3月9日 『暗渠パラダイス!』と『贋の偶像』

  • 文明開化に馬券は舞う―日本競馬の誕生 (競馬の社会史)
  • 『文明開化に馬券は舞う―日本競馬の誕生 (競馬の社会史)』
    立川 健治
    世織書房
    8,800円(税込)
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 高山英男・吉村生『暗渠パラダイス!』(朝日新聞出版)を読んでいたら、141ページで手が止まった。なんなんだこれは!

 そこには1枚の写真が掲載されていて、次のようなキャプションが付けられていた。

「グライダーの試験飛行を板橋競馬場でおこなったときの絵はがきより。当時は今よりもずっとレースの開催頻度が低く、競馬場でさまざまな催しが行われた」

 この『暗渠パラダイス!』は、『暗渠マニアック!』(柏書房)に続く共著で、競馬場と暗渠の関係はその中の一つである。板橋競馬場の写真(いや、実際には絵はがきだが)で手が止まったのは、ずっと板橋競馬場が気になっていたからだ。

 現在の板橋区栄町を中心にしたあたりにあった(明治41年〜43年)板橋競馬場の場所は、私の生家に近いのである。そんなところに競馬場があったなんて信じられない。矢野吉彦『競馬と鉄道』に「板橋競馬」の広告が載っていて、「王子駅より人車20分」「板橋駅より人車10分」とあり、東武東上線の大山駅から近いのに、どうしてそんな遠方から人力車に乗るんだろうと思ったが、考えてみればまだ東武東上線が開通していなかったころである。ちなみに板橋競馬場は、明治41年〜43年と先に書いたけれど、実際に競馬が行われたのは明治41年だけで、しかも全部で11日間だけである。

 この「板橋競馬場」については資料がほとんどなく、写真を見たこともない。と、「サンスポZBAT!」に書いたら、それを読んだ立川健治氏(『文明開化に馬券は舞う』(世織書房)で馬事文化賞を受賞)が、資料をどさっと送ってくれた。それがあまりに膨大な量であったので全部読み終えるのには時間がかかりそうだが、その中に1枚の写真があった。中央新聞に掲載されたスタンドの写真で、それが唯一の板橋競馬場の写真だという。新聞に載った写真のコピーなので、残念ながら見にくいが、「唯一」なのだから大変に貴重な資料といっていい。

 そういうときに、この『暗渠パラダイス!』に掲載された絵はがきを見たのである。写真ではなく、絵はがきという点は残念だが、それでも往時を偲ぶよすがにはなる。

 立川健治氏の資料で、えっと驚いたのは、板橋競馬を主催したジョッケー倶楽部の理事長が長田秋濤という人間で、その評伝小説が中村光夫『贋の偶像』だという記述であった。なにそれ?

『贋の偶像』は1967年に野間文芸賞を受賞した作品だが、長田秋濤は明治の忘れられた文学者で、中村光夫はこの作品でその長田秋濤にスポットライトを浴びせたのである。

 関係ない話だが、実は私、中村光夫の授業を受けたことがある。中村光夫は明治大学で教えていたのだが、あるとき大教室の授業のとき、後ろの学生が「聞こえません」と大声で言ったら、「前に来い!」と怒ったことがあった。中村光夫はいつもぼそぼそと喋るので、たしかに後ろの席では聞こえにくかったろう。私はそれを知っていたのでいつも前のほうの席にいたのだが。当時の明治大学には、平野謙と本多秋伍もいた。高橋和己も短い間だが、私が在学中に明治で教えていたことがある。私は平野謙が好きであったので、卒論のゼミは平野謙を選んだ。閑話休題。

『贋の偶像』を読んでも、長田秋濤と競馬の繋がりは確認できなかった。フランスに留学しているときに、上流社会の集会場であった競馬場に出入りしていたこと。馬を2頭持っていたと新聞に書かれていること。板橋競馬が開催した明治41年には、文学者(あるいは政治家)としてのピークは過ぎていたこと。食えなくなって関西に移住したこと−−などを確認するだけであった。

