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11月24日(木)

  • 街の達人 名古屋 便利情報地図 (でっか字 道路地図 | マップル)
  • 『街の達人 名古屋 便利情報地図 (でっか字 道路地図 | マップル)』
    昭文社 地図 編集部
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 週末に名古屋で角田光代さんのイベントを行うため、どうせなら書店さんを廻ろうと二泊三日の出張へ。
 名古屋といえば「本の雑誌」の常連投稿者でもある二人の書店員さんがおり、そのうちひとりのヒサダさんは、本屋大賞の発表会などで面識があり携帯のメールアドレスも知っている。というわけで新幹線の中からメールを送る。

「急遽、名古屋へ向かってます」
 新幹線が品川を通過する前に返事が戻ってくる。
「今日休みなので名古屋の書店を案内してあげますよ!」
 素晴らしい提案をいただく。私が以前名古屋の書店さんを廻ったのはもう5年以上前で、その頃の書店員さんはほとんどいないであろう。また新しい書店もたくさん出来ているのだ。

「よろしくお願いします」と返事を送ると「大船によった気分で名古屋へお越しください」と力こぶの絵文字入りのメールが届いた。大船に「よ」った? 「の」ったのミスタイプであろうが、実は酔う以前にその大船が泥船だと気づくまでに、たとえ「のぞみ」に乗っていたとしてもまだしばらく時間がかかるのであった。

 名古屋駅から私鉄に乗って5駅のところにヒサダさんが勤める書店はあった。駅から徒歩十分。国道に面し、二階はレンタルビデオショップになっていた。ワンフロア200坪ほどの典型的な郊外店である。ヒサダさんは、週4日、一日4時間、扶養控除の範囲内で働き、文芸、ビジネス、新書を担当している。

「このお店が10年前にできたんですけど、そのとき友だちから面接を受けに行くので付いてきてくれって言われて。全然働く気もなかったのに一緒に受けたら、友だちが不採用で、私が受かっちゃって」
 そう話しながらも売り場には手書きPOPがたくさん並び、ある一角には全国の書店員さんが作ったフリーペーパーのボックスも置かれている。もちろんその真ん中に置かれているのは、ヒサダさん自身が作るフリーペーパー「次コレ」だ。

 昼食を食べた後、ヒサダさんに名古屋の書店を案内していただくべき移動を開始する。
 まず向かったのは同じく常連投稿者の書店員シミズさんのいる書店だった。そこは名古屋駅から桜通線に乗って4駅のところにあるのだが、路線図を手にするヒサダさんにそのことを伝えると「えっ!?」と驚かれ、「そうか、そういう行き方もあったのか」と路線図をくるくる回し始めたのであった。

 そういう行き方も何も、それ以外よほど無理な乗り換えをしないと行きようがない場所であり、そもそもヒサダさんはそのお店を訪れたことがないのだろうか。そのことを訊ねると「一度行ってみたかったんですよ。シミズさんにも会ってみたいし」とニッカリと笑った。

 一度も行ったことがない? しかも初対面?
 それでどうやって案内するんだろうか。いや案内するどころか名古屋駅に着いて、桜通線に乗り換えようとするのだが、「あれどこだったけな?」と右へ左へ文字通り右往左往し始めるではないか。

 そういえばヒサダさんは毎年本屋大賞の発表会に来場されるのだが、その際信濃町駅から明治記念館の、あのたった300メートル程度の直線でも迷い、私の携帯に「どこにいるかわからない!」と連絡してくるのだった。私がヒサダさんを探しに走ったのは一度や二度のことでなはない。しかしあれは見知らぬ街・東京のせいではなかったのか。

 駅のコンコースには顔を上げればきちんと「桜通線」と書かれた看板が出ており、私が「あっちじゃないですか」と指さすと「ああ、そうだった」と私の後をついてくる。それはシミズさんが勤める書店のある駅に着いても一緒だった。丁寧にカラープリントしてきた地図を片手に「えーっと、えーっと」と地下鉄の改札にある案内板の前に立ちふさがり、延々とあっち向いてホイをしているのだ。私がその地図を覗き込み、「1番出口ですね」と歩き始めると「そうだった、そうだった」とつぶやいて、また私の後をついてくる。

