第144回:酒井順子さん

作家の読書道 第144回:酒井順子さん

高校生の頃からエッセイストとして活躍、女性の生き方から鉄道の旅についてまで、さまざまな切り口とユーモアのある文章で読者を楽しませてくれる酒井順子さん。最近では歌手生活40周年を迎えたあの人気アーティストが女性の生き方に影響を与えた『ユーミンの罪』が話題に。そんな酒井さんが好んで読む本とその読み方とは?

その2「高校生でエッセイストデビュー」 (2/5)

Olive特別編集 猫にモニャムール (マガジンハウスムック)
『Olive特別編集 猫にモニャムール (マガジンハウスムック)』
マガジンハウス
905円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS
POPEYE (ポパイ) 2014年 01月号 [雑誌]
『POPEYE (ポパイ) 2014年 01月号 [雑誌]』
マガジンハウス
741円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp

――マガジンハウスの『オリーブ』が創刊された頃ですよね。酒井さんは高校生の時から『オリーブ』でエッセイを執筆するようになりますが、そのきっかけは。

酒井:『オリーブ』は大人気の雑誌で、私も毎月3日と18日の『オリーブ』の発売日を楽しみに待っていました。あんなに楽しみにした雑誌は後にも先にも出てきません。エッセイを書くようになったきっかけは、高1の終わりの頃ですね。『ポパイ』で泉麻人さんや田中康夫さんが都内の大学の分類エッセイを書いておられたのを読んで、その女子高生版を授業中に書いて友達に見せたんです。そうしたらウケて「雑誌に送ったら載るよ」と言ってくれて。『ポパイ』は男性向けの雑誌なので、『オリーブ』に送ってみたら、連絡がきたんです。そこから書くようになりました。

――高校生がいきなり連載執筆なんて、自分だったらどこまでも調子に乗ってしまいそうです...。

酒井:当時は雑誌文化が隆盛を極めていたので、雑誌に載ることができるのがとても嬉しかったのは確かです。本当は中学生時代はモデルになりたくて、でも母親に「無理よ」とたった3文字で否定されたので、文字だけでも載るのは嬉しい。はじめて原稿料をもらった時は、まだ自分の銀行口座を持っていなくて現金書留で送られてきたんです。高校生にとってはびっくりするような金額が入っていて、それを持って渋谷の西武に直行(笑)。好きだけれども買えなかったイタリアのブランドのシャツを買いました。当時は西武、セゾン系が全盛の頃です。

――そこから書き続けることができたというのがすごいなと思います。もともと物事を見る目が人一倍鋭かったんでしょうね。

酒井:うーん。周囲が女子ばかりだったので、異性の目を気にせず、思ったことをそのまま言う日々を送っていたせいですかね。大学に入ってみたら、それが世間では「口が悪い」と見られることに気づきました。

――雑誌を読んで文章力が養われていったのでしょうか。小説は読んでいましたか。

酒井:高校・大学は、読書に関しては不毛な7年間でした。泉麻人さん、田中康夫さん、松尾多一郎さんなど、雑誌のコラムは熟読していたのですが。自分も高校、大学とエッセイは書き続けていましたが、将来的なヴィジョンはまったくなかったですね。大学時代はクラブ活動一筋で、文化的な活動はまったくしていませんでした。映画も流行りのものを見る程度でした。

――クラブ活動は何を。

酒井:体育会の水上スキー部に青春を捧げていました。運動が好きで勝負好きなものですから、やるからには勝ちたい。体育会の部なので拘束時間も長く、大学生らしい遊びや旅行はできませんでした。練習と合宿ばかり。高校時代に十二分に遊んだという達成感があったので、遊びは卒業かなと思っていました。エッセイの連載は続けていましたが、江戸川で水上スキーの練習をしていたので、空き時間に河原で原稿を書いて、当時はFAXも持っていなかったので練習の帰りにマガジンハウスに寄って原稿を渡して、ご飯を食べさせてもらったりしていました。

――卒業後は就職したんですよね。

酒井:大学3年4年になってくると、就職をどうするかという話になってくるんです。4年生の時にはじめての本も出版したんですけれど、編集者さんと話していて、人間一度は就職をしたほうがいいと言われて。確かに新卒で就職するということは人生に一度しかできないし、みんながやっていることはやってみたい性格なので、就職活動をすることにしました。

メトレス 愛人 (文春文庫)
『メトレス 愛人 (文春文庫)』
渡辺 淳一
文藝春秋
679円(税込)
商品を購入する
>> Amazon.co.jp
>> HonyaClub.com
>> エルパカBOOKS

――そうしたら広告代理店に入社。当時はバブルですし、広告代理店の人気はものすごい倍率だったと思いますが。

酒井:でもバブルの時代だったので入社できたのだと思います。もったいないのですが3年で辞めてしまいました。全然仕事に向いていなかったんです。広告代理店というのは、クライアントの身になって考えなくてはいけない立場ですけれど、私は相手の立場になって考えることができなかった。そうすると、代理店の人間として成り立たない。そこで初めて、自分は自分のことしか考えられない人間であることに気づきました。とても良い会社で、エッセイの連載なども続けさせてくれたので、仕事が向いてさえいればずっと続けたかったんですが、能力的に難しかった。そういえば、辞めるきっかけになったのは、渡辺淳一さんの本なんです。会社は辞めたいけれども結婚するわけでも出産するわけでもないので踏ん切りがつかなった3年目のお正月休み、渡辺淳一さんの『メトレス』という小説を読んでみたら、不倫をしている30代の女の人の話だったんです。それでふと、35歳というとちょうど10年後だな、自分は10年後に何をしていたいかなと考えた時、会社員じゃないなとストンと思うことができて。それで休み明けに「辞めます」と伝えられました。

» その3「ノンフィクションの読み方」へ