『Y先生と競馬』立ち読みページ

「Y先生」とは山口瞳先生のことであります。今回は、光栄にもご一緒させていただいた東京競馬場通いの日々を「ありのまま」に書かせていただきました。しかし、皆さまの心の中にある山口瞳先生の印象とは異なる箇所もあると思い、「Y先生」とさせていただきました。数年間にわたるこの競馬同行は私にとって、まさに緑鮮やか、ふかふかなターフの上を歩く、夢のような至福の日々でありました。

第一章 一九九二年日本ダービー 東京競馬場

 府中JRA。第五十九回東京優駿日本ダービー。常盤新平氏、矢崎泰久氏、坪やんが来る。入場人員十六万二千六百四十七人。売上六百三十一億二千八百六十二万五千七百円。渡邊五郎理事長が挨拶に来られたので「毎度有ッ」と言われる前に「御繁盛で結構なことでございます」と先手を打った。いまは投票カードに記入して馬券を買うのだが、穴場のおばさんに「まあ綺麗に書いてくださって有難うございます」「文壇でも原稿だけは一番綺麗だと言われているんだ」「でも当る当らないは別問題ですよねえ」と言われてしまった。ウルセエッ。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 特別な一日である。競馬の一年は夏の新馬デビューにはじまり、その頂点を決めるダービーで終わる。ここで当るか当らないかは、馬券購入者がその一年間何をしてきたかが試される、いわゆる修了試験である。天皇賞も、ジャパンカップも、有馬記念も、どんな酷い負け方をしても構わない。ダービーだけは絶対に当てなければならない。そのために競馬場に通い続けているのである。はずれた時の喪失感と衝撃は深く、そして長く尾を引く。ぽっかりと心に大きな穴があいてしまう。その穴の中で、新たな競馬年の新馬戦がはじまるまでひっそりとしていなければならない。

 午前六時三十分、すでに国立駅前にいる。Y先生からは、いつもより一時間早く集合、というご指示だったが、さらに一時間も早く国立駅に着いてしまった。眠れなかった。イレコミである。目をつむるとダービー出走予定の十八頭の四歳(現三歳)優駿たちが鼻の穴を拡げて頭の中を駆け巡っている。笑いながらである。イレコむ者は馬も、そして人間も絶対に救われない。勝負にならない。暗く長い一日が予想される。それにしても、早過ぎる。タクシーには乗らず、歩いてY先生の御宅に向かう。駅から南東にのびる旭通りを行く。日曜日の早朝、誰も歩いていない。車も通らない。一橋大学のグラウンドにも人影はなく、喫茶店「Catfish」も暗くひっそりとしている。靄がかかった、湿った武蔵野である。府中のターフの具合はどうか。昨日はたっぷり雨が降った。「良」ではじまった馬場も午後には「稍重」から「重」へ、そしてメインレース時には「不良」になっていた。もう雨は止んではいるが、第九レースまで「重」は残るだろうか。で、あれば府中の坂を先頭で駆け上がってくる馬はいよいよ一頭しか考えられなくなる。篠突く雨の中、フジサンケイクラシックの逃走劇は圧巻だった。続く圧勝劇、皐月賞もやはり雨だった。あの馬の蹄には高性能の水かきがついている。今年のダービーの予想はその馬の取捨からはじまり、そして終わる。どうするべきか。そんなことを考えていたらいつの間にか早足になっている。汗さえかいている。

 到着後、植込みの横で「一馬」(現・優馬)を眺めながらさらに時間をつぶし、七時十五分、まだ少々フライング気味だが玄関のベルを鳴らす。怪しい人影を閑静な住宅街の路上にいつまでもさらしておく訳にもいかない。Y先生がため息をつきながら扉を開けてくださる。手には二本の細字の水性ペン、まだ準備中である。すでにテーブルの上にはきちんと記入された勝馬投票券用のマークシートが何枚も重ねられている。急いで応接間のソファに坐りなおしたY先生はすぐに眼鏡を上下しながら「ダービーニュース」の馬柱を追う。傍らには「サンケイスポーツ」の競馬面が開かれ、佐藤洋一郎と水戸正晴の本命馬の印を「ダービーニュース」に書き加えている。競馬ファンならみなさん御存知の大穴予想の二大巨頭である。Y先生はこの二人の印を確認するために「サンスポ」を毎週末必ず購入している。佐藤洋一郎の予想はピンクのペンで、水戸正晴の予想は水色のペンで書き込まれる。