 残念ながらシミズさんはお休みで、明日再び訪れることを約束してお店をあとにした。明日は仕事のヒサダさんは「ああ、これでもう二度とこのお店に辿りつけないだろうなあ。シミズさんに会いたかったなあ。また誰か連れてきてくれないかな」と肩を落とすのであった。

 ヒサダさんのお店は規模や立地のわりに新潮社や集英社、あるいは幻冬舎や文藝春秋などといった新刊の入りづらい出版社の本がきちんと並べられていた。
 そのことを指摘すると、「昔は全然入って来なくて、注文を出しても出版されて1ヶ月くらいしてやっと来るって感じだったんです。それが毎年本屋大賞に投票していたら、出版社から新刊のゲラが届くようになって、それを読んで感想を書いて出版社に送っていたらきちんと入荷するようになって来ました」と相変わらず路線図を眺めながら話す。

 そうやって読んだゲラや本の感想は、出版社だけでなくお客さんにも伝えている。
「ウチのお店はご近所の常連さんばっかりなんですけど、『なんか面白い本ない?』って棚整理とかしていると訊かれるんですね。相手の趣味にあわせてお薦めしているんですけど、きちんと覚えていないと『それ、この前薦められて読んだよ』なんて言われちゃって」

 次の駅に着いて私が地図を見て歩き出すと、ヒサダさんは突然「逆です!」というのである。てっきりこちらのお店は過去に来たことがあり、今度はしっかり案内してくれるのかと思ったら、「前も逆に行っちゃって辿りつけなかったんです」と地図をくるくる回しながら、適当な方向を指さすのであった。

 しかしどう考えても私が歩いていった方向が正しいように思え、絶対こっちですと手を引っ張って無理やり連れていくと、突然「あっこの道、知ってます」と訳のわからないことを言い出す。

 そういえばここに来る前、「名古屋で好きな本屋さんはどこですか?」と訊ねたら「古本屋さんなんですけど、ウチから左に1回曲って、そのあと右に曲って、だいたい車で30分くらい走った場所にあるお店がいいんですよ」とまるでアマゾンに住むヤノマミ族のような答えが返ってきたのであった。

 おそるおそる「名古屋に住んでどれくらいなんですか?」と確認すると「いやあ、私、名古屋の人間じゃないんですよ。もともと四日市の生まれで、名古屋に出てきたのは25年くらい前なんです」と口に手を当て笑った。25年といえば四半世紀ではないか。

 そうやって連れてきてもらった書店は七五書店さんで、確かにここは私が元々練っていた訪問予定書店であったので助かる。ここの店長さんとヒサダさんは名古屋の書店員が集う「NSK」という会でしょっちゅう顔をあわせているのそうなので、きちんと私を紹介してくれるであろうと期待していたのだが、ヒサダさんはお店に入るとこちらで待ち合わせしていたらしい別の書店員さんと話しだし、私を店長さんに紹介するでもなく、いきなり「一度来てみたかったんですよ~」と棚を徘徊しだす。

 入り口に残された私を不審そうに見つめる店長さんに、私は改めてご挨拶。その後ゆっくりお店を拝見させていただく。古処誠二のファンなのかその著作と戦争本を関連付けられた棚が魅力的だった。

「さっ次はシマウマ書房に行きましょう」
 ヒサダさんは七五書店さんをあとにすると、新たに加わったヤマザキさんの背中を押すようにして歩き出す。
「行ったことあるんですか?」
「いやあ、一度行って見たかったんですよ」
 もう今日慣れっこになってしまった会話が続く。
 ヤマザキさんと共に電車に乗り込む。ヤマザキさんはヒサダさんと違ってきちんと路線図が頭に入っているようで、まったく迷う様子もない。やっとこれで案内していただける身分になれたわけだ。

 幾つかの駅を通過し、目的地にたどり着く。
 シマウマ書房は私の予習にも一切引っかかって来なかった書店であり、おそらくこのお店が地元名古屋で愛される隠れた名書店なのであろう。果たしてどんな書店だろうか。往来堂書店みたいなお店だといいなと考えていると、半分地下に埋まったようなお店の前にいた。

