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藤井 貴志の<<書評>>


ニシノユキヒコの恋と冒険
ニシノユキヒコの恋と冒険
【新潮社】
川上弘美
定価 1,470円(税込)
2003/11
ISBN-4104412031
評価:C
 ニシノユキヒコという1人の男性と、彼と情をを交わす女性たちを描く短編集。このニシノユキヒコという男が、実にくせ者なのである。綺麗な顔立ち、自分の気持ちに正直、仕事はきちんとこなす、セックスが上手……、とにかく女性にモテる彼だが、ひとつの恋は長続きしない。次から次へと相手を変えるが、誰からも愛され、恨まれることはない。とにかく捉えどころのない人物なのである。物語に占める役割としては、かなり“ぐにゃぐにゃ”している感じ。どんな攻撃をしても、“ぶにょ〜ん”と吸収されて歯が立たない。こういう捉えどころのない人物を主人公に据えることで、著者は彼を取り巻く人物を思う存分に描けるようになるのだろう。
「これはありえない」と思うほどでもなかったが、ニシノさんのある種のスーパーマンぶりはどうもしっくりこなかった。けれど、彼のまわりの女性たちは心情描写も緻密でとても魅力的に描かれている。『源氏物語』を読んだとき、光源氏自身よりも彼を取り巻く女性たちの話の方がおもしろいと感じたのに似ている。

失はれる物語
失はれる物語
【角川書店】
乙一
定価 1,575円(税込)
2003/12
ISBN-4048735004
評価:A
 いずれの物語も何気ない日常の書き出しで始まるが、すでにそこから乙一が張り巡らす伏線の上を歩かされていることに、最後は小さな快感すら覚えるようになっていた。恥ずかしながらライトノベルはこれまで手に取したことがなかったけど、これは新しい発見である。
最初に収録されている『Calling You』は、僕のような若葉マークの読み手にとって“名刺代わりの挨拶”として格好の物語だと思う。携帯電話というリアルとバーチャルが錯綜するコミュニケーション手段を取り上げ、さらにそこに時間を超えたやり取りまでが可能になることで起こる不思議な出来事を切なさたっぷりに描いている。この『Calling You』の世界が気に入ったなら、安心して後ろに控える5つの物語を読めるだろう。“乙一ワールド”は必ず期待以上に愉しませてくれるから……。全編を通じては、各々ミステリアスな世界を作るだけでなく、その中で1人の人間の寂しさや弱さを丁寧に描いている点がとても良かった。装丁にも著者(と版元)のこだわりが感じられ、本という“商品”の完成度をさらに高めている。

男坂
男坂
【文藝春秋】
志水辰夫
定価 1,600円(税込)
2003/12
ISBN-416322470X
評価:B
 「内臓をこすり合わせるほど」という言い方がある。人と接する際のコミュニケーションの深さ・密度を表現した言い回しだが、僕らの日常は、単に“すれ違うだけの関係”で終わってしまうことも少なくない。とりわけ日常の仕事においては、人との出逢いを疎かにしがちだ。本書を読んで、どんなに些細なコミュニケーションでも自分の人生にとって大切な何かが残せることに改めて気づかされた。
7編の短編からなる本書は、様々なきっかけで出逢った人々の「人生のこすり合わせ」である。しかし一見しても「人生をこすり合わせている」ようには見えない。他人同士、距離感を保ちつつ、恐る恐る相手の心の内を探り合っている。しかし、だからこそ、互いのことをよく知らないために思いめぐらせる相手の人生や、そこにある苦悩、悲しみが巧みに描かれていて、それがじんじんと伝わってくる。
本書で描かれている出逢いは、やがて“別れ”が来ることを感じさせる悲しさに満ちており、そこもいい。小さな出逢いで人間としての“縁(えにし)”を結べる、そんな出逢いの“芽”を大切にしなければいけないと強く感じる1冊。

レインレイン・ボウ
レインレイン・ボウ
【集英社】
加納朋子
定価 1,785円(税込)
2003/11
ISBN-4087746755
評価:B
 高校のソフトボール部のOG7人が、仲間の死を契機に関わり合う模様が、各部員を主人公に据えた7編の短編にまとめられている。本書全体をとおして貫かれている「大きな物語」のほかに、それぞれの短編にも丁寧に「小さな物語」が織り込まれているので、個々の短編に退屈させられることもない。むしろ、ある短編で脇役だった人が主人公の話を読むときなど「あのとき、この人はこう感じていたのか……」といった新しい発見もある。現実世界では他人の心を覗き見ることはできないが、本書では7人それぞれの「1人称」の視点が交錯していて楽しめた。この味わいをドラマや映画といった時間軸で流れるメディアで再現するのは困難だと思う。
心に残った一節に、「佳寿美は彼女の〈お母さん〉になりたかったのだ。」というくだり(91ページ)がある。この感性は女性ならではものだろうか、前後も併せて印象深い描写であった。

シャッター・アイランド
シャッター・アイランド
【早川書房】
デニス・ルヘイン
定価 1,995円(税込)
2003/12
ISBN-4152085339
評価:A
 かつてチュニジアを旅した際、タクシーの運転手に「エアポート(空港)まで」と告げたのに港(ポート)に連れて行かれたことがあった。「おいおい!」と思ったけど、思いがけず素敵な場所だったので「こんな所に来るつもりじゃなかったけど、これはこれでラッキーかも」と(おかげで飛行機に乗れなかったのに)意外と嬉しかった想い出がある。本書を読んでそんなことが思い出された。
事件モノ? 医療モノ? 本書を一言で片づけるのは難儀だ。恐らく誰もが、「こんな小説を読むつもりはなかったのに……。こんなハズじゃなかった。ルヘインのヤツ、騙しやがって!」と心の中で叫ぶはずだ。同時に心の中では「まいった。お見事」と喝采を上げるだろう。読んでいるときは物語のメインテーマを掴むことができずに少しザラつきを感じたが、結末に辿り着いた瞬間、精密機械のように計算し尽くされたプロットに「!」と気づかされる。結末の「袋とじ」は賛否両論だろうが、個人的には過剰演出に思えた。