10月18日(月)資料を探索する人々

  • 謎の女 幽蘭: 古本屋「芳雅堂」の探索帳より (単行本)
  • 『謎の女 幽蘭: 古本屋「芳雅堂」の探索帳より (単行本)』
    出久根 達郎
    筑摩書房
    1,870円(税込)
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 それにしても大変だなと思う。平山亜佐子『問題の女 本荘幽蘭伝』(平凡社)の話である。「京都日出新聞」に幽蘭が連載していた「懺悔録」を発見して、第一章と第二章を大幅に改稿した、とあとがきにあるのだ。

 その「京都日出新聞」はデータベース化されておらず、現状マイクロフィルムしかない。別の資料を探しているときに「懺悔録」を偶然発見したのだという。

 山口直孝が横溝正史の埋もれた小説「雪割草」を発見したことを思いだす。題名から類推して新潟の新聞に連載したものかもしれないと「新潟毎日新聞」「新潟日日新聞」に連載されたものを発見して話題になったが、すごいのはそれから出張のたびに地元の図書館に足を運ぶようになったということだ。

 そうやって、次に発見したのが、小栗虫太郎「亜細亜の曙」。横溝正史「雪割草」と同様に戦時下に地方新聞に連載したもので、誰も知らなかった新発見である。読むとびっくり。あの「黒死館殺人事件」の作者とは思えぬほど読みやすい通俗小説なのだ。

 それはともかく、山口直孝が熊本県立図書館をそのとき訪れたのは、小栗虫太郎の未発見小説を探していたわけではない。横溝正史「雪割草」以来、そうやって何かあるかもしれないと思っていただけだという。熊本県立図書館では「九州新聞」をデータベース化しているので能率的に紙面を見ることが出来た、というのだが、それでも小栗虫太郎やその他の作家の未発見小説がなければそれは無駄足になるわけで、研究家というのはすごいなあと感心する。

 話を『問題の女』に戻せば、著者の資料探索のすごさに圧倒される。この書には本文の下に小さく、補足というか、余談というか、本文を補う文章がずらずらと並んでいる。たとえば、278ページには昭和の初めごろに、幽蘭が綱島温泉地に現れて男千人斬りの秘願をかけたとする資料(田尻隼人「浅酌庵随筆 幽蘭女子の転落人生」『業界公論』第十九巻第四号、業界公論社、昭和四十七年)があると書いたあと、平山亜佐子は次のように続けている。

「但し、最初はこの挿話を戦後と勘違いしていたり、その他の部分でも正確性に疑問が残るため、参考程度に付記しておく」

 こういうふうに、調べたけれど、結果的には使えなかった資料は他にも山ほどあるに違いない。その見えない労苦に圧倒されるのである。

 本荘幽蘭がどういう人物なのかをここまでまったく書いてこなかったが、出久根達郎は『謎の女 幽蘭 古本屋「芳雅堂」の探索帳より』(筑摩書房2016年)の冒頭で次のように書いている。

「何をした女性か。何もしない。強いて言えば、たくさんの職業に就いて、そのつど新聞の三面記事を賑わした女性である。事件を起こしたわけではない。人を傷つけたとか、金を奪ったとか、そんな犯罪に手を染めたわけでなく、巻き込まれたのでもない。いささか常識にはずれた言動で、世間に波風を立てた。それを新聞が面白おかしく書き、人々が愉快がった。一種の有名人になった」

 明治大正昭和と世間を騒がせた女性なのである。その詳細は、平山亜佐子の本書を読まれたい。『問題の女』は、本荘幽蘭に関する本の決定版だろう。たとえば、江刺昭子・安藤礼二『この女を見よ 本荘幽蘭と隠された近代日本』(ぷねうま舎2015年)には、「佳人之奇遇」のヒロインの名前が幽蘭で、その作者東海散士(柴四朗)の夫人もまた「幽蘭」と呼ばれていたと書かれているが(「幽蘭とアジア主義」安藤礼二)、「京都日出新聞」で「懺悔録」を発見した平山亜佐子は幽蘭の結婚相手を吉和國雄と明確に書いている。

