第35回

 11月号で最も大変だったのは、表紙・巻頭グラビアの撮影。Fカメラマンが、
「このところ、近場で同じような撮影が続いてるから、ちょっと違う場所で撮りたいな」
 と言うのだ。違う場所と簡単に言われても、そんなに場数を踏んでいるわけでもないし、学生時代に遊んでいていいロケーションの場所を知っているわけでもないオレは、返答に詰まってしまった。その時、ふっと浮かんできたのは、何年か前に東ケト会で行った猿島だった。

「猿島っていう神奈川県にある無人島なんですけど、どうですか? 今ならシーズンは過ぎてるから、あんまり人もいないし、小さいですけど砂浜も岩場もあるし、旧日本軍の施設なんかもあって、面白いとは思いますけど」
「そうか、じゃ、そこにしよう」

 Fカメラマンは、そんなに考える風でもなく、あっさりと同意してくれたのだが、それからが問題だった。東ケト会で行った時は、羽田から船で東京湾を横断して猿島に向かったので、陸路でどうやってアクセスするのかわからない。まずは、神奈川県の観光協会の電話番号を調べ、そこに電話して猿島への定期便が出ている港を教えてもらう。そして、定期便を出している会社に連絡を取り、往復の時刻を確認する。都内から港までのルートを地図で調べ、出港に間に合うように集合時間と場所を決める......今ならネット検索でほとんどの情報がすぐに手に入れることができるのだが、アナログ時代はそれが当たり前だった。

 撮影当日、港まではすんなりと着くことができたのだが、今度は撮影機材をすべて車から降ろし、乗船しなければならない。通常のロケなら、メイン機材のみを運んで残りは車などに置いておいても必要になったらすぐ取りに行けるのだが、四方を海に囲まれた無人島ではそうもいかない。昼飯用の食料や飲み物も含め、"ひょっとしたら必要になるかもしれない"と思われるものはすべて持って行かなくてはならないのだ。カメラマン、モデル、スタイリスト、メイク、そしてオレの5人は、少なからずいた他の乗客に奇異の目で見られながら、大荷物と共に乗船することになった。

 2年ぶりの猿島は、前に来た時と雰囲気こそ変わらなかった。しかし、よく考えてみると前回、猿島に来た時は夕方に着いて次の日の昼に帰る、いわば出張宴会のようなもので猿島の昼の顔はほとんど見ていない。

 スタッフが撮影準備をしている間に岩場に出てみてビックリ!! フナ虫の大群だ。大群という表現では、足りないかもしれない。岩という岩がすべてフナ虫に覆われていた。怖々、足を踏み入れると、足を置いた岩に群がっているフナ虫が、ザザザッと音を立てながら、潮が引くように逃げてゆく。一歩踏み出すとザザッ、また一歩出すとザザッ、まるで足音がザザッとしているかのようだ。

(モデルが虫嫌いだったらヤバイな)

 ザザザザと音を立てて歩きながらオレは、初めて見る昼の猿島の姿にたじろぎ、撮影が無事済むように祈るしかなかった。

 幸い、モデルの真田結季子は、虫嫌いではなかったようで(もちろん、撮影前に人払いならぬ虫払いを徹底的にしておいたし、本人的には我慢していたのだろうが)岩場の撮影もすんなりと終了できた。
 
 ところが、一難去ってまた一難、緑というよりもジャングルといった方がふさわしい木々や蔦に囲まれた旧日本軍の施設跡での撮影で、ヤブ蚊が待ち構えていたのだ。もちろん、蚊がいることは、想定の範囲内だったので虫よけスプレーは用意してあったのだが、ヤブ蚊には効かないようで、真田結季子の太モモに何カ所も刺され跡ができてゆく。

「大丈夫ですよ。大橋さん」

 メイクのKさんが、ファンデーションを混ぜて、日焼けが少し残っている真田結季子の太モモの色に合わせて塗ると刺され跡は魔法のようにきれいに消えてしまった。おかげで、撮影はストップすることもなく順調に続けることができた。変な話だが、後にも先にもメイクの技術でこの時ほど感心したことはない。

 そんな困難を乗り越えたかいもあって仕上がりは上々だったが、この時の苦労で懲りたのか、オレはもちろんFカメラマンも二度と「猿島で撮ろう」と口にすることはなかった。