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1月8日(水)

 目を開けたら「代田橋」という文字が見えた。
 つい先ほどまで下高井戸の「爺」というお店で木村元彦さんと高野秀行さんと新年会をしており、私は終電が早いので一足先にお店をあとにしたのだ。代田橋は、京王線で下高井戸から二つ目、私が埼京線に乗り換える新宿まであと二駅というところだった。

 プシューという空気の抜ける音がして、扉が閉まる。車内に吹き込んでいた冷たい風が遮られ、椅子から伝わるぼんやりとした暖かさがたまらない。寝てはダメだと思いながら動き出す列車に合わせて身体に力を入れると予想外の方に引っ張られた。

 確か進行方向が左になるように座ったはずなのに、私は今、右に向かって動いているような気がする。外の景色は真っ暗で見えない。いやあれほどガラガラだった電車にはいつの間にかたくさんの人が乗っているではないか。

 首を伸ばし、扉の上に表示される電光掲示板を確かめると「next meidaimae」の文字が点滅している。め、明大前?! おかしいではないか。代田橋の次は笹塚のはずだ。16年通っていた駅だから間違えようがない。代田橋の次は絶対に笹塚であるはずだ。

 腕時計を確かめると「22時49分」と表示されていた。確か私は下高井戸の駅でスマホを使い、乗り換え案内を検索したとき、22時41分の新宿発の埼京線に乗り、途中武蔵浦和で武蔵野線に乗り換え、23時20分に東浦和駅に駅に着くと表示され安心したのだ。それがなぜ「22時49分」で、京王線に乗っているのだ? 私の時計は電波時計だから時間が狂うわけはない。

 密閉型イヤフォンを外すとしゃがれ声の車内放送が聞こえてくる。

「次は明大前、明大前。京王井の頭線は乗り換えです」

 どうやら狂っていたのは私のようだった。
 この電車は新宿に向かっているのではなく、いったん終点の新宿に着き、折り返しているのだ。私はすっかり寝過ごしてしまっていたのだ。目の前に立っているサラリーマンも隣に座るOLさんも起こしてくれなかったのか。冷たいではないか。母さん、東京は冷たいところです。

 この電車にいつまで乗っていてもわが家に着かないことは明確だった。たどり着くのは高尾山だ。私はこんな深夜に山になんて登りたくない。暖かい風呂に入って、息子を抱きしめながら一刻も早く寝たいのだ。そう気づいたとき、バネ仕掛けのおもちゃのように腰を上げ、開いた扉に向かって走り出していた。

 残念ながら明大前の上りホームは別のホームだった。階段を駆け下りたいが、乗り換え客が邪魔してそうもいかない。どうにか人をかき分け京王線上りホームにたどり着いた瞬間、停まっていた新宿行きの特急の扉は閉まった。母さん、やっぱり東京は冷たいところです。

 次の電車は9分後だった。私は家に帰れるのだろうか。

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