12月14日(金)大森望VS日下三蔵「時間」対決の勝者はどっちだ?

  • revisions 時間SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)
  • 『revisions 時間SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)』
    早川書房
    886円(税込)
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  • 時間篇 人の心はタイムマシン/時の渦 (SFショートストーリー傑作セレクション)
  • 『時間篇 人の心はタイムマシン/時の渦 (SFショートストーリー傑作セレクション)』
    星新一,筒井康隆,小松左京,平井和正
    汐文社
    1,728円(税込)
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 大森望編『revisions 時間SFアンソロジー』(ハヤカワ文庫)と、日下三蔵編『SFショートストーリー傑作セレクション 時間篇 人の心はタイムマシン/時の渦』(汐文社)が、ほぼ同時期に発売になった。どちらも「時間をテーマにしたSFアンソロジー」である。その収録作品は以下の通り。

〔大森望選〕
「退屈の檻」リチャード・R・スミス
「ノックス・マシン」法月綸太郎
「ノー・パラドクス」藤井太洋
「時空争奪」小林泰三
「ヴィンテージ・シーズン」C・L・ムーア
「五色の舟」津原泰水

〔日下三蔵選〕
「御先祖様万歳」小松左京
「時越半四郎」筒井康隆
「人の心はタイムマシン」平井和正
「タイムマシンはつきるとも」広瀬正
「美亜に贈る真珠」梶尾真治
「時の渦」星新一

 作品は一つもだぶっていない。違いは、「日下三蔵編」が「小学校高学年から大学生くらいまでの若い読者」を意識して作られたこと。実際にこちらは、新刊書店の児童書のコーナーに置かれていた。だから、字も大きく、しかもルビつき。あとは、大森編は新しい作品が多い、ということも違いとしてはあるかも。

 そういうふうに本としての違いはあるが、「日下三蔵編」の作品を見れば一目瞭然だが、これらの収録作品は児童向けに書かれた作品ではない。時をテーマにしたSF、ということでは大森本と同じであり、そういう中から傑作を選び抜くという点ではやはり同じ趣向の二冊といっていい。

 だから、これらの本を見た瞬間、よおし、それではどっちがアンソロジー本として優れているか、私が勝手に判定してやろうと思った。ようするに、私が面白いと思った作品が多いほうが勝ち。勝手にシロクロつけるぞ、と張り切ったのである。

 しかし途中ですぐに気がついた。こういうふうに考えること自体が、大森と日下の術中に嵌まっていると。

 この二冊を編むにあたって、この二人が相談しあったわけではないだろうが、無言の連携プレイのような気がするのだ。つまり、日下三蔵編で、まだSFを読んだことのない年少読者を掴まえる。その網からこぼれた大人を、今度は大森望編で引きずり込む──そういう連携プレイではないのか。この二人はそうしてSFマーケットに読者を巧みに誘導しているのだ。どんどん読者を増やしているのだ。これが最初ではあるまい。そういう深慮遠謀を、この二人ならこれまでも考えていたに違いない。私が知らないだけで、これまでにもこういう連携プレイがあったのではないか。

 だから、この二冊を見て、勝者はどっちだ、という企画を考えること自体、彼らの術中に嵌まっているのだと、気がついた。

 勝者など、どっちでもいいのだ。大森望編は読んだことのない作品ばかりで、「ノックス・マシン」の続編を収録しているという角川文庫版を急いで買いに走ったし、日下三蔵編はさすがに全部読んでいたが、忘れているものが多いので、こちらも面白かった。

 そうか、面白ければいいか。

9月27日(木)「競馬ワンダラー」をもう一度

 グリーンチャンネルに「競馬ワンダラー」という番組があった。いまでも再放送をしているからご存じの方も多いかもしれない。日本全国の競馬関連施設(競馬場や場外、牧場などなど)をまわってレポートする番組である。中でも特異なのは、いまはなき競馬場の跡を訪ねる回が多かったことだ。現在は宅地になっている街の路地を車で走りながら、MCの浅野靖典が「このカーブがいいなあ。ここが4コーナーだったんじゃないかなあ」と愉しそうに言うと、なんだか見ているこちらまでもが愉しくなってくる。そういう番組だった。

