第69回

 '87年11月号/表紙・絵本美希/グラビア・姫乃樹リカ/アイシミュ・山崎真由美/IDOL SCRAMBLE・渡瀬麻紀・絵本美希・盛本真理子
 
 この号は、珍しく表紙とインタビューの絵本美希('69年11月23日生まれ、北海道出身)が被っている。元々は、第一回"レモンエンジェルス"オーディションの取材に行って、グランプリを取った絵本のインタビューでアポを取っていた。けれども事務所の社長がなかなかに押しの強い人で編集部にまでやってきて「今後も「投稿写真」には全面協力するから、インタビューだけじゃなく表紙とグラビアもやってほしい」とせがまれ、編集長共々その押しに負けてしまったのがその理由だ。「全面協力」の言葉はウソではなく、その後、島えりかと桜井智の3人で結成されたレモンエンジェルは、度々誌面に登場することとなる。また、レモンエンジェルのウリの一つがパンチラだったため、誌面に登場していながら(アイドル誌を標榜してから「投稿写真」は基本的に誌面に出ているアイドルのパンチラ写真は掲載を自粛していた)、パンチラ写真を掲載できるほぼ唯一といっていいアイドルグループだった。
 
「IDOL SCRAMBLE」の渡瀬麻紀('69年2月22日生まれ、三重県出身)は、後にロックバンドのLINDBERGのボーカルとなる。三重弁も見た目のアカも抜け切れていない田舎の少女といった印象で、(歌はうまいって話だけど、アイドルとしては難しいだろうな)と思っていたが、こんな形でブレイクするとは意外だった。

 この号からビッグEの「似顔絵IDOL TALK」がスタートした。突然の新企画なのだが、準備は3か月ほど前から進めていた。
 7月号で水谷麻里を取材した際、ビッグEのファンだと聞いたオレは、秘かに水谷麻里をエサにビッグEを釣れないものか画策していた。中森さんのコーナー以外にもホストの名前の威光でアイドルを引っ張り出せるコーナーを作れないかと常々考えていたのだ。
 ビッグEといえば、原稿を落としまくることで有名だったが、アイドル好きとしても有名だった。たまたま、6月号の週刊漫画アクション創刊20周年記念特別企画ミス・アクション20グランプリの受賞者を誌面で取り上げた際、連絡を取っていた漫画アクションの編集部の担当者K氏が、ビッグEの担当者でもあったのだ(これは、彼の作品に実名で登場していたのでわかった)。
 マンガ家の連絡先を調べるのはなかなか難しいことは前にも書いたが、マンガを依頼するのでなければ意外と教えてくれるのではないかと思い、K氏に企画の内容を説明して、連絡先を教えてくれないかと頼むと案の定、すぐに教えてくれた。
(後はビッグEを説得できるかどうか)
 細工は流々、大物がかかりそうな予感にオレは燃えに燃えていた。
 そして、打ち合わせの約束を一回は変更されたものの、8月の中旬に吉祥寺の喫茶店で打ち合わせをするところまで漕ぎつけた。
 何をどう話したのか詳細は忘れてしまったが、
・最初のゲストは水谷麻里
・似顔絵はその場で描く
 という2点で合意を得ることができ、ルンルンしながら編集部に戻ったことは憶えている。
「ビッグEを引っ張り出すなんてスゴイじゃない」
 その頃はデザイン部に異動していた哲也さんが、驚きながらほめてくれた。
「原稿は大丈夫なのか?」
 編集長は心配そうだったが、
「それはその場で描いてくれると約束してくれましたから」
 この一言で安心してくれた。
(あのビックEを引っ張り出せた!!)
 マンガマニアとしても編集者としてもオレは完全に悦に入っていた。