第42回

 年末進行の滑り出しで危うく大転倒&大ケガするところを読者の見えざる手によって救われたオレは、その勢いで「FIインタビュー」でも大物を釣り上げる。吉本興業所属のアイドル第一号のデュオグループ"ポピンズ"(金子恵美・'70年12月26日生まれ、名古屋出身/芳賀絵巳子・'70年10月14日生まれ、名古屋出身)だ。"大物"といっても一年ちょいで消えてしまったのだから、ふさわしくないかもしれないが、4月のデビュー当時の事務所の力の入れ具合やそれに比例する媒体露出の数などは、他の新人たち(おニャン子メンバーは除いて)を完全に引き離していた、芸能担当についたばかりの頃のオレ的にはまさしく"大物"だった。

そんな相手に対し搦め手もなしに、いくら当たって砕けろ神風アポ取りだからって、紙飛行機で戦艦ミッドウェーに体当たりするようなわけにはいかない。こちらがある程度の実績を上げ、相手の状況を鑑みつつ、機が熟すのを待っていたのだ。だから、もしポピンズがブレイクして、日本レコード大賞の新人賞候補にでもなりそうな勢いだったり、逆にこちらがそれなりの実績を積み重ねることができないようだったりしたら、吉本興業にアポを入れることもなかったろうし、事務所的にも出してはくれなかったろう。そういった点ではポピンズの登場は、試金石であり、今後のアポ取り方針のクリッピングポイントでもあった。

当のポピンズは、吉本所属だけあって(?)活発そうな金子恵美はもちろん、見た目はおとなしそうな芳賀絵巳子もしゃべるしゃべる。ただでさえ、一つの質問に二人が答えるので時間が掛るのに、一つ質問すると2倍どころか5倍くらいになって返ってくるので、取材する方としては楽だったが、それを原稿にまとめるライターは大変だったと思う。

 お盆進行の時と同じく、表紙・グラビアの撮影は、10月中に2か月分撮り溜めした。

1月号は、石田ひかり('72年5月25日生まれ、東京出身)。田中律子と同じボックスだったので、初登場にして初水着の大盤振る舞いだった。担当マネージャーはW氏ではなく、女性のマネージャーが就いていた。石田ひかりは、最初に見た時は、おとなしそうでちょっとボンヤリとした印象だったが、話してみると意外にしっかりと受け答えができて、撮影時のポーズや表情などの指示をこちらの意図していることを理解して演じてくれて、飲み込みのよさに感心してしまった。昼飯の時の雑談で、プロフィールの特技に"中国語"とあったので、自分の名前を中国語で言える? と聞いたら、

「我是石田光」

 とすかさず答えてくれた(と思う、その頃のオレは北京語なんて発音から何から全く知らなかったので、正しいのかどうかさえ全然わからなかった)のも、物おじしない度胸を感じ取れた。アイドルとしては残念ながら花開くことはなかったものの、その後女優として今も活躍しているのも、そうした飲み込みの良さや度胸あっての物種だと思う。

 その4日後は藤井一子で、2月号の表紙・グラビア撮影。水着がダメだったので、体育館風の(コンクリ打ちっぱなしにフローリングというだけ)スタジオでブルマを何とかOKしてもらい、バレーボールやバスケットボールの入った金属製の籠や体操マット(どちらも会社の地下倉庫に常備してある)を運び込んでセッテイングした。顔を合わせるのは、前回の「FIインタビュー」に続いて2度目なので、撮影が滞ることはなかった。スタジオ撮りが終わって、表紙の撮影は、野外でと代々木公園に移動した。

公園についたところで、現場担当の女性マネージャーが、

「大橋さん、どこで着替えたらいいんですか?」

 と訊くので、

「すいませんが、車の中か、公園のトイレでお願いします」

 と答えると(そんなところで...)と不満顔。しかし、他に着替える場所なんてない。その場は渋々ながら従ってくれたが、撮影が終わり、帰り支度をしていると、また、

「大橋さん、どこで着替えるんですか?」

 と訊いてくる。(同じに決まってんだろ!!)と思いながら、

「トイレか、車で...」

 といい終わらないうちに、

「またですか~」

(ウチの一押しタレントにトイレで着替えろというんですか!!)と字が浮き出てきそうな超不満顔。それに合わせるかのように、藤井一子も、

「え~ッ、トイレで着替えるんですか~」

 と半分ふざけながら同調する。

「やだな~、じゃ、衣装、貰っちゃっていいですか」

「そ、それはちょっと...」

 思わぬ成り行きにあわてるオレに、スタイリストが追い打ちを掛ける。

「大橋さん、あの衣装買い取りになると高いですよ」

 結局、一子達の次の取材先の集英社まで連れて行き、空いている打ち合わせ室で着替えてもらい、やっとのことで衣装を返してもらえた。まったくもってトホホである(笑)。