 資料を離れれば、出久根達郎の前記書が面白い。店の客である松本克平(『私の古本大学』(青英社昭和五十六年)に「本荘幽蘭著『本荘幽蘭懺悔叢書』」という一文がある)に幽蘭の存在を教えられた出久根達郎が資料を調べ始める「古本小説」だが、自由奔放で面白いのだ。特高は写真を探しているという話から、同業者トンちゃんの話、幽蘭が明治四十年の東京府勧業博覧会場で呼び止めた「当時売出しの小説家は誰か、などなど、話がどんどん飛んでいくのである。もちろんすべて本荘幽蘭でつながってはいるのだが、まさに自由奔放融通無碍。小説家出久根達郎の魅力が全開だ。

 そういえば今年の春、文藝春秋昭和25年10月号に載った菅原通済「芥川賞の殺人」を調べていたとき、2020年2月22日付けの日経新聞に載った出久根達郎のコラム「書物の身の上」にたどりついたことがある。調べるといっても、私の場合はたいしたことはないのだが、最後はいつも出久根達郎に教えられる。プロはすごいな、と感嘆するのである。

7月14日(水)この映画が観たい!

 よしだまさしさんが『まだまだ熱中! フィリピン映画』(私家版)を送ってくれたので、またまた読みふけってしまった。昨年7月の『熱中! フィリピン映画』に続く第2弾である。私、フィリピン映画は1本も観たことがない。まったくの素人だが、前作の『熱中! フィリピン映画』も、今回の『まだまだ熱中! フィリピン映画』も、くいくい読んでしまうのは、よしだまさしさんがとても楽しそうに書いていて、それが行間から伝わってくるからだ。読んでいるだけで、こちらも幸せな気分になってくる。

 たとえば今回は、前作のように「とほほ映画」もたっぷりと紹介されるものの、フィリピンの黒澤明とも言うべきマルリー・ディアス=アバヤを正面から紹介するなど、実に本格的だ。そのくだりの一部を、少しだけ長くなるが、引いておく。

 僕が初めて観たアバヤ監督の作品は1984年の『ベビー・チチ』だった。当時、僕はマニラでウロウロしていたのだけれど、仲のよかった連中が「オレたち、エキストラで映画に出たんだぜ。観に行こうぜ」と言うので、みんなで連れだって観に行ったのだった。

 ヴィルマ・サントス、フィリップ・サルヴァドールというフィリピンを代表するトップスターの出ている映画だったのだけれど、フィリピン映画に関する知識など皆無のこちらにそんなことがわかるわけもない。

 しかも、タガログ語などまったく聞き取れないのだから、細かいストーリーもまったく分からなかった。だけど、それでも十分に面白かった。前半はエロティックな場面もあるギャング映画&恋愛映画。途中でヒロインは監獄に入れられ女囚映画となり、最後はヒロインが力強く人権を訴える社会派ドラマとなる。なんともごった煮的な作品であったのだけれど、一瞬たりとも飽きるということがなかった。

 当然、監督の名前など知らないまま「なんか、すごい映画を観たな」という印象を抱えて映画館を出たのだった。

 すごいでしょ。タガログ語がわからないのに、「なんか、すごい映画を観たな」という印象を与えてくれる映画なのである。

 こうやってまず監督が克明に紹介され、その後に作品紹介が続くという構成なので、とても理解しやすい。こういうところもこの本の素晴らしさの一つだ。

 しかししかし、私がいちばん観たいと思ったフィリピン映画は、2018年に公開された「バイバスト」という映画だ。まず、エリック・マッティという監督が紹介される。映像がひたすらカッコいいハードボイルド「牢獄処刑人」にも強く惹かれるが、よしだまさしさんの紹介を読むと、「バイバスト」にぐんぐん惹かれていく。

 これは「格闘家のブランドン・ヴェラと人気女優のアン・カーティスが主演する本格的なアクション映画で、スラムを舞台に延々と壮絶なバトルが繰り広げられるという異様なエネルギーに満ち満ちた作品」で、よしだまさしさんは次のように書いている。