「こちらです」と指さされたお店を覗くと、確かにものすごくいい雰囲気を醸しだした書店なのであった。
 しかし看板に大きく「古本 買います 売ります」と書かれているではないか。
「名古屋で人気の古本屋さんなんです」
 うちの本を古本屋に営業しろってことだろうか......。

 日が暮れた頃、私たちは名古屋駅に戻っていた。くたくたの私を置き捨てるようにして、ヒサダさんは「夕飯の買い物をして帰ります」と言って、高島屋の地下食品街に向かった。「高島屋は目をつぶっても歩けますよ」と豪語したわりには、なぜか足は反対方向に向いていた。

 そんなヒサダさんは明日の朝、早く起きると子供たちのお弁当を作り、早朝から深夜まで働く旦那さんを見送り、歩いて5分の書店に出勤するだろう。ダンボールを開け、新刊に一喜一憂し、売れてる本は注文し、売れない本は残念ながら返品し、お客さんの問い合わせには親切丁寧に答えるはずだ。勤務時間はたった4時間しかないから、休むまもなく手を動かし、昨日よりも少しでもいい売り場をつくろうと汗を流す。

 一見どこにでもある本屋さんにしか見えないけれど、どこにでもある本屋さんを維持するのは大変だ。地元のお客さんはそんな売り場を、30分、1時間と滞在し、絵本やコミックスやビジネス書や文庫本を嬉しそうに抱えてレジへ向かう。なかにはヒサダさんの手書きPOPが付いた『ふがいない僕は空を見た』窪美澄(新潮社)を手にしているお客さんもいるかもしれない。

 たとえ地図は読めなくても本は読める。たくさん道に迷っても本を愛する気持ちに迷いはない。
 ヒサダさんの夢は、家の一角を小さな本屋にすることだ。おそらくそのお店は町の駄菓子屋さんのように、子どもから老人まで集まる場所になるだろう。いつもその中心にヒサダさんがいて、「ねえねえこんな面白い本が出たのよ」とおしゃべりしているはずだ。

 ヒサダさんは今、その夢の途中にいる。

 もしかしたらいまだ道に迷って帰宅途中かもしれないが──

11月22日(火)

 午前中、東京堂書店さんへ「本の雑誌」12月号の追加注文分を直納。最近、このようにして「本の雑誌」の追加注文をいただく機会が増えてきた。うれしい。

 三省堂書店の二階の喫茶店でB社のFさんと打ち合わせした後、我が最愛の定食屋「菊水」(本当は小料理屋)でひじき飯。一緒についてくる小豚汁(といっても大きい)をじっくり味わう。

 その後は常磐線を営業。どこのお店で伺っても11月の売上は芳しくないようで、先日別の書店さんで聞いた「自分も含めてだけど世の中本当にお金がないのかも」という言葉が脳裏に浮かぶ。

 お金はどこで生まれるのだろうか。

11月21日(月)

 週末を乗り越えても、相変わらず浦和レッズは予断を許さない状況が続いている。

 通勤読書は西村賢太『苦役列車』(新潮社)を再読。何度読んでも面白い。

 告知を忘れていたがWEB白水社で連載させていただいている「蹴球暮らし」の第18回「約束」第19回「ファイナル」をアップ。

 青山ブックセンター本店さんなどを訪問しつつ、夜、「作家 角田光代さんと電子読書会にチャレンジ!」イベントに立ち合う。

 私にとって小説家神7のひとり、角田光代さん(他は小川洋子さんと絲山秋子さんと志水辰夫など)とともに控え室にいるという状況がうまく理解できないのであった。
 口を開くと余計なことを言ってしまいそうなので無口に過ごす。

 イベントは無事終了し、22時に帰宅。

11月18日(金)

 ここのところ金曜日になると猛烈に胃が痛くなる。呼吸も浅くなって、歩いているのもやっとだ。

 それもこれも浦和レッズのふがいない成績のせいなのだが、もはや神に頼む気力もわかず、言霊を信じ「浦和レッズは絶対J2に降格しない」と一日中つぶやいている。

 大丈夫だろうか。いや大丈夫だ。そんなことを一日中考えている。もし...。いやそんなことを思ってはいけない。大丈夫、浦和レッズは「浦和レッズは絶対J2に降格しない」。

