1月28日(月) 勝手に文庫解説・番外編 SFへの長い道/大沢在昌『帰去来』(朝日新聞出版)

  • ウォームハート コールドボディ (角川文庫)
  • 『ウォームハート コールドボディ (角川文庫)』
    大沢 在昌
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  • 『天使の牙〈下〉 (角川文庫)』
    大沢 在昌
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  • 撃つ薔薇 AD2023涼子 新装版 (光文社文庫)
  • 『撃つ薔薇 AD2023涼子 新装版 (光文社文庫)』
    大沢 在昌
    光文社
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 大沢在昌の『帰去来』が2019年1月に発売になった。久々のSFである。そこで、大沢在昌のSFをこの機会に全部再読しようと思った。SF、というよりも、正しくは「SF的シチュエーションを導入した現代エンターテインメント」と言うべきだろうが、長すぎるのでこの項ではすべて便宜的に「SF」としておく。

 そういう「SF」作品を、大沢在昌はこれまでに何作書いてきたのか。以下がそのリストである。

①『ウォームハートコールドボディ』1992年/スコラノベルズ
②『B・D・T〔掟の街〕』1993年/双葉社
③『悪夢狩り』1994年/ジョイノベルズ
④『天使の牙』1995年/小学館
⑤『撃つ薔薇』1999年/光文社
⑥『天使の爪』2003年/小学館
⑦「影絵の騎士』2007年/集英社
⑧『帰去来』2019年/朝日新聞出版

 大沢在昌の「SF的シチュエーションを導入した現代エンターテインメント」は、以上の8作である。37年間で8冊だから、4・6年に1作だ。それほど多くはない。実はこの長編8作以外にも、大沢在昌は3編のSF短編を書いている。それがローズ・シリーズだ。それは以下の通り。

ローズ1「小人が嗤った夜」月刊小説王1984年7月号
ローズ2「黄金の龍」月刊小説王1984年11月
ローズ3「リガラルウの夢』野性時代1994年7月号

 これは遙か先の未来が舞台。宇宙でも最大級の歓楽都市惑星「カナン」の巨大ホテルに勤務するホテル探偵ローズを主人公にした連作である。現在は『冬の保安官』(角川文庫)に収録されているが、著者は続きを書きたい意欲があるようなので、そのうちにあと4〜5編書き足して1冊分の分量になるかもしれない。

 とりあえずこの8作を順に紹介する。まず①は、刊行年に注意。この「最初のSF」が書かれたのは1992年である。『新宿鮫』の第1巻が刊行されたのが1990年であることを考えれば、ベストセラー作家となった大沢在昌が満を持して放った作品といえるかもしれない。大沢在昌がすでにどこかで自身の読書遍歴を書いたり、語っていたりしているのかもしれないが、1992年に『ウォームハートコールドボディ』を書く前から、読者としてSFを読んでいたことが推測される。そうでなければ突然SFを書くわけがない。1984年にローズ・シリーズを書いているくらいだから、SFへの興味はずっと以前から、つまりデビュー前からあったと思うほうが自然だろう。結論じみたことをここにはさんでしまうと、大沢在昌のSFには「楽しんで書いている」風情がある。読者として長年楽しんできた作者が、やっと書く側にまわったというひそかな嬉しさがちらちらとかいま見える。で、ベストセラー作家になったとき、その愉しみを一気に開放したのではないか。『ウォームハートコールドボディ』の刊行年からそんなことを思うのだが、はたしてどうか。ちなみに、『無間人形』で直木賞を受賞するのが1993年だから、この『ウォームハートコールドボディ』はその直前に刊行されたことになる。もう楽しんで書いてもいいんじゃないか。そんな余裕を感じることも出来る。

