第2回(今回は短く)

 そんな状況の中、ハード面からの追い風が吹く。'85年に発売された世界初のオートフォーカス(AF)一眼レフカメラ「ミノルタα-7000」だ。この本でカメラの歴史を語るつもりはないので、スペック的な解説は省くが、このカメラの出現はアマチュアカメラマン業界に産業革命的な衝撃を与え、その後、大手メーカーのニコン、キヤノンもAF市場に参入し、一般人への一眼レフカメラの普及は、一気にドカーンと広がった。アイドルファン達も例外ではなく、カメラ小僧(「投稿写真」では"カメラBOY")と呼ばれるアイドル写真マニアを大量に生み出す原動力となった。

 同じ'85年4月、CX系で「夕焼けニャンニャン」が放送開始、スタート直後はそれほどパッとしなかったものの、デビューシングル「セーラー服を脱がさないで」がヒットするや瞬く間に空前のおニャン子ブームを巻き起こす。その裏で「あざとい」と称される秋元康のプロデュース法が、82年組ではなしえなかった多くのファンとマニアとオタクとカメラ小僧達を大量に生み出すこととなった。

 こうした背景から、「投稿写真」は順調に部数を伸ばし、1年足らずの間に部数は30万部を突破。風雲児・堀川は、「10万部は超えられない」というアダルト雑誌の定説を「セクシーアクション」で覆した次の手で、低年齢向けのアダルト雑誌(変な言い方だが、まだ青少年育成条例も甘く、小口シールもなく、未成年者がコンビニでアダルト雑誌を気軽に買えた時代のカテゴライズ)市場でその記録を塗り替えた。
 
 数々の事情から最終的には「TOP SPEED」と誌名を変え、21世紀を迎える前に消えてしまったが、読者的な認知はアイドルパンチラ雑誌ではなく、「オタク文化」を担う雑誌の一つだったと思う。
 
その「投稿写真」にオレは、創刊2年目、'86年3月のサン出版入社直後から4年の間、編集として携わっていた。