第124回:白石一文さん

作家の読書道 第124回:白石一文さん

今我々が生きているこの世界の実像とは一体どんなものなのか。政治経済から恋愛まで、小説を通してさまざまな問いかけを投げかけている直木賞作家、白石一文さん。彼に影響を与えた本とは何か。直木賞作家であり無類の本好きだった父親・白石一郎氏の思い出や、文藝春秋の編集者だった頃のエピソードを交え、その膨大な読書体験のなかから、特に大事な本について語ってくださいました。

その5「編集者時代の忘れられないエピソード」 (5/6)

天空の舟―小説・伊尹伝〈上〉 (文春文庫)
『天空の舟―小説・伊尹伝〈上〉 (文春文庫)』
宮城谷 昌光
文藝春秋
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夏姫春秋(上) (講談社文庫)
『夏姫春秋(上) (講談社文庫)』
宮城谷 昌光
講談社
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ビフォア・ラン (幻冬舎文庫)
『ビフォア・ラン (幻冬舎文庫)』
重松 清
幻冬舎
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青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)
『青春デンデケデケデケ (河出文庫―BUNGEI Collection)』
芦原 すなお
河出書房新社
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最後の息子 (文春文庫)
『最後の息子 (文春文庫)』
吉田 修一
文藝春秋
545円(税込)
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漆の実のみのる国〈上〉 (文春文庫)
『漆の実のみのる国〈上〉 (文春文庫)』
藤沢 周平
文藝春秋
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蝉しぐれ (文春文庫)
『蝉しぐれ (文春文庫)』
藤沢 周平
文藝春秋
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――学生のうちにデビューが決まらなかったので就職試験を受けて、文藝春秋に入社したのですか。まずはどういう部署の変遷をたどったのか教えてください。

白石:『週刊文春』から『諸君!』、『クレア』、日本文学振興会にいって『文藝春秋』、『文學界』、そこからまたちょっと異動がありました。日本文学振興会というのは芥川賞直木賞を主催しているところですよね。生まれてはじめて本を読むだけでお金がもらえる仕事につきました(笑)。毎日、三省堂書店や紀伊國屋書店に行って、まだ直木賞をもらっていない作家の新作を買ってきて、机にどーんと積んでひたすら読んで、候補作になるようなものを探すんです。その頃の話でいうと、ある時、明円一郎さんという編集者が『天空の舟』という二巻本を持ってきたんです。「この本はすごい」って言って。名古屋の海越出版社という、僕の知らない版元で、作者も宮城谷昌光という聞いたこともない名前でした。乗り気がしなくて家に持って帰って渋々読み始めたんですが、これが、次の朝の電車でも読みつづけて、10年以上ぶりに駅を乗り過ごすという経験をしました。中央線の四谷で降りなくてはいけないのに気づいたら御茶ノ水まで行っていて、引き返して四谷の駅のホームで読みました。異様な面白さでした。それで田所さんという部長のところに持って行って「これは信じられないほどの傑作ですよ、即受賞ですよ」と言ったんですが、田所さんが数ページ開いて辞書を引きだすんです。宮城谷さんって白川静の門弟を認じている方だけあって、常用でも当用でもない漢字をたくさん使っているんです。「これ読めないよ」っていう田所さんに「とにかく読んでください」って拝み倒して。そうしたら夕方にその田所さんが僕のところにきて「白石くん、これはすごいじゃないか!」って。この時は社内選考委員会も色めき立ちました。すさまじい登場ぶりでした。結局『天空の舟』は直木賞は受賞に至らず新田次郎賞を貰い、次の『夏姫春秋』で宮城谷さんは直木賞を受賞しました。これは今でも人に話したくなるエピソードですね。

――今や宮城谷さんは直木賞の選考委員ですものね。

白石:あとは東郷隆さんの『人造記』。三省堂書店か紀伊國屋書店で棚を見ていたら東京書籍から出ている本に小説と銘打ってある。この会社は教科書の出版社じゃないの? と思いながらも一応買って読んでみたら、これもすごかった。即候補になりました。あともうひとつ、KKベストセラーズから『ビフォア・ラン』という青春小説が出ていたんです。作者は重松清。読んだら明らかに傑作なんですよ。でもその時は芦原すなおさんの青春小説『青春デンデケデケデケ』が直木賞を受賞した直後だったんです。似ている作品が続くのはどうかという話になって、候補にはならなかった。でも自分がもし文芸誌にいったら絶対にこの人に頼もうと思いました。それで『文學界』に異動した時に真っ先に重松さんに会いに行ったんです。最初はけんもほろろでしたね。食事会での話は低調でおわって、帰る方向が同じだったので一緒にタクシーに乗ったんです。そこでまた「僕は重松さんのファンなのでどうしても書いてほしい」と話したら、「白石さん、降りましょうか」と重松さんが言って、途中で車を降りて二人でバーで話をしました。その時にやっと重松さんが心を開いてくれたんです。

