだった。

帯に小さな文字で「傑作ルポ」と記されているけれど、そんなささやかなレベルの「傑作」ではない。帯にでかでかと「日本を代表するルポルタージュの傑作」と書くべき作品だ。

昭和18年、太平洋戦争の最中、出征している兵隊、すなわち父や子や兄弟に向けて、日本にいる家族の写真を送るべく台東区の下町に暮らす99の家族が写真を撮った。

30年後、その写真のネガを手にした著者は、偶然写り込んだ暖簾の屋号や用水桶の屋号といった人物の背景を頼りに、町を歩き、一軒一軒扉をノックをし、写真に写った氏名不詳の人たちのその後を追う。

元気な人もいる。引っ越してしまった人もいる。戦争から帰ってきた人もいる。しかし、この本一冊でいったい何人の人が死んでるんだ!?と驚くほど、たくさんの人が亡くなっている。

これは小説ではないのだ。実際に人が死んでいるのだ。

それでも多くの人が淡々と戦争のことを話している。空襲でまつ毛もヒゲも背中も焦がしたことや戦地で飢えをしのぐために軍靴の底皮をスープにしたりネズミを食べたこともなぜか淡々と話す。

最近、私は母親の介護しながら母の半生を聞き出している。昭和15年の生まれだから一番大きな出来事は戦争だったはずで、戦時中の話も当然出てくる。しかし、なぜかとても淡々としているのだ。

母親は東京で生まれ東京で育ったから空襲に遭えば、疎開もしている。長兄は戦争にも行っており、相当の苦労をしていると思うのだけれど、お腹が減ったこと以外はほとんど感情もこめず淡々と話すのだった。

著者自身も淡々と話すことを「〈なんだろうなんだろう〉と首をかしげ続け」「この露地の人びとは、とかくレポーターを喜ばせがちな〝 〟や「 」でくくれる、気のきた言葉を持っていない」という。

私もずっとなぜなんだろうと思いながら母親の話を聞いていたのだが、この本を読んでその理由がわかった。わかった瞬間、涙がどっとあふれてきた。

1975年に晶文社から刊行され(津野海太郎さんの編集だ)日本エッセイスト・クラブ賞を受賞し、2000年には岩波現代文庫となり、そして2025年の今年、ちくま文庫から再刊されたこんな大名著を今まで未読だったのが恥ずかしい。しかし恥を忍んで言ってしまおう。

『一銭五厘たちの横丁』は、ルポルタージュの王様だ。

7月3日(木)共同作業

二日ぶりに出社すると、編集の松村と近藤も作品名索引のチェックを終えており、朱字を入れたゲラが集まってくる。

私はもちろんのこと、編集の松村も北上さん(目黒考二)にはたいそうお世話になっており、そもそもの索引に引き出す作家名と作品名そして読み仮名をプログラムを組んで抜き出してくれたのだった。

近藤が入社したのは北上さんの亡くなった後であり面識はないのだけれど、この本の本の雑誌社にとっての重みを感じ、1100ページ以上のゲラを読み、さまざまな確認をしたのだった。

そしてこの大著をレイアウトしてくれているのは元本の雑誌社の社員である金子さんで、金子さんは編集のことはすべて目黒さんから教わったというほどの愛弟子であり、言葉では伝えてこないもの手間のかかるレイアウトはそういう思いを詰め込んでいるのだろう。

もしかすると『新刊めったくたガイド大大全』は、北上次郎さんにとって最後の新刊になるのかもしれない。

おそらくみんなにそんな気持ちがあるからこそ、こうして「手伝いましょうか」という言葉が自然に出て、共同作業で作っているのだ。

7月2日(水)引き続き自宅作業

本日も自宅にて朝4時半から作品名索引と本文の引き合わせ作業に没頭。夕刻、すべて終える。

7月1日(火)自宅作業

4時半起床。走りに行こうかと思ったものの、一日のうちで唯一涼しいと思える早朝の時間帯に、昨日会社から持って帰ってきた『新刊めったくたガイド大大全』の作品名索引の引き合わせをしないと相当効率が落ちるだろうと思い直し、リビングのテーブルにパソコンとゲラを広げ、引き合わせを始める。

ところが6時を過ぎると窓から燦々と日が当たり手元に汗が滲み出す。11時にクーラーをつけ、夕方まで延々と索引と本文を照らし合わせる。

この作業、AIでできそうであり、もしかしたらできるかもしれないのだけれど、その場合、自分は機械に任せるだろうか?と思わず考える。

正確性でいえば機械のほうが間違いがないだろう。しかし、こうしてひとつひとつの作品名を見て、北上さんの原稿を読むということは、本に魂を込めるような作業でもあり、仏像を掘っているようなものなのだった。そうした想いが伝わるものだからこそ、私は本や出版という活動が好きなのである。

それにしても延々とコピペして検索して確認してという作業は退屈であり、やはりこれは機械に任せて、その時間を有効に活用したほうがいいのではと心が揺らぐ。

夜、先日社内でたこ焼きパーティをやったときの残りの角瓶を、「天然水SPARKLINGレモン」で割って飲む。家で飲むハイボールはうまい。井川遥がいなくても、帰らないでいいという安心感が酒をうまくしている気がする。

6月30日(月)作品名索引

猛烈な暑さ。母親を介護施設に送り出し、春日部より出社。それにしても、なんの不満も漏らさず笑顔で手を振って車に乗り込む母親に大感謝である。

週末に終えた著者名索引の修正をゲラに写し、週末のうちに届いていた作品名索引を刷り出す。そのページ数はなんと38ページ。著者名索引の倍ちかくあるではないか。これをひとりで確認していては入稿日に間に合わなくなるだろう。なので編集の松村と近藤に分担してもらう。

午後、営業にでかける。とにかく暑い。身の危険を感じる暑さだ。部活同様、営業も暑さ指数31度を超えたら活動停止したほうがいい。あるいは夕方からの勤務にするか。

書店さんで伺うと、それでも雨の日のよりは売上はいいとのこと。昨今、雨の日はとにかく本が売れないという。

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