 肝心の中身の紹介を忘れてた。この『ウォームハートコールドボディ』の主人公太郎は製薬会社の営業マンで、ある日交通事故に遇い、死んでしまう。ところがその製薬会社でひそかに開発されていた新薬を投与されて生き返る。いや、生き返るわけではない。死んだままなのだが、けっして腐敗せず、生きているのに近い状態が維持されている。ただし、その状態を保つためには新薬を定期的に摂取し続けなければならない。そして新薬のデータを狙う者たちから彼は逃げなければならなくなる──そういう話でたっぷりと読ませてくれるものの、その次に書かれた②『B・D・T』に比べると、まだ物語が弱かったと言わざるを得ない。というよりも、『B・D・T』が傑作すぎるのだが。

 この長編の素晴らしさは、読み終えた直後の興奮が生に伝わってくる新刊評を引くのがいい。私は当時、次のように書いた。

「すこぶる刺激的な物語が始まっていく。特に後半の展開は、目が離せない。おいおい、いったいどうなるの、と思わせて見事に着地を決めるのもいい。見事にハードボイルドするラストの意味は、大沢在昌のこの実験が、SF的な設定を導入することで東京をニューヨークに転換し、ハードボイルド小説を書きやすくするための手法に他ならないということだ。日本におけるハードボイルド小説の書きにくさを作者はこうして巧みに回避する。多民族国家、犯罪多発都市、という外枠が同じなら、たしかにあとは作者の力量の勝負にすぎない。もちろんそれが作者の考えるハードボイルドのすべてではなく、こういう道もあるんだよいう余裕の提示であるとしても。つまり大沢在昌の成熟がここにも見られるのだ。もっとも私はそういうハードボイルドの実験としてよりも、近未来小説として愉しかったが。そのようにいろいろな読み方の出来る小説だろう。とにかく今月断然のおすすめ」

 角川文庫版の解説(池上冬樹)に、この部分が引用されているが、そこに「小説推理93年10月号」あるのは、「本の雑誌」の間違い。それはともかく、ホント、面白かった。

 順序を飛ばして⑦に行ってしまえば、その『影絵の騎士』は『B・D・T』の続編である。『B・D・T』から10年後、オガサワラで隠遁生活を送っているヨヨギ・ケンのもとにヨシオ石丸が訪ねてきて、この『影絵の騎士』の幕が開く。今度は東京湾の人工島を舞台に、個性豊かな人物が入り乱れ、謎狩りとアクションの物語が展開する。前作を上回る傑作といっていい。

 この『B・D・T』『影絵の騎士』連作に匹敵するのは、④『天使の牙』とその続編⑥『天使の爪』だろう。こちらも素晴らしい。まず『天使の牙』は男勝りの女刑事明日香が死に、その脳が絶世の美女に移植されて幕が開く。アスカとして蘇ったヒロインは、新型麻薬アフターバーナーの元締め君国に接近するが、それを援護するのが元恋人の古芳。ところが古芳はアスカの中にいるのが明日香とは知らず、さらにアスカにも古芳が組織の内通者かもという疑いがあるので、ぎくしゃくしているとの設定がいい。これが続編の『天使の爪』になると、アスカの中にいる明日香が好きなのか、それとも絶世の美女として生まれ変わったアスカが好きなのか混乱してくる(アスカも同様だ)という展開が素晴らしい。こちらも物語は複雑に絡み合い、脇役にいたるまでの人物造形もよく、さらに壮絶なアクションも特筆もの。この『天使の牙』『天使の爪』は、『B・D・T』『影絵の騎士』連作に匹敵する傑作で、この二つの連作が面白さと迫力では飛び抜けている。

 紹介を飛ばしてしまったのが③『悪夢狩り』と、⑤『撃つ薔薇』。人間の戦闘能力を極限まで高める新薬をめぐる前者も、退屈なわけではなく一気読みさせる力に満ちているが、その割りに印象を弱めているのは、『B・D・T』『影絵の騎士』と、『天使の牙』『天使の爪』、二つの連作があまりに図抜けているためで、『悪夢狩り』が悪いわけではない。問題は、㈭『撃つ薔薇』だ。この長編を、「大沢在昌SF作品リスト」に入れるのはどうか、とのためらいがある。というのは、2023年の東京を舞台に、新しい麻薬を流通させる組織に潜入する女性捜査官の活躍を描く長編だが、これ、近未来にする必要があったのかどうか。アクション小説として読むと、その緊迫するアクションの迫力は称賛に値するので、ここは活劇小説として堪能するのが筋かもしれない、との気がする。