 ふと気づいたらいろんなデスクワークが滞っていることが判明し、外回りをあきらめ、一気に片付けることにする。

 夜、シラフではとても眠れそうにないので、編集の潤ちゃんを連れて水道道路にオープンした「串カツ田中」へ一杯ひっかけにいく。一杯のつもりが四杯となり、無料のキャベツをむしゃむしゃ食って、私は浦和レッズの、潤ちゃんは本の雑誌社の、社長の悪口を散々言い合う。徳を積むと良いことがあるらしいので奢る。

 帰りの電車のなかで「サッカー批評」53号(双葉社)「Jリーグの戦術力を問う」を読む。戦術のあるチームはいいもんだ。

11月17日(木)

 朝、会社に着いてすぐ電話が鳴る。
「客注なんですが、1冊お願いします」
 書店さんからで電話注文だ。
「『山の帰り道』1冊、番線は......」

 7月に出版した沢野さんのエッセイ集『山の帰り道』は、発売から約半年経っても毎日にようにこのような注文が何件も続いている。雑誌や「東京新聞」などで紹介された影響なのか、それとも新聞広告をうった影響なのかよくわからない。ある読者はがきには「今までの沢野さんの本のなかで一番心に染み入りました」とあった。

 営業で見ていて面白いのは、これだけ注文が届いている本なのにamazonでの販売数は大したことがないということだ。販売分におけるネット書店比率は相当低い。そしてネットで感想を検索してもほとんどあがってこない。また注文のほとんどがナショナルチェーンの書店さんではなく、町の本屋さんからなのである。

★   ★   ★

「まだまだこれからだよ」

 とある書店さんを訪問し、その前に訪問した別の支店の感想を伝えたところ、苦笑いしながら言われたのだった。

「注文取れなかったでしょう? だってあそこのお店は本部で発注だから売り場では出さないんだよね。どんどん人を減らして効率よく経営するってことじゃない。ベテランはやめていくかもしれないし、もう数年前とぜんぜん違う。それにもっと変わっていくよ」

 私が本の雑誌社に入社したときからお世話になっている、もはやベテランといっても何も差し支えないその書店員さんは、そう話す。大規模店といってもいいお店の注文を売り場にいない人が出す。確かに数年前だったら考えられない話だ。

「でもさそうじゃなきゃもうやっていけないんじゃない? そんで売り場に書店員が減ったらさ、例えば前なら100冊の本で100の売上をたてていたとしたら、そんなに手間隙かけられなくなって10冊を10ずつ売って100の売上を立てる考え方に変わるよね。書店員も出版社もそのほうがずっと楽だし」

 その後も書店や出版社を取り巻く現状について長く話を伺った。
 お互いこの方向性がいいことではないとわかっているけれど、どうすることもできずに奥歯をかみしめている。なんだか、なんかと一緒だ。

11月16日(水)

 もはや季節は冬。北風吹く中、取次店さんを回る。

 T社の仕入れ窓口で並んでいると、顔見知りの版元営業マンS社のKさんと遭遇。Kさんの手には電子ブックリーダーが握られており、もしやこれでプレゼンしながら仕入交渉をするのかと思ったら、自社本の編集中のゲラを取り込み、目を通しているそうだ。

「カバンが軽くなって肩こりも解消されましたよ」と微笑んでいたが、確かに本になる前のコピー刷りしたゲラは重たくて、そんなものを一日持ち歩いていたら肩がこる。確かに便利かもしれないが、続いてKさんは「でも目が悪くなりました」とつぶやく。うーん、肩をとるか目をとるかといえば私の場合目だな。

 その後営業しつつ、昨日より妻に頼まれていた『相性』三浦友和(小学館)を購入する。
 妻は三浦友和が好きらしい。そういえば結婚するときに持ってきたダンボールには三浦友和と百恵の写真集やら雑誌やらがいっぱい詰まっていた。昔出た映画がケーブルテレビで放映されるとなると録画もしているのであった。