 2016年頃に、この作品の撮影のためにアン・カーティスがトレーニングを始めたという動画がネットにあげられ、カリというフィリピンの武術を本格的に取り入れている作品としていやが上にも期待が高まった。だが、いざ公開されてみると、そんな生やさしい作品ではなかった。エグイまでに歯止めのないアクション描写が延々と続く、とんでもない作品だったのだ。

「エグイまでに歯止めのないアクション描写が延々と続く」んだぜ。観たいなあ。

よしだまさみ.jpg

6月21日(月)消えた原稿

 私、いまでもワープロで原稿を書いている。ワープロで打ったものをPCに取り込んでから送稿している。もう長いこと、そのやり方なので、いまさら変えられない。
 ワープロはずいぶん前に製造中止になったけれど、その際に中古のワープロを4台買った。20年前のことである。新機種のときに40万した機種がそのときは5000円〜1万円くらいで買えた。安いなあと4台買ったのだが、これで一生もつかも、と思ったものの、だいたい5年くらいで一台消耗するので、ぴったり20年目の昨年の秋に最後のワープロがついに故障。新たに中古市場で探すと今度は一台5万。知らない間に高くなっていた。私と同様に、ワープロを求める人がいまでもいるのだ。

 で、それからは何の問題もなかったのだが、つい先日、使用していたフロッピーの読み込みが突如として出来なくなった。ちょっと待ってくれ。どうしたんだお前。フロッピーがダメになるなんて、初めてだ。
 そのフロッピーには、書いたもののまだ保存していない原稿が入っている。書評原稿が一本と、短いものが数本。さらに文庫解説が一本。まだ書き直すつもりであったので、PCに取り込んでいなかったのだ。PC関連の師匠に問い合わせると、そうなったらもう無理だというので、仕方なく、書き直すことにした。書評原稿はもう一度、本の読みなおしから始めたので時間がかかる。文庫解説もなんとか書き直した。前に何を書いたのか覚えていないので新原稿である。

 で、すべてが終わって、やれやれと思ったが、その数日後にがばっとはね起きた。まだ三本残っている!
 実は、この「何もない日々」の原稿が3本、PCに取り込まずにフロッピーに入っていた。もちろん、まだ更新していない原稿だ。それを全部打ち直すのは、いくらなんでも出来ないので、どういう原稿を書いたのか、という事実だけをここに書くことにする。

 まず、一本は、オール読物の目次に関する話である。オール読物7月号で、創刊号からの目次を見て、その歴史を振り返るという座談会に出た(お相手は、北村薫さんと戸川安宣さん)。そのために編集部から目次のコピーが山のように送られてきたのだが、その中に目を引くものがあった。
 昭和25年10月号に、菅原通済「芥川賞の殺人」というのがあったのである。
「美貌の妻と子を捨て、欧州に恋の流浪をする数奇の運命の人戸祭正直の、芥川賞由起しげ子に対する死の抗議?」
 何なんだこれ? これ以上の説明をすると長くなるので、以下は省略して書く。

『瓢箪なまづ』菅原通済/昭和25年・啓明社
『なでぎり随筆』菅原通済/同30年・高風館
『旦那の遠めがね』石黒敬七/同27年・日本出版共同
『古書彷徨』出久根達郎/1994年・中公文庫
『警視総監の笑ひ・本の話』由起しげ子/昭和27年・角川文庫

 以上の5冊を古書で購入。最後の由起しげ子の本は、5500円もしたので迷ってしまったが、なあに、競馬で負けたと思えば高くはない。この「警視総監の笑ひ」という作品が、戸祭正直(元妻が由起しげ子の姉という関係だ)をモデルにした作品で、これに抗議するために戸祭正直は鎌倉の海に入水自殺(?)したというのが、菅原通済の主張なのである。
 この5冊以外にも、川口則弘『芥川賞物語』文春文庫を調べたり(これには、由起しげ子スキャンダルが記載されていなかった)、2020年2月22日付けの日経新聞に載った出久根達郎「書物の身の上」(ここに事の経緯が書かれている)をあたったりしたが、結局真相は藪の中、というのが今回の私の結論であった。
 これだけでは何のことかわからないかもしれないが(現代の読者には、菅原通済という人物がそもそも何者なのか、という紹介から始めないとわかりにくいかもしれない)、ようするに、気になる記事について私なりに調べたという話である。
 座談会「目次で読む『オール読物』と推理小説の90年」では、この「芥川賞の殺人」については触れなかったので、ここでその経緯について書くつもりであったのである。その原稿が消えてしまったのだ。

