第145回:井上荒野さん

作家の読書道 第145回:井上荒野さん

人と人との間に漂う微妙な空気感を丁寧に掬いとる実力派作家、井上荒野さん。幼い頃からお話を作るのが好きで、1989年にフェミナ賞を受賞してプロへの道を切り開いたものの、しばらく小説が書けなかった時期があったという。再び筆をとって2001年に再起、その後は直木賞や中央公論文芸賞を受賞。そんな彼女が出合ってきた本たちとは? 戦後文学の旗手と呼ばれた父・井上光晴氏の思い出にも触れつつ、お話ししてくださいました。

その5「小説『ほろびぬ姫』、エッセイ『夢のなかの魚屋の地図』」 (5/5)

ほろびぬ姫
『ほろびぬ姫』
井上 荒野
新潮社
1,512円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS
わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)
『わたしを離さないで (ハヤカワepi文庫)』
カズオ・イシグロ
早川書房
864円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS
夢のなかの魚屋の地図
『夢のなかの魚屋の地図』
井上荒野
幻戯書房
2,160円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS
夏服を着た女たち (講談社文庫)
『夏服を着た女たち (講談社文庫)』
アーウィン ショー
講談社
576円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS
pumpkin (パンプキン) 2014年 02月号 [雑誌]
『pumpkin (パンプキン) 2014年 02月号 [雑誌]』
潮出版社
525円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp

――生活のタイムテーブルは決まっていますか。

井上:8時か9時頃に起きて朝ご飯を食べて、お昼まで仕事をしてお昼ごはんを食べて...。夫も家にずっといるし母も同居しているので、毎日三食ちゃんと作っているんです。夕方6時くらいまで仕事をして、ご飯を作るか食べにいくかして、その後は願わくば仕事はしない(笑)。だいたい夫と二人でDVDを観ています。

――その後、小説との向き合い方、方法論についての考えは変化がありましたか。

井上:書いているなかでの積み重ねですね。テーマとはまた別に、小説を読んでいてもなぜ自分はこういう小説を面白いと思うのか、理論としてわかってきました。もちろん面白いという感覚が先にあるんだけれども、それはなぜなのかを少しは言葉にできるようになりました。小説って言葉の芸術だと思うんです。言葉が小説を作っているということに意識的である小説が好きです。どの言葉を使えばいいのかということにつねに意識的に力を注いでいるものが小説なんじゃないかと思う。たとえば今こうしてインタビューを受けている情景を書き表す時に、テーブルの上にあるカップのことから書くのか、今日の天気から書くのか。今この場にいる自分を描く時に、どの言葉を使うのがいちばんいいのか、その選択が大事だと思います。いろんな考え方があるけれども、私はそこは外せません。意表をついて驚かせるだけだったら映画でも手品でもいい。でも、選んだ言葉、選んだ組み合わせでしかできないことがあると思います。

――新作『ほろびぬ姫』もまさにそうですよね。幸せな結婚生活を送っていたはずの妻のもとに、ある日夫が行方不明だった双子の弟を連れてくる。三人の奇妙な生活がはじまり、夫は「僕は死ぬんだ」と言う。文章は主人公の一人称ですが、夫のことも弟のことも「あなた」と呼んでいるんですよね。でも、どちらのことを指しているのかちゃんとわかるのがすごいなと思って。

井上:ふと「あなたは...」という言葉が出てきたんです。まだ締切もなく自分で書いているだけの時だったので、ちょっとやってみようと思って。ドキドキしながら書きました。最初は読者が混乱するかなと思って心配だったんです。でも30枚くらい書いて、いけるんじゃないかなと思いました。実は、最初はクローン人間のことを書こうと思っていました。自分の夫が死んでしまった後、彼のクローンがやって来たら平気なのかな、でもそうしたら死んじゃった夫はどうなるんだろう、ということを考えていたんです。そういう話を心の中で温めていたらカズオ・イシグロの『わたしを離さないで』が出て、先を越された(笑)と思いました。それでクローンはやめて双子にしたんですが、結果的には双子にしてよかったと思っています。

――双子とクローンはまた違いますものね。

井上:クローンはある意味まったく同じだけれども、双子は見た目は同じでも違う人間。むしろ違いが際立っていきますよね。もうひとつのテーマは人は何のために愛するのか、誰のために愛するのかということでした。人を愛するってことはエゴイスティックなことじゃないかという考えがありました。

――主人公が最後にどう決断するのか興味を持って読み進めました。ああいう結末にすることは最初から考えていたのですか。

井上:片方の男が死ぬとわかっている時どうするだろうと考えて、途中の段階で、きっとこうするよね、ということが浮かんで。あの結末はいろんな解釈もできると思いますが、でも"ほろびぬ姫"なので滅びないんです。最初は双子ということにとらわれたタイトルを考えたんですが、女性のほうにひきつけようと考え直して、このタイトルになりました。

――初のエッセイ集『夢のなかの魚屋の地図』も刊行されたところですね。

井上:デビューした頃の昔のものから最近のものまで集めてくださって。最初の頃のエッセイはものすごく大上段に構えているのがわかりますね。どこのおばあさんが書いているんだろうって(笑)。

――本日インタビューをしているこの喫茶店のことも出てくるし、さきほどお話に出た『夏服を着た女たち』のことなども。

井上:ああ、そうですね。書評は入れなかったんですけれど、『夏服を着た女たち』のことは入っていますね。エッセイは書くことを思いつくまでが結構大変なんですけれど、書きたいことがある時は楽しいです。『Pumpkin(パンプキン)』という雑誌で「荒野の胃袋」という食に関する短いエッセイを連載しているんですが、それも今年まとまる予定です。

――今年の小説の刊行予定はいかがですか。

井上:単行本が2冊でる予定です。『きらら』に連載していた『虫娘』は夏頃に、『小説トリッパー』に連載していた「悪い恋人」はタイトルを変えて今年の終わりくらいに出す予定になっています。

(了)