第72回

 '88年1月号/表紙・島田りか子/アイシミュ・島田りか子/IDOL SCRAMBLE・咲浜小百合(まさえ改め)・橋本実加子・守屋寿恵

 2度目の年末進行に突入。とはいっても、すでにゴールデンウィーク進行やお盆進行を2度やっていたので、最初の頃ほどの緊張感はなかった。しかし、それで仕事がラクになるわけでもなく、入稿が終わり次第、サイパンロケを命じられていたので、いきなりトップギアで仕事を進めなければならなかった。 

 ロケ前日に着替えなどの私物を編集部に運び込み、徹夜して1Cページの入稿を済ませ、そのまま編集部で少し眠って新宿のリムジンバス乗り場に朝6時集合という無茶苦茶なスケジュールをなんとかこなし、無事成田から出発できた。

 今回のロケチームのメンバーは、Fさんに代わって"サイパンには業界一詳しい"Oカメラマン、スタイリスト兼ヘアメイクのIさん、そしてオレの3人が午前の便で現地入りし、モデルの北岡夢子、岡谷章子の2人とマネージャーが、夜中に到着して前半戦。4日後の未明にヌードのモデルが単身で到着して後半戦というスケジュールだった。午前出発の夜帰り、中5日とこれまで行ったグアムロケとは違って余裕シャクシャクだった(そのために編集作業が前倒しされてヒイヒイだったのだ)。 

  初日は、深夜の出迎え以外仕事がないため、衣装の整理に追われているIさんをホテルに置いたまま、Oさんの運転でロケハンに向かった(実際には"サイパンの生き字引"のOさんにはロケハンの必要などないので、オレのための観光案内のようなものだが)。Oさんは、東京出身ではないものの江戸っ子気質のイナセな性格で、度重なる南の島のロケのため、一年中真っ黒に日焼けしていて、カメラマンというよりも大工の棟梁といったほうがピッタリくるヒトだった。

「いいか、大橋。サイパンのチャモロ人はのんびりしてるから、車も40キロぐらいでしか走らせないんだ」

 確かに道路は空いているのに車の流れはのんびりしている。

「それとな、サイパンには信号がないから、道路を渡ろうとしている人がいたら、できるだけ止まって渡らしてやるんだぞ」

 後に韓国人やフィリピン人の住民が増えて、道路事情はだいぶ変わってしまったが、'90年代に入るまでのサイパンでは、ゆったりとした時間が流れていた。

 車を運転しながら、案内人よろしくOさんが説明してくれる。

「ここは、日本軍の病院跡で、そこの木の下にジイさんとバアさんの霊が立ってるらしいぞ。俺には見えないけど」

(オレにも見えません)

 サイパン南端へ車は向かう。

「この道、さっきからブ~ンってプロペラ機が飛んでるみたいな音が聞こえるだろ。セメントにサンゴを混ぜて舗装したから、そのデコボコのせいなんだけど、地元の人はゼロセンロードって呼んでんだ」

 バンザイ・クリフへの道は、舗装されていなかった。

「夜中にこの道を車で走ってるとハンドルが効かなくなって、崖から真っ逆さまになることがあるらしいから、ふざけて夜、来ようとするなよ。旧日本軍の兵隊が列を作って横切るなんて話もあるしな」

 バンザイ・クリフは、戦時中アメリカ軍に追い詰められた非戦闘員の婦女子や老人がその断崖から身を投げた玉砕の地。慰霊の塔が建てられ南の島らしからぬ厳かな雰囲気に包まれていた。

「あそこに張り出した岩盤があるだろ。あそこに白装束の霊が見えるらしいぜ」

(あの~、ロケハンというより心霊スポット巡りみたいなんですけど...)

 この後に連れて行かれた聖母マリア像は、山の中にあってキリスト教のはずなのに神社にあるような真っ赤な幟が何本も建てられ、いくつもの鳥居をくぐって参拝という奇妙なところだった。マリア像の収められている洞は、その周りをグニャグニャした樹の根が無数に絡まっていて、信仰している人たちには失礼だが、あまり気持ちの良いものではなかった。

 その後、一通りのロケ・ポイントに連れていってもらい、ホテルの部屋に戻った。オーシャンビューの窓から外を眺めていると、またもや、

「ここのビーチは夕方になると、首のない看護婦が歩いてるんだって」

(サイパンってそんなのばっかなんですか!?)