 Y先生がもっとも贔屓にしている予想記者は「報知新聞」の小宮栄一である。その予想は真っ先に緑色のペンで書き込まれている。小宮記者はどちらかといえば穴傾向の予想をする。多数派とは異なるユニークな本命印を打つ。しかし、一発を狙うというタイプではない。予想のプロセスに飛躍や省略はなく、その根拠は極めて明確に、そして整然と示されている。「正統な穴党」とでもいうべきか、正攻法で穴馬を選び出している。Y先生は全幅の信頼を置いている。

 後になって考えると、勝ったキョウエイブランドは報知新聞の小宮栄一記者が◎を打った馬であり、僕は最近は小宮記者の予想を一番信頼している(評論家や競馬記者は自分の予想が的中すると、鬼の首を取ったように、次回の予想のときに自慢するが、小宮さんは決してそれをやらない。僕はそこが好きだ。プロなんだから当って当り前なのである。小宮さんは自ら恃むところのある人だと思って頼りにしている)ので、キョウエイブランドから千円平均で総流しを試れば大儲けになったのである。小宮さんの予想のなかでも特にハッピー・エンドと称する最終レースのそれで何度か助けられていたのだから、そのことは充分に考えられる。

 などと、大国魂神社への道を急ぎながら考えたものだ。ホラ、ネ、僕だって大穴を当てたことを、こうやって書いているでしょう。東京の馬連最初の超大穴馬券を的中させたことを誰かに知ってもらいたいという気持が、口惜しいけれども、僕にもあるんですよ。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 もうひとつ。昨日の府中競馬の第九レース夏木立賞(馬連一万三千九百四十円)、第十レースの立夏ステークス(馬連二万五千六百四十円)が連続的中して最終第十二レース(馬連一千八百八十円)も当って、少額投資だからたいしたことはないが、僕としては大いに潤っていたからだ。
 内容は報知新聞の信頼する小宮栄一記者の◎から、パドックで馬体のよく見えた馬に流しただけで威張れたものではないのだが。こんな程度のことで喜ぶとは情ない。しかし、どうも、これは、その、なんだ、「ああ、愉快なり」なのである。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 競馬は難しい。特に穴党はなかなか当たらない。自分の予想が的中したらその手柄をアピールしたくなるのは仕方がない。はずれた時は口を閉ざすが、当ると饒舌になる。功名を売る。予想家としては当然の営業行為でもある。しかし、小宮記者は「吹かない」。その姿勢に強く惹かれている。とはいえ超万馬券を常に探し求めているY先生は、いささか饒舌派ではあるが佐藤・水戸両氏の破壊的な大穴予想も気にかかっている。テーブルの上にはもう一部、競馬新聞が開かれている。「競馬ブック」である。調教の評価、レースの想定についてはこの専門紙の見立てを信頼されている。スローペースか、ハイペースか、その読みは予想と結果に大きな影響を与える。「ブック」の想定タイムを「ダービーニュース」に書き写して出発前の作業は終了する。

「ブルボンで、いいと思うんだけどねえ」

 と一澤帆布製の青ねずの手提げカバンに四つ折りにした「ダービーニュース」をしまいながら、つぶやくようにおっしゃる。水かきのついている馬のことである。実はこの馬については、すでに昨年の十一月、ジャパンカップの前日に行なわれたレースを観て「七レース五百万下に出走した栗東のミホノブルボン(三歳牡・父マグニチュード)というのは凄い馬だ。前走千メートルではあるが最後方から追い込んで上り三十三秒一でレコード勝ち、今日は逃げて圧勝。馬格雄大で動き柔軟、皐月賞はこれと決めた」(『年金老人奮戦日記』)と注目している。この時に今年のクラシック戦線の主役を発見していたのである。ミホノブルボンはその予言通りに皐月賞馬となった。やはり、今日も決めている。でも、Y先生、圧倒的な一番人気ですよ。なにしろ皐月賞の単勝は一・四倍、同レースでは史上二番目の人気集中、結果は楽勝だった。穴党のY先生がダービーまで追っかけるには、この馬は強くなり過ぎているように感じられる。どうするか。

 さて、出発である。競馬場に行くときの鞄はいつも二つ。一澤帆布と、もうひとつは焦げ茶色の革製の鞄である。すべては明らかではないがさまざまな競馬観戦道具がしまわれている。Y先生は超がつくなで肩なので鞄を肩に下げることはしない。必ず両手に持つ。夫人もY先生とお揃いの「ダービーニュース」を手に準備万端である。武豊の大ファンである。従って勝率は極めて高い。外に出ると、すでに銀星交通のタクシーが停まっている。運転席を出て、Y先生宅の庭を覗きながら待っているのは徳本春夫さん、「徳サン」である。