 あと2本には、タイトルまで付けていた。それは「モンコック・カルメンふたたび」というもので、こちらは前後編の2回構成だ。
 まず前編は、第2回香港電影博のパンフレットをネットで見かけて購入するのが発端。1989年に渋谷で行われた第2回香港電影博に通ったときの話(タイガー・オン・ザ・ビートという作品で、チョウ・ユンファの足がぴゅっと伸びたときに、おお、チョウ・ユンファもカンフー・アクションをするのか、と思わず感動したときの記憶)から始まって、そのときの上映作品の中に、「モンコク・カルメン」があったこと。これが、ウォン・カーウァイの監督デビュー作であること。マギー・チャンがまだ24歳で、あどけなかったこと。ようするに前編は映画の話である。
 後編は、一転して小説の話になる。そのモンコックを舞台にした小説が書かれたこと。それが岩井圭也『水よ踊れ』という傑作小説である、とこの小説の紹介に続いていくものだ。

 オール読物7月号の発売が6月22日で、岩井圭也『水よ踊れ』の発売が6月17日なので、そのころに3本続けて更新するというのが私の計画だった。で、まだ一部は原稿に手を入れるかもしれないのでPCに保存していなかったのである。
 それが全部消えてしまった、という事実に気がついたとき,書き直そうかと一瞬だけ思ったが、それも辛いなと断念。そのいきさつをここに書くだけにした。
 6月の後半に、オール読物にちょっと面白い座談会が載ること、そのころに岩井圭也の傑作小説が発売になることを、ここに書くにとどめておく。

3月24日(水)死ぬまでにしたい3つのこと

  • 幻獣少年キマイラ (角川文庫)
  • 『幻獣少年キマイラ (角川文庫)』
    夢枕 獏,三輪 士郎
    角川書店
    524円(税込)
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 ピエテル・ニィストレーム&ピエテル・モリーン『死ぬまでにしたい3つのこと』(加賀山卓朗訳/ハーパーBOOKS)という小説を読んだ。なかなか面白いスウェーデンの警察小説だが、今回はその小説の話ではない。死ぬまでにしたい3つのこと。私なら何だろう、と考えたのである。ずいぶん前に「死ぬまでにしたい10のこと」という映画があったので、「死ぬまでにしたい」というフレーズは、今回の小説のオリジナルではないが、それはともかく、真先に浮かんできたのは次のことだ。

「キマイラ論を書きたい」

 周知のように、「キマイラ」とは夢枕獏が書き続けている大河小説のシリーズ名だが、最初の第1巻『幻獣少年キマイラ』が朝日ソノラマ文庫から刊行されたのは、1982年である。なんと今から40年前。それから延々と書きつづけていて、まだ完結していない。完結しないと「キマイラ論」を書けないから、早く完結してほしいのである。

 ずいぶん前、「私が生きている間に夢枕獏のすべてのシリーズは完結しないだろう」と書いたら、作者からその返答がきて、本の雑誌に載ったことがある。そのときの1ページコラムのタイトルは「北上さんあと10年生きていただければだいじょうぶですよ」というものであった。そこでは、さまざまなシリーズの完結までのスケジュールを書いていて、

「キマイラについてはどんなに延びても十年以内、目標は五年です」

 と書いていた。そのコラムが本の雑誌に掲載されたのは、2009年12月号だ。おいおい、もう10年を過ぎてるぞ。

 その「キマイラ」、いまは「一冊の本」に連載中なのだが、手元にあった2021年3月号を見たら、

 夢枕獏「キマイラ」は休載いたします。

 とあった。休んでいるんかい! 