 競馬場の痕跡がまったくないところもあるが(そういうときは、現在の地図に昔の競馬場のコースを重ねたりする)、団地になっていたり、公園になっていたりするケースが少なくない。あまり古い競馬場だと痕跡がまったくないことが多いけれど、廃止したのが昭和三十年代くらいだと、まとまった土地が突然出現するわけだから、団地などになるケースが多いのである。

「競馬ワンダラー」は全部で6シーズン放映された。私が気がついたのは数年前だ。そのときは全部のシーズンを再放送していたので、表を作りながら録画して観た。なぜ表を作ったかというと、再放送の順番がばらばらだからだ。だから観た回や、すでに録画した回をチェックするために、表が必要なのである。1シーズンが12回から14回。それで6シーズンだから、全部で70回は超えている。北海道から沖縄まで、よくもまあ日本全国に競馬場があったものだと感心するくらいだ。そこを浅野靖典はワンダラー号(という名のワゴン)でまわったのである。はっぴいえんどの「風をあつめて」に乗って。

 第7シーズンがなかなか始まらないのは、もうまわる場所がないということかもしれないが(だったら、これまでの6シーズン全部をDVDにして発売してくれ)、いまでも時々、浅野靖典だったらここをどうレポートするかなあと思うことが少なくない。ちなみに浅野靖典は、『廃競馬場巡礼』(東邦出版)という本も出している(こちらの第2弾は出ないのか)。たとえばこの夏、根岸森林公園に行ってきた。ここは根岸競馬場の跡地に出来た公園である。

 根岸競馬場が出来たのは1866年(慶応2年)。途中で「横浜競馬場」と名を変えて昭和17年まで開催。その後は米軍に接収。1969年に返還され、1977年に公園になったという経緯がある。だからいま、競馬場はない。緑の多い公園がただひろがっている。ただし、スタンドの一部がいまでも残っている。現在も残されているのは、昭和5年に建てられた一等馬見所だ。建てられてから90年近いというのに、いまも堂々と3つの塔屋とともに聳えている。近くまでいって見上げると壮観だ。

 この夏公開された映画、細田守の「未来のミライ」の舞台にもなっていたので、「聖地巡礼」のファンがいるかなと思っていたのだが、誰もいなかった。一等馬見所の横にある小さなバスケットコートで子供たちが遊びに興じているだけだった。

 浅野靖典は当然、「競馬ワンダラー」でこの一等馬見所を訪ねている。そのとき、どういう感想を述べたのか、具体的には覚えていないが(DVDを発売してくれれば、こういうときに確認することが出来る)、私が知りたいのはコースのほうだ。当時の競馬場の部分はそのまま公園になって残っているのだが、地形もほぼそのままならば、とても起伏に富んだコースということになる。それを見たときの浅野靖典の感想を知りたい。

 昔の競馬場の跡地を通りかかるたびに、浅野靖典だったらどういう感想を述べただろうかと思う。この9月には三宮に行ってきたが、生田神社の横に競馬場があったというのでその界隈を歩いてみた。明治2年から明治7年までしか使われなかった競馬場なので、もちろん何の痕跡もない。このあたりかなあと思って歩いただけだ。しかし浅野靖典のような「名探偵」ならば、何らかの痕跡を探し出したかもしれない。「競馬ワンダラー」でこの「生田の馬場」を訪れる回があっただろうか。もう録画も残ってないし、作成した表も見当たらないので確認できない(だからDVDを発売してほしいのである)。

「サンスポZBAT」に藤代三郎名義で「馬券の休息」というコラムを連載して1年が過ぎ、2年目に入った。馬券の話は「週刊ギャロップ」に書いているので、こちらは「競馬周辺の話」だ。競馬場グルメや競馬本の話、そして昔の競馬場の話など、馬券には直接関係のない話を書いている(毎週水曜昼に更新)。根岸森林公園を訪れた話はまだ書いていない。生田神社の横にあった競馬場の話は来週更新の予定。無料なので、ぜひご覧ください。

8月24日(金)音楽会の夜

 ビルの地下にあるバーだった。お茶の水駅近く、ということだけは覚えているが、店名は記憶にない。そのとき、横にいたのはM君だ。カウンター席に並んで座り、あのとき私たちは何を話したのか。

