3月10日(木)
9時を過ぎ、すぐにかかってると思っていた電話が鳴らない。私のスマホも妻のスマホも着信の知らせは届かず、スリープ状態のままだった。
公立高校の合格発表を見にいった娘からなんの連絡もなかった。
「やっぱりダメだったか......」
踏ん切りをつけるように口にして階下へ着替えにいく。おそらく自分の番号がなくて連絡して来られないのだろう。
一週間前、公立高校を受験した娘からは「傾向が変わっていて死んだ」というメールが届いた。居ても立ってもいられなくなり、これまでお参りしていなかった学業成就の湯島天神へ会社の帰りに立ち寄った。その晩、帰宅するとちょうど塾で自己採点してきた娘と一緒になった。娘が採点結果のことを口にすることはなかった。
娘がどこの高校に進学しようとどうでもよかった。公立高校だろうが私立高校だろうがどちらでもよかった。学校なんてどこに行ったって一緒だと思っていた。
だた、娘が悲しむ姿を見たくなかった。
昨日の夜まで妻も娘と一緒に合格発表を見にいく予定だった。それが布団に入る頃には受験した高校のある駅まで着いていくことになり、まぶたを閉じる頃にはひと駅手前の乗り換え駅のスタバで待っていることになった。そして今朝になって一人で行くからパパもママも家にいてと言ってきたのだった。
公立高校に落ちたら、私立高校に入学金をすぐに振り込まなければならなかった。その振り込みのために私は休みをとって待機しているのだ。3月だというのに外は冷え込んでいた。ジャンバーを羽織って居間に戻るが、妻はスマホを握りしめたまま目をつぶっていた。
昨夜、娘は何度も何度も寝返りをうっては、ため息をついていた。この一週間、娘のすすり泣く声で何度も起こされていたのだ。
合格発表は9時からだった。たくさんの人が学校の掲示板の前に集まり、掲げられた番号に注目しているのだろう。受かっていても、受かっていなくてもすぐに連絡するよう言ったのに、まるで電話がかかって来ない。電話ができないならせめてメールでもしてくれればいいのに、それすらなかった。自分の番号がなく、うずくまって号泣している姿しか思い浮かばなかった。
9時9分、家の電話が鳴った。私か妻のスマホにかかってくるとばっかり思っていたので、慌てて立ち上がり、電話まで駆けていった。
妻が受話器をとる。
すぐに頷くかか首を振るかジェスチャーでわかると思ったのに、妻は苛立たしげに大きな声を出した。
「えっ? 何? 聞こえない」
妻の声が部屋に響く。
「落ち着いて! 何を言ってるのかぜんぜんわからないのよ」
娘の泣き叫んでいる姿が浮かんだ。
「えっ? 受かったの? 番号あったの? そうなの......。おめでとう......」
涙ぐむ妻が、受話器を渡してきた。耳に寄せると向こうから激しい嗚咽が聞こえてきた。
「受かったのか?」
涙でとても声にならない。
「合格の書類はちゃんともらったか」
「......うん」
「気をつけて帰るんだぞ」
「うん」
受話器を置くと、妻と顔を見合わせた。どちらかともなく「よかったね」と言葉をかけあった。
用意していた銀行の通帳や印鑑を片付け、自転車の鍵を手にした。もう確認する必要もない合格発表を見にいくと告げると、妻は私も行くと言って、出かける支度をした。
娘が合格したのは私の母校だった。いつの間にか高校見学会に行き、志望校にしていた。もっと家から近い高校もあるのになぜこの学校を選んだのだろうか。
28年前、毎日通った道を歩いて高校へ向かう。高校卒業後に出会った妻とこの道を歩くは初めてのことだ。
駅前は再開発され、区画整理されたおかげで知らない道ができている。それでも昔の面影をみつけては、とめどなく思い出を話した。妻は煩わしそうだったけれど、止めることができなかった。まだこんなに妻に話すことがあったのだと驚きもした。
28年ぶりに門をくぐった学校は当時のままだった。あるのがわかっている娘の受験番号が記載された掲示板を見た後、しらばく学校内をうろつく。
まさかここにもう一度来られるとは思いもしなかった。決していい思い出ばかりではないけれど、ずっと来たいと思っていた場所だった。あの頃の自分に会いたかった。
会わせてくれたのは娘だった。