 というところで、ようやく⑧『帰去来』にたどりつく。実は私、大沢在昌のタイムトラベル小説が読みたい、とこれまで何度も書いてきた。SFの中でいちばん好きなのが、タイムトラベルものなのである。

 願いが天に通じたのか、ついに大沢在昌が書いてくれた。それが本書だ。

 主人公は、警視庁刑事部捜査一課の巡査部長志麻由子。連続殺人犯が出現しそうな場所で囮として張っていると、犯人がいきなり現れ、喉に固い感触の輪が食い込んでくる。もうだめだと思ったとき、体がぴくんと跳ねて目が覚める。

 体を起こすと、制服姿の男が目の前に立っていて、「けいし」と呼びかけてくる。別れた恋人が、どうして制服姿で立っているのか、志麻由子にはわからない。彼は会社員で警察官ではない。しかもその制服は、警察官の制服とは微妙に違っている。

 部屋の中を見回すと表彰状があり、そこに「志麻由子警視殿」とある。ヒロインは巡査部長であり、警視ではない。さらに、その表彰状には「東京市警本部長」とあるが、東京は「都」であり、「市」ではない。

「今日は何日?」と尋ねると、「7月11日、土曜日です。光和27年の」と言う。こうわ、とは何だ?
「こうわ、の前は何?」
「承天です。承天52年に戦争が終わり、元号が光和に変わりました」

 つまり、ヒロインはもう一つの世界にタイムスリップしてしまったのだ。その世界がどういう世界なのか、ここから始まる驚くべき物語がどういうものであるのか、それはいっさいここに書かない。ヒロイン由子は無事に元の世界に戻って来ることが出来るのか、私たちは固唾を呑んでページをめくっていくことになる。

 いやあ、面白いぞ。

 不満はただ一つ。いいのかね、こんなことを書いちゃって。これも大変素晴らしいけれど、贅沢なことを言わせてもらえれば、私はタイムトラベル小説を読みたかったのだ。ところがこの『帰去来』は、タイムスリップ小説である。正しくは、パラレル・ワールドものと言うべきかもしれないが、スリップするのは事実なので、タイムスリップ小説としてもいい。しかし、タイムスリップとタイムトラベルは異なるのである。

 ようするに私、自覚的に時を旅する者の話を読みたいのである。出来れば、中年男が犬を連れて、少年時代の自分に会いに行く話を読みたい。その犬は少年が飼っていた犬で、数年前に死んだはずの愛犬だ。その犬が突然現れる。キャンキャンと嬉しそうに吠えて、少年のまわりを駆け回る。少年も嬉しい。しかし、死んだはずなのに、どうして愛犬は現れたのか。その後ろにいる中年男は静かな笑みを浮かべて立っている。誰なんだろう? おお、ここからどんな話が始まるのか、と思うだけで興奮してくる。

 そういう話を読みたい、と切に願うのである。

書評家4人の2018年解説文庫リスト

〔大森望〕
1月『アルテミス』アンディ・ウィアー(小野田和子訳)/ハヤカワ文庫SF
3月『異邦人』原田マハ/PHP文芸文庫
  『手のひらの幻獣』三崎亜記/集英社文庫
5月『手がかりは一皿の中に』八木圭一/集英社文庫
8月『いたずらの問題』フィリップ・K・ディック(大森望訳)/ハヤカワ文庫SF※
9月『カート・ヴォネガット全短篇 1 バターより銃』カート・ヴォネガット(大森望監修)/早川書房※
11月『ラゴス生体都市』トキオ・アマサワ/ゲンロン(*電子書籍)
  『逆数宇宙』麦原遼/ゲンロン(*電子書籍)
12月『NOVA 2019年春号』河出文庫※
  『revisions 時間SFアンソロジー』ハヤカワ文庫JA※
  『クロストーク』コニー・ウィリス(大森望訳)/早川書房※
  『バタフライ』阿野冠/集英社文庫