 私には友人が少ない。仕事関係の知人や、趣味(もちろん競馬だ)を同じくする友はいるが、仕事も競馬も離れれば、友と言えるのは昔からずっとM君だけである。高校時代の同級生だ。だからもう五十年以上の付き合いになる。彼は大学で教えていたが定年になり、とはいっても2カ月間中国に行ってくる、と先週電話がきたばかり。精力的に動きまわっている。

 地下のバーのカウンター席に彼と並んで座っていたのは、私たちが二十七歳のときだ。音楽会の帰りだった。その日は、声楽の道に進んだ高校時代のクラスメイトの発表会に行ったのである。カウンター席に並んで座っても、会話はなかったような気がする。その音楽会に現れたT嬢のことを、私は考えていた。会うのは四年ぶりだった。相変わらず、綺麗だった。

 彼女の横にいたのは、私たちの同級生だ。慶応を出たあとは家業を継いだと聞いていた。気のいい男だった。彼がずっとT嬢のことを好きなのは、みんなが知っていた。「あの二人、婚約したらしいわよ」と誰かが言った。そうか、彼の思いがようやく伝わったのか。私はM君の顔を見ることが出来なかった。M君がいまどんな顔をしているのか、それを知るのが怖いような気もした。

 T嬢が婚約したことをM君は知っていたのか。そんなこと、私は聞いてないぞ。

 M君とT嬢が付き合っていたこと、私もT嬢を好きであったこと──わかるのはそれだけだ。あとは、ごちゃごちゃとさまざまなことがあったりするが、いまとなってはもういい。私もM君も、そのころ、宙ぶらりんのところにいた。働いてはいたものの、やる気もなく、ただぼんやりと生きていた。そういう人間に異性を口説く資格はない。T嬢がM君から(そして私から)離れて行ったのもそういうことだと思う。

 カウンター席に並んで座ったとき、私が思い出していたのは、楽しかった日のことばかりだ。特に思い出したのは、ある冬の夜のことだ。M君の家で数人で飲んでいたとき、みんなで車を飛ばしてT嬢の家に近くまで行き、彼女を呼び出したことがあるのだ。夜中の12時だというのに彼女は大通りまで出てきた。なんのことはない、10分ほど話して私たちはまたM君の家に戻ったのだが、その真冬の10分間、T嬢はずっとM君の腕のなかにいた。彼ら2人と、こちら側に男が3人の立ち話だ。そのときのT嬢の笑顔は、実はいまでも覚えている。

 なぜ地下のバーの、カウンター席に並んだ座った夜のことを思い出したのかというと、小野寺史宜『夜の側に立つ』(新潮社)に、似たようなシーンがあったからだ。

 アメリカから帰国した君香から連絡がきて、「僕」と荘介と3人で映画を観に行き、そのあとビアホールで飲み、最後にいくのが地下のバーだ。カウンター席に3人で並んで座り、2杯ずつ飲んでバーを出る、というシーンである。

 そのとき彼らは二十一歳で、男女3人。二十七歳のときに男2人、という私たちのシチュエーションとはかなり違っている。しかし、君香と荘介が以前付き合っていたこと、その日実は「僕」が君香に告白しようとしていたこと(ある出来事のためにその告白は流れるのだが)──つまり「僕」が君香に惹かれていたことなど、私たちと似たシチュエーションもある。昔のことが一気に蘇ってきたのは、そのためなのしれない。

 小野寺史宜の前作『ひと』(祥伝社)のことを思い出す。父親が働いていた店を、主人公の青年が探し歩くくだりで涙が突然こみあげてきて、どうしたんだおれと、驚いたことがある。あとで考えてみたのだが、私もまた父親の過去を探して、横浜から川崎を歩きまわったことがあるのだ。そのときのことを思い出したのかもしれない、と思ったのだが、本当にそうなのかどうか、実はよくわからない。何はともあれ、それは私の個人的な事情にすぎないと思っていた。ようするに、たまたまだ。

 ところが、本の雑誌の杉江由次君がこの『ひと』で、私とはまた別の箇所で泣いたという話を聞き、もしかすると、小野寺史宜の小説のなかに、私たちの感情の襞の奥深くに、直接語りかけてくるようなものがあるのかもしれない、と思ったりもする。私や杉江由次君だけでなく、あるいは全国の読者の感情に、静かに語りかけてくる小説を、この作家は書いているのではないか。そんな気もするのである。