 徳サンと西国立園芸へ行って桜草と岩タバコなどの山野草を買う。今年は毎年いい花を咲かせる岩タバコの葉が出てこない。徳サンに言わせると僕が肥料をやったりするのがいけないんだそうだ。「岩タバコなんかね、大木から落ちる雫が営養になったりするらしいよ」。彼の意見が正しいと思うのだが、ついつい肥料をやってしまう。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 国立市の無線タクシーの運転手徳本春夫氏に頼まれた馬券がパーフェクトで的中。僕は予想屋としては自信があり、僕と同行した人は必ずプラスになる。僕自身の馬券は低調。特に徳本氏は、このところ四連勝で五万円は儲かっている。いつも出番の時は府中駅附近に迎えにきてもらうのだが、儲かった日は早く来ている。はたして、この日も、ずいぶん早く来て待ってくれていたようだ。真っ赫な顔で運転席に坐っているのが見えた。
(『還暦老人ボケ日記 男性自身シリーズ23』新潮社 一九八九年)

 通常の府中開催日は行きはタクシー、帰りは府中駅まで歩き、そこから国立駅までたまらん坂経由の京王バスで帰るが、今日はダービー、十五万を超える人びとが集合するのである。容易に府中を脱出することなどできるはずがない。帰りも「徳サン」のハンドルさばき頼みである。

「徳サン」は谷保裏の狭い路地を抜けて、細い道を右へ、左へたどりながら、渋滞にひとつもひっかかることなく大國魂神社参道前の駐車場に到着する。熟練の技である。いつもは競馬場近くの私営臨時駐車場に停めるが、おそらく今日はすでに満車だろう。この駐車場もあと三十分もしたらいっぱいになる。駐車場からは神社の参道を進み、左に折れて正門に向かう。もちろん正面の大國魂神社に手を合わせてからである。バイクをまとめて停めた革ジャン姿のツーリング集団が競馬新聞をポケットにねじこみながら追い越してゆく。やはり今日は出足が早い。まだ、通常の開門時刻には一時間ほどあるが、京王線府中競馬正門前駅の改札口からはあふれるように人が出てくる。みんな小走り、こんな足さばきの良い中高年の群れはなかなか見ることはできない。やはりダービーである。すでに正門は開放されていた。人の波が澱んでいる。お祭りである。はるか先にはゴール前に自分たちの居場所を確保するため全速力で走り出している若者たちの後姿が見える。本気で走る若者の姿が大量に見られるのもこのダービーの朝と西宮神社の十日戎くらいだろう。彼らはおそらく昨日、いやもっと前から正門前に並んでいたのである。ダービーの闘いはすでにはじまっていた。

 Y先生は正面スタンドの一階西玄関の受付で通行証を受け取り、エレベーターで五階に向かう。十五号室、ゴンドラフロアの、奥から二番目の部屋である。このフロアは通路の奥に食堂が設けられている。黒服の山口支配人はY先生の姿を見つけると十五号室の入り口の傍らにさり気なく立って待つ。「コーヒー二つと紅茶、それからカレーライスを二つと、サンドウィッチ」コーヒーと紅茶は朝、食事は昼のための注文である。私を含めた三人分のいつものメニューである。第四レースが終ると、紙ナプキンに包まれたスプーンとラップで覆われたカレーライスがいつの間にか席に届けられている。朝のコーヒーを手にした山口支配人「先生、今日は隣の部屋にオードブルやサンドウィッチが用意されますよ」「後で行ってみようかしら」と嬉しそうに夫人が応える。ダービーデイの華やいだ雰囲気をすでに楽しんでいらっしゃる。Y先生は「それどころじゃないんだ」という表情で喜ぶ夫人の顔を眺めている。JRAの女性職員からダービーの一着から五着までの馬を当てる、という豪華景品付きクイズの応募用紙が各部屋に配られている。一、二着を当てるのでさえ難しいというのに、Y先生、用紙をちらっと見て再び「それどころじゃないんだ」という表情になる。入れ替わりでJRAの渡邊五郎理事長が挨拶に来られる。極めて紳士的、かつ穏やかな口調で「いつもありがとうございます」と理事長、しかし、Y先生には「毎度有ッ」としか聴こえない。