〔ひとこと〕
 2018年に発表した解説的な文章は、いろいろ足しても全部でわずか10本。自分の訳書・編纂書に寄せたもの(末尾に※印)と電子書籍の中篇2本(ゲンロン刊)につけたものを除くと、純粋な文庫解説はたった5本しかない。

 2009年以降、12冊→13冊→14冊→13冊→15冊→10冊→15冊→14冊→14冊と推移してきたあとの5冊なので、激減ぶりは歴然。例年の半分以下どころか、ほぼ3分の1しかない。当社比では、たぶん2004年以来、14年ぶりの低水準ですね。

 解説者としては開店休業というか、閑古鳥が鳴いているので、これをごらんの編集者諸氏は、ぜひ文庫解説のご用命をひとつ。とか言ってないで御用聞きにまわるべきかも......。


〔杉江松恋〕
1月『Killers』堂場瞬一(講談社文庫)
2月『許されざる者』レイフ・GW・ペーション/久山葉子訳(創元推理文庫)
4月『恩讐の鎮魂曲』中山七里(講談社文庫)
  『アガサ・クリスティー完全攻略[決定版]』霜月蒼(クリスティー文庫)
7月『極夜の警官』ラグナル・ヨナソン/吉田薫訳(小学館文庫)
  『東京結合人間』白井智之(角川文庫)
  『骨董探偵 馬酔木泉の事件ファイル』一色さゆり(宝島社文庫)
9月『ミネルヴァの報復』深木章子(角川文庫)
  『ダークリバー』樋口明雄(祥伝社文庫)
10月『用心棒』デイヴィッド・ゴードン/青木千鶴訳(ハヤカワ・ミステリ)
   『消えた子供 トールオークスの秘密』クリス・ウィタカー/峯村俊哉訳(集英社文庫)
11月『希望荘』宮部みゆき(文春文庫)
12月『もつれ』ジグムント・ミウォシェフスキ/田口俊樹訳(小学館文庫)
   『エンジェルメイカー』ニック・ハーカウェイ/黒川敏行訳(ハヤカワ文庫NV)※ハヤカワ・ミステリ解説を再録、加筆。
   『虚実妖怪百物語 急』京極夏彦(角川文庫)

〔ひとこと〕
 最後の『虚実妖怪百物語 急』は編集者から〆切直前に確認の電話をもらうまで『序』『破』『急』のうち『序』を書くのだと思い込んでいた、というのは内緒です。こういう風に3冊同時発売の解説を書く場合、他の2冊と解説の内容が被ってしまわないか、心配になりますね。

 2018年は14冊、2017年は27冊でしたが、これは『新宿警察』の電子書籍10冊分をまとめて書いた分が入っているので実質的には18冊、微減ということになります。2018年に書いた解説でもっとも印象深かったのは『アガサ・クリスティー完全攻略[決定版]』でしょうか。

 なにしろこの本は、拙著『路地裏の迷宮踏査』(東京創元社)と日本推理作家協会賞と本格ミステリ大賞を争って連勝した因縁の一冊です。解説を書くとしたら私しかいないでしょう、という「よくぞ頼んでくれた」本でした。

〔池上冬樹〕
2月『ラメルノエリキサ』渡部優/集英社文庫
3月『60』石川智健/講談社文庫
3月『屈折率』佐々木譲/光文社文庫
4月『シェアハウスかざみどり』名取佐和子/幻冬舎文庫
10月『雨の鎮魂歌(レクイエム)』沢村鐵/中公文庫
11月『Mの暗号』柴田哲孝/祥伝社文庫
11月『青い月曜日』開高健/集英社文庫
11月『聖母の共犯者 警視庁53教場』吉川英梨/角川文庫
12月『過ぎ去りし世界』デニス・ルヘイン/加賀山卓朗訳/ハヤカワ文庫