7月27日(金)真夏の二冊

  • 『蝶々夫人』と日露戦争 - 大山久子の知られざる生涯 (単行本)
  • 『『蝶々夫人』と日露戦争 - 大山久子の知られざる生涯 (単行本)』
    萩谷 由喜子
    中央公論新社
    1,944円(税込)
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  • ロンドン日本人村を作った男 〔謎の興行師タナカー・ブヒクロサン 1839-94〕
  • 『ロンドン日本人村を作った男 〔謎の興行師タナカー・ブヒクロサン 1839-94〕』
    小山 騰
    藤原書店
    3,886円(税込)
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  • 黒き水のうねり (ハヤカワ・ミステリ文庫)
  • 『黒き水のうねり (ハヤカワ・ミステリ文庫)』
    アッティカ・ロック
    早川書房
    1,188円(税込)
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 萩谷由喜子『「蝶々夫人」と日露戦争』(中央公論新社)という本を今年の始めごろに読んだ。大山久子の知られざる生涯、と副題の付いた本だ。駐イタリア公使夫人であり、オペラ「蝶々夫人」のプッチーニへの日本音楽の資料提供者で助言者でもあった大山久子の生涯を描いたノンフィクションである。この冒頭近くに、「蝶々夫人」よりも19年も早い1885年に、日本を舞台にしたオペレッタ「ミカド」がイギリスで上演された理由について作者は次のように書いている。

「それが可能だったのも、1885年1月から87年6月まで、途中、火災による閉鎖期間もあったものの2年余りの間、ロンドンのナイツブリッツ地区に、いわば博覧会のような正確を持つ人工的な日本人村が設置されて、日本から職人、軽業師、芸者、茶屋娘、相撲取りなどが送り込まれて実際に生活を営み、それぞれの風俗をイギリス人観光客の鑑賞に供していた、という背景があったからである」

 これは、幕末から明治にかけて海を渡っていった日本人の記録が好きな私には、とても気になる一節だった。何なんだ、その「日本人村」って? 小山騰『ロンドン日本人村を作った男』(藤原書店・2015年)を急いで購入したのは言うまでもない。こちらは「謎の興行師タナカー・ブヒクロサン1839-94」という副題が付けられている。

 早く読まなくては、と思うもののなかなか時間が取れず、ようやく読んだのは先週である。いやあ、面白かった。どうしてこういう優れたノンフィクションを私は読んでいなかったのか。しかも私のストライクゾーンど真ん中の本だというのに。

 この本の主人公は、オランダのアムステルダムに生まれたフレデリック・ブレックマンである。全体は、第1部「駐日英・仏公使館員時代」、第2部「軽業見世物興行師時代」、第3部「ロンドン日本人村・仕掛け人時代」という三部にわけられている。まず、ブレックマンは1859年、20歳のときに長崎にやってくる(長崎に来航するまでの詳細は不明)。そして横浜で、イギリスの初代駐日総領事オールコックに通訳として雇われる。ブレックマンがどこで日本語の能力を習得したのかは不明。のちにフランス公使館員になるが、ということは英語日本語フランス語すべてに堪能だったということだろう。1864年、池田使節団の通訳・案内人としてフランスに渡るのも、フランス語の能力を評価されていたからだろう。ちなみに、この一行がエジプトのスフィンクスの前で撮った写真は有名だ。あの中に、ブレックマンもいたのか。しかし人物が小さすぎて判別がつかない。もっとも、『レンズが撮らえた幕末維新の日本』(山川出版社・2017年)には、スフィンクスを訪れたのは35人のメンバーのうち27人と書かれているので、ブレックマンがこの写真にいるかどうかは不明。

 問題はこの先だ。現地でフランス製軍艦を購入することになり、紆余曲折の結果、その資金をブレックマンが着服してしまうのである。ブレックマンが逮捕されて入獄するのはその罪ではなく、まったく別の罪だという経緯は長くなるので割愛。出獄後にサンフランシスコに渡り、ふたたび日本にやってきて、今度は「軽業見世物興行師時代」が始まる。この時代、日本の軽業師たちが外国に多く渡ったことはここに書くまでもない。安岡章太郎『世紀末大サーカス』は高野広八の日記を元に、この時代の軽業師たちを描いたものだが、他にもたくさんいて、ブレックマンはそのうちの一つ、グレート・ドラゴン一座の支配人として日本で軽業師を集めてからアメリカに渡っていく。波瀾万丈の人生といっていい。

