第54回

 次の日から、撮影ラッシュ。まずは、「アイシミュ」。登場してくれた志賀真理子('69年12月24日生まれ、神奈川出身)は、'86年2月に「フリージアの少年」でレコードデビューし、ラジオ番組のレギュラーも持っていた。中学生の頃から芸能活動していたものの、業界ズレしているようなことはなく、フレッシュさをオーラのようにまとっていた。
 彼女の事務所は、島田奈美のところと同じく大手の事務所から独立したT社長が経営する事務所で、現場担当の女性マネージャーはいるものの、担当はT社長自身とこれまた同じ。同じように衣装の件(水着うんぬん)でモメたのも同じだった。そんなワケで同じように冷や冷やしながら現場に付いたのだが、実際に会った社長は、気さくで押しの強い人物だった。
「これも縁だからさ、今後も「投稿写真」は真理子の全面バックアップ、頼むよ。できたら毎号出してほしいんだけど」
「ウチは中森さんのコーナー以外だとインタビューページしかないんですよ。それも基本的に一回限りですし...」
「そうか、インタビューじゃ、面白くないな。何かレギュラーコーナー持たせてよ」
 協力的なのはうれしかったが、いきなりレギュラーコーナーをと言われても困る。だた、1月号で善二さんがやっていた「お坊ちゃま相談室」が打ち切りになっていたのと、「投稿写真」のマニア向けアイドル雑誌化には、アイドルのレギュラーページがあってもいいなと思い、無茶を承知でT社長にこう切り出した。
「相談室なんてどうです。レギュラーのラジオ番組をタイアップして...」
「いいねえ、それ。早速、明日にでもラジオのディレクターと相談してみるよ」
 相談というよりネジ込んだのだと思う。無茶なタイアップコーナーは、現実のものと化した。

「投稿写真」のマニア向けアイドル雑誌化は、年末進行が始まる直前の11月中旬、突然のように決まった。
 それは、編集長に飲みに誘われたのが発端だった。校了打ち上げや社員旅行などでそれまでにも何回か一緒に飲む機会はあったものの、差しで飲むのは初めてだ。
 店名は忘れてしまったが、新宿のバーに連れて行かれた。
「大橋はよくやってるよ。まだ一年目とは思えない。流石は「本の雑誌」出身だな」
 いつもはどちらかというとムッツリしている編集長だが、アルコールが入ると温和な人に変わる。メガネの奥の鋭い目も細く垂れ下がり、相当機嫌がいいようだ。
「いえいえそんな」
 謙遜しながらも、褒められているので気分は悪くない。
「ところでさ。「投稿写真」のこれからなんだけど...、どうしたらいいと思う? 「(ザ・)シュガー」みたいなアイドル誌みたいにするとか、いろいろあると思うんだけど...」
(って、そんな相談、いきなりされても!!)
 一瞬、答えに詰まったが、差しで飲んでる以上答えないという選択肢はない。
「う~ん、おニャン子ブームも下火になって、来年には解散だって噂もありますし...そうなったらアイドルブーム自体も終わりでしょうし、「(ザ・)シュガー」みたいなアイドル誌の読者は、アイドルファンが多いですから減ることは間違いないと思いますよ」
 「投稿写真」のシュガー化には絶対反対だった。芸能担当としては事務所との交渉はやりやすくなるかもしれないが、いい歳こいて「○○ちゃん、だーい好き」みたいな甘ったるいスタンスの雑誌はやりたくない。アイドルマニアの心情は理解できても、アイドルファンの心情はどうしても理解できないオレは、少しアルコールのまわった脳みそをフル回転させて、論陣を張った。
「「投稿写真」は読み物ページで、マニアの読者はもちろん、業界的にも評価されてますから、その部分を強化していく方がいいと思いますよ。ブームが終われば、ファンは減りますけど、マニアはそんなには減らないでしょうから。最終的に生き残れるのは、マニアを掴んでいる雑誌だと思いますけど...」
「マニア向けに強化ねえ」
「そんなに変える必要はないと思うんですよ。すでにある程度、取り込めてはいるわけですから。年に何回か、アイドルマニア向けの特集を組むとか、できるかどうかは別にしてマニア受けするアイドルのレギュラーページを作るとか...」
「そうねえ...」
 編集長はあまり乗り気には見えなかった。所詮は、会社に入って8カ月の新人が語る酒の席での与太話、喋っている本人のオレでさえ、本気で言っているわけではない。
 しかし、翌日、編集長は来社するや否や、意を決したようにこう告げた。
「大橋、昨日のマニア向けの話な、あれやるからな」
(ゲッ、マジ!?)
 自分が言ったこととはいえ、まさに青天のヘキレキだった。