 しかし私にとって三浦といえば三浦知良ことキングカズしか考えられず、その時点で私たち夫婦の相性は相当悪いような気がするのだが、まあ妻の理想のタイプはどんな人なんだろうとペラペラ読んでみる。ところが私と三浦友和の共通項は「洋服の青山」のスーツを着ていることしか見当たらなかった。人生とはそういうもんかもしれない。

 地方・小出版流通センターのKさんより「最近の『本の雑誌』は面白くない!」と叱責いただく。うーむ。
 

11月15日(火)

  • 日本の聖なる石を訪ねて――知られざるパワー・ストーン300カ所(祥伝社新書252))
  • 『日本の聖なる石を訪ねて――知られざるパワー・ストーン300カ所(祥伝社新書252))』
    須田 郡司
    祥伝社
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 通勤読書は、以前「本の雑誌」で宮田珠己さんが絶賛していた『日本石巡礼』『世界石巡礼』(ともに日本経済新聞)の著者・須田郡司の新刊『日本の聖なる石を訪ねて』(祥伝社新書)。冒頭のカラー口絵の石写真を「なんじゃこりゃ!」と眺めているだけでも楽しいのだが、第1章で聖地では法螺貝や笛を吹きバク転を奉納するという鎌田東二氏との対談も大変興味深いのであった。

 そこで会社についてすぐ、中で語られている鎌田氏の著作『聖なる場所の記憶』という本をamazonで検索してみると残念ながら品切れだった。しかしたいていの品切れ本がそうであるように、中古品では数百円で売られている。思わず人差し指を動かしそうになるが、ふとやめる。

 別に急いでいるわけでもないのだ。
 それに最近すっかり忘れていたけれど頭のなかに探求書のリストを浮かばせて、古本屋さんの棚やワゴンをくまなく見てまわるのは楽しいことだったはずだ。しかもなかなか見つからず、それも古書業界の価値とはまったく関係なく、ただ単に自分が読みたいと思っていた本を見つけたときの喜びは、浦和レッズのゴールと同じくらいうれしかった。

 便利になるのもいいのだけれど、そういった喜びを失うのはもったいないことである。
 というわけで人差し指を鼻の穴に入れ、ぐっと堪える。

 便利といえばスマートフォンで、所持してから約2ヶ月のあいだに私はすっかりスマートフォン中毒にさせられてしまった。明らかにこの物体からはニコチンを超える中毒物質が出ているようで、10分も触っていないと親指が震えだす禁断症状が現れる。よって本を読むにしても集中力が損なわれ、ふとした拍子にいつの間にか持っていた本の間にスマートフォンが挿入され、親指を動かしていることも少なくない。

 しかしそうやって見たTwitterやFacebookで書かれていることといえば「ラーメン二郎野菜マシマシなう」とか「妻が屁をこいた」とかどうでもいいことばかりで、一刻も早く本の世界に戻ればいいものを、気づくと自分も「娘に臭いと言われた」なんて公表しなくていい心の傷をつぶやいているのであった。

 しかもスマートフォンにはタイムマシーンも装備されているようで、そんなくだらないことや麻雀ゲームをしているうちに1時間とか過ぎているのである。しかもこのタイムマシーンは戻ることができないらしく、私の一日はどんどん進んでいってしまうのだ。

 そういえば浦和レッズ仲間に「おやゆび姫」と呼ばれるスマートフォン中毒の女性がいるのだが、彼女の親指はすっかり磨り減り、第一関節から先はなくなっている。私の親指もいつか消えてなくなってしまうかもしれない。

 というわけで私は親指と読書ライフのため禁スマートフォンを断行しようと思う。もし成功したら『読むだけで絶対やめられる禁スマートフォンセラピー』を書こうと思う。

 仕事は高野秀行さんと原稿の打ち合わせをした後、営業。
 そして11月の新刊『足のカカトをかじるイヌ』椎名誠著の初回注文〆作業を夜遅くまでする。

11月2日(水)