 どうしてそんなに「キマイラ」にこだわっているのかというと、このシリーズが夢枕獏の原点であると思うからだ。この中に、この作家のすべてがあると思うからだ。

 夢枕獏『呼ぶ山 夢枕獏山岳小説集』(角川文庫/2016年刊)に寄せた大倉貴之の解説に次の一文がある。

「夢枕獏の方向性を決めた作品のひとつが、山岳小説と日本神話的世界が融合した「山を生んだ男」(『ねこひとのオルオラネ』所載)である。当時、その新しい視線でエンターテインメント書評に革新をもたらしつつあった北上次郎が、そのリアルな遭難描写を絶賛。北上の推挙によって双葉社から長編書き下ろしの依頼が舞い込み、シッダールタ(仏陀として覚醒する前の釈迦)を主人公にした初の長編冒険小説『幻獣変化』に結実。それを読んだ朝日ソノラマの編集者から書き下ろしの依頼がきて、それが現在でも書き続けられているキマイラシリーズの第一作となった」

 おお、そうだったのか。それは初めて知った。私の推挙がなくても、夢枕獏はいつかは長編を書いただろうし、そしてキマイラシリーズも始めただろう。私はたまたま偶然、その近くにいたに過ぎない。

 しかし、いきがかり上、そういう縁のある作品なので、最後を見届けたいのだ。そして「キマイラ論」を書きたいのだ。

 このシリーズについては完結してから読もうと思い、途中からは読むのを中断しているので、いまは全部で何巻になっているのか、それも皆目わからない。それにこのシリーズ、何度も版を変え、版元も変えて刊行されているので、これから全巻を読む場合、どの版を買い求めればいいのかもわからない。

 全巻読む時間も必要だから、早く完結はしてほしいけれど、いきなり終了するのもやめてほしい。できれば、あと半年で終了、というタイミングで告知してくれ。半年もあれば全巻読んで「キマイラ論」を書くこともできるだろう。

 というわけで、死ぬまでにしたい3つのこと、の1つは、その「キマイラ論を書く」ということなのだが、あとの2つは、長くなってしまったので、いずれ書く。

1月6日(水)書評家4人の2020年解説文庫リスト

〔大森望〕

1月『機巧のイヴ 帝都浪漫篇』乾緑郎(新潮文庫)
  『ペニス』津原泰水(ハヤカワ文庫JA)
2月『ぼくとおれ』朝倉かすみ(実業之日本社文庫/『地図とスイッチ』改題)
  『2010年代SF傑作選』大森望・伴名練編(ハヤカワ文庫JA※編者解説)
3月『アイドル 地下にうごめく星』渡辺優(集英社文庫)
6月「推しの三原則」進藤尚典(ゲンロンSF文庫※電子書籍)
  「枝角の冠」琴柱遥(ゲンロンSF文庫※電子書籍)
  『三体Ⅱ 黒暗森林』劉慈欣(早川書房※訳者解説)
7月『オクトローグ 酉島伝法作品集成』酉島伝法(早川書房※単行本)
  『ベストSF2020』大森望編(竹書房文庫※編者解説)
11月『トランスヒューマン ガンマ線バースト童話集』三方行成(ハヤカワ文庫JA)

「ひとこと」
 11本のうち、編者解説や訳者解説、単行本や電子書籍を除いて、純粋な「文庫解説」に限定すると、たった5本しかない。とくに2020年の後半は、開店休業どころか閉店ガラガラ状態だったんですが、これはべつだんコロナ禍における東京都の休業要請に応じたからではなく、たんに受注がなかったから。数少ない注文も、ひたすら《三体》三部作を翻訳していることを理由に何件か断ってしまい、結果的にますます数が減って、この20年くらいでたぶん自己最少本数を記録。この解説文庫リストのアンケートもぼちぼちクビになるんじゃないかと心配ですが、2021年は営業再開を目指したいと思っております。本年もよろしく。


[杉江松恋]