 これでもブラックマンの「冒険」はまだ終わらず、70年代後半から80年代にかけて英国各地で興行を続け、1885年、ロンドンで日本人村を始めるのである。その「日本人村」がどういうものであるのかはすでに書いた。本書で初めて明らかになったのは、その「日本人村」の総支配人タナカー・ブヒクロサンが、ブレックマンと同一人物であったということだ。ブレックマンは1894年、55歳のときにロンドン近郊で亡くなっているが、『ロンドン日本人村を作った男』は、その波瀾に満ちた生涯を、丁寧に、克明に、追いかけたノンフィクションの傑作だ。新刊のときに素早く読んで絶賛したかった。いま猛烈に反省している。

 先週読んだもう一冊は、アッティカ・ロック『黒き水のうねり』(高山真由美訳/ハヤカワ文庫・2011年2月)。昨年どなたかのツイッターにこの本のことが書かれていたので気になってすぐに購入したのだが、それからずっと積んだままであった。焦ったのは、そのアッティカ・ロックの新作が、エドガー賞の最優秀長編賞を受賞したという報道だ。おお、それなら急いでこちらも読まなければならない。その最優秀長編賞の新作は年内に早川書房から翻訳刊行されるらしいが、それまでには読んでおいて、あとは知らん顔をしていたい。ああ、その作家なら以前の作品も読んだなあと。

 というわけで、手に取ったら、こちらはとてもシリアスな小説だった。1980年代のテキサス州ヒューストンを舞台にする長編で、主人公は黒人の弁護士ジェイ・ポーター。冒頭は妻の誕生日に、ナイトクルーズを用意したらその船が安っぽく、いたたまれない気持ちになっているジェイの感情から幕が開く。ここから何が起きるかはいっさい書かない。一気読みしたという事実だけを書いておく。ただし、採点は◎ではなく、○印にとどめるけれど。

2月9日(金)フランス陸軍士官ブリュネのこと

  • ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ (文春文庫)
  • 『ラ・ミッション 軍事顧問ブリュネ (文春文庫)』
    佐藤 賢一
    文藝春秋
    1,069円(税込)
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 そうか、ブリュネはふたたび箱館に戻ったのか。

 佐藤賢一『ラ・ミッション』(文春文庫)のラスト近く、フランス軍事顧問団ともども戦場を離脱することを、ブリュネが榎本武釜次郎に告げるシーンがある。箱館沖に停泊しているフランス軍艦コエトローゴン号の艦長に、軍事顧問団の乗船を依頼する手紙を書いた直後である。

 敗色濃厚な局面とはいえ、さらに、ここまでで十分です、もう離脱してくださいと榎本から言われたとはいえ、そんなにすんなりと戦場を離脱しただろうか、というのが長年の疑問であった。

 なにしろブリュネはただの軍事顧問ではない。国からの帰国命令に反し、榎本軍と行動をともにした義の人である。たとえば、綱淵謙錠が『乱』(中公文庫)の中で、敗戦後、監獄に送致された榎本武揚が、五稜郭に同行する報酬としてブリュネが二十四カ月で八万両を請求したと証言していることに、敢然と反論していたことを思い出す。滅びゆく幕軍と運命をともにして五稜郭の戦いに参加した侠気の人、フランス軍士官ブリュネに対する限りない共感が、その背景にあることは想像に難くない。

 綱淵謙錠は史実そのものに歴史を語らせる歴史小説を書き続けた作家だが、史実をどう読むのかという問題はある。この大作の底に清々しいものが一貫して流れているのは、滅びゆく者に対する哀惜の念が物語の強い芯となっているからなのだが、ブリュネの報酬に対して、聞き取った人間の書き間違いだと熱く反論するくだりは、『乱』の白眉といっていい。

