第18回

 塾長は、締め切りをきっちり守る人で、他の1Cページを担当している知り合いもいるのだから、ギリギリの締め切りがどの辺かぐらいは知っていたと思うのだが、かなり早目の締め切りに遅れたことは一度もなかった。ただ、困るのは、投稿物を渡したり、原稿を受け取ったりするたびに飲みに誘われることだ。投稿物を渡すときは、4C入稿の手前ぐらいの比較的暇な時期で、家に帰りがけにちょっと寄ってのタイミングであれば問題はないのだが、原稿を受け取った後、というのはまずい。受けてしまっては、締め切りに余裕があるのがバレバレだし、何よりもオレの心の中の"編集者の掟"ノートには、
『仕事中に酒とSEXはしない』
 という一文がクッキリと書き込まれていたからだ。SEXについては半ば冗談だが、酒については、自分なりの決めごとをしなければ、ズルズルになってしまいそうなので、本気だった。「ちゃんと守っていたのか?」聞かれてもほぼ100%守っていると胸を張れる。ただ、酒を飲むのは大好きなので、塾長のような誘惑をしてくる人物は厄介だった。

 仕事中は別だが、塾長とはよく飲みに行った。ある時、塾長の部屋で飲んでいて、何でそういうことをしたのか、よく覚えていないが、塾生(投稿者)の声を聞いてみようということになって、常連で電話番号をハガキに書いてきた塾生に片っ端から掛けまくった。掛けられた方は、まさか投稿している雑誌の担当者と編集者が、夜中に電話を掛けてくるなんて思ってもいなかったようで誰もがびっくりしていた(当たり前だ)。一ヵ月後、投稿の似顔絵を整理しているとハガキにこんな文章が添えられていた。
「電話をいただいたのはうれしかったのですが、今度は夜中ではなく、常識的な時間にしてください」
 背筋に冷たい汗が流れた。投稿者には学生も多く、家族と同居していて、「投稿写真」のような雑誌を読んでることを親に知られたくない人も多かったに違いない。青ざめながら塾長にその旨を伝えた。
「酔ってたとはいえ、やりすぎたよね。ま、だいじょぶ、だいじょぶ」
 どこまでも豪快な人であった。

 塾長の酒の飲み方は、少なくともオレと飲んでいた時はおとなしい方だったが、一度だけ塾長がキレたことがある。
 この事件のせいで、コンプリートを目論んでいた「ウルトラ倶楽部」(「ウルトラQ」と「ウルトラセブン」の再放送)の録画を逃してしまったので、日付までは憶えていないが、'87年の夏だったのは、間違いない。どういう経緯かは忘れてしまったが、その夜、塾長と石川誠壱とオレの3人で、渋谷で飲んでいた。2軒ほどハシゴして、そこそこ酒も回ってきたし、その日は「ウルトラ倶楽部」の予約録画を設定し忘れていたため、そろそろお開きにと思っていた。

「よし、もう一軒行くぞ!!」
 普段は自分からもう一軒などとは言わない塾長が、珍しく意気揚々としていた。そこで、雑居ビルの地下にあるパブに入り、ズブロッカを一本頼んだ。それをロックにしてちびちび舐めながら雑談に耽る。ふと気付くとほとんど空になっていたはずのロックグラスにナミナミとズブロッカが注がれている。
「大橋クン、飲みが足りないよ」
 塾長の手には、1/4ほどに量の減った瓶が握られていた。オレの場合、仲間内での飲み方は手酌が基本で、注いだり注がれたり、無理強いしたりされたりは、まずしない。塾長と飲む時もそういった暗黙の了解ができていた。
(結構、キてるのかな。早めに切り上げるとするか)
 オレは、塾長から瓶を奪い、塾長と石川のグラスに残ったズブロッカを注ぎきると、
「これ飲みほして帰ろう」
 二人に向かってそう宣言し、グラスを一気に仰いだ。
 
 勘定を済ませ、地上に出る階段を上っている時に、クラっときた。酒の強さにはそこそこの自信はあったが、そこそこ飲んだ上にほぼ40度のズブロッカ一気、(ちょっとヤバいかも)と思いながら、ハチ公前のスクランブル交差点に向かう。信号待ちをしていると、
「ケケケケケケケケケ」
 背後で不気味な笑い声がする。振り返ると塾長が歩道に仰向けになった石川に馬乗りになって大笑いしながら、タコ殴りにしている。石川も酔っているのか、
「殴りたきゃ、殴れ」
 無抵抗なまま大の字になっている。「おいおい、やめろよ」と塾長を石川から引き剥がすと歩道に座らせた。石川は、仰向けに倒れたままだ。
「おーおーはぁしー」
 塾長は、立ち上がると今度はオレに迫ってきた。目が完全にイっちゃっている。
「塾長、オレは強いぞ(ウソ)」
 オレもこの騒動で、アルコールが脳に回りきっていたので、完全戦闘モードの塾長を目の当たりにして、理性が吹っ飛んでしまった。そして、それまでの人生で一度も放ったことのない回し蹴りを塾長の首に決め、塾長を倒したところで、記憶も吹っ飛んだ。
 
 気がつくとガード下の路上に寝ころんでいた。時計を見ると午前6時過ぎだ。石川が、ホームレスのおじさんと何やら話してる。
「こんなとこに寝てたら、財布とか盗まれちゃうよ、だってさ」
 チーマーもギャングも不法在留外国人もいなかった時代が幸いしたのか、すぐに確認したが無事だった。そして、3人ともフラフラになりながら、各々の帰路についた。
 
 後日、この顛末をマン研同期の吉岡平さんに話した。
「そりゃあ、まずいですよ。学生時代なんか、新宿の吉野家でヤクザがいるのを見つけて、戸をドンドン叩いて、『ヤクザが牛丼なんて食ってんじゃねえ!!』って叫んで、みんなで塾長を引っぱって逃げたり、武勇伝には事欠かない人ですから、塾長は。マン研仲間じゃ、塾長とサシで飲むなんてことする人間いませんよ。大橋さんも今までよく無事でしたね」
(そーゆーことは、早めに教えてくれよ)
 それを聞いた時は、オレも塾長とサシで飲むのは控えようかな、とも思った。しかし、素面の時の気風の良さと酒好き、ギャンブル好きと気が合う塾長との付き合いをやめることはできなかった。憶えていたら、友人関係にヒビの一つも入りそうな、渋谷の事件の記憶が塾長には全くないようだったので、その後の付き合いは、何変わることはなかった。せいぜい、塾長と飲む時はできるだけ深酒にならないように気を配った程度だ。そして、渋谷の事件のようなことは、2度と起きなかった。