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第51回

 JR信濃駅から明治記念館へと向かう歩道。桜の花びらがまるで祝福の紙吹雪のように風に舞っている。丸善の早矢仕ライスを堪能し、満開の桜を見ることができただけでも上京した甲斐があったというものだが、わたしにはさらに心が躍る楽しみが待っている。
 本屋大賞発表式の会場は、もうすぐそこだ。
 本屋大賞は、全国の書店員が、いちばん売りたい本を投票して選ぶ賞である。書店で働いていれば、誰でも参加できる。今年で第6回を迎えるが、わたしは第1回から投票に参加していて、第1回目こそ、東京で行われる発表式を羨ましく思いながら遠方から眺めていたが、第2回目からは我慢できなくなって、発表式にも出席するようになった。

 全国の書店員が集まり、情報交換したり、親交を深めたりする意味合いを持つ会でもある。彦星と織姫よろしく、年に一度の再会の幸せに浸るつもりが、今回ばかりは押し寄せる緊張のおかげで、手放しに喜べるわけではなかった。実はこの会の最後で中締めの挨拶をすることになっていたからだ。もちろん、性に合わない挨拶など辞退すべきと思ったが、今回だけは断れない理由があった。それは、今年の「本屋大賞」受賞者が湊かなえさんだったからだ。
 尾道の対岸にある向島はわたしが生まれ育った島だが、湊かなえさんは、向島の隣の島、因島の出身だった。平成の大合併で二つの島とも尾道市になった。壇上で恥をかくつらさよりも、同郷として真っ先に祝いたい気持ちが打ち勝った。それどころか、できれば、晴れのステージの上で、花束を渡す役さえ、したいと思ったが、これは、前回受賞者から渡されることが恒例になっているそうだ。一応、「だめ?」と訊いてみたが、浜本実行委員長は冷たく首を横に振るだけだった。涙を堪え、伊坂幸太郎さんにお譲りすることにした。

 式は、三省堂書店の内田さんとジュンク堂書店の小海さんの司会で恙なく進行し、たくさんの書店員や出版関係者やマスコミ関係者などが見守る中、盛大に本屋大賞が発表された。湊かなえさんは、背筋も凍るストーリーとはかけ離れたアニメ声優のようなかわいい声で、堂々と受賞の挨拶を述べた。その姿に思わず、うるうると来たが、ふと向こうを見ると、双葉社の社長が同じようにうるうるしていた。
 式はさらに続き、歓談の途中に呼び出されたわたしは舞台の裾に抱えあげられ、胸のポケットに花を挿してもらった。やがて、内田さんの紹介で舞台の中央に出た。
「『告白』こそ、本屋大賞が似合う作品、本屋大賞にふさわしい作品と思っていましたので、この度の受賞を大変嬉しく思います」
と、こんな感じで挨拶をはじめた。

 昨年の夏だったと思う。双葉社の営業担当から電話をもらった。「今度、すごい小説を出すことになったから期待してほしい」と言うので、誰の作品かと聞くと、湊かなえと答えた。「誰?」「知らないのは当たり前。だって新人だから。新人だけど、実力は並大抵じゃない。疑うなら、ゲラを送るからぜひ読んでほしい。読んで面白かったら大きく展開してほしい」
そして、やがて『告白』のゲラが送られきて、早速、読んでみた。あの時、電話の向こうから聞こえた絶賛の言葉に嘘はなかった。
 もちろん、『告白』が高い評価を受け、人気を獲得して売れたのは作品の力によるものだ。しかし、営業の熱意に全国の書店が動かされたことも事実である。いよいよ発売になった時にはついに来たかという感じで一等地に並べたことを憶えている。そんな思いを持った書店員はわたしだけではなかったはずだ。
 まさに全国の書店員が、無名だけど、この面白い作品をたくさんの読者のもとに届けようと努力した結果、多く人から支持され、週刊文春ベストミステリー第1位になり、今回の「本屋大賞」につながった気がする。
 素晴らしい作品があって、出版社の熱いバックアップがあり、それに書店員が乗ったから、多くの人の手に届いたのではないだろうか。『告白』こそ「本屋大賞」にふさわしいといったのは、そんな理由からだ。

 わたしは「本屋大賞発表式」というのは単に受賞を喜ぶ会ではなく、書店員の決起大会だと思っている。だから、中締めの挨拶ではこう締めくくった。「さあ、明日からそれぞれの店に戻って本屋大賞を売って売って売りまくりましょう。えい、えい、おー」
 実は、「えい、えい、おー」なんて言葉は、スピーチ原稿には存在しなかった。気がついたら左の拳を天に向かって差し出し、叫んでいた。
会場の中のたくさんの人たちが拳を掲げていた。ステージから見たその光景は、瀬戸内海の波が揺れているようだった。

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