 そういう人間が、これ以上軍事顧問の出る幕はないという局面になったとはいえ、すんなりと戦場を離脱するだろうか。

 この『乱』の中に、ブリュネのスケッチがいくつか収録されているが、その中では「江戸近郊・王子の茶屋」と題したスケッチが好きだ。川では裸の子供たちが水遊びに興じ、のどかな日本の風景が的確に描かれた一枚で、いまはなき古き良き日本の風景が立ち上がってくる。 『函館の幕末・維新 フランス士官ブリュネのスケッチ100枚』(中央公論社・1988年)という本には、日本に来る前、メキシコに従軍したときのスケッチもあり、これも驚くほどうまい。写真機のない時代では、情景を正確に素描する能力は、陸軍士官にとって必須のものだったようで、帰国後、少佐→大佐→師団長→少将と出世したように、ブリュネは軍人としてきわめて優秀だったようだ。

 ここまで書いてきて、綱淵謙錠は『乱』の中で、ブリュネが箱館を離れたことをどう描いていたのか、気になってきた。遙か昔に読んだ小説なので、細部が思い出せない。そこで調べてみたら、いやはや、驚いた。そういう場面がないのだ。

 そもそも歴史小説の大傑作『乱』は、著者の死によって未完となった長編で、五稜郭の戦いの前で終わっているのである。それでも単行本は二段組七百ページ(文庫本は五百五十ページ上下2巻)という大作で、あと五章あれば完結していた、というのが私の推測である。五稜郭の戦いに三章、その後始末に一章、エピローグに一章。それで五章。

 しかし現実には、その前で終わっている。ならば、五稜郭の戦いの末期、もう敗戦が濃厚になった時、戦場を離脱するブリュネの姿はどこで読んだのか。実は、この五稜郭の戦い自体は数多くの小説で描かれている。だからたぶん、それらの小説で読んだものを『乱』で読んだと錯覚していたものと思われる。

「軍事顧問ブリュネ」と副題のついた佐藤賢一『ラ・ミッション』では、この箱館戦争にもう勝つことは出来ない、ならばあとはフランス公使に停戦の仲介をしてもらうしかない──というのがブリュネの計画で、そのために彼は戦場を一度離脱するという筋立てになっている。しかし江戸に戻ってもフランス公使はブリュネと面会もしてくれない。そこでブリュネは再度箱館に戻るが、すでに戦いは終わっていた──というのが、『ラ・ミッション』が教えてくれる「ブリュネその後」である。

 これがどこまで史実に則しているのか、知識の少ない私には判断できない。佐藤賢一が資料探索に熱心な作家であることは編集者から聞いている。驚くべき挿話もあるが、ここには関係のないことなので紹介しないものの、そういう作家であるから、一度戦場から離脱したブリュネが仲介もうまくいかず再度箱館に戻ったという経緯は、あるいは史実に基づいているのかもしれない。しかしこの『ラ・ミッション』の素敵なラスト(いくらなんでもこれだけはここに書けない)を一方に置けば、このブリュネUターン説は著者の創作 かもしれないという気もしてくる。いったいどっちなんだ。

 そうか。佐々木譲に『武揚伝』(中公文庫)があったか。急いでこれを引っ張りだし、五稜郭の戦いのくだりを確認してみた。すると、ブリュネが五稜郭を離れるとき、榎本武揚の部下が「さすが西洋人は、このような場合、割り切りが早いのう。おれは、あの面々は半分は義勇軍なのだと思っていたが」「よくもまあ,てのひらを返したように」と言うシーンが出てきてびっくり。しかも、もっと驚くのは、ブリュネが去ったあとも五稜郭に残ったフランス軍士官がいたこと。マルラン軍曹とフォルタン伍長だ。この二人は最後まで武揚軍と運命をともにするのだ。ちょっと待ってくれ。それでは、ブリュネの立場がない。

 はたして真実はどっちなのか、いまの私には判断できないが、ブリュネが箱館を去ったのは仲裁役を見つけてくるためであったという『ラ・ミッション』のほうが私は好きだ。綱淵謙錠の熱い弁論が強く記憶に留まっているので、『武揚伝』のブリュネ像にはついていけないのである。

 佐藤賢一『ラ・ミッション』は、2013年から2014年にかけて「オール讀物」に連載され、2015年に文藝春秋から単行本になっている。「軍事顧問ブリュネ」と副題のついたこの長編を、どうしてそのとき、読まなかったのか、自分でも理解できない。ブリュネだぜ。それが文庫になって、2017年12月に書店の文庫コーナーに並んで、ようやく気がついた。

 つまり今回書いたことは、「未読本シリーズ」の第3回なのである。

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