 当時の新聞には、板橋競馬にはなぜか婦人の姿が多く、その中にはジョッケー倶楽部の理事長の愛人もいるのではないかとの噂を紹介されているが、長田秋濤はそちら方面にも活発であったようなので、なるほどと思ったりもする。いや本当にその理事長が長田秋濤のことなのかどうかはわからない。『贋の偶像』ではその時期、長田秋濤は関西にいたようなので、開催のときだけ上京したのか、それとも理事長職は名前を貸しただけなのか、詳細は不明。

 これ以上のことは私にはわからない。立川健治氏はただいま『文明開化に馬券は舞う』の続編をまとめているようで(その「馬券黙許時代の競馬」は2巻になるようだが)、それが完成すれば、もっと詳しいこともわかるに違いない。上梓は来年だという。おお、それまで元気でいたい。

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1月7日(火)書評家4人の2019年解説文庫リスト

〔大森望〕
1月『オーパーツ 死を招く至宝』蒼井碧(宝島社文庫)
2月『アンフォゲッタブル』松宮宏(徳間文庫)
5月『グッド・オーメンズ』 ニール・ゲイマン&テリー・プラチェット/金原瑞
人・石田文子訳(角川文庫)
5月『涼宮ハルヒの驚愕』谷川流(角川文庫)
6月『ビビビ・ビ・バップ』奥泉光(講談社文庫)
7月『三体』劉慈欣/大森望・光吉さくら・ワンチャイ訳(早川書房)※
7月『クサリヘビ殺人事件 蛇のしっぽがつかめない』越尾圭(宝島社文庫)
8月『夏をなくした少年たち』生馬直樹(新潮文庫)
  『フロリクス8から来た友人』フィリップ・K・ディック/大森望訳(ハヤカワ文庫SF)※
  『おうむの夢と操り人形 年刊日本SF傑作選』大森望・日下三蔵編(創元SF文庫)※
10月『死なないで〈新装版〉』井上剛(徳間文庫)
12月『息吹』テッド・チャン(早川書房)※

〔ひとこと〕
 翻訳・編纂などに自分が関わった作品(末尾に※印を付したもの)を除くと、2019年に出た純粋な文庫解説は8本。5本にまで激減した2018年に比べてやや持ち直した感じですが、それ以前の9年間(平均13冊強)と比べるとやっぱり少ない。もっとも、最近だんだん文庫解説を書くのに疲れてきて、昔よりずいぶん時間がかかるようになっているので、まあこのくらいがちょうどいいかも。
 ところで、2019年に刊行された北上次郎氏の『書評稼業四十年』(本の雑誌社)には、文庫解説稼業についてもかなり詳しく書かれているので、毎年このリストを見るのを楽しみにしているような人はくれぐれもお見逃しなく。



〔杉江松恋〕
1月『秘密』ケイト・モートン/青木純子訳(創元推理文庫)
3月『ノッキンオン・ロックドドア』青崎有吾(徳間文庫)
4月『Xの悲劇』エラリー・クイーン/中村有希訳(創元推理文庫)
6月『短編ベストコレクション 現代の小説2019』日本文藝家協会編(徳間文庫)
  『夫が邪魔』新津きよみ(徳間文庫)
7月『世界を救う100歳老人』ヨナス・ヨナソン/中村久里子訳(西村書店)
  『デブを捨てに』平山夢明(文春文庫)
  『ザ・ボーダー』ドン・ウィンズロウ/田口俊樹訳(ハーパーBOOKS)
8月『喜劇 愛妻物語』足立紳(幻冬舎文庫)
  『悪寒』伊岡瞬(集英社文庫)
  『ひとり旅立つ少年よ』ボストン・テラン/田口俊樹訳(文春文庫)
  『カジノ・ロワイヤル』イアン・フレミング/白石朗訳(創元推理文庫)
  『戦場のコックたち』深緑野分(創元推理文庫)
11月『赤毛のレドメイン家』イーデン・フィルポッツ/武藤崇恵訳(創元推理文庫)
   『クローバーナイト』辻村深月(光文社文庫)
   『破滅の王』上田早夕里(双葉文庫)
12月『失われた地平線』ジェイムズ・ヒルトン/池央耿訳(河出文庫)

