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第23回

洗濯と乾燥を終えた衣類やタオルを入れたポリバケツを膝に乗せ、落とさないようにエレベーターに乗り込む。明日は妻が来ることになっているのでまとめて洗濯を頼んでも良かったのだが、包みこむような柔らかい太陽の光に吸い寄せられるように病院の屋上へ上がりたくなったのだ。
車椅子患者用の低い物干し竿にトレーナーやジャージを並べて干していく。病院での暮らしに決して慣れないように、気持ちまで病人にならないように、パジャマなど着ない。それはわたしのささやかなポリシーの一つだった。
洗濯ものを干し終え、しばらく空を眺める。なにせ、日曜日は、理学療法室でのトレーニングも、職業リハビリテーションセンターでの講習も休みだから、時間がくさるほどあり余っている。検温の時間も当分あとだから、急いで病室に戻る必要もなかった。
東西南北、どちらを向いても山ばかり。それが吉備高原医療リハビリテーションセンターの屋上から見える景色だ。山の木々が風を受け、ごーごーと音を立てながら揺れている。絵の具のどの色を混ぜ合わせれば、この山の色が出せるだろう。そんなことを思いながらぼんやりと眺めていた。吉備高原の空は、高くて広い。尾根のあたりの空は白いのに、上にあがるほど青味を増してくる。首が痛くなるほど見上げた頭上の空が一番青い。何十年も生きてきて初めて気づいた発見だ。妻が来たら教えてあげよう。でもきっと、そんなことは知っているのだろうな。

妻は仕事が休みの日には必ず病院にやって来る。福山からバスに乗り、電車に乗り、もう一度バスに乗り、片道2時間半かけてやってくる。午前中には顔を見せるので随分早く出発しているのだろう。週末に来るときは、小学三年の娘もいっしょだ。娘は車椅子のわたしの膝に乗るのが大好きだ。膝の上で、あっちへ行け、こっちへ曲がれと指図する。
天気の良い日は、センターの外周に沿った遊歩道を三人で散歩する。わたしが朝夕トレーニングがわりにまわっているコースを、時間をかけてゆっくりとまわる。「ヘビに注意」という看板があちこちにある。病院の敷地にヘビが出没するというより、ヘビの棲む山に病院を建ててしまったのだからしょうがない。そりゃ、ヘビだって、イノシシだっていてもおかしくはない。同じ病棟の一番端の病室にいるHさんが「児玉さん、君はいい人だから教えてあげる」と言って、非常口の外側へ連れていってくれたことがある。食事の残りものを並べて隠れていると、タヌキの親子がやって来た。Hさんはタヌキの餌付けに成功していたのだ。タヌキの目が夜になると光るなんて知らなかった。「看護師さんには内緒だよ。叱られるから」イタズラ坊主のように笑った。

なだらかな坂が続く遊歩道を歩きながら、わたしと妻と娘はいろいろな話をする。
今日乗ったバスの運転手のハンドルテクニックは天才的で、細く曲がりくねった山道をいとも簡単に登って来たという話に始まり、前回、病院に来てから今日までに、学校で起きたこと、近所で起きたこと、仕事で起きたこと、病院で起きたことなど、代わる代わる話をした。建築中の家も順調に進んでいるようだった。
「結婚して十年経つけど、こんなに長い時間、話をしたことはなかったね」妻が嬉しそうにつぶやく。毎日、朝早くから夜遅くまで仕事ばかりしていて、家には寝るために帰るという生活をおくってきた。なんの疑いもなく、十年間もそんな生活を繰り返してきたのだ。喜んだといえば、病気を機にタバコを辞めたら妻と娘に大層喜ばれた。今までタバコを吸い続けていたのは特に辞める理由が見つからなかったからだが、病院では喫煙場所が決められていて、タバコを吸うためにわざわざ車椅子に乗り移り、喫煙コーナーに行くのも面倒なので辞めたのだ。こんなに喜んでもらえるならもっと早く辞めておけば良かったと後悔した。

確かに、両下肢麻痺により、立てなくなり、歩けなくなったが、そのおかげで今まで見えなかったものが見えるようになった。今まで感じなかったことを感じるようになった。それは病気をしなければ一生気づかなかったことかもしれない。だから、車椅子生活をおくるようになったことはプラスマイナスゼロだと思う。これは強がりでも負け惜しみでもない。

家族の他にもいろいろな人が見舞いに訪れる。
ある日も、佐藤店長と中重店長が二人で来てくれた。
「思ったより元気そうで安心したよ」「ありがとう。退院の目処もたってきたからね」
見舞いに来てくれた人は、なかなか立ち入ったことを聞けず遠慮する場合が多いので、意識的に聞かれる前からいろいろと話すようにしている。
「退院するまでに車椅子を買おうと思っている。これが高いんだ」
車椅子にはいろいろなタイプがあるので、値段にも幅があるが、わたしが購入しようとしている車椅子は専用のクッションと合わせて20数万円もした。もちろん、身体障害者が車椅子を買ったりする場合、補助金が出るが、わたしは肝心の身体障害者手帳をまだ手に入れてなかった。怪我が原因で脊髄損傷になった場合はすぐに身体障害者手帳が発行されるが、広島県では、病気が原因による脊髄損傷の場合、発病して一年間経たないと身体障害者手帳が発行されないのだ。もちろん、それまで待つわけにいかないからすべて自己負担で購入するしか手段がない。車椅子に限らず、家を建てたり、車に付ける手動運転装置を買ったりするにも同様だった。わたしは外出用と屋内用の2台を買うつもりだったから負担も大きかったので思わず愚痴ってしまった。

それから2週間経って、再び、佐藤店長と中重店長が現れた。
「はい、これ。みんなから」差し出された袋には25万円が入っていた。
あのあと会社に戻り、相談して、みんなでお金を出し合ったのだそうだ。
みんなには、一年もの間、迷惑をかけっぱなしなのに、その上、とんでもないものを貰ってしまった。少し困惑したが、結局、ありがたく受け取った。
そして、今もわたしが乗っている愛車は、啓文社の全社員からもらった友情の証だ。
仕事に復帰して、みんなと会ったらどんな顔をしてお礼を言おうか。早く考えなければならない。その日が来るのはもうそんなに遠くないのだから。

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