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11月11日(金)ミュージック・ライフ

 小学館のPR小冊子「本の窓」で、亀和田武が「60年代ポップ少年」というエッセイを連載している。その第6回(11月号)の末尾で、『ポップス黄金時代』(シンコー・ミュージョック)という本を亀和田武は紹介しているのだが、これは、

 一九六四年までの「ミュージック・ライフ」から、人気シンガーのインタビュー、ヒットパレードの順位、日劇ウェスタン・カーニバルのルポなどの記事や写真を、ランダムに抜粋したアンソロジーだ。乱暴なくらいランダムな紹介の仕方が、時代の雰囲気をリアルに伝えている。

 という本らしい。そこには読者投稿も抜粋されていて、たとえば「オッス! ボクは高校一年のイカシてやがる男の子なアンだ。(中略)もちろんヒイキはプレスリーさ! あのパンチの効いた歌、あーあ、たまんないヨ」という京都府舞鶴市に住む木船達也くんの手紙を紹介してから、「いま六〇歳代半ばの木船くんは元気だろうか」と亀和田武は書いている。亀和田武がもう一つ紹介している読者投稿を引く。

「ウエスタンの好きな17歳の純情な高校生。好きな歌手は、ジミー時田、井上高、好きなバンドはマウンテン・プレイボーイズ。それにウエスタンのバンド作りたいのだけど、ギターのうまい人お便りネ。男女を問わず早く早く、お便りチョウ」

 この投稿を紹介したあとに、舞鶴の高校生にも通じる雰囲気があると亀和田武は指摘している。当時まだ新人編集者で、後に二代目編集長となる星加ルミ子の記事にも似たようなテンポ、語り口調があった。そんな「ライフ風」文体の影響があるかもしれないと書いたあと、「さてこの17歳の純情な高校生の名前と住所はと見ると、なんとビックリである」と亀和田武は続けている。なぜ彼がびっくりしたのかというと、その投稿者の名前が「椎名誠」であったからだ。そのあと次のように書いて、亀和田武はこの第六回を締めくくっている。

 なんだ、椎名さんも「ライフ」の愛読者だったのか。そのことも感慨深いが、「ギターのうまい人お便りネ。男女を問わず早く早く、お便りチョウ」の一節には、明らかに 後年の椎名誠風文章が見てとれる。そうかそうか、あのユニークな変拍子の文体は、ルーツを辿れば、一九六〇年代前半の「ミュージック・ライフ」に行き着くのかもしれないぞ。いや、ほんの思いつきですけどね。

 実は私、亀和田武が紹介した「千葉県千葉市幕張町」の「17歳の純情な高校生」の投稿を読んだ途端、「これは沢野だな」と思った。「好きな歌手がジミー時田」で、「好きなバンドがマウンテン・プレイボーイズ」で、「ウエスタンのバンドを作りたい」のなら、これは椎名ではなく沢野だろう。椎名がウエスタンに興味を持っていたなんて聞いたことがない。沢野のウエスタン好きは有名だから、沢野を知っている人で、当時の椎名と沢野の付き合いを知っている人ならこの投稿を読んだ途端に「この投稿者は沢野だ」と簡単にひらめくだろう。

 当時、沢野は中野に引っ越していたが、しょっちゅう千葉の椎名の家にまで遊びに行っていたというから、冗談で投稿した可能性が高い。高校生ならやりそうないたずらだ。椎名の名前を使って、住所まで書いて投稿しているのだから、よほど親しくなければこんなふざけたことは出来ない。当時の椎名の周囲に、沢野以外にもそんな乱暴なことをするやつがいたのかもしれないが(私はそこまで当時の椎名とその周辺について詳しくない)、いかにも沢野ならやりそうだ。

 いやだなカメちゃん、誤解しちゃって。ちょっと聞いてくれればいいのに。すぐに沢野だってわかるのに。と思ったが、念のために椎名に確認してみよう。まさか椎名がこんな投稿を出すわけがないから、誰だァこんな投稿したやつ、と言うに違いないが、あくまでも念のために聞いておこう。

 事実はいつも意外なのである。思ってもいない答えが返ってきた。この投稿は椎名と沢野の「共著」だったというのである。どっちが文章を書いたのか、「ミュージック・ライフ」を椎名が愛読していたのか、細かなことは全部忘れたが、沢野が椎名に内緒で書いたのではなく、椎名も了解していたというからびっくり。ジミー時田もマウンテン・プレイボーイズも当時沢野が好きだったというのは私の推理通りだが、驚いたのは椎名も当時はギターを弾いていて(手が痛かったという)、公民館かなんかで数回演奏したこともあるというからびっくりだ。椎名はギター少年だったのか!

 沢野はいまでもウエスタンのバンドをやっているが、自分は興味をなくしてしまったのだろうとは椎名の証言である。ちなみに、ギターのうまい人からのお便りは椎名の家に一通も来なかったという。

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