〔ひとこと〕
 2018年は14冊でしたが、2019年は17冊と少し増えました。海外と国内の比率は、前年が6/14だったのに対して今年は8/17、海外小説の解説をもっと書きたいと言い続けてきましたので、これもいい方向に進んでいると思います。以前から熱望していた古典作品をいくつも手掛けることができたのは本当に嬉しくて、以前に手掛けた『トレント最後の事件』『矢の家』に続き、『赤毛のレドメイン家』まで解説を書けて幸せです。あとはヒルトン『学校の殺人』を書ければ創元推理文庫の旧おじさんマークでやりたい本はだいたい揃うのです。
 国内は、ありがたいことに作家の指名で依頼をいただいたものが多く、気に入った作品について書くことができました。どれも愛着のある解説です。
 解説は本の一部として、おまけの付加価値があるものではないといけないと思っています。そのためには、他の人が書いていない発見を盛り込みたいと思っていますし、作者も気づいていないような角度からの読解がそこに入っていればなおいい。また、作品の欠点だと感じるところは、なるべく指摘するようにもしています。どんな作品だって完璧ではないわけで、その欠点も小説の一部として愛でるのがいちばん有意義な読み方なんじゃないのかな。



〔池上冬樹〕
1月『ママがやった』井上荒野(文春文庫)
2月『英雄の条件』本城雅人(新潮文庫)
4月『密告はうたう 警視庁監察ファイル』伊兼源太郎(実業之日本社文庫)
4月『社賊』森村誠一(集英社文庫)
5月『自殺予定日』秋吉理香子(創元推理文庫)
6月『許されようとは思いません』芦沢央(新潮文庫)
7月『真夏の雷管 北海道警・大通警察署』佐々木譲(ハルキ文庫)
8月『ア・ルース・ボーイ』佐伯一麦(小学館 P+D BOOKS)
10月『海の稜線』黒川博行(角川文庫)
12月『闇という名の娘』ラグナル・ヨナソン/吉田薫訳(小学館文庫)
12月『ジャパンタウン』バリー・ランセット/白石朗訳(ホーム社)

〔ひとこと〕
 2010年は17冊、11年は19冊、12年は15冊、13年は21冊、14年は15冊、15年は18冊、16年は27冊、17年は13冊、18年は9冊、そして19年は11冊。平均すると16冊になるが、今後は10冊前後に落ち着くのだろう。みなそれぞれ良書で、読む価値があるのだが、個人的好みであげるなら『闇という名の娘』になるだろうか。これは女性刑事を主人公にした警察小説ですが、同時に女性刑事の私小説ですね。それも老年に達しかけている女性刑事の私小説。こういう書き方もあるのか、いや、こんなに日本の私小説的でいいのかという思いも抱きました(詳細は解説参照)。
 なお、『ア・ルース・ボーイ』は新潮文庫に続いての文庫化(つまり二次文庫。ちなみに新潮文庫の解説は山田詠美)。三島由紀夫賞を受賞した名作ですが、資料をあたり、当時の選評を入手して書いてみました。選考委員は江藤淳、大江健三郎、中上健次、筒井康隆、宮本輝という豪華メンバーで、各氏がどのように佐伯作品を評したのか、ぜひご覧ください。その後の佐伯文学を見通す意味でも価値はあると思います。