2月『警部ヴィスティング カタリナ・コード』ヨルン・リーエル・ホルスト/中谷友紀子訳(小学館文庫)
  『動物たちのまーまー』一條次郎(新潮文庫)
  『AX』伊坂幸太郎(角川文庫)
  『ザ・チェーン 連鎖誘拐』エイドリアン・マッキンティ/鈴木恵訳(ハヤカワ・ミステリ文庫)
3月『人魚の石』田辺青蛙(徳間文庫)
  『オブリヴィオン』遠田潤子(光文社文庫)
4月『息子と狩猟に』服部文祥(新潮文庫)
  『ハーリー・クィンの事件簿』アガサ・クリスティ/山田順子訳(創元推理文庫)
  『バスを待つ男』西村健(実業之日本社文庫)
  『悪の血』草凪優(祥伝社文庫)
6月『祈り』伊岡瞬(文春文庫)
7月『恍惚病棟』山田正紀(祥伝社文庫)
8月『笑う死体 マンチェスター市警エイダン・ウェイツ』ジョセフ・ノックス/池田真紀子訳 (新潮文庫)
9月『娘を呑んだ道』スティーナ・ジャクソン/田口俊樹訳(小学館文庫)
  『編集ども集まれ!』藤野千夜(双葉文庫)
  『作家の秘められた人生』ギョーム・ミュッソ/吉田恒雄訳(集英社文庫)
  『シカゴ・ブルース』フレドリック・ブラウン/高山真由美訳(創元推理文庫)
  『老いた男』トマス・ペリー/渡辺義久訳(ハヤカワ文庫NV)
10月『笑え、シャイロック』中山七里(角川文庫)
11月『乗りかかった船』瀧羽麻子(光文社文庫)
  『コロッサスの鉤爪』貴志祐介(角川文庫)
  『ファントム 亡霊の罠』ジョー・ネスボ/戸田裕之訳(集英社文庫)
  『つけ狙う者』ラーシュ・ケプレル/染田屋茂(扶桑社ミステリー)

「ひとこと」
 新型コロナ・ウイルスの影響はそれほど受けていないつもりでいたのだけど、振り返ってみると自粛期間の影響が出ているのがよくわかる。6〜8月に出た本が少ないのだ。もちろんその間にも原稿は書いているわけだが、9月になってどばっと刊行されている。

 2019年に書いた解説は17本、2020年は23本で増加傾向にある。いつも気にしている海外作品の比率は、昨年が8/17だったのに対し、9/23とパーセンテージでは少し減った。

 23本すべて書いた解説は気に入っている。楽しかったのは『編集ども集まれ!』だろう。これは「信用できない語り手」小説に入る作品で、中盤以降で言及される事実に触れないと解説の意味をなさなくなる。しかしそれはネタばらしになるわけで、もどかしいところを文章でなんとか切り抜けたつもりだ。行数が足りなくなって、最後は外科手術みたいにあっちを切り、こっちを切りと調整してなんとか収めた。書き始め、書き終わったところで終わる、というやり方でいつもやっているので、字数を切り詰めることはほとんどなく、珍しい経験になった。

 楽しいと同時に苦しかったのは『乗りかかった船』で、作中で語られていることが勤め人時代に熟知している業務だったせいで、つい自分語りをしそうになって困った。自制して自制して、何とか黒子でいることに成功したのでこれも思い出深い。

 海外作品では『ハーリー・クインの事件簿』と『シカゴ・ブルース』が忘れ難い本になった。両方とも書誌の調査に時間がかかり、編集者を焦らせたのである。あ、同じ版元か。その節はすみませんでした。

 特に『シカゴ・ブルース』は、絶対に必要なはずなのに今から外国の本屋に注文していたら間に合わない、万事休すか、と諦めかけた資料が、ふと振り向いたら背後の書棚にあるのを発見してびっくりした。ちゃんと買っておいた過去の自分に感謝したが、そんな本を買ったことを失念していた過去の自分にも文句を言いたいと思う。だから本がどんどん増えていくのだ。


[池上冬樹]