 競馬場の朝はとにかく忙しい。これからは分刻みで動かなければならない。ゴンドラ席の部屋は内・外の二つに分かれている。レースを観戦する、ターフを見下ろすバルコニー席と室内のソファー席である。まず、Y先生はバルコニーのカウンターの定位置に双眼鏡を置き、一通り眼下を眺める。空は晴れている。よく上野の花見の場所取りなどに使われる巨大なブルーシートがいくつも拡げられはじめている。ゲートから走りだして福を勝ち取った若者たちである。続いてY先生、ソファーのいつもの場所に坐って鞄から「ダービーニュース」を取り出す。競馬場で使用するのは書き込み十分のこの一紙だけである。早速、室内のモニターに映し出されるオッズを確かめながら、太い水性マジックで気になる馬の倍率を記入しはじめる。競馬専門紙の印とオッズは必ずしも一致しない。そのズレが配当の妙味になることもあれば、目論んでいた馬券をつまらなくすることもある。東京第九レース、日本ダービーの一番人気馬はやはりミホノブルボン、これはすべての競馬専門紙、スポーツ紙各紙の予想と一致している。倍率二・五倍、これまで圧倒的な強さを示してきたのに二倍台にとどまっているのは、予想家たちが指摘している距離不安説、さらには中間に出た体調不良情報からであろう。右前脚トウ骨に骨膜炎の症状が出た、とも報道された。「ダービーニュース」の調教評にも「全体に小ぢんまりして少し柔軟性、躍動感に欠けた」とある。戸山為夫厩舎の安永司担当助手のコメントは「体調を不安視する向きもあるが一言、状態良し」、いったいどっちなんだ。とにかく今の倍率はY先生にとってはフォローウインドであることに間違いはない。

 穴場が開く。窓口の向こうには妙齢の女性たちがズラリ並んでいる。Y先生は引き寄せられるようにすぐにそちらに向かう。昨晩、あるいは朝のうちに記入したマークシートを差し出している。どうしても気になって前の晩から買うことに決めていた馬たちの分である。ゴンドラ席で誰よりも早く勝馬投票券を買う人である。

 府中JRA。窓口で馬券を買うときは、どうしても若い人(全員が女性)を選んでしまう。若い人は間違いが少いからだ。老いた女性から買うときはユックリユックリ話しかけるようにして買う。
(『還暦老人極楽蜻蛉 男性自身シリーズ25』新潮社 一九九一年)
 
 穴場の女性たちは全員Y先生のことを知っている。「おはようございます」と丁寧な朝の挨拶、しかし、Y先生にはやはり「毎度有ッ」としか聴こえない。朝一番の馬券、Y先生は本命を打った馬から「総流し」をかけることがよくある。軸に選んだ一頭は大抵の場合は無印の、全く人気のない馬なので、「総流し」をしてもトリガミはない。マークシートには一枚五点しか記入できない。だからフルゲート十八頭立てのレースで「総流し」十七点を購入する場合、四枚のマークシートを必要とする。一つのレースで何枚も何枚もマークシートの数字を塗りつぶさなければならない。さらにY先生は一枚ごとに必ず五〇〇円のお釣りがくるように金額を整えている。ひとつの穴場で、一枚のマークシート、その都度五〇〇円玉を一枚手に入れる。

僕は競馬場では五百円玉を溜めることに専念する。千円買うところを千五百円にして二千円出して五百円玉の釣銭を貰う。単勝一万円買うところを一万五百円買う。
(『還暦老人憂愁日記 男性自身シリーズ24』新潮社 一九八九年)
 
 Y先生は樽前船のように穴場から穴場へとたどってゆく。一レースで少なく見積もっても五枚から六枚、一日終わると数十枚の五〇〇円玉がたまることになる。手に入れた五〇〇円玉には一切手をつけない。レースでとことんやられて財布に持ち金がなくなっても、必ず五〇〇円玉は大量にY先生の手元に残る。それを焦げ茶色の鞄に入れて持ち帰るのである。馬券の調子が良く積極的に参戦して、穴場に差し出すマークシートの枚数が増えれば増えるほど重量は増す。ズッシリとなった鞄を運ぶのは私の役目である。現金輸送者、持ち帰られた五〇〇円玉は書斎の本棚の前に並べられた竹筒に一枚一枚、入れられてゆく。太くて真っ直ぐ、立派な竹の一節を切りだし、コインの投入口だけが切りこまれている特製の貯金筒である。割らなければ出すことはできない。Y先生は競馬開催日ごとに五〇〇円玉を集め、それをため続ける。一年間に一度、満タンになった数本の竹筒の上部の節をくりぬいて五〇〇円玉を取り出し、たましん(多摩信用金庫)に預けるのである。

昨日の府中の競馬場で貰った小銭でもって、さしもの僕のコレクションした貯金箱も満杯になった。もう、一人では持てない。フミヤ君に手伝ってもらってタキシーを呼んで国立駅前多摩信用金庫(通称たましん)へ持っていった。計算機でもって計算してもらうこと三時間半(嘘じゃない)、僕の小銭は、大きな声じゃ言えないが、総計百七十四万八千三百五十八円に達した。こういうとき、一瞬、俺は日本一の金持になったんじゃないのかと思ってしまう。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 一本あたり約三〇万円超、年間で二〇〇万円は楽に超えると思われる。それが次の年の競馬資金の基礎になっている。そうやってY資金は一部竹筒を経て還流しながらではあるが、着実にJRAの金庫に収められてゆく。やはり、「毎度有ッ」なのである。