  • 個人美術館の愉しみ (光文社新書)
  • 『個人美術館の愉しみ (光文社新書)』
    赤瀬川原平
    光文社
    1,430円(税込)
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  • 釜ヶ崎のススメ
  • 『釜ヶ崎のススメ』
    剛, 原口,達也, 白波瀬,隆啓, 平川,七海, 稲田
    洛北出版
    2,640円(税込)
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 通勤読書は『個人美術館の愉しみ』赤瀬川原平(光文社新書)。
 一人の作家の作品や一人のコレクターが収集した作品を展示した個人美術館46箇所を赤瀬川原平氏が写真とともに紹介する。元は、東海道新幹線のグリーン車に設置されている「ひととき」という雑誌に連載されていたものらしい。当然、グリーン車に乗ったことのない私は初見である。

 美術にまったく門外漢なのであるが、その美術館ひとつひとつの成り立ちや展示されている作品からうかがいしる美術というものの本質、そして美術館そのものの建築物としての面白さなど、これは新書の棚だけに置いておくにはあまりにもったいないほどの出来栄えの本である。

 それにしてもまさか先日知人の結婚式で訪れた御嶽のレストランの隣が、川合玉堂の美術館だったとは!嗚呼。

 企画会議の後、営業で神保町に向かうと、「神田古本まつり」が続いており、思わず歩道に並ぶ出店に吸い寄せられてしまう。しかし心を落ち着けて営業へ。やはりこの期間は新刊書店もお客さんが増えるそうなのだが、その分、問い合わせも増え、書店員さんは何度も何度もレジに呼び出されていた。

 東京堂書店で『釜ヶ崎のススメ』(洛北出版)という本を発見す。これは面白そう。

11月1日(火)

 通勤読書は、『「本屋」は死なない』石橋毅史(新潮社)。
 おそらく『だれが「本」を殺すのか』佐野眞一(新潮文庫)と対をなすように書名が付けられたのだろうが、内容は出版業界紙「新文化」を退職した石橋さんが、全国の有名書店員さんに会いに行った「書店員放浪記」といったところか。そして語られるのはまさに「書店員"道"」。そういえば退職してすぐ石橋さんに会った時、「書店員さんの何万字インタビューとかしたいんですよね」と言っていたのを思い出す。

 営業でいろんな本屋さんを歩いていて気づくのは、どんな本屋さんにも役割というものがあるということだ。

 駅前の小さな町の本屋さんには町の本屋さんの、郊外の国道に面した書店にはその書店の、大都会の超大型書店には超大型書店の役割がある。いつだって棚を作るのは、書店員さんとそのお店に来るお客さんだろう。そしてお客さんの声を知ることができるのが、棚整理とスリップ、客注だと私は書店でアルバイトしていた頃、先輩から教わった。

 前日訪れた秋津のオリオン書房では、ヴァンフォーレ甲府サポーターHさんから「浦和レッズ大丈夫ですか?」といじめられながら、そんな話をしていた。秋津は西武線と武蔵野線の駅が離れているため多くの乗降客が商店街を歩いているのだが、日中と夜ではまったく客層が違うそうだ。ただこの地域では唯一の書店であるため、多くのお客さんが店頭に本が見つからなかったとき、注文を出してくれるらしい。「その注文される本を見ているととても勉強になるんです」とHさんは話していた。

10月31日(月)

 土曜日の朝には80%まで回復し、向かった国立競技所では散々な目に会い、帰りにはまた熱がぶり返してしまった。日曜日はおとなしく寝ていようと思ったのだが、サッカーチームのコーチがあり、薬を飲んでグラウンドに立つ。

 心も身体もまだ本調子には程遠いが、いつまでも休んでいるわけにも行かず出社。

『パパは今日、運動会』(筑摩書房)がいまいちピンと来なかったので、読むかどうか悩んでいた『寿フォーエバー』(河出書房新社)なのであるが、『凸凹デイズ』のゴミヤが登場するとあっては読まねばならぬ。というわけで高熱でうなされるなか読みだしたのであるが、結婚式場を舞台に山本幸久らしいコミカルな展開と真っ直ぐな登場人物に引っ張られ、最後には何だか涙が溢れてしまった。やっぱり山本幸久はいいな。

