第20回

 8月号に関しては、編集長出頭事件があったり、自分自身が初めての休暇を取っため、担当は7月号と同じだったが休んだ分、忙しかった。
 
  ある日の夕方、ヌードグラビア撮影からK先輩が帰ってくるなり、
「いや~、今日のコは良かったよ!!」
 かなり興奮気味だ。一般人ならともかく、アダルト雑誌の編集者がヌードの撮影から帰って来て、興奮しているというのはむしろ異常である。
「新田恵美っていうんだけどさ。名前の通り、新田恵利(おニャン子クラブ・会員番号4)にそっくりでさぁ」
 K先輩は、自他共に認めるサン出版一のおニャン子ファン。とりわけ、新田恵利がオキニだった。そっくりさんとはいえ、本人のヌードを拝めたかのような盛り上がりだ。
「どんなコなんですか?」
「これこれ」
 K先輩が、宣材と試し撮りのポラロイド写真をカバンから取り出す。
「こりゃ、似てるねえ。Kクンが喜ぶのも無理ないや」
「年齢も新田恵利と同じじゃない」
「本人よりもプロポーションがいいんじゃない。本物はどうみてもAカップがいいとこだし」
「人気出そうだねえ」
 なんだなんだと集まってきた他誌の編集部員も集まって品評会が始まる。しかも、絶賛の嵐だ。オレももちろん拝見させてもらったが、確かにみんなの評価通りの容姿だった。
 
 新田恵利は、河合その子・吉沢秋絵に続き、その年('86)の1月1日、「冬のオペラグラス」でソロデビュー(女性歌手としては、初の新人初登場オリコン第一位)。河合その子や国生さゆりのような美少女タイプではなかったが、「素人っぽさ」をウリにしていた当時のおニャン子クラブでは、「100万ドルの笑顔」と称された"新田ちゃんスマイル"でファンの心をガシッとつかみ、異論はあるかもしれないが、まさに"おニャン子の顔"だった。
 
 当時は、タレントの個人情報管理は甘く、埼玉県在住と公表していたため、実家にファンが押し寄せ、表札を盗まれたり、部屋を荒らされたりなどの被害にもあったらしい。社内にも埼玉に住む同じ名字の編集長がいたのだが、この頃、見知らぬ人から、
「恵利さん、いらっしゃいますか?」
 と尋ねる電話が家に何回か掛ってきたそうだ。当の本人は新田恵利の存在など全く知らなかったらしく、
「なんで家にそんな電話がかかってきたのかねぇ」
 不思議そうな顔で訊かれた。
「おニャン子で超人気のあるコなんですよ」
 一通りの状況を説明すると、
「最近のアイドルファンは怖いねぇ」
 と驚いていた。おそらくは、何千という過激なファンが、埼玉県中の"新田家"に似たような電話を掛けていたのだろう。今だったらそうした情報はネットを駆け巡り、もっと大変なことになっていたかもしれないが、まだ、ネットが普及する20年近く前なので、逆に微笑ましい気がする。
 
 人気タレントのそっくりさんヌードは、未だに週刊誌などの企画として健在だが、新田恵美のそっくりさ加減は、群を抜いていてアダルト雑誌の編集者がびっくりするほどだった。案の定、新田恵美は、しばらくの間、発売されている雑誌に登場していない号がないくらいの売れっコとなる。オレが知っている限りでは、彼女の出現は業界的に宮沢りえのヘアヌード写真集「Santa-Fe」の広告が新聞に掲載された時と同じぐらいの衝撃だった。