〔ひとこと)
 2018年はがくんと減って9冊でした。例年の半分以下。2019年もそうなるのかわかりませんが、2016年の記録、年間27冊のようなことはもうないでしょう。20冊でも多い気がします。19年度は一人の作家とその周辺について長い原稿を書く予定ですし、ほかの仕事にも集中するので、18年のように10冊前後かと思う。
 18年度の作品のなかでは、『ラメルノエリキサ』の解説を担当できて嬉しかった。これは解説にも書きましたが、見事な少女ハードボイルドです。アメリカの私立探偵が日本の少女に転生したような感じといったらいいか。キビキビとした毒のある愉快な語りが最高です。
 十代からファンである開高健の解説を担当できたのも、個人的にはとても名誉なことでした。十代のころから愛読している森内俊雄、吉行淳之介、立原正秋、小川国夫など文庫にならないだろうか。いくらでも書きたいのですが。
 そうそう、いくらでも書きたいといって珍しく出版社に売り込んだのが、吉川英梨の「警視庁53教場」シリーズの新作です。本格ファンも愉しめるネタのぎっしりとつまった警察小説の傑作シリーズ。注目ですよ。

〔北上次郎〕
1月『残りの人生で、今日がいちばん若い日』盛田隆二(祥伝社文庫)
2月『鬼煙管』今村翔吾(祥伝社文庫)
3月『岳飛伝17 星斗の章』北方謙三(集英社文庫)
  『巡査長真行寺弘道』榎本憲男(中公文庫)
4月『炎の塔』五十嵐貴久(祥伝社文庫)
6月『クラスメイツ〈前期〉』森絵都(角川文庫)
  『ムーンリバーズを忘れない』はらだみずき(ハルキ文庫)
  『罪人のカルマ』カリン・スローター(田辺千幸訳)ハーパーBOOKS
8月『国士舘物語』栗山圭介(講談社文庫)
  『英語屋さん』源氏鶏太(集英社文庫)
11月『今はちょっと、ついてないだけ』伊吹有喜(光文社文庫)
  『鷹の王』C・J・ボックス(野口百合子訳)講談社文庫
12月『よっつ屋根の下』大崎梢(光文社文庫)
  『サラマンダー殲滅』梶尾真治(徳間文庫)

〔ひとこと〕
『岳飛伝17 星斗の章』の文庫解説は2年前に書いた。この単行本が刊行されたとき(2016年5月)に全17巻をまとめて読み、新刊評を書いたのだが、数年先に文庫解説を書くときにまた17巻を読むのは大変だなと思い、じゃあ先に書いておこうと考えたのである。文庫解説の依頼が私にこないことも想定されるが、そのときは「勝手に文庫解説」と題して、どこかに載せればいいのだ。という話をしたら、「それは人してどうか」と大森に書かれてしまった。

12月14日(金)大森望VS日下三蔵「時間」対決の勝者はどっちだ?

  • revisions 時間SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)
  • 『revisions 時間SFアンソロジー (ハヤカワ文庫JA)』
    早川書房
    886円(税込)
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  • 時間篇 人の心はタイムマシン/時の渦 (SFショートストーリー傑作セレクション)
  • 『時間篇 人の心はタイムマシン/時の渦 (SFショートストーリー傑作セレクション)』
    星新一,筒井康隆,小松左京,平井和正
    汐文社
    1,728円(税込)
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 大森望編『revisions 時間SFアンソロジー』(ハヤカワ文庫)と、日下三蔵編『SFショートストーリー傑作セレクション 時間篇 人の心はタイムマシン/時の渦』(汐文社)が、ほぼ同時期に発売になった。どちらも「時間をテーマにしたSFアンソロジー」である。その収録作品は以下の通り。