〔北上次郎〕
1月『まさかまさか よろず相談室繁盛記』野口卓(集英社文庫)
2月『悪魔の赤い右手 殺し屋を殺せ2』クリス・ホルム/田口俊樹訳(ハヤカワ文庫)
  『疾れ、新蔵』志水辰夫(徳間文庫)
3月『誰がために鐘を鳴らす』山本幸久(角川文庫)
5月『神奈備』馳星周(集英社文庫)
  『猟犬の國』芝村裕吏(角川文庫)
6月『ブラック&ホワイト』カリン・スローター/鈴木美朋訳(ハーパーBOOKS)
  『椎名誠〔北政府〕コレクション』椎名誠/北上次郎編(集英社文庫)※
9月『ひりつく夜の音』小野寺史宜(新潮文庫)
10月『愛しい人にさよならを言う』石井睦美(中公文庫)
   『影絵の騎士』大沢在昌(角川文庫)
   『生者と死者に告ぐ』ネレ・ノイハウス/酒寄進一訳(創元推理文庫)
11月『北海タイムス物語』増田俊也(新潮文庫)

〔ひとこと〕
2019年は、これ以外に「色川武大・阿佐田哲也電子全集」(小学館)の解説を3巻書いたが、純粋な文庫解説は12点(※は編者解説なので)。点数的には例年通りか。いちばん嬉しかったのは、『椎名誠〔北政府〕コレクション』。以前から椎名誠の「北政府もの」をまとめてみたかったので、長年の夢が実現して嬉しかった。2020年は、「色川武大・阿佐田哲也電子全集」の解説を7巻書かなければならないので、文庫解説の点数は減るかも。しかし出来れば、2019年同様の12点はクリアしたい。怠けないように、とただいま自分に言い聞かせている。

11月25日(月)ブコウスキーの競馬

 ブコウスキーが競馬について長々と語っているインタビューがあるので、まずはそこから引く。

「競馬をやるとへとへとになる。英語で暇潰しのことを「時間を殺す」と言うが、各レース間の三十分は「時間の殺戮」そのものだ。そのうえ有金を全部すっちまった日には目も当てられないぜ。しかし家に帰ると思う。「よし、今度こそわかった。こういう仕掛けなんだ」新方式を発明するのだ。が、競馬場に戻ってみると状況が変化してるか、自ら別の賭け方に走るか。せっかくの方式を放棄してしまう。かくて馬の入場。てめえの節操がどの程度のものか、競馬をやれば一目瞭然だ」

「昼日中からサラブレッド競争に出かけて、間を飛ばしてまた夜間の二輪馬車競争に賭けるってこともある」

 このインタビューには「馬券代稼ぎ」というタイトルがつけられている。これは、朗読会ってそんなに嫌なのかいというインタビュアーの質問に対して、次のように答えたところからつけられているのだと思う。

「まるで拷問だよ。でも、競馬代を稼がないとさ。人に朗読してるんじゃくて、馬のために朗読してるようなもんだ」

 日本でブコウスキーが注目され始めたのは90年代の半ばで,『町でいちばんの美女』が新潮社から出たあたりだろう。そのころに出た「ユリイカ」のブコウスキー特集号を見ると、この作家に対して多くの人がくそみそに言っているのが面白い。

 たとえば川本三郎は「飲んだくれで、女好きで、なまけもの。金があれば安酒場で飲み、いい女を見るとたちまちやりたくなる」と書いている。あるいは、柴田元幸は「遺作『パルプ』の愉快さも、同じ徹底的ないい加減さから生まれている。まったく、こんな無責任なミステリー小説のパロディは見たことがない」と書いている。

 もちろん、そういうふうにさんざん腐したあとに、それでも魅力的なこの作家をみなさん熱く語っているのだが。

 とにかく競馬の話が多い。どの本を開いても、競馬が飛び出してくる。「聞いて損はない競馬の話」「もう少し競馬について」(どちらも『町でいちばんの美女』)は最初の1行から最後まで全部競馬の話だ。

 郵便局勤務の体験をもとにわずか19日間で書き上げたデビュー長編『ポスト・オフィス』には、「おれはいつも、本命の馬をやっつけるダークホースを探す」とあり、前走と今走を比較して検討するシーンが出てくる。きちんと予想しているとは意外だった。晩年書かれた『死をポケットに入れて』には、次のような箇所もある。

