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7月30日(火)『謎の独立国家ソマリランド』講談社ノンフィクション賞受賞!

謎の独立国家ソマリランド
『謎の独立国家ソマリランド』
高野 秀行
本の雑誌社
2,376円(税込)
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 17時32分、胸ポケットに入れていたスマホがぶるぶると震えだした。画面には「高野秀行」と文字が浮かんでいた。

 高野さんは7月はじめから奥さんと犬を連れてタイを旅行しており、数日前にかつて日本語講師をされていたチェンマイに宿をとったと連絡があった。

 通話ボタンを押す前に深呼吸を何度かした。なぜならその電話は「講談社ノンフィクション賞」を受賞したか、しないかを知らせる電話のはずだったからだ。

 候補に選ばれたと聞いた瞬間から、私は高野さんが受賞することを祈り続けてきた。営業中に見つけた寺社仏閣にはすべて飛び込み、先週末は毎年浦和レッズが優勝を祈願する浦和の由緒正しい神社、調神社まで自転車を走らせ、大枚を賽銭箱に投げ入れた。

 スマホの画面をみながら、頭のなかで何度もリハーサルを繰り返してきた台本を思いだす。

高野「(興奮気味に)獲ったよ」
杉江「(わかっているのにとぼけた様子で)えっ? 何をですか?」
高野「講談社ノンフィクション賞を受賞したんだよ、杉江さん!」
杉江「おめでとうございます。(号泣)」

 あるいは

高野「(小さな声で)杉江さん、ごめんダメだった」
杉江「えっ......、いや関係ないっす。本は素晴らしいわけですから」

 電話は揺れ続けている。早く出なくては切れてしまうかもしれない。最後にもう一度深呼吸し、「獲ったよ」であることを祈りながら、通話のボタンを押した。

「聞いた?」

 えっ?! それは私の台本にはないセリフだった。
 まるで今晩どこかで飲み会があり、その予定が私のところに伝わっているか確認するような口ぶりだ。

「うん? 聞いてない?」

 高野さんの言葉に私は混乱した。いったい何のことを言っているんだろうか。

 なぜならこれまで候補作に選ばれた際も選考会のスケジュールに関しても一切賞を運営する団体から本の雑誌社には連絡はなく、すべて高野さんを通して伺っていたのだ。

 もし高野さんが「聞いた?」と確認してきていることが、賞の受賞・未受賞に関してのことならば、私が聞いているわけがないのである。だからこそ、今日はずっと高野さんからの電話を待っていたわけだし、何度も頭のなかでリハーサルしてきたのだ。

「何も聞いてないっすよ」

 若干不機嫌になりながら答えると、通信状態の悪い電話の向こうから高野さんの小さな声が聞こえてきた。

「あっ、そうか。あのね、今、講談社ノンフィクション賞受賞したって連絡があったよ」

 リハーサルで考えていた言葉は何も出てこなかった。
 ただただ「おめでとうございます」と「よかったですね」を繰り返していた。

★    ★    ★

 高野さんとの電話を切ってから、高野さんがここにいないことを寂しく思った。

 一緒に連絡を待ち、受賞したならば、まるでロスタイムに決勝ゴールを決めたサッカー選手にみんなが飛びつき緑の芝生に転がるように、私は高野さんに飛びつきたかった。両手を突き上げ、雄叫びをあげ、肩を組んで勝利の歌を歌いたかった。

 それなのに高野さんは遥か遠くチェンマイにいた。
 そこが朝なのか夜なのかも私にはわからなかった。タイのどの辺にあるのかも知らなかった。でも高野さんといたかった。

 この喜びをどうしたらいいのかと思っていたら、机の上には一週間前から作っていた受賞した場合にやるべきリストが置いてあった。

・ネットへの情報アップ
・書店さんへのメール
・注文書のFAX送信
・帯の付け替え
・関係者への連絡
 ......

 12個ほどやるべき仕事があった。もし私が普通の編集者だったならば作家と喜びを分かち合えばいいのだけれど、私の本職は営業だった。営業マンは受賞が決まると同時に動き出す仕事がいっぱいあった。私は高野さんの本を一冊でも多く売らなければならないのだ。一人でも多く高野さんのファンを増やしたい。

 それから各書店さんの仕入れの方々にメールを出し、数百冊の本の帯を受賞帯に付け替えた。受賞帯は一か八か刷っておいた。そしていつも本の雑誌社の本を大切に売っていただいている書店さん一軒一軒に、注文書のFAXを送った。注文書には「受賞! 講談社ノンフィクション賞」と大きく書いた。

 夢が現実になっていった。

★     ★    ★

 結局仕事は終わらず、パソコンを持ち帰った。家の明かりは消えており、家族はとっくに眠りについていた。

 ひとまず夕飯を食べようと冷蔵庫を開けたらバースディケーキがあった。もう日付をこえてしまっていたけれど、その日は私の42回めの誕生日だった。

 おそらく息子や娘は、このケーキを早く食べたくて大騒ぎしていただろう。しかし妻から「パパが帰ってきてからでしょう」と何度も諌められ、我慢したのだ。

 食べればよかったのに......と思った瞬間、涙があふれて止まらなくなった。

 高野さん、おめでとうございます。
 そして、ありがとうございました。

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