〔大森望選〕
「退屈の檻」リチャード・R・スミス
「ノックス・マシン」法月綸太郎
「ノー・パラドクス」藤井太洋
「時空争奪」小林泰三
「ヴィンテージ・シーズン」C・L・ムーア
「五色の舟」津原泰水

〔日下三蔵選〕
「御先祖様万歳」小松左京
「時越半四郎」筒井康隆
「人の心はタイムマシン」平井和正
「タイムマシンはつきるとも」広瀬正
「美亜に贈る真珠」梶尾真治
「時の渦」星新一

 作品は一つもだぶっていない。違いは、「日下三蔵編」が「小学校高学年から大学生くらいまでの若い読者」を意識して作られたこと。実際にこちらは、新刊書店の児童書のコーナーに置かれていた。だから、字も大きく、しかもルビつき。あとは、大森編は新しい作品が多い、ということも違いとしてはあるかも。

 そういうふうに本としての違いはあるが、「日下三蔵編」の作品を見れば一目瞭然だが、これらの収録作品は児童向けに書かれた作品ではない。時をテーマにしたSF、ということでは大森本と同じであり、そういう中から傑作を選び抜くという点ではやはり同じ趣向の二冊といっていい。

 だから、これらの本を見た瞬間、よおし、それではどっちがアンソロジー本として優れているか、私が勝手に判定してやろうと思った。ようするに、私が面白いと思った作品が多いほうが勝ち。勝手にシロクロつけるぞ、と張り切ったのである。

 しかし途中ですぐに気がついた。こういうふうに考えること自体が、大森と日下の術中に嵌まっていると。

 この二冊を編むにあたって、この二人が相談しあったわけではないだろうが、無言の連携プレイのような気がするのだ。つまり、日下三蔵編で、まだSFを読んだことのない年少読者を掴まえる。その網からこぼれた大人を、今度は大森望編で引きずり込む──そういう連携プレイではないのか。この二人はそうしてSFマーケットに読者を巧みに誘導しているのだ。どんどん読者を増やしているのだ。これが最初ではあるまい。そういう深慮遠謀を、この二人ならこれまでも考えていたに違いない。私が知らないだけで、これまでにもこういう連携プレイがあったのではないか。

 だから、この二冊を見て、勝者はどっちだ、という企画を考えること自体、彼らの術中に嵌まっているのだと、気がついた。

 勝者など、どっちでもいいのだ。大森望編は読んだことのない作品ばかりで、「ノックス・マシン」の続編を収録しているという角川文庫版を急いで買いに走ったし、日下三蔵編はさすがに全部読んでいたが、忘れているものが多いので、こちらも面白かった。

 そうか、面白ければいいか。

9月27日(木)「競馬ワンダラー」をもう一度

 グリーンチャンネルに「競馬ワンダラー」という番組があった。いまでも再放送をしているからご存じの方も多いかもしれない。日本全国の競馬関連施設(競馬場や場外、牧場などなど)をまわってレポートする番組である。中でも特異なのは、いまはなき競馬場の跡を訪ねる回が多かったことだ。現在は宅地になっている街の路地を車で走りながら、MCの浅野靖典が「このカーブがいいなあ。ここが4コーナーだったんじゃないかなあ」と愉しそうに言うと、なんだか見ているこちらまでもが愉しくなってくる。そういう番組だった。

 競馬場の痕跡がまったくないところもあるが(そういうときは、現在の地図に昔の競馬場のコースを重ねたりする)、団地になっていたり、公園になっていたりするケースが少なくない。あまり古い競馬場だと痕跡がまったくないことが多いけれど、廃止したのが昭和三十年代くらいだと、まとまった土地が突然出現するわけだから、団地などになるケースが多いのである。

「競馬ワンダラー」は全部で6シーズン放映された。私が気がついたのは数年前だ。そのときは全部のシーズンを再放送していたので、表を作りながら録画して観た。なぜ表を作ったかというと、再放送の順番がばらばらだからだ。だから観た回や、すでに録画した回をチェックするために、表が必要なのである。1シーズンが12回から14回。それで6シーズンだから、全部で70回は超えている。北海道から沖縄まで、よくもまあ日本全国に競馬場があったものだと感心するくらいだ。そこを浅野靖典はワンダラー号(という名のワゴン)でまわったのである。はっぴいえんどの「風をあつめて」に乗って。