1月『愛する我が祖国よ』森村誠一(中公文庫)※『サランヘヨ、北の祖国よ』改題
3月『誘鬼燈』森村誠一(集英社文庫)
  『東京クルージング』伊集院静(角川文庫)
4月『明日香さんの霊異記』高樹のぶ子(潮文庫)※『少女霊異記』(文藝春秋)改題
  『暗手』馳星周(角川文庫)
5月『もしも私が、あなただったら』白石一文(文春文庫)
6月『琥珀の夢 鳥井信治郎』伊集院静(集英社文庫)
8月『海馬の尻尾』荻原浩(光文社文庫)
9月『雨降る森の犬』馳星周(集英社文庫)
  『グッド・ドーター』カリン・スローター 田辺千幸訳(ハーパーBOOKS)
  『恋々』東山彰良(徳間文庫/※徳間文庫『さよなら的レボリューション』改題新装版・解説文追加)

「ひとこと」
 9月で終わっているのには訳がある。11月と12月刊行予定の文庫解説依頼を3冊断ったからである。ある仕事(吉村昭の短篇アンソロジー)を準備していて、とても時間がとれないと思ったからだが、結果的にその仕事は延びて(でも今年前半に2冊出ます)、11月に依頼のあったものを受けることができた(だから1月に2冊出ます)。

 いずれにしろ11冊(実際は10冊だろう)は前と比べると少ないかもしれない。しかも森村誠一、伊集院静、馳星周が各2冊なのだから、バラエティ豊かとはいえないだろう。でも自分ではとても満足しているし、とくに伊集院さんの2冊と馳星周の『暗手』(この作品はもっと評価されていい)には愛着がある。日常系のミステリを題材にした高樹作品も実にキュートで、さりげない技も光っていて、注目されていい(面白いよ!)。

 個人的にはやはり、カリン・スローターの解説を担当できたのは、評論家としては嬉しかった。なぜかミステリ・ベストテンには入らないが(どうしてだ?)、これほど凄い女性作家もいないと思う。


[北上次郎]

2月『不屈 山岳小説傑作選』(ヤマケイ文庫)
  『開かれた瞳孔』カリン.スローター/北野寿美枝訳(ハーパーBOOKS)
  『いまひとたびの』志水辰夫(新潮文庫)
3月 『パラスター Side百花/Side宝良』阿部暁子(集英社文庫)
  『球道恋々』木内昇(新潮文庫)
4月 『咲ク・ラク・ファミリア』越智月子(幻冬舎文庫)
  『母のあしおと』神田茜(集英社文庫)
6月 『骨を弔う』宇佐美まこと(小学館文庫)
7月 『南風吹く』森谷明子(光文社文庫)
  『ヘルドッグス 地獄の犬たち』深町秋生(角川文庫)

「ひとこと」
 これ以外に「色川武大・阿佐田哲也電子全集」小学館の解説を2020年は7本書いたが、文庫解説は以上の10本。このうち『いまひとたびの』は1997年に
文庫化されたものに、書き下ろし短編「今日の別れ」を足した「完全版」で、
1997年の文庫解説に、その後時代小説を書き始めるまでの軌跡の紹介を5〜6枚書いて足したもの。

『不屈』は編者解説で、『母のあしおと』は単行本が出たときに書いた書評を
巻末に載せたもの。つまり純粋な文庫解説は7本にすぎない。刊行月を見てもらえれば一目瞭然だが、8月以降はなんとゼロ。大森望には翻訳で忙しかったとの理由があるようだがわたしにはそういう理由がない。本当に注文がなかった。断ったのは1本だけ。

 暇なので、ミステリマガジンに連載の「勝手に文庫解説2」をどんどん書いてしまった。ミステリマガジンはただいま隔月刊なので、年間6冊。早めに書いた「勝手に文庫解説2」の原稿は6本。つまり2021年分はすべて書いてしまった。2021年も文庫解説の依頼が少なければ「勝手に文庫解説2」の原稿をどんどん書いていくつもりである。この原稿は1回10枚なので文庫解説とほぼ同じ。そのうちここには早めに書いた「勝手に文庫解説2」のタイトルが並ぶかも。

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