 府中JRA。競馬に限らず、ギャンブルで儲けるのは卑しいと思っている。電車のなかなどで百万円儲けた二百万円儲けたといった話をしている人の顔は十人が十人とも卑しい。品が無い。大前田英五郎とか清水次郎長が博奕で儲けたなんて話は聞いたことがない。大親分というのは静かに笑って客を遊ばせ自分は少し損をするのである。昔からギャンブルで大損をするのは馬鹿だ、少し損をするのが紳士だというのを持論としている。博奕で儲けるのは三下奴のすることである。
***
 そういうわけで、僕は競馬場では常に上品であろうと心がけ、おおむね上品な人間になって帰ってくる。僕という男はとても上品な人間だと自分でも思っている。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 今日もいつものように、いくつもの穴場を巡り、順調に五〇〇円玉を蓄え、そして再び十五号室に戻る。しかし、ソファに落ち着く余裕はない。立ったままモニターに映し出された第一レースの出走馬たちの体重の増減を馬柱に記入すると、もうパドックに出てくる時刻である。飲みかけのコーヒーに手をつける暇もない。「ダービーニュース」、双眼鏡、さらに太い赤ペンを手にして慌ただしく十五号室を出る。パドックに向かうのである。Y先生は必ずパドックに行く。本当の勝負は馬を見てからである。ゴンドラ席から階段を下りて四階の通路を抜けて、建物の反対側のテラスに行く。食堂の裏、揚げ物の香ばしい匂いが淡く漂っている。眼下、すでにパドックを囲む柵にはぐるり、隙間なく横断幕が張られている。武豊、田原成貴、田中勝春、岡部幸雄、パドック派のファンたちによる手づくりの応援メッセージである。十数頭の馬たちの蹄の音、鼻を鳴らす音、馬具につけられた金具の音が立ちのぼってくる。雨上がり特有の、少し湿り気と重さを含んだ響きである。いよいよ始まる。四階からパドックを眺めると馬たちがつくる輪がちょうど視野に収まる。全体を見渡しながらそれぞれの馬の調子を感じるにはこれ以上の場所はない。レースはひとつの馬の群れの移動である。団体行動である。それぞれの馬がその群れの中でどんな役割を演じるか、想像しながら一頭一頭のたたずまいを確かめる。逃げる馬、追いかける馬、後方でじっとする馬、パドックにおいても馬たちはそれぞれの表情を示している。Y先生は気になる馬の様子は、さらに双眼鏡で確かめる。歩様はスムーズか、踏み込みは力強いか、毛ヅヤはどうだ、腹周りの締まり具合は、やせ過ぎて巻き上がっていないか、落ち着いているか、興奮しているか、発汗の具合はどうか、集中しているか、闘志を表出しているか、それとも噛みしめているか、目つきは、表情は、パドックは短時間では処理しきれないほどの情報にあふれている。

 公営競馬はランクが細かく分れているので、実力差が接近している。どの馬にも勝つチャンスがある。従って、予想紙はアテにならない。馬を見て買う、これが正しいのである。
(『草競馬流浪記』新潮社 一九八四年)

 もともと公営競馬では必ずパドックで買う馬を決めていた人である。そのY先生がJRAでも同様にレース毎にパドックに通うようになったのは競馬評論家の赤木駿介さんの教えによる。赤木名人は一九八四年のダービーでスズマッハの単複の馬券を買う。圧倒的な一番人気は皇帝シンボリルドルフ、しかし無敗の皇帝が直線でもたつき、スズマッハがあわや逃げ切るのでは、と思われたレースである。惜しくも二着、二十一頭中二十番人気、単勝オッズは一〇五倍、複勝も十一・四倍だった。なぜ、スズマッハを買うことができたのか、Y先生は赤木名人に訊ねる。

 まったく赤木駿介さんの足は早い。僕も早いほうで、全速力で歩いているつもりなのだけれど追いつかない。そうかといって駈けだす気にはなれない。赤木さんは、学生時代、陸上競技(短距離)の選手だったという。
 赤木さんは、府中競馬場四階席にあるコーヒー・ショップのなかに入っていった。その先は食堂になる。コーヒー・ショップを右に曲ってテラスへ出た。そこからパドック(下見所)を見おろすことになる。
「なんだ、パドックか」
 赤木さんの背中越しに言った。
「そうです。パドックの馬をナマで自分の目で見る。これしかありません。三十年競馬をやっていて、やっとわかったんです。お恥ずかしい話ですが......」
「いつも、ここで見るんですか」
「そうです。どこでもいいんですが、同じ場所で見たほうがいい。私は、ここに決めているんです」
(「僕の競馬健康法」『日本競馬論序説』新潮社 一九八六年)