――最初はなんでけんもほろろだったのでしょうね。

白石:うーん、たぶん僕が偉そうだったんでしょう。いきなりやってきて「あなたの小説を載せてあげますよ」っていう態度だったんだと思います。結局「未来」という短編を書いてもらいました。イジメの話だったんですが、これがもう素晴らしかった。なのに、絶対芥川賞の候補になると思ったら、ならなかったんです。驚愕しました。申し訳ないやら悔しいやらで。結局それは『カカシの夏休み』という短編集に収録されて、この本が直木賞候補になったんです。選評を読むと「未来」が絶賛されている。その時に、社内の芥川賞の選考委員たちはなんなんだ、と思いました。もうひとつ、片山恭一さんの「九月の海で泳ぐには」も傑作でしたね。庄野音比古さんという編集長と二人でこれを推そうと頑張ったのに、これも芥川賞の候補にならなかった。なんだこれは、と正直また思いましたよ。当時から芥川賞候補というと、難しい作品が好まれたんですよね。でも僕はある程度読みやすくて分かりやすいものでなくてはと思っていたんです。そういえば、『文學界』に異動した時、右も左も分からなくて、どんなものが文學界新人賞の最終候補に残っているのか読んでみようと思ったんです。それで5本ほど読んでみたら図抜けたものがあった。それが「water」でした。

――吉田修一さんですね。

白石:この作品がなんで受賞しないのかまったく理解できなかった。一人だけ完全にプロの小説なんですよ。その時に受賞した小説ももちろんよかったんですが、「water」の方が僕には分かりやすくて面白かった。「やっぱりそういうものなのか」とため息が出ました。吉田さんはその後「最後の息子」で受賞するんですが。

――選考以外では、『文學界』の仕事はいかがでしたか。

白石:みんな文章がうまいんですね。雑誌でノンフィクションをやっていた時は、書き手の方には限られた時間と文字数のなかでデータを重視して書いてもらうので、文章に求められるものがまた違った。『文學界』で初めて一文字も変えなくていい文章を読んで驚きました。本当にみなさん文章が巧いんです。それは勉強になりました。新人の原稿は、編集長の庄野さんが手を入れていくのをこっそりと見ていましたね。接続詞や副詞を全部取っていくんですよ。「しかし」「それで」「ただ」「要するに」とか、全部。ちょっとだけ文章を組み替えると接続詞なんて全然要らなくなるんですね、実は。あとは調子、リズムの問題。あの頃は庄野さんが手を入れた原稿のコピーを持って帰って読んだものです。文章を整えていく技術ってあるんですね。さすが『文學界』の編集長だと思いました。僕は『文藝春秋』にいた時に藤沢周平さんの担当もしたんです。絶筆となった『漆の実のみのる国』を途中から引き継ぎました。するとね、藤沢さんの生原稿って素敵な表現がたくさんあるんです。風景のことでも光の描写が多いんですが、それがすごくいい。でも、ゲラにするでしょう。すると先生が、僕がいいなと思った表現を全部取っていくんです。それって全部、ケレン味のあるところなんです。びっくりしました。パッと思いついた文章をそのまま出したりしないんだな、と勉強になりました。いい文章を思いついた、ということは出さない。

――表現を取った後でも、面白いわけですよね。

白石:面白いです。わざとうまくしていなかったりするんですよね。僕は父がもともと藤沢さんが好きで立風書房や青樹社の本で揃えていたので、担当者になれてすごく嬉しかったんです。藤沢先生のお宅にうかがったら、全集が並んでいてその前に立風や青樹の本が並んでいた。僕がこの単行本で読みましたと伝えたらすごく喜んでくださいましたね。大手出版社からなかなか本が出なかった頃への先生なりの思いがあるんだろうな、と感じました。『蝉しぐれ』といった傑作や『溟い海』といったすごい作品もあるけれど、僕は『海鳴り』が好きです。主人公が丁稚から叩き上げてようやく一家を構え、店も大きくなる。そんなときに、たまたまある女性と出会って不倫をしてしまう。これは震えるようにして読みました。しかし、そうやって書かれた作品がこんなふうに一見ツヤのある表現をどんどん間引きながら練り上げられていったのか、と知って驚きました。書き連ねていくとそうなっていくのかもしれません。みんな極北みたいなところにいく。大庭みな子さんの作品や古井由吉さんの作品などにも小説なのかエッセイなのか分からなくなっている異様なうまさのものがたくさんありますよね。河野多恵子さんの『秘事』などもそう。吉行淳之介さんの『暗室』という小説も、体験なのか小説なのかもう分からない。攻撃と防御が一体になっている。大衆性があるのかというと、そうではないかもしれません。作家がそうやって極北に向かっていくのを追いかけて読むような読者は一部かもしれないけれど、本当はハーメルンの笛吹きみたいにどんどんついていく人が増えていくのが理想ですね。そうするにはどうしたらいいのかといつも思います。難しい問題です。

海鳴り〈上〉 (文春文庫)
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暗室 (講談社文芸文庫)
『暗室 (講談社文芸文庫)』
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