第25回

 所さんの取材から、一日置いてアイドル撮影二連荘(6/28、29)。
まずは、オレの記念すべきタレント初アポの「ME-MISⅢ」。撮影は、「オールナイトフジ」の収録のある土曜日(この日にしか3人揃わない)の午後に行った。メンバーの一人が妊娠七ヶ月だったのには驚いたが(掲載された写真で2人が浴衣を着ているのに、1人だけワンピースなのはそのせい)、タレント取材を所ジョージという大物で"筆下し"したせいか、3人の内2人が同じ歳だったためか、コンセプト的にタレントというより素人に近かったのが原因なのかは、判らないが全く緊張することなく、撮影も取材もリラックスして進めることができた。
この時はむしろ、初対面の中森さんに対しての方が緊張していた。伝説のミニコミ「東京おとな倶楽部」の発行人で、田口憲司、野々村文宏と共に"新人類3人組"と呼ばれていた時代の寵児、「投稿写真」のレギュラー陣の中で所さんに次ぐVIPだったからだ。
 中森さん交えての取材後、一度社に戻ってデスクワークを片付け、「オールナイトフジ」の収録時のカットを収めるため、カメラマンと共に真夜中のフジテレビのスタジオへ向かう。局の入り口に警備員が立っているので、すこしビビったが、誰何されることなくスッと入れた。あまりのあっけなさに(大丈夫かよ、フジテレビ!?)と逆に心配してしまったくらいだ。
番組収録を見学するのは初めてだったが、ドキュメンタリー番組や映画などで見たものとさほど変わらなかった。しかし、物珍しさも手伝って、結局生収録の終わる午前3時まで(番組自体は午前5時終了だが、3時以降は事前に収録済みのビデオを流し、出演者はそこでお開き)スタジオにお邪魔してしまった。
当然ながら、電車はない。それは織り込み済みだったので、あらかじめ一夜の宿を高円寺に住んでいた友人に頼んであった。タクシーに乗り、途中で寝酒用兼お土産のバーボンを販売機で買い(深夜販売規制前の便利な時代だ)、友人のアパートに着く頃には、東の空の色が変わり始めていた。

 翌日(実際には当日)は、表紙+グラビアの撮影。幸い午後1時に会社近くのスタジオ集合だったので、未明までの残業の疲れはすっかり取れていた。
 モデルは、8月号の「FIインタビュー」に続いて登場、現在も女優・その他で活躍中の田中律子。'71年7月17生、東京都出身、中一の時に出演したパウチッコのCMで注目され、当時(中3)もTVアシスタントにドラマ、CMとまずまず売れていた。
所属は、ボックスコーポレーション。
この事務所、元々はタレント事務所というよりもモデル事務所だったのだが、おニャン子クラブ旋風にあやかって結成された現役女子高生集団『SOS歌劇団』にメンバーを送り込んだりして(黒木永子、藤田尚子、青木真美)、アイドル業界へ進出に意欲を見せていた。その先兵は、中森明夫いうところの"実直マネージャー"W氏。
ここからは想像だが、もし田中律子が中堅以上のタレント事務所に属していたなら、「投稿写真」に出てはくれなかったと思う。ボックスコーポレーションは、本業がモデル業ゆえ、広告代理店などへのパイプは太かったと思われるが、雑誌などの紙媒体へのコネクションはあまりなかったのだろう、大手の芸能・グラビア誌への営業があまりパッとせず、部数だけなら引けを取らないアダルト系の出版社発行の芸能誌(もどき)に矛先を変えたに違いない(こちらとしては大歓迎)。苦渋の策ともいえるが、戦略的には間違ってはいない。アイドルオタクの多くは、既に売れてしまっているアイドルも好きだが、これからブレークしそうなアイドルを見つけるのはもっと好きで、しかもそういうコ達は、最初からメジャー系の雑誌に載るわけではないことをよーく知っているからだ。
「俺なんか、「○○○○○○」に載った(出た)時からチェック入れてたんだぜ」
 オタク仲間に自慢するこの一言が言いたくて、紙媒体だと芸能誌ならメジャー、マイナー関係なくは無論、女のコティーン向けのファッション誌まで手を広げているのが、彼らの情報収集の基本だ。そして、初出がマイナーであればある程、ブレークした後でも"オレが見つけた"的愛着が湧き、末永くファンであり続ける。オタク層に支持され、一般ファンが後を追い、ブレークする図式は芸能界だけではなく、その頃のあらゆるオタク産業すべてに共通していた。
 W氏がそこまで見通していたのかどうかは不明だが、既に売れている田中律子が「投稿写真」の表紙・グラビアを飾った背景はそんなところだ。
 当の田中律子は、今でもそうだがキャピキャピ元気で、こちらの要求する衣装(この時は、制服、ブルマ体操着、剣道着、レオタード)やポーズにも笑顔で応えてくれるとってもいいコだった。おしゃべりしたい年頃なので、同性のスタイリストにはともかく、二回りは上のカメラマンや10歳は離れているK先輩やオレにも躊躇なく話しかけてくる。事務所の教育もあるのだろうが、彼女の場合は、生来の性格だと思った。

 撮影が終わって、会社に戻る道すがら、
「大橋、りっちゃん(田中律子の愛称)が、自分に惚れてると思わなかった?」
K先輩が、ニヤニヤ笑いながら言う。撮影中、すぐ名前を覚えてくれて、「大橋さん、あのね...」とすり寄ってくる彼女の愛くるしい顔を思い出しながら答えた。
「ええ、思いました(照笑)」
「俺も、先月のインタビューの時にそう思ったよ。いいコだよな~」
 K先輩もオレも自惚れが強いわけでは断じてない。かといって、田中律子が惚れっぽいわけでもないし、意図的に媚びていたのでもない(14歳でそれができるのなら末恐ろしいが、そうだとしたらK先輩もオレも気づくはず)。おそらくは、無意識に初対面の相手を自分の味方に引き入れる能力に長けているのだろうと思う。
芸能界で生きていくには、容姿、歌唱力、演技力、カリスマ性などなどいろいろな才能が必要だが、生き残っていくには、スタッフに好かれているかどうかも重要だ。どんなにブラウン管(今は、液晶ですが)で愛想を振りまいていても、スタッフに対して高ピーだったり、ワガママだったりすると売れている内はいいのだが、左前になった時にスタッフにそっぽを向かれてしまう(事務所の力にもよりますが)。「また、一緒に仕事をしたい」と思わせるタレントこそが生き残っていけるのだ。結果論になってしまうが、歌手としても女優としてもトップには立てなかった田中律子が、今も芸能界に残っているのは、彼女のそんな能力のおかげに違いない。