 というわけで、すぐに『一匹羊』(光文社)も読む。こちらは若干トーンが抑えめな感じの短篇集なのだが、暮らしのなかでふっとした瞬間に現れる肯定してもいいような気分を描いており、やっぱり、いいのだ! 特にタイトルになっている『一匹羊』は、もうたまらない上手さで、読み終わったあと、「明日もがんばろう」と自然に足取りが軽くなることまちがいなしだ。

 それにしてもなぜ山本幸久の作品はこんなに面白いのにベストセラーにならないのだろうか。もはや文芸業界の七不思議の気がするけれど、通勤や出張のお供に、時代小説や警察小説の代わりに山本幸久をキャンペーンを張りたい。

10月28日(金)

 朝、相変わらず熱は下がらず、会社を休んで病院へ行く。
 お医者さんは私のノドを見るなり、「ああ、真っ赤ですね」とつぶやき、風邪薬を処方しようとしたが、私はどうしても今日中に体調を良くしないとならないのであった。

「今日中に治したいんです」
「えっ?」
「先生も浦和で開業しているお医者さんなら知っていると思いますが、明日はナビスコカップの決勝戦なんです!」

 5分後、私の腕には点滴の管が差し込まれていた。

10月27日(木)

 ナビスコカップ決勝まで2日と迫り、朝、会社に着くなり事務の浜田に「何があってもあと二日は生きる!」と宣言したにも関わらず、夕方営業から戻るといわゆる「悪寒」が止まらなくなる。

 ぶるぶる震えながらデスクワークをしていたら早く帰れと浜田からは葛根湯を、校正の市村さんからビタミンCをいただく。それを飲んで帰宅するが、家についた頃には膝から下に力が入らず、倒れるようにして熱を測る。

 38度2分。
 平熱が35度なので、これは私にとってかなりの高熱だ。すぐさま家族と別のところに布団を敷いて寝る。これでナビスコカップ決勝が見られなかったら、一生の不覚だ。

10月26日(水)

  • フットボールサミット第4回 カズはなぜ愛されるのか? ―いままで語られなかった「三浦知良」論―
  • 『フットボールサミット第4回 カズはなぜ愛されるのか? ―いままで語られなかった「三浦知良」論―』
    田崎健太,ミカミカンタ,菊地正典,海江田哲朗,沢田啓明,浅川俊文,吉崎エイジーニョ,加部究,『フットボールサミット』議会
    カンゼン
    1,430円(税込)
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 通勤読書は、「フットボールサミット」第4回「カズはなぜ愛されるのか?」(カンゼン)である。雑誌のような書籍のこのシリーズは、中田英寿の真実に迫ってみたり、震災後のJリーグを検証してみたりと、目の離せないサッカー本なのであるが、今回は、我らがキングカズである。果たしてどうやって切り込んでいくんだろうと思ったら、いきなり冒頭の「親父が語るカズ」(田崎健太)にやられてしまった。

 カズの父親といえばほとんど語られることがなく、ダークなイメージばかりがまことしやかにつぶやかれていたのだが、いやはやこれはまさに「人物」ではないか。60年代に世界へ飛び出しW杯を目撃、帰国後は日本初のサッカー専門ショップを開店。サッカー少年団やサッカークラブを作りサッカーとともに歩き出すが、知人から預かった荷物に覚醒剤が入っており、逮捕。その後はブラジルに渡り、そしてカズを呼び寄せる......おそらくその行動力の凄さと常に金が動いているため日本では嫌われるタイプなのであろうが、『祖母力』祖母井秀隆(光文社)と対局をなすサッカーバカであることは間違いない。できることならカズのお父さんだけで本を1冊作って欲しい。

 サラリーマンの多い書店さんで、最近の文芸書のカバーデザインについて話される。

「『のぼうの城』や『謎解きはディナーの後で』以降、漫画っぽいイラストのカバーが増えていますけど、やっぱり年配の人は買いにくいにみたいですね。うちのお店だと売れないんです」

 実は私も『舟を編む』三浦しをん(光文社)の帯や表紙が恥ずかしかったのだが、本のデザインはほんとうに難しい。

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