第128回:原田マハさん

作家の読書道 第128回:原田マハさん

アンリ・ルソーの名画の謎を明かすためにスイスの大邸宅で繰り広げられる知的駆け引きと、ある日記に潜んだルソーの謎。長年温めてきたテーマを扱った渾身の一作『楽園のカンヴァス』で山本周五郎賞を受賞、直木賞にもノミネートされて話題をさらった原田マハさん。アートにも造詣の深い著者が愛読してきた本とは? 情熱あふれる読書、そしてパワフルな“人生開拓能力”に圧倒されます!

その3「アートとの接点、出会った名著」 (3/5)

――原田さんは美術にも親しんできたわけですよね。

原田:小さい頃に家で美術書を見ていたほかに、父はわりと兄を映画に、私を美術館に連れていってくれることが多かったんです。10歳の時にはピカソショックがありましたね。岡山の大原美術館でピカソの『鳥籠』を見て、なんて下手な絵! 私のほうがうまいのに! と思ったという(笑)。まったくの勘違いなんですけれど。その時から私にとってはピカソは格別な存在でした。死んだ日の朝のことも憶えています。寝てたら父親が呼びにきて「ピカソが死んだぞ」って、まるで親戚の人が亡くなったかのように言って。「え!」となってがばっと起きて朝のニュースを見たら、世界的な芸術家が亡くなったと言っている。1973年、ピカソは91歳でした。結構ショックでしたね。私はこれから誰と闘えばいいんだ、と思って(笑)。勝手にライバル視していたんです。あとは渥美清の影響で棟方志功を知り、次の体験としては中学の美術の教科書のマチスの表紙を見て「下手だなあ」と思ったという(笑)。子どもって本物そっくりに描くのが上手い絵だという概念を持っているから、「なんでこんなに平べったい絵を描くんだろう」と思ったんですよね。色彩の豊かさなどを見て、すごい人なんだろうなとは思いました。中学では美術部と文芸部の部長でした。自分でも油絵を描いてみようと思って、中3の時にマーガレットの花を買ってきて、家で描いていたんです。そうしたら兄がきて「お前、俺の友達にすごく絵のうまい奴がいるから見てもらえ」と言われ、その時に部屋に入ってきたのがロン毛で牛乳瓶みたいな眼鏡をかけた原研哉さんでした(笑)。そうしたら「マーガレットの花びらは小さくて描きにくいから、バラのような花びらの大きなものを選ぶといいよ」と、かなり的確なことを言ってもらったんです。でも私は自分は絵がうまいと自負していたので、なんだこのお兄さんは! 悔しい! と思って、それきりやめてしまいました。社会人になってから森美術館に勤めている時に原さんにお会いする機会があってその話をしたら「え!全然憶えていないよ!」って言ってました(笑)。

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――それでやめてしまったなんて、もったいない。

原田:悔しかったんですよね。その後、大学生だった時に京都市立美術館で、たぶん日本においては史上最大のピカソ展があったんです。世界各国から作品が集められていて。たしか二十歳の誕生日の記念で観に行ったんだと思います。そこですごく衝撃を受けました。ピカソって絵がうまいじゃない! って。やっと敗北宣言をしました(笑)。その次の年にルソーを発見したんですよね。二十歳前後の頃にピカソやルソーを見ていたのはアート体験としては非常に重要だったと思います。

――大学に入ってからの読書生活はいかがでしたか。

原田:関西学院大学の独文科に入って、ドイツ文学をすごく読みました。1年後に思ったのは、ヘッセなどは面白かったけれど、自分にとってドイツ文学はそれほど興味が持てず、ドイツ語も話せないし、このままでいては駄目だなということ。それで1年から2年に移る時に転科試験を受けて日本文学科に移りました。近現代文学のゼミに入って、そこからの3年間はがむしゃらに本を読みました。樋口一葉や坪内逍遥からはじめて、明治、大正、昭和のものを時系列に読み込んで。あの3年間があったから文学に対する知識を得ることができました。そのなかで卒論に選んだのは谷崎潤一郎。当時から読むと情景が浮かんで、かつそれが美しいような作品が好きだったんです。色が見える、匂いがするような文章。『刺青』などの初期の作品も好きですし、大正レトロにハマっていたこともあって『痴人の愛』の頃も面白くて。最近『細雪』を読み返したんですが、あれって当時のトレンド小説ですよね。どこで何を食べたとか何を買ったといった、どうでもいいことが書かれてあるんですけれど、それが面白い。神戸の情景も私には身近でしたし。あとは永井荷風などの耽美派と、武者小路実篤や志賀直哉も読みました。兄もやっぱり白樺派が好きで、「読め」とサジェストされたんです。それから最近の文学も読んでみようということで、井上靖、野坂昭如、田辺聖子とかを読んで。当時の山本周五郎賞の選考委員の人たちのものは全部読みました。

――アート体験はいかがでしたか。

原田:21歳の時にアンリ・ルソーを"発見"するんです。友達が面白半分で見せてくれた画集にルソーの絵があって、「下手だなあ」と(笑)。ピカソもマチスも下手だけどルソーはもっと下手だと思いました。でも、ピカソの時よりももっと、ルソーは特別に、何かひっかかるものを感じだんです。この人は普通の下手じゃない、絵の奥に何かがあると感じて、自分なりに調べてみたいと思ったんです。その時に岡谷公二さんの『アンリ・ルソー 楽園の謎』という本を大学の生協で見つけました。ちょうどその秋に出て初版で買ったんです。今も大事にしています。『楽園のカンヴァス』にも書きましたが、ルソーがお金がなくてボンボン売りをしていたとか、バイオリンの教室をやっていたとか、絵の具のお金を払う代わりに、頼まれてもないのに画材屋さんの家族の肖像画を描いて贈ったとか。ものすごく人間・ルソーが胸に迫ってくる内容で、名著なんです。アートの世界にいきたいなと思ったのもその頃からですね。神戸に画集や写真集やポストカードを置いている「ONE WAY」というお洒落な雑貨屋さんがあって、通っているうちに「アルバイトしない?」と声をかけてもらい、週に1回そこで働き始めたんです。毎回ポストカードを見ているうちに、この人はアンドレ・ケルテスっていうんだ、ウォーホールはこんな絵を描いているんだ、MoMAって何だろう、などと思うようになって...。現代アートに俄然興味がわいてきて、グラフィックデザインの仕事がしたいなとか、いつかキャリアウーマンになってニューヨークに行ってステップアップして帰ってきたいな、と何の根拠もなく思うようになりました。でもどうしたらいいか分かりませんでした。

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