 それ以来、Y先生は敬虔なパドック信者になる。雨が降ろうが、風が吹こうが、毎日、毎レース、必ず四階のテラスに足を運ぶ。通常開催では一日十二レース、午前中のレースの間隔は二十五分、しっかりと馬を見る時間を確保するために、行きも帰りも急ぎ足である。

 府中JRA。風邪が猛威をふるっているらしい。朝は寒かったのだが昼頃から南風の突風が吹き、妙にナマ暖い。春一番だと言う人がいた。府中競馬場のスタンドは、本馬場が南向き、パドック(下見所)が北向きになっている。必ずパドックへ行く僕は北風のときは震えあがる。南風はどんなに吹いても平気だ。しかし、馬に影響があるのではないかと思われるくらい強く吹いた。障害で飛びあがったときに突風があったら飛ばされないだろうか。
(『還暦老人極楽蜻蛉 男性自身シリーズ25』新潮社 一九九一年)

 府中JRA。富士がいい。いくらか春めいてきたが夕方になって北風が強くなる。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 府中JRA。物凄い北風。パドックは四階ベランダから北向きで見るから寒い寒い。芥焼却場の煙突から出る煙が真横に流れ、すぐに千切れてゆく。パドックの常連の姿が見えない。気がつくと、毎レース、僕の他に二人か三人しかいない。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 府中JRA。雨になり暗くなり向正面なんか何も見えないようになった。折畳み式レインコートなんてものが初めて役に立った。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 府中JRA。パドックから見る欅の紅葉がいい。ウットリして馬を見るのを忘れてしまいそうになる。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 馬券購入者にとって競馬場に来る最大のアドバンテージは「生」の馬を見て馬券が買えることである。しかし、意外にパドックに足を運ぶ人は少ない。ダービーの日に、第一レースのパドックを四階から見つめているのはY先生と私を含めて四人だけである。何が見えるのか、とテラスに足を踏み入れ、馬が並んで歩く姿を発見し「ワーッ」とか「キレイ」と声をあげる人はいるが、大抵は「見てもわからない」と引き返してゆく。確かに難しい。所詮は素人の目である。その判断が正しいかどうかも分からない。本質は理解できていないかもしれない。しかし、馬体重、その馬の脚質、稽古の状態などの情報を補完すると、あくまでも個人的見解としてではあるが、勝ちそうな馬が見えてくるのである。なにしろ、その群れの中に必ず勝ち馬がいるのである。その直後に行なわれる実際のレースでその選択眼が正しかったかどうか、答え合わせもすぐにできる。沢山の間違いを重ねながらやがて馬を選ぶことができるようになってくる。赤木名人は「やっぱり一年間、少なくとも半年は見てくださいと言いたいですね、自分だけの目で」と『日本競馬論序説』のY先生との対談でおっしゃっている。なによりもパドックでお気に入りの馬を見つけるとレースを観るのが数倍楽しくなる。ゲートが開く。双眼鏡でその馬を追いかける。もしも、四コーナーを回ってそいつが思い通りのポジションにつけていたら、どうだろう。パドックに来てはじめて得られること、そして味わえることが沢山あるのだ。

 競馬はよく荒れる。特に一九九一年に馬番連勝複式が登場してから払戻しの倍率は飛躍的に高くなった。予想もできない、人気のない馬があっさりと勝ってしまう。競馬専門紙やスポーツ紙の印だけではその波乱の結果を導き出すことはできない。競馬は強い馬が勝つ。したがって後から振り返ると馬の力を見極められなかった、ということになるのだが、それは、予想欄に隙間なく細かい字でびっしりと書き込まれた情報には結果を導き出すデータとして重大な欠落があるということなのだ。予想家たちの印も、その情報の欠落の上に載っかっている極めて不安定な存在なのである。その失われている大切な情報のひとつが当日の馬の状態である。レースの波乱を解くひとつの鍵はここにある。競馬専門紙にも、スポーツ紙にも、もちろん当然のことだが、レース当日の馬の調子を書くことはできない。馬はデリケートな生き物である。三日前、四日前の追い切り調教を終えた時点でその馬の調子を結論づけることは難しい。それでも予想家たちは◎○▲△をつけなければならない。もともと予想とは極めて困難な作業を強いられているのである。関西の馬たちは栗東から長時間高速を揺られて府中までやってくる。その間に気持ちや体調に変化が生じることもあるだろう。だから競馬場で確かめなければいけない。パドックに来て、馬を観て、予想の空白を埋めなければならない。それは馬券購入者にとって予想という行為を他人に任せず、自分のものにするための大切なプロセスでもあるのだ。