「競馬場でかすりもしない一日。行きの車の中で、わたしはいつも今日はどの必勝法のお世話になろうかとじっくりと考える。必勝法は六つか七つは持っている」

 もっとも、前記「ユリイカ」所載の対談で、青野聰は興味深いことを語っている。

 そのために資料を調べて、懸命になる。そして外れて帰ってタイプに向かう。「前のレースは汚かった」とか「調教師はどうの」とかよく書くんだけど、〔調べる自分〕は本当は好きじゃないみたいね。

 そりゃそうだろう。そんなに熱心にデータを調べていたら、ブコウスキーのイメージが違ってくる。こういう人には破天荒に賭けて、破天荒に負けてもらいたい。

 ブコウスキーの賭け方は、単勝一本やりだったようだが、それはともかく、おやっと思ったのは、『勝手に生きろ!』の中の次の記述だ。

「ジャンとおれは、ロス・アラミトスについた。土曜だった。そのころ、四分の一マイルレースはまだ目新しかった。十八秒で勝ち負けが決まるのだ。当時の正面観覧席は、ニスも塗ってないただの板が何列も続いているだけのものだった。競馬場に着くと混んできたので、おれたちは席取りに新聞紙を広げて置いておいた。それから、競馬新聞をじっくり見ようとバーへ下りた」

 ここに出てくる「四分の一マイルレース」を知らなかった。四分の一マイルとは、400メートルだ。なんと、たった18秒で決着のつくレースとは、驚いた。もちろんサラブレットではないのだろうが、そんなところにまで出かけていたとは、ブコウスキーはホントに競馬が好きだったのだろう。なんだか途端にこの作家に親近感を抱くのである。

 ちなみに、ブコウスキーは1994年、73歳で亡くなったが、その死の直前に書かれた日記には次のような一節がある。

「今日のわたしは二七五ドルの勝ちだった。わたしは競馬をずいぶん遅くから、三五歳になってから始めた。それから三六年間ずっとやっているわけだが、ざっと見積もってわたしはまだ競馬に対して五〇〇〇ドルの借りがある計算だ。とんとんにして死ぬには、神様にあと八、九年は生かしてもらわなければならないことになる」

 1ドル110円として5000ドルということは、55万である。36年間で55万しか負けてない! なんと1年間に1万5000円しか負けてないのか! この男、ものすごく馬券名人だったのではないか。親近感を感じたばかりだが、途端に嫌いになった。

11月12日(火)岩川隆をもう一度・その2

 近代化をはかって日本中央競馬会がバリアー式をやめ、スターティンクゲートを導入したのは昭和三十六年である。

「あんなもの、大勢で馬をハコの中へ押し込んで、バタン、パッ、と出してやるだけで、ね。びっくり箱みてえなもんだ。これじゃ馬追いの腕なんかいらねえじゃないか。おれはもう、いらねえだろう。そう思ったよ。馬と人のかけひき、なにくそっとも思うし、神経も使う。そこに仕事の生き甲斐もあるというものだが、びっくり箱の手伝いなんか、馬鹿馬鹿しくってやれねえや。だから、さっさとやめちゃったんだ」

 岩川隆のノンフィクションは、取材対象の生の声がいつも聞こえてくるようで、とてもリアルだ。サイちゃんは現役を引退後は、厩舎係などをつとめたあと、昭和四十二年の定年退職後はアルバイトとして、厩務員の共同風呂や騎手調整ルームのボイラーマンの生活を送っている。岩川隆が取材した当時のサイちゃんの生活も、著者はきちんと書き留めている。サイちゃんは午前2時に起床、一合の飯を炊いて、これを神棚仏壇に供え(三年前に細君に先立たれた)、三時半に家を出て、四時半には調整ルームのボイラーのスイッチを入れ、蒸し風呂の掃除を行う。七時五十分には競馬場西口のさきの十字路まで行って登校する小学生たちの交通整理を手がける。ふたたび競馬場に戻ってからは仕事の合間に、気軽にあちこちの雑用を買って出て、一日中めまぐるしく自転車に乗って動きまわり、ひとの顔を見ると「ご苦労さん」と陽気な声を発し、笑いを絶やさない。

