90回

 9月号の特集は、昨年に続く「第2回夏休み新人アイドルフォトコンテスト」の大々的な告知だ。参加アイドルは、咲浜小百合、田村英里子('73年1月16日生まれ、茨木出身)、細川直美('74年6月18日生まれ、神奈川出身)、増田未亜('72年5月6日生まれ、大阪出身)、山中すみか('75年5月6日生まれ、京都出身)の5人、第1回と比べても遜色のないラインナップだ。去年、大忙しだったのが身に染みていたので、事務所やスポンサーとの交渉は、「あぶないマガジン」が動き出す頃から、少しずつ進めていたのだ(備えあれば憂いなしってヤツだ)。
 準備万端とはいえ、いざ作業に入れば、忙しくなるのは同じこと。7月8日の土曜日、担当ページのほとんどを入校し、遅れに遅れていた特集ページの片観音(本来ならばこちらを一番で入れなければならないのだが)の原稿を受け取ったのが深夜の午前1時過ぎ。文字数をチェックし、リード、キャプションを書いて、写植屋行きの棚に入れるのに1時間ぐらいかかり、それからタクシーで家に帰って、万年床に身を横たえる頃には3時をとっくに過ぎていた。翌日(もう本日)は日曜日、出社の必要はないのが救いだ。

「幸久くん、起きて!! お父さん、危篤らしいよ」
 午前7時、義兄の声でたたき起こされた。5月から、ガンで入院していた父がやばいらしい。
「すぐ、用意して行きますよ」
 と返事はしたものの、危篤になったのはこれが初めてではなく、今回も大丈夫だろうとタカをくくって、そのまま再び眠ってしまった。
「まだ、寝てるのか!! 本当に危ないから急いで!!」
 義兄の声にただならぬものを感じ、すぐに着替えて、義兄の車で病院へ。病室に着いて、父の手を握った。
「なんか、言いなさい」
 母がせっつくが、いざこういう場面に直面してしまうと言葉が見つからない。オレが着いて、5分もたたないうちに、叔母が到着する。それとほぼ同時に父に付けられていた計器のピッピッ...という音が沈黙した。
 
 翌々日が友引だったため、その日の内に通夜、次の日が葬式とあわただしく、長男として葬式の閉めの挨拶をする時にこみあげてくるものがあったが、父の死を悲しんだり、偲んだりしている余裕など微塵もなかった。
 編集という仕事は、親の死に目にも会えない因果な稼業と思っていたので、死に目に間に合っただけでもありがたかった。前後に1日でもずれていたらおそらく間に合わなかったに違いない。
 ただ因果な稼業には変わりなく、9月号の作業が残っていたので、葬式の日から昼は父の役所関係の手続き、夜はただのかずみの部屋に行って仕事をした。
「なんで、ただのさんの部屋で仕事してるんですか~」
 原稿や版下のコピーをFAXで送ってくれるよう頼むと案の定、三橋が詮索してきた。今だったら、ネットとメールを使えば在宅勤務で仕事をするのは簡単だが、この頃はFAXがないとそうもいかない。地元なので、古くからの友達も多いのだが、FAXを持っているヤツは一人もいなかった(考えてみれば一般家庭にFAXなんて必要ない)。近所でFAXを持っていたのは、ただのかずみだけだったのだ。それを三橋に言うと、
「FAXがあるからって、ファックしてるんじゃないでしょうね」
 この状況でよくそんなくだらないダジャレを考えつくもんだとあきれながら、オレは受話器を叩きつけた。