 第7シーズンがなかなか始まらないのは、もうまわる場所がないということかもしれないが(だったら、これまでの6シーズン全部をDVDにして発売してくれ)、いまでも時々、浅野靖典だったらここをどうレポートするかなあと思うことが少なくない。ちなみに浅野靖典は、『廃競馬場巡礼』(東邦出版)という本も出している(こちらの第2弾は出ないのか)。たとえばこの夏、根岸森林公園に行ってきた。ここは根岸競馬場の跡地に出来た公園である。

 根岸競馬場が出来たのは1866年(慶応2年)。途中で「横浜競馬場」と名を変えて昭和17年まで開催。その後は米軍に接収。1969年に返還され、1977年に公園になったという経緯がある。だからいま、競馬場はない。緑の多い公園がただひろがっている。ただし、スタンドの一部がいまでも残っている。現在も残されているのは、昭和5年に建てられた一等馬見所だ。建てられてから90年近いというのに、いまも堂々と3つの塔屋とともに聳えている。近くまでいって見上げると壮観だ。

 この夏公開された映画、細田守の「未来のミライ」の舞台にもなっていたので、「聖地巡礼」のファンがいるかなと思っていたのだが、誰もいなかった。一等馬見所の横にある小さなバスケットコートで子供たちが遊びに興じているだけだった。

 浅野靖典は当然、「競馬ワンダラー」でこの一等馬見所を訪ねている。そのとき、どういう感想を述べたのか、具体的には覚えていないが(DVDを発売してくれれば、こういうときに確認することが出来る)、私が知りたいのはコースのほうだ。当時の競馬場の部分はそのまま公園になって残っているのだが、地形もほぼそのままならば、とても起伏に富んだコースということになる。それを見たときの浅野靖典の感想を知りたい。

 昔の競馬場の跡地を通りかかるたびに、浅野靖典だったらどういう感想を述べただろうかと思う。この9月には三宮に行ってきたが、生田神社の横に競馬場があったというのでその界隈を歩いてみた。明治2年から明治7年までしか使われなかった競馬場なので、もちろん何の痕跡もない。このあたりかなあと思って歩いただけだ。しかし浅野靖典のような「名探偵」ならば、何らかの痕跡を探し出したかもしれない。「競馬ワンダラー」でこの「生田の馬場」を訪れる回があっただろうか。もう録画も残ってないし、作成した表も見当たらないので確認できない(だからDVDを発売してほしいのである)。

「サンスポZBAT」に藤代三郎名義で「馬券の休息」というコラムを連載して1年が過ぎ、2年目に入った。馬券の話は「週刊ギャロップ」に書いているので、こちらは「競馬周辺の話」だ。競馬場グルメや競馬本の話、そして昔の競馬場の話など、馬券には直接関係のない話を書いている(毎週水曜昼に更新)。根岸森林公園を訪れた話はまだ書いていない。生田神社の横にあった競馬場の話は来週更新の予定。無料なので、ぜひご覧ください。

8月24日(金)音楽会の夜

 ビルの地下にあるバーだった。お茶の水駅近く、ということだけは覚えているが、店名は記憶にない。そのとき、横にいたのはM君だ。カウンター席に並んで座り、あのとき私たちは何を話したのか。

 私には友人が少ない。仕事関係の知人や、趣味(もちろん競馬だ)を同じくする友はいるが、仕事も競馬も離れれば、友と言えるのは昔からずっとM君だけである。高校時代の同級生だ。だからもう五十年以上の付き合いになる。彼は大学で教えていたが定年になり、とはいっても2カ月間中国に行ってくる、と先週電話がきたばかり。精力的に動きまわっている。