 馬体重の増減も当日にもたらされる重要な情報である。Y先生の馬体重の書き込み方には特徴がある。前レースからプラス体重の場合はそのままの数字を、マイナス体重の場合は○で数字を囲む。プラス・マイナスの記号を書き入れないので馬柱に大きな数字を書くことができる。減っているか、増えているかも一目瞭然である。細かいことだが、忙しい時にはこれが大きな違いとなる。JRAの場合は二キロ単位で増減が示される。Y先生は馬体重の増減については四キロぐらいまでであれば取り上げることはほとんどない。サラブレッドの競走馬の体重は大抵四〇〇キロ以上である。四キロは成人男性にして一キロ分にも満たない。パドックではよくボロをしている馬を見かけることがあるが、それも人間と比べると相当な量になる。汗もかく。計量時よりもさらに体重は減っている。したがって微妙な増減に敏感に反応していると失敗することの方が多い。また、大幅な馬体重減は前走で太めだった馬にとってはお稽古の成果として評価できることもあるが、強めの稽古の疲れのために飼葉食いが落ちる、体調を崩す、などの理由で体重が大きく減ってしまう場合もある。パドックで見て、「ガレてみえる」「腹が巻き上がっている」という状態である。一方、休養後、大幅に馬体重増になって出走してきた馬たちの取捨も難しい。成長分、筋肉がついたということもあれば、単に天高く肥えてしまった場合もある。馬体重を数字の増減としてとらえてはいけないのだ。生きた数字に変換しなければならない。そのためにパドックで気配を確かめる。一般的に休み明けの大幅な馬体重増は嫌われる。人気も下がる。実は、穴党にとってはその時がチャンスなのである。二十キロ以上も増えて、まだ七、八分の出来と評された馬があっさりと、それも見事な走りっぷりで勝ってしまうことはしばしばある。そしてレース翌日のスポーツ新聞では、勝ったことがさも当然だったように「本格化した」と表現される。したがってY先生、大幅な馬体重増の馬を見つけると馬柱を確かめ、パドックでは特に熱心に追っている。なんとか馬体重増の正当な理由を探そうとしているのだ。