 そういうサイちゃんの1日が紹介されると、「馬追い」が遙か昔の歴史上のことではなく、現代に続いている人間の営みの一つという真実が浮かび上がってくる。素晴らしいドキュメントだ。

 矢野幸夫調教師(取材当時は六十一歳)の整体術を描く一編、「東洋医学が効く〔人馬整体〕が走る」もなかなか興味深く、そういう作品がこの書には数多く収められてる。馬事文化賞を受賞した『広く天下の優駿を求む』よりも、この『競馬人間学』のほうが遙かに本としては素晴らしい。

 この『競馬人間学』に匹敵するのは、『ロングショットをもう一丁』だろう。この書には、日本競馬名人列伝、との副題が付けられている。ここでいう「名人」とは、馬追いのサイちゃんのような競馬界の裏方さんたち、陰で競馬を支えている職人たちではなく、巷の競馬名人のこと。よくもまあ、こんな人たちをみつけてきたよなあ、という「名人」が次々に登場する。著者が創作した人間ならば、どんな人物でも作品に登場させられるが、そうではないのだ。たとえば、著者が函館競馬場で会った「万券のカトちゃん」だ。きちんと名前が出てくる。「大野町議会副議長」「自民党渡島連合副支部長」という名刺が紹介されるから、明らかに実在の人物だろう。この人が馬券をずばずば当ててしまうのだ。その現場に遭遇した著者が、「万券のカトちゃん」に秘訣を聞くくだりにこうある。

「牝馬の痩せた(体重減)のはほとんどコないよ」

 おお、そうなのか。そんなこと、考えたことがなかった。
 
しかし、そういう「馬券名人」が次々に登場するわけではない。「みちのくに俳諧仙人あり」という項では、七十九歳の佐藤光五郎さんが紹介されるのだが、この人は競馬場で俳句を詠む。

 醍醐味はスタンドで喰ふ握りめし
 馬券嬢 瞳涼しかり我に福
 余韻あるレースとなりて穴は出ず
 馬券当て行きずり人にも笑みを投ぐ
 勝ち馬をまよいしあげく忘妻に聞く

 そこで著者は次のように書いている。

「心は競馬場に遊んでいる。儲けようなどと思わないで無心に馬を眺めたり、走る姿を追っていると、不思議に、馬券のほうから当たってくださるものだ」

 こういうふうに、さまざまな「名人」が紹介されていくのだが、白眉は「赤い毛糸のベレー帽」という一編だ。競馬で家を建てた人がいる、と聞いて著者が訪ねていくのだが、その人、加藤保隆さん九十歳の人生に圧倒される。

 著者は浦和競馬場に会いに行くのだが、その老人はレースが終わると埼玉新聞本社にレース結果を電話送稿。なんと九十歳の現役記者なのだ。関東大震災の前から弁士として働いていたが、知り合いのイッちゃん(河野一郎)が代議士になったので、その鞄持ちで全国遊説についていく。イッちゃんが政治演説している間は現地の競馬場に「視察」に行き、そのうちに予想紙の発行を思いつく。まだ専門紙の当日版がなかったころの昭和2年である。「加藤の赤新聞」として評判になり、中山東京でも戦争中も売っていたという。最後は女性関係だが、その詳しいことは本書を読まれたい。絶版だが、そう珍しい本でもなので古書店で容易に入手できるだろう。

10月28日(月) 岩川隆をもう一度/その1

 岩川隆(1933~2001)という作家がいた。週刊誌記者を経てノンフィクション作家となり、BC級戦犯を扱った『神を信ぜず』、その続編の『孤島の土となるとも』(講談社ノンフィクション賞受賞)などの著作で知られるが、野球エッセイも人気を集め、いまでも覚えているのは『キミは長島を見たか』(1981年)。長島が立教大学の学生のころ、黒沢明の「野良犬」に後輩を誘ったとき、こう言ったという。「のよしいぬ」を見にいこう。言われた後輩は何のことかわからなかったが、「はい」と返事をしたというのだ。いい話だ。

