第140回:長岡弘樹さん

作家の読書道 第140回:長岡弘樹さん

日本推理作家協会賞(短編部門)を受賞した「傍聞き」を表題作として文庫作品が大ヒット、警察学校を舞台にした新作『教場』も話題となっている長岡弘樹さん。日常の延長にある犯罪や人間模様、人々の心理を丁寧に描き出す作家は、いつどのような本に出合ってきたのだろう? 読書遍歴をうかがううちに、意外な記録癖も披露してくださることに…。

その3「仕事を辞めて作家を目指す」 (3/5)

火の鳥 (1) (角川文庫)
『火の鳥 (1) (角川文庫)』
手塚 治虫
角川書店
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アドルフに告ぐ 1 (文春文庫 て 9-1)
『アドルフに告ぐ 1 (文春文庫 て 9-1)』
手塚 治虫
文藝春秋
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夢想の研究―活字と映像の想像力 (創元ライブラリ)
『夢想の研究―活字と映像の想像力 (創元ライブラリ)』
瀬戸川 猛資
東京創元社
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傍聞き (双葉文庫)
『傍聞き (双葉文庫)』
長岡 弘樹
双葉社
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――卒業後は山形に戻って就職されたんですよね。

長岡:独身で給料をもらえるようになってお金ができたら、遊んでしまうようになって...。ゴルフに凝ったりして、読書からはちょっと離れる時期があります。就職して2~3年はあまり読んだという記憶がないですね。ただ、名作の漫画が文庫で出はじめた頃で、それは読みました。『ブラックジャック』は真っ先に買いましたね。他も『火の鳥』や『アドルフに告ぐ』といった手塚作品が中心でした。

――さきほど記録をつけるようになったのは94年から、とのことでしたが、何かきっかけがあったのですか。

長岡:まだ話を作る技術がないので、文章を書くことくらいはきちんと練習をしようと思ったんです。それで生意気にも映画を観ては評論のようなものを書くようにしたんです。発表するあてもないまま。長さはバラバラですが、平均すると映画1本につき400字くらいだったかな。その頃もポール・バーホーベンといったアクの強いSFを作る人が好きで、娯楽色の強い作品を中心に観ていました。映画はそうだったんですが、本は読んでいるうちに夢中になってしまうので、客観的に読むことができませんでした。でも人の評論は読みましたね。もうお亡くなりになった瀬戸川猛資さんの『夢想の研究』を読んで、研究書ってこんなに面白いのかと思いました。小説よりも面白いくらい。瀬戸川さんはミステリと映画の評論をお書きになる方でしたが、著作はほとんど全部読んでいると思います。瀬戸川さんが褒めているミステリや映画も読んだり観たりしました。評論って、小説を読もうという意欲が減退している時に読むと、また小説を読もうという気持ちが芽生えてくる。読書の推進力のような役割もはたしてくれていましたね。

――新人賞への応募はいつから始めたのですか。

長岡:90年代の終わりだったか、2000年代になってからだったか...。30歳になろうとしている時に、そろそろ夢を叶えないとダメだなと思って。年齢的な区切りを迎えることもあって、人生のチャレンジを始めようと思ったんでしょうね。やはり自分はミステリを読むことが好きだったので、書くのもミステリにしようと思いました。ただ、本格ミステリは読むのは好きだけれど自分では書けないだろうという意識がありました。最初に書いたのは後に出した『線の波紋』という作品の元ネタにつながるような話。駄作ですけれど。

――「真夏の車輪」で第25回小説推理新人賞を受賞したのが2003年。受賞するまでの約3年間は長かったですか、短かったですか。

長岡:あんまり苦労した記憶はないんですよね。夢中になって書いていただけで...。デビューした後も生活にそれほど変化はなかったんです。作品ができたら見せてください、という感じでしたから。でも放っておかれているわけではなく、定期的に連絡をくださって面倒は見ていただけたので、それはありがたかったです。

――それまでのお仕事はいつ辞めたのですか。

長岡:デビューする前に辞めていたんです。2001年の夏には辞めていました。仕事しながらだとうまく書けないタイプだなと薄々感じはじめていて。本気で物書きになろうとするなら生半可なことではできない、と、意を決して辞めました。貯金はあったのでそれを食いつぶすまでにはなんとかなるだろうと思っていましたね。なんでそんなこと思えたんでしょうね、楽観的ですねえ。

――ご結婚はされていたのですか。

長岡:まだ独身だったので好き勝手できたんです。親と一緒に住んでいたので、使うお金もそんなになくて、精神的に追い詰められることはなかったんです。親も呑気なので、特に何か言われることもなかったですね。そういうところは息子も似たようで、のんびりやっていました。受賞してから双葉社の方に仕事はもう辞めましたと言ったら呆れられましたけれど。

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