 地下のバーのカウンター席に彼と並んで座っていたのは、私たちが二十七歳のときだ。音楽会の帰りだった。その日は、声楽の道に進んだ高校時代のクラスメイトの発表会に行ったのである。カウンター席に並んで座っても、会話はなかったような気がする。その音楽会に現れたT嬢のことを、私は考えていた。会うのは四年ぶりだった。相変わらず、綺麗だった。

 彼女の横にいたのは、私たちの同級生だ。慶応を出たあとは家業を継いだと聞いていた。気のいい男だった。彼がずっとT嬢のことを好きなのは、みんなが知っていた。「あの二人、婚約したらしいわよ」と誰かが言った。そうか、彼の思いがようやく伝わったのか。私はM君の顔を見ることが出来なかった。M君がいまどんな顔をしているのか、それを知るのが怖いような気もした。

 T嬢が婚約したことをM君は知っていたのか。そんなこと、私は聞いてないぞ。

 M君とT嬢が付き合っていたこと、私もT嬢を好きであったこと──わかるのはそれだけだ。あとは、ごちゃごちゃとさまざまなことがあったりするが、いまとなってはもういい。私もM君も、そのころ、宙ぶらりんのところにいた。働いてはいたものの、やる気もなく、ただぼんやりと生きていた。そういう人間に異性を口説く資格はない。T嬢がM君から(そして私から)離れて行ったのもそういうことだと思う。

 カウンター席に並んで座ったとき、私が思い出していたのは、楽しかった日のことばかりだ。特に思い出したのは、ある冬の夜のことだ。M君の家で数人で飲んでいたとき、みんなで車を飛ばしてT嬢の家に近くまで行き、彼女を呼び出したことがあるのだ。夜中の12時だというのに彼女は大通りまで出てきた。なんのことはない、10分ほど話して私たちはまたM君の家に戻ったのだが、その真冬の10分間、T嬢はずっとM君の腕のなかにいた。彼ら2人と、こちら側に男が3人の立ち話だ。そのときのT嬢の笑顔は、実はいまでも覚えている。

 なぜ地下のバーの、カウンター席に並んだ座った夜のことを思い出したのかというと、小野寺史宜『夜の側に立つ』(新潮社)に、似たようなシーンがあったからだ。

 アメリカから帰国した君香から連絡がきて、「僕」と荘介と3人で映画を観に行き、そのあとビアホールで飲み、最後にいくのが地下のバーだ。カウンター席に3人で並んで座り、2杯ずつ飲んでバーを出る、というシーンである。

 そのとき彼らは二十一歳で、男女3人。二十七歳のときに男2人、という私たちのシチュエーションとはかなり違っている。しかし、君香と荘介が以前付き合っていたこと、その日実は「僕」が君香に告白しようとしていたこと(ある出来事のためにその告白は流れるのだが)──つまり「僕」が君香に惹かれていたことなど、私たちと似たシチュエーションもある。昔のことが一気に蘇ってきたのは、そのためなのしれない。

 小野寺史宜の前作『ひと』(祥伝社)のことを思い出す。父親が働いていた店を、主人公の青年が探し歩くくだりで涙が突然こみあげてきて、どうしたんだおれと、驚いたことがある。あとで考えてみたのだが、私もまた父親の過去を探して、横浜から川崎を歩きまわったことがあるのだ。そのときのことを思い出したのかもしれない、と思ったのだが、本当にそうなのかどうか、実はよくわからない。何はともあれ、それは私の個人的な事情にすぎないと思っていた。ようするに、たまたまだ。

 ところが、本の雑誌の杉江由次君がこの『ひと』で、私とはまた別の箇所で泣いたという話を聞き、もしかすると、小野寺史宜の小説のなかに、私たちの感情の襞の奥深くに、直接語りかけてくるようなものがあるのかもしれない、と思ったりもする。私や杉江由次君だけでなく、あるいは全国の読者の感情に、静かに語りかけてくる小説を、この作家は書いているのではないか。そんな気もするのである。

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