 やがて、パドックに「止まれ」の号令がかかる。騎手が馬に跨る。Y先生はその瞬間には注意を払うが、その後の歩様は重視しない。大抵の馬が騎手を載せると良く見えてしまうからである。馬たちはさらに一周して馬場への通路に消えてゆく。Y先生はその様子も見送らない。速やかに移動しなければならないからである。今度は四階の通路を戻り、反対側、つまりコース側、C指定席の最上段通路に向かう。通行人の邪魔にならないように放送用カメラのスペースの横に立ち位置を定める。返し馬、馬場入場である。間もなく入場行進曲が場内に響く。誘導馬二頭に先導されて馬たちが登場する。場内アナウンスが一頭一頭、馬番号、馬名、馬体重とその増減、騎乗する乗り役名、負担重量を告げてゆく。このことからも馬体重が馬券購入者にとっていかに欠かせない情報であるかが分かる。Y先生は双眼鏡を手にして、肉眼と交互に馬場に登場する馬の様子を確かめる。馬は敏感な、とても臆病な動物である。コースに立って、馬からすれば敵なのか味方なのかわからない正体不明の群衆を前にして、その喚き声に敏感に反応する。後肢を跳ね上げる馬、立ち上がろうとする馬、真っ直ぐ歩かず横歩きをする馬、もちろん一切動じることなくマイペースで悠然と歩く馬もいる。やがて馬たちはスタート地点付近の待機所を目指して走り出す。パドックではおとなしく控え目な様子だったが、馬場で走りだしていきなり明確な気配を表わす馬がいる。逆にパドックではとても強そうに見えたが、走り始めて「アラアラ」という馬もいる。これまで芝のレースに出走していた馬がダートへと、あるいはダートから芝へと路線変更する場合がある。果たしてその新たなチャレンジがうまくゆくのか、実際のコースを走りだす様子で確かめなければならない。もちろん競馬関係者や予想記者であればトレーニングセンターでの走りっぷりでその適性を確かめることができるのだが、馬券購入者にとってはこの返し馬が唯一のチャンスなのだ。地方競馬で闘ってきた馬が初めて中央のレースに出走する場合も、その馬がどのくらい強いか、中央で通用するかどうかは、返し馬の様子で見極めなければならない。馬だけではない。騎手の様子も見逃してはいけない。馬ときちんとコンタクトがとれているか、馬の気持ちをしっかりコントロール出来ているか、騎手の仕草でそれを探る。走る気満々の馬をなんとか制御しようと必死で手綱を絞っている騎手がいる。一方ではまだ眠っている馬のやる気を出そうと気合をつける騎手もいる。時には、馬の背中から振り落とされる騎手もいる。一頭一頭、一人一人が示す返し馬の表情は、レース結果に直接つながる生きた情報なのである。返し馬を欠かさずに見ていると、まるでレースでの好走が約束されたような、伸びやかに、そして気持ちよさそうに走る馬を目撃することがある。美しい。その姿は馬は走るために生まれてきたのだということを教えてくれる。その馬は必ずといってよいほど馬券に絡んでくるが、そんな光景を見ることができたら、極端な言い方をすればもう馬券などとれなくても良いとさえ思ってしまう。とてもいい芸術作品を鑑賞させてもらった、そんな幸せな気分になるのである。ただし、この返し馬診断の難点は時間が限られていることである。調子の良さを確かめるには走りはじめの数完歩が最も大切である。しかし、馬たちは次々にコースに入ってくるので一頭一頭じっくり見る時間がない。したがって、自分の狙っている馬を中心にこの瞬間に眼力を集中させる必要がある。狙う馬の頭数が多いY先生はすべての馬が待機所に収まるまで双眼鏡を放さない。入場行進曲、出走馬紹介のアナウンスも終わり、しばらくしてから「ダービーニュース」を確かめつつ急ぎ足で階段を上がる。Y先生も返し馬である。いまある脚力のすべてを発揮している。朝から充実している。すこぶる好調子、いや、今日は少しイレコミ気味か。十五号室のソファに坐り、マークシートの記入に集中する。迷っている時間はない。出走五分前、「まもなく窓口締め切り」のアナウンスを後頭部で聴きながら一心にマークシートに向かっている。穴場では馬券がうまく買えなくて困っている人がいる。ダービーの日にはゴンドラ席に日頃競馬をしない人も招待されている。初心者である。当然、馬券の買い方も知らないし、マークシートをどう記入してよいかも分からない。マークシートによる投票がJRAに導入されたのは一九九一年、マークシート経験に乏しい中高年の馬券購入者にとってこれは大変な試練だった。Y先生も導入直後、府中での開催がはじまる前に立川ウインズまで何度も通い、やっとマークシートの塗り方を修得したほどである。

 マーク式投票カードに馴れておこうと思って(なんとでも理窟はつくものだ)立川WINSへ行く。朝、徳サンが自分のところの庭の菫と羊歯類を採ってきてくれた(徳サンは僕の家のお庭番と称している)ので、ちょうど都合よく一レースにまにあった。パイロットの新発売のボールペンはマーク式投票カードにもとても役立った。このカードは確かに馬券を買う時間を短縮する。
(『年金老人奮戦日記 男性自身シリーズ26』新潮社 一九九四年)

 いまではほとんどの人が対応できているが、それでもよく穴場でもめている現場をみかける。特に今日は、初心者が多いのであちこちで混乱している。塗っちゃいけないところが塗りつぶされている。塗らなきゃいけないところが塗られていない。自分が買いたい馬券の種類さえ分からない人もいる。穴場の女性がやさしく指導してくれるが、その丁寧な説明に馬鹿にされたような気分になるのか、大抵は不機嫌な顔をして聴いている。締め切り間際になると、間にあわないのではとパニックに陥る人も多い。自分のミスなのに怒りだす人もいる。混乱し、興奮して怒鳴る。本性が出る。たちが悪い。酔っぱらったタクシーの乗客と勝馬投票券を購入しようとする人にはなるべく関わらない方が良い。それにしてもY先生は相当にマークシート塗りに熟達している。あれほどの短時間で、あれほどの枚数をこなしながら間違えることがない。なにしろ名門・麻布中学出身である。テストのケアレスミスも原稿の誤字、校正ミスもほとんどないに違いない。第一レース分も無事に書き終え、再び穴場を樽前船である。全部の馬券を買い終えるのは最終締め切りのベルが鳴ってから十秒後、ゴンドラ席では最後まで穴場の女性たちとやりとりをしている人である。

 Y先生が購入した馬券を手にバルコニー席に現われる頃、レースの開始を告げるファンファーレが鳴る。第一レースのスタート直前、穢れなき時間である。馬券購入者は自分が犯したであろう過ちにまだ気がついていない。数分後に厳しい現実が突きつけられることになるのだが、この時点では誰もが当たるつもりでいる。視界良好、前途洋々である。自分の可能性はどこまでも広がっているように感じられる。最も幸せなひと時である。

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