 岩川隆は競馬も好きで、競馬の著作も多い。そのリストを掲げておく。

①『競馬人間学』1979年・立風書房/文春文庫
②『馬券人間学』1983年・立風書房/中公文庫
③『ニッポン競馬新探検』1985年・潮文庫
④『競馬ひとり旅』1988年・立風書房
⑤『ロングショットをもう一丁』1990年・マガジンハウス
⑥『広く天下の優駿を求む』1994年・プレジデント社
⑦『東京優駿大競走事始め』2003年・MYCOM競馬文庫(毎日コミュニケーションズ)

 私の調べたかぎり、競馬の著作はこの7作だが、これ以外にもあるのかどうか、調査は依然続行中。その大半は日本中央競馬会発行の「優駿」に掲載されたもので、⑥は馬事文化賞を受賞している。ちなみに、⑦はその⑥から2編を収録した再刊本なので、厳密には競馬の著作は6作ということになる。

 この6作の中で、ダントツに優れているのは、いちばん最初の著作である『競馬人間学』だ。立風書房から刊行されたのは1979年。カツラノハイセイコがダービーを勝った年である。年末の有馬記念をグリーングラスが勝った年でもある。そのグリーングラスの単勝は友人に頼んで買ってもらったが、私が競馬を休んでいた時期なので、他の競馬のディテールの記憶はない。しかし競馬に関する本を読むのは好きなので、実際の競馬は休んでいても気になる本が出ると必ず読んでいた。だからこの『競馬人間学』もすぐに読み、その内容の濃さにしびれた。今回久々に再読したが(なんと40年ぶりだ)、その面白さはいまでも変わらなかった。40年たっても面白いとはすごい。

 競馬の裏方さんたちの話である。中でも「馬追いのサイちゃん」を描く一編、「発馬オーライ 行ってらっしゃい」が素晴らしい。

「馬がかわいそうだよ、あんなハコの中に詰め込まれちゃってよ。コワイんだよ、馬は。自由を束縛されたようなもんだ」

 と、サイちゃんは言う。

 その人物紹介を、少し長くなるが引く。

「林斎次。七十一歳。千葉県市原の農家の次男に生まれ、伯父の林初太郎を頼って上京したのが昭和の始めであった。伯父はメハツ(目黒の初太郎)と呼ばれて明治・大正における競馬会と厩舎の〔顔役〕として功績のあった人物である。斎次ことサイちゃんは、背が低かったので徴兵検査も丙種合格でお呼びがかからない。目黒競馬場の雑役から始めて、昭和八年、府中競馬場が完成したのをきっかけに日給一円八十銭の臨時職員となった。その後、日本競馬会発足とともに正式職員(月給四十五円)となり、馬場係をつとめ、戦後は発馬(馬追い)を専門に扱う整馬係として働き、やがては〔馬追いのサイちゃん〕と異名をとるほどの名人になった」

 ようするに、バリアー式の発馬時代に活躍した名人である。バリアー式というのは、スタート地点にゴムのロープを左右に引き、馬が並んだところでロープを上にはねあげるというものだ。つまり、馬を横一線に並べなければならない。馬追いの技術が問われるさとになる。馬追いは1レースに3名。その細かな技術を、岩川隆にサイちゃんに取材するのだが、ここでは省略。

「あの頃は、乗り役もアジがあった。ファン、馬主、調教師、騎手、そして私も含めて、勝敗を決めるスタートにもっとも緊張し、迫力があったよ。馬が出遅れたためにファンが八百長だと騒ぎ始めて、理不尽に、騎手ともども五時間も控室に閉じ込められたこともある」

 おお、もっと書きたいが、長くなりすぎたので、続きは次回だ。

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