第9回

 歓迎会が、流れ解散になると、編集部に戻り再び版下校正の続きだ。「Sailor club」は4月9日発売なので入稿作業が一番忙しくなる時期、版下が夕方の便で写植屋からドサッと届けられていた。幸いにもというか、不幸にもというか酔いはすっかり冷めていたので、せっせと赤を入れていると哲也さんが、話しかけてきた。
「大橋クンはどこに住んでるの? 終電は何時くらい?」
 壁の時計に目をやると、既に午後9時過ぎ。
(入社初日からいきなり終電帰りっすか!?)
 少々たじろぎながら、自宅の場所とどのくらいに会社を出れば終電に間に合うかを答えると、
「じゃ、今日は10時までやってもらおうかな」
 こうして、期待と不安と驚愕まみれの入社一日目は終わった。

 3月中は、「Sailor club」の入稿と校了。休む間もなく、「投稿写真」6月号の作業が始まる。
「6月号の企画会議はもう終わっているから、今月号はみんなの手伝いをやってくれ」
 堀川編集長からそのように言い渡され、与えられた担当は、4Cでは「世間流行mono通信」という情報コーナー、1Cでは「お便り宅急ペン」という読者のH体験投稿告白ページだけだった。
 
  ちなみに表紙、すべてのグラビア組み、雑誌のキモである写真投稿ページの「所ジョージのすごいですねー! 写真教室」(ノンジャンル)「アイドルSNAP決定戦」「熱血アドベンチャーSCOOP決定戦」(盗撮、ニャンニャン写真)「アクションスピリッツ決定戦」(チア、新体操などのアクション写真)「アーパー写真館」(「宝島」のVOW系お馬鹿写真)は、堀川編集長の担当。哲也さんの担当は前述の通りで、グラビア撮影のほぼすべてと残りの企画ページがKさんという担当割だった。
 
  こう書くと最初はずいぶんと楽をさせてもらえたように見えるが、実際に作業が始まるとグラビアページのキャッチやネーム(今時のグラビアは、写真だけで文字を載せるようなことはまずしないが、当時は女のコっぽいセリフのキャッチとポエムのようなネームを入れるのが主流だった)、写真投稿ページのキャッチや投稿者のコメントとそれに対する編集部の応答、コラムページの見出しなどなど、レイアウト先行で後から文字部分を埋めるいわゆる"後原"の仕事が、東京大空襲の時の焼夷弾の如く、次から次へと回されてきたのだ。
 
  正直、アイドルに関してはあまり詳しくなかったので、「アイドルSNAP決定戦」や「日本全国カメラボーイ通信」のネーム書きは、アイドルの顔と名前を覚えるのに随分と役に立った。それがひと段落するや、版下校正の嵐!! 自分の書いた分は、当然のように校正が回ってくる。校正といっても赤を入れればおしまいではない。直しがよっぽどひどい場合を除いて、版下を写植屋に直してもらうことはなく、基本的には直す部分をバラ打ちで写植屋に発注し、上がってきたら自分でカッターとペーパーセメントを使って版下を修正しなければならない。毎月5日あたりから10日間は、土曜も日曜もなく、毎日が終電帰りだった。