第164回:東山彰良さん

作家の読書道 第164回:東山彰良さん

この7月に1970年代の台湾を舞台にした『流』で直木賞を受賞した東山彰良さん。台北生まれ、日本育ちの東山さんはどんな幼少期を過ごし、いつ読書に目覚めたのか? さまざまな作風を持つ、その源泉となった小説とは? その読書歴や、作品に対する思いなどもおうかがいしています。

その2「大学卒業後の紆余曲折」 (2/5)

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――大学進学で経済を専攻されていますよね。進路はどんな風に考えていたんですか。

東山:大学は推薦で行かせてもらったんですが、別にやりたいこともなく...。文学部もいいかなと思ったんですけれど父親に「つぶしがきかない」というようなことを言われ、あまり深く考えずに経済を選びました。

――どんな大学生活を送られたんですか。

東山:その頃になるとやかましい音楽は聴かなくなって、ローリングストーンズみたいなものを聴いていました。ギターはもうやめていたんです。大学時代はオートバイと女の子のことにかまけていた気がします。海辺に走りにいったりしていましたね。そういえば、高校時代、友達に片岡義男さんをすごく読んでいる奴がいて、借りて読んだ気がします。『彼のオートバイ、彼女の島』とか『ボビーに首ったけ』とか。それでバイクと女の子に目覚めたのかもしれない(笑)。
大学時代は「本を読むのは格好いい」「頭よさそう」という思いも念頭にあったので、みんなが読んでいた司馬遼太郎の『竜馬がゆく』なんかは読みました。五木寛之さんの『青年は荒野をめざす』も。この頃、夏休みや春休みになると1か月から1か月半くらい、一人で東南アジアをブラブラしていたんですけれど、その時に誰かに薦められたんだと思います。

――そして卒業後は...。

東山:東京でサラリーマンを1年間しました。ANKというANAの子会社です。国内の離島ばかり飛んでいる会社で、そこの本社にいたんです。バブルの頃だったからわりと内定をもらうのに苦労しなかったので、なんとなく格好よさそうということで航空会社を選んだんですよね。でも東京暮らしはきつかった。小田急の沿線に住んでいたんですけれど、毎朝の通勤電車が、本当にもう、福岡では考えられないような混みようで。それだけで疲労困憊しちゃって「ここには住めない」って思いました。甘ったれてました。
それもあって1年で辞めて、大学院に入ろうと思って福岡に帰りました。辞める前からちょこちょこ勉強を始めて、会社に入った翌年の4月に辞めて、その年の秋の試験で受かって、翌春に入学しました。経済研究科の修士課程です。で、修士の2年目で結婚して、その後、中国大陸の大学の博士課程に行くことになるんですけれど。

――中国ですか。それはどうしてですか。

東山:僕が行った大学は経済学の博士課程がなかったんです。大学で職を得ようと思ったら博士号はあったほうがよいということで、姉妹大学だった長春の吉林大学に行くことになりました。それが1995年ですね。行ったら僕みたいな浅はかな考えの日本人学生がいっぱいいました。留学生という身分だと、向こうでわりといい大学に入れてきちんとした学歴になるので、それ目的で来る日本の子たちが多かった。

――奥さんを残して行ったということですか。

東山:妻も来るはずだったんですけれど、子供ができて、日本で出産することにして。大学の指導教授もそこは分かってくれて、本当は1年いなくちゃいけないところを半年くらいで単位を取らせてくれて、あとは日本に帰って論文を書いて、年に1回見せに来ればいいという措置にしてくれたんです。なので中国で3か月学校に行って、休暇の2か月か3か月の間は戻ってきて、また3か月中国で学校に行ってから帰国したので、正味半年くらいしか中国にはいませんでした。それから論文を書いたわけですが、目安が400枚で、それを何度も何度も却下されて、何度も何度も書き直すことになりました。でもそれで文章を書く持久力がついたんじゃないかと思います。

――その頃はあまり読書する余裕はなかったでしょうか。

東山:読むものは専門書ばかりで、小説は読んでいなかったですね。ただ、自分探しではないんですが、この頃よく読んでいたのは岸田秀さんの『ものぐさ精神分析』とか、竹内久美子さんの本とか。それと、哲学書みたいなものもかじった時期でしたね。その時期、西洋哲学の流れが分かる『ソフィーの世界』がすごく売れていて、ちょっとした哲学ブームがあったので、いろいろ読みました。
ああ、どんどん思い出しますね。その頃、マルキ・ド・サドも読んでいました。『ソドムの百二十日』から始まり、『閨房哲学』から『悪徳の栄え』まで。『ソドムの百二十日』は全部訳されたものも持っていますが、序章だけ読めば充分だと思いました。たしか澁澤龍彦訳も序章だけですよね。

――哲学書を読んでいた流れでサドに辿りついたんでしょうね。ニーチェとか、いろいろお読みになったんでしょうか。

東山:ニーチェ、読みました。ハイデガーやショーペンハウエルも。分かったような分からんような、という感じでしたけれど。ミシェル・フーコーも訳文が分からなくて何度も手に取っては挫折していました。現象学のフッサールも読みました。なんというか、自分の居場所を正当化したかったというか。自分が持っている考えは異端ではなくて、すでに誰かが考えていて、僕では言い表せないことをピタッとした言葉で言い表してくれるものがないか、という気持ちで読んでいた気がします。岸田秀さんはわりと考え方がピタッときていた気がする。

――どういうところがですか。

東山:すべては幻で、決まりきった型はないんだっていうような...。みんなそこで救われるんじゃないですかね、彼の唯幻論ってやつに。たとえば母親幻想。「母親とはこうあるべきだ」と思っているのにできなくて、虐待したりする。でも「こうあるべきだ」なんてものはないんだ、世の中全部幻なんだ、といわれると気持ちがラクになる気がします。そうしたものを読んでいたのが1993年から1995年の間くらいですね。
それから1995年に中国の大学に行って、その頃に正岡子規も読みましたね。日本の本を探して閉架図書に入れてもらった時にあったんです。日本の本はすごく数が少なかったので何気なく選んだんでしょう。最初は『病床六尺』だったと思います。死の間際に書かれたものですが、隠しても隠しきれないユーモアがあるんですよね。
1996年に先生に放免されて日本に帰ったあとは論文を書くだけになって、その頃は皿洗いをしたり警察や入国管理局の通訳をして。おそらく1997年くらいからぽつぽつと大学の非常勤講師の仕事が入るようになりました。

――警察や入国管理局の通訳とはどういったことをするんですか。

東山:入国管理局は、当時は密航者がいっぱい捕まっていたので、その通訳をしていました。警察通訳は、中国人犯罪者が捕まって拘留されると、それに最初から最後までつきあうんです。ガサ入れにも行きましたよ。裏ビデオの摘発で、アジトみたいなところを警察が取り囲んで、わーっと踏み込んで礼状を読み上げるのを、隣で通訳していました。で、逮捕して24時間以内だったかに拘留するために書類を作らなくてはいけないので、その日はほとんど徹夜。そこから拘留期間の10日間が始まるんですが、10日で終わらない時はもう10日間拘留で。1人捕まると大体20日間仕事がありました。「今日来てください」といきなり言われる仕事でしたが、当時は他に大した仕事がなかったので、バンバン受けていました。

――密航者の通訳も大変そう。正確に訳さないとその人の人生に関わることですし。

東山:そうですね。しかも密航者は福建省から来る人が多くて、標準語をあまり話せない人が多いんですよ。そうすると、僕でも意思の疎通ができない時があって苦労しましたね。筆談してみたり、向こうに頑張って標準語を話してもらったり。
修士論文を書いていた頃からぽつぽつ通訳をしていたんですが、論文で中国の人口政策について書いていたのに実態があまり日本に伝わってきていなかったんです。密航者のなかには女性もいたので、雑談をしていいと言われた時に一人っ子政策について尋ねたりしていました。結構生々しい話が聞けました。自分の友達が臨月だったけれど出産のために必要な許可証を持っていなくて、妊娠がばれてお医者さんが来てお腹に針を刺されて子供を殺された...みたいなこととか。本当かどうか、裏がとれない話ですけれど。ただ、今はもう、一人っ子政策はずいぶん緩和されていますよね。

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