第88回:小川糸さん

作家の読書道 第88回:小川糸さん

昨年デビュー作『食堂かたつむり』が大ベストセラーとなり、大注目された小川糸さん。なんとも穏やかな雰囲気を持つ小川さん、幼い頃から書くことが大好きで、お料理が好きで、作詞家としても活動して…ということから連想するイメージとはまた異なり、作家になるまでの道のりはかなり波瀾万丈だった様子。その時々に読んでいた本と合わせて、その来し方もじっくりと聞かせていただきました。

その4「編プロでなんとリストラに!」 (4/6)

――卒業されてからは。

小川 : 就職氷河期の頃で、みんな就職できない時代だったんです。でもなんとかマーケティングの会社に就職しました。レポートを書く仕事だったんですが、それがすごく楽しかったんです。

――書く仕事ですね(笑)。調査結果とか、データの整理とか、ですか。

小川 : そうですね。商品開発のようなことをやっていました。上司の方もすごく優秀な方で。ただ、本の世界にいたい、本のそばにいたいなとは思っていたんです。それで編集プロダクションに移りました。結局マーケティングの会社には数か月しかいなかったんです。今の若者は仕事をすぐ辞めると言われていますが、そう言われはじめた時期くらいなので、私も絶対に"今の若者"に当てはめられていたと思います(笑)。マーケティング会社の上司と離れるのは大泣きするくらいつらかったんですけれど、でも会社を移って、情報誌のライターの仕事をはじめたんです。そうしたら1号作ったら休刊になって、リストラされてしまったんです。

――えええーーー!

小川 : チームを解散すると言われて、でも私はチームで入ったつもりなんてないし、すぐに休刊するなら作るな、って当時は思いました。本当にその時に、もう絶対に組織に入って誰かの下で働くのはやめよう、って思いました。だからそれからは就職せずにアルバイトをしていました。本屋さんでアルバイトしたこともありました。近所に建築関係やデザイン関係の本だけを扱う特殊な書店があって。平日はあんまりお客さんが来なくて、好きにしていていいよと言われたので、お店にある本を読んでいました。一緒にアルバイトしているのも建築科の人たちで、知らない世界をのぞくことができて楽しかったですね。その頃から物語を書く人になりたいという気持ちが強くなって、実際に書き始めたんです。リストラされた時に、会社勤めはもういい! って気持ちになっていましたし。

――普段はものすごく穏やかなな小川さんがそこまで言うとは、当時本当に、ものすごく、お怒りになっていたんですねえ(笑)。

小川 : 私もすごく若かったし、何も知らないでそういう会社を選んでしまったわけですが。こんな大人っているんだ、というのが衝撃的だったんです。私からすると。

――その頃、現代小説で読んでいたのって、どんな作品ですか。

小川 : ああ、リストラになった時に住むところがなくなったんですが...。

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――ええっ! またもやビックリですよっ!

小川 : ちょうどその頃、後々に結婚する相手と出会ったりして、その彼のところに行くしかないと思ったんです。荷物が多かったら悪いと思っていろんなものを処分して、本も処分して、段ボールひとつだけ持っていって暮らし始めました。で、それからは、彼のところにあった本を読んでいました。彼が向田邦子さんが好きで、私も前から好きだったんですが、そこの本棚にあるものを読んでさらに惹かれるようになりました。村上春樹さんの本もたくさんありましたし、よしもとばななさんや山田詠美さんも読みました。もちろん以前からも読んでいましたよ。よしもとさんの『TUGUMI』なんかは刊行されてすぐ、リアルタイムで読んだような気がします。姉が薦めてくれたんですが、登場人物に陽子さんという人がいて。姉も漢字は違うけれどヨウコという名前だし、なんだか二人の雰囲気が似ていて印象に残っていましたね。

――好きな作家というと...。

小川 : 向田邦子さん。『あ・うん』が好き。本自体は数多く読んではいませんが、私は好きな本は何回も繰り返して読むんです。たぶん『あ・うん』が一番繰り返して読んでいる本。向田さんの作品は、正義感のようなものがあるところが好きです。人の弱さ、強さもしっかり書かれている。

――ああ、好きな本は繰り返し読まれるんですね。

小川 : 読書も人づきあいも似ていると思うんですが、私は広く浅くつきあうよりも、狭く深くつきあいたい。本は一回読んだだけでは全部吸収することはできないし、何度も読んでやっと気づくこともある。すごく奥が深いから、1回では受け止めきれないというか、探しきれないところがありますね。

――繰り返し読むのは、どんなところでしょうか。

小川 : 大きなストーリーとは関係ない、あれっというくらいささやかな部分だったりしますね。このひと言が読みたいがために全部を読む。もしかすると作者もさほど気にとめていないんじゃないかというような(笑)、何気ない描写だったり、言い回しだったり、リアクションだったり。いえ、本当に気にとめていないかどうかは分からないですけれど(笑)。

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