第141回:伊東潤さん

作家の読書道 第141回:伊東潤さん

昨今は新作が連続して直木賞にノミネート、今後の歴史小説の担い手として注目される伊東潤さん。歴史解釈と物語性を融合し、歴史モノが苦手な読者でも親しみやすいドラマを生み出すストーリーテラーは、実は長年にわたるIT企業勤務の経歴が。40代になるまで小説家になることなどまったく考えなかったという伊東さん、その読書歴、そして作家になったきっかけとは。

その4「42歳ではじめて小説を書く」 (4/5)

戦国関東血風録―北条氏照 修羅往道
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伊東 潤
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――伊東さんが小説を書いたきっかけは何だったのでしょうか。

伊東:2002年の5月、たまたま家族でドライブをしていて、箱根西麓の山中城で降りたんです。小田原合戦で大激戦となった場所なんですけど、そのことについて書かれたものがほとんどないと知って、なんとか書き残したいなと思ったんです。あくまでも地域史家のような気持ちでした。研究本の書き方は分からないし資料もないので、小説として書いてみたらスラスラと言葉が出てくるんですよ。仕事をしながら書いたのに、仕上げも含めて2か月かからなかったですね。中高時代の乱読経験がベースになっているんだなと思いました。それが最初です。ですから、本業を続けながら、ずっと地域史家のようにマニアが喜ぶような本を書いていくつもりだったんです。直木賞にノミネートしていただいてから、多くの人が楽しめるように作風をアジャストしていきました。最初にノミネートされた時は、本当に驚きました。自分では地域史家の小説家版のような位置付けだと思っていたので、まさか直木賞候補になるとはね。

――最初に書かれたのが『戦国関東血風録』、文庫化の際『北条氏照』と改題された作品ですね。出版に至る経緯はどういうものだったんですか。

伊東:原稿を書き上げて小田原の人に読んでもらったら「面白い」と言ってくれて、本屋さんを紹介してくれたのです。それで、そこから出版社の人を紹介してくれて......という流れで、社長と事務員だけでやっているような出版社からデビューしたんです。自費出版ではないけれど、印税なしで100冊引き取る、というような法外な契約でした。2冊くらいそこから出して、3作目を彩流社から出したら、たまたま自分が勤めていた会社の社長が「面白いもの書くじゃないか」と言って角川書店の編集者を紹介してくれたんです。それで『ダ・ヴィンチ・コード』をヒットさせた編集長が、なぜか新人の僕を担当してくれたのです。まあ、ついてましたね。それで2007年に角川書店から『武田家滅亡』を出せました。その時に印象深い話としては、編集長が僕に「今、日本国内で作家志望者は5万人くらいいますが、伊東さんは、その中でも技術的には半分より下ですね。ただし、僕らは現状がどうかよりも、伸び代を見るんです」と言うのです。それで伸び代とは何かと聞いたら、「読者が、ここ一番でほしいと思っている言葉を、ずばっと書けるかどうか」だと。つまり恋愛小説と同じで、ここ一番、「好きだ。愛している」という臭い言葉が吐けるかどうかなんです。その一言で、小説とは何かが分かりましたね。

――何か創作に役立つようなことに挑戦したりしましたか。

伊東:ずっとやっているのは城めぐりですね。草深い古城をめぐり、戦国武将に思いを馳せていると、何か下りてくるんですよ(笑)。それは冗談ですが、あとは合戦祭りへの参加。今ならコスプレというんでしょうが、マイ甲冑で、全国の合戦祭りに参加することです。今はたいへんなブームとなっていますが、当時は全国に50人くらいしかいなかったんです、「あほらしい」とお思いかもしれませんが、実際に祭りで模擬戦闘などしてみると、甲冑を着た戦闘がどういうものかなど、いろんなことが分かりましたね。また合戦場の持つ磁場というのも、がんがん感じました。それだから、僕の書く合戦シーンはリアリティがあるのです。

――伊東さんにとってのリアリティとは何ですか。

伊東:若い人の小説を読んでいて、いつも思うのは「リンゴそのものを見てリンゴを描いているのではなく、リンゴの絵を見てリンゴを描いている」ということです。誰かがすでに使ったようなプロット、心理描写、文章表現、キャラ設定ばかりなので、読んでいて辛くなります。先達の影響を受けるのは当然だけど、自分の中で消化しきれていない気がするのです。つまり経験不足です。自分の知らないことを誰かの作品で描かれたものでカバーしようとするから、ボロがでるのです。つまりキャラで言えば、「こんな奴いねぇよ」というやつですね。若い人は、無理しないで、自分の知っていることだけを書くことから始めて下さい。

――史実を交えた小説を書きたい、という気持ちは強いですか。

伊東:基本的に歴史小説は、史実を追わねばならないと思っています。小さなものだから「いいや」と思って、史実を曲げると、後で手痛いしっぺ返しを食らいます。それだけ歴史というものに畏敬の念を持って接しなければならないと思います。僕は史料を読み込み、現地を取材し、そこで初めて、自分の解釈を物語の中に埋め込んでいく手法をとっています。こうした歴史解釈力が、まず歴史小説家には必要です。むろんそれだけではだめで、当然、ストーリーテラーとしての力量も問われます。つまり、解釈力と物語性が高度なレベルで融合したものが、優れた歴史小説なのです。分かりやすく言えば、歴史に詳しい人も、詳しくない人も、同じくらい楽しめるものが理想だと思います。

――小説の舞台としては戦国、安土桃山のあたりが好きなのでしょうか。

伊東:まず、得意分野を持つことが何よりも大事だと思いました。時間軸と地域軸を縦軸と横軸に据えて、どこをマッピングしていくか。こういう言い方をするとコンサルタントっぽいですね(笑)。船戸与一さんなら満州、山崎豊子さんなら船場、逢坂剛さんならスペインといったように、みんな得意の地域がありますよね。僕の場合は戦国の関東にしぼって書き始めました。そのあたりを書いている人は当時、あまりいなかったので、まず底堅い人気を獲得することができました。それで、大ヒットにはならないけれど、そこそこ食べていけると感じました。次に考えたのは、いかにして固定読者層を保持しながら、新たな読者を獲得していくかですね。これは、地続きの変化と大きな跳躍がポイントです。地続きとは、次に同じ戦国時代で武田や上杉を書くなど、少しずつ時代と場所を広げていくこと。大きな跳躍とは、既存の読者がついてこられるか分からないけれど、例えば現代モノをやって新しい読者層を開拓すること。そういうことをしながら、地道に新たな読者を獲得していくことを考えています。

――では、今後の執筆計画があるのですか。

伊東:今、2017年ぐらいまでは予定が決まっていますね。1年に4作くらいのペースです。小説以外も書いていますので、小説3本、研究本1本といったペースになると思います。研究本分野もやる気満々ですよ。今年は、「読楽」で高師直、「VOICE」で村田新八、「小説新潮」で大鳥圭介といった長編小説の連載が始まりました。「J-Novel」では『敗者烈伝』という歴史エッセイの連載を始めました。短編は「小説現代」の不定期掲載で、池田屋で散っていった志士たちの軌跡を書いています。長編は、男なら誰でも熱くなれるものを正攻法で書き、短編は、ときに冒険的実験的な技法や手法を使いつつ、歴史小説の可能性を開拓し